A-4
「結構です。問診は以上で終了です。異常は全く見られません。次回の問診の日程は1ヶ月後前後で調整させて頂きます。義脳のモニタリングは24時間実施しておりますが、違和感や不安を感じられたら気兼ねなくお問い合わせください」
頭の中身――自分そのものを弄るということについて、心穏やかならざるものを覚えない人間はいない。30分ほどの会話を終え、カウンセリングルームを退出する。五度六度と回数を重ねてくるとこのやりとりも今となっては慣れたものだが、本質的なところでは以前と何も変わらない本当の自分なのだと再確認できたことに、私は安堵する。
人間の脳への情報移植は、多くの工程と長い期間を費やして進められる。知識のインストールや、気になる仕草・癖を修正するプログラムの適用、美的センスの移植など、顧客の要望は多岐に渡るという。そうした要望に応じて、無数の情報提供者から抽出・調整した選りすぐりの情報パッケージを十数個の断片に分割して、術前・術後に幾度もの検査・精査を重ねながら、ひとつずつ半機械化された脳に書き込んでいく。
今しがた私が終えたのはそうした検査の一環だった。義脳を介して新たな情報を脳に書き込む工程自体はさほど技術も労力も必要としないが、新たに書き加えられた情報によって、顧客の自我や脳の機能に予期せぬ変化が生じる場合があるという。施術直後に30分ほどの時間をかけて、何十個かの質問や簡単な計算問題、論理パズルを解かせることで、情報の移植が顧客の脳に不適応を起こしていないかを確認する。一度に移植する情報の量を少なくし、施術と施術のあいだに1~2か月の経過観察期間を設けるのも、不適応のリスクを避けるためだ。購買意欲を煽り立てるどころか、むしろ顧客の欲求を押し止めようとするような慎重な施術の進め方について、少なくとも私は信頼感を抱いている。
「最近はもう、バイクにはお乗りになられないんですか」
付き添いの営業職員が施設のエントランスまで見送ってくれた際ぽつりと呟いた言葉に、私は胡乱な返答を返した。
「ええ」
一呼吸、唇を湿らす間に「バイク」という語とそれが私にとって持つ意味について記憶を巡らせる。
「ええ……そうね、最近はあまり乗りたいと思わなくなったものだから」
寝惚けたような返答をしてしまったのは、私が職員の言葉に完璧に虚を突かれてしまっていたからだった。記憶の障害ではない。生まれてはじめてそれに跨ってから今日までの「バイク」にまつわる何もかもを、私はその一瞬の間に総ざらえし、正確に想起することができた。かつて男の身体であった時の記憶も、内面に「女性らしさ」を移植した二三度目の施術の頃、10年振りに感じた懐かしい背も、全身に浴びる風の感触も。
まだ男の身体に入っていた頃に常に願っていた「本当の私でありたい」という願望――女の体で気兼ねなくバイクに乗りたいと思っていた感情のひとつひとつを当時そのままにありのままなぞることが出来ながら、「バイク」というものに自身が抱く感情や感傷が余りに淡白なものに変化していたという事実の落としどころを、私は心中に見つけられずにいた。身を割かれるような苦々しさと共に遠ざけたはずの半身を、私は無関心とともにいま自然に手放しつつある。
後から思えば、この時が初めてだったのかもしれない。思春期から絶えず抱えていた、内蔵の収まっている箇所を内側から柔く掻くようなあのもどかしい閉塞感が、今や充足感と甘ったるい幸福感に完璧に置き換わっていることに気付いてしまったのは。
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