B-1
まさか、10年後の自分がこのようなかたちで生活を営むことになっているとは。当時の自分からしてみれば、まるで想像などできなかっただろうし、何よりひどく奇妙に感じるに違いない。実際今だって、よくよく考えてみれば奇妙以外の何物でもないのだ。
『これまでにない程、なんでも
勤勉さ・忍耐・積極性・自主性・責任感・知的好奇心・エトセトラ・エトセトラ・エトセトラ……。今日までの人生を振り返ってみても、それら所謂「人間的美徳」というものを求められることの多い人生だったように思う。求められることが多いとは、要するに自分は、その類の社会的人間が備えているのに望ましい資質というものを徹底的に欠いた人間だったというだけの話である。そしてある意味では、私のような人間がそれらの資質を欠いたまま、大学を卒業するまで所謂社会的生活というものをやりおおせてしまったことのほうが、よほど奇妙なのかもしれない(少なくとも、おとなしくとも勤勉だった同級生の男子生徒のほうが、大学生などという身分にはよほどふさわしかったとは思っている)。ともかく、22歳までの私の生活を支えていたものは、有り体に言えばある種の媚びであった。それはある種の人々が羨み、ある種の人々が義憤と私怨をないまぜにしてときに怒り、多くの場合冷笑するひとかたまりの仕草・動態だった。
私の人生の決定的な転機は、22歳の冬のころ訪れた。自力で人生にとっての恩恵を獲得するための資質・特性を重んじる人種と、周囲が獲得した恩恵のおこぼれに快く預かることのできる資質・特性を持つ人種。それまでの22年間の生涯において私の最大の庇護者にして生活基盤と身分の保証人であり続けた両親はともに前者に属する人間であり、(さらには前者に多く見られる傾向として)後者、つまりは私のようなタイプの人間をひどく唾棄しており、何ならば彼らの愛する娘が自らの最も嫌う人種に成り下がっていたことに耐えきれなかった。結論から言うと、私は彼から捨てられた――正確に言うと、自ら汗を流し働き、口に糊する手段を見つけよ、さもなくば大学の卒業をもって庇護のもとから放り出す――という刻限付きの宣告を受けたのだった。短期のアルバイトですら経験のない私が、一念発起し職を求めるか路頭に迷うか、逡巡する暇は、しかし結局訪れなかった。取引の申し出は実にタイミングよく、まさに私が最後通告を言い渡されたその間隙に差し出された。先に述べた通り奇妙な取引だったが、私もさほど驚かなかったのも同時に偽らざる事実だった。なぜなら、前述の所謂「人間的美徳」というものでさえ当時すでに取引の対象であり、この種の取引は現代を象徴するもっともポピュラーな形態のひとつだったのだから。――ああ、とうとう『これ』も商品になる順番が来たのか。曖昧にそのような感想を抱いたことだけをおぼろげに記憶している。
ごく一般的な賃貸住宅や雑貨店舗とそう変わらない低い天井、柔らかな暖色の壁紙は、採取の際提供者に余計な緊張感や圧迫感を与えないためのものなのだという。今や見慣れた天井の下で行うその行為が、この10年間に渡って私の生計の手段だった。月に一回、4時間前後を私はこの部屋で横たわって過ごす。退屈ということはない。その時間の殆どを、私は眠って過ごすのだから。
どんな仕事をするにせよ、慎重にじっくり考えなければならない。幼いころから両親は、重ね重ね私にそう言い含めた。他のことに使えたかもしれない人生の大事な時間や労力を、自分の一部を切り売りすることに他ならないのだから、と。その言葉は22年、あるいは32年間の人生を通して、私の脳裏のどこかにこびりつき続けた。結局のところ、今このような形で生活を送っているということは、私にとって時間や労力の切り売りは向いていなかったということなのだろう。
私の意識の隅のほうから、睡魔がじわじわと侵食してくる。眠りから目覚めた後の疲労感と気怠さ――この取り引きの安楽さに感じる一抹の後ろめたさを心地よく消化してくれる――を想像しながら、私は今日もまどろみに身をゆだねた。
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