感情教育マーケット

威岡公平

A-1

「お客様」


 音の輪郭のはっきりとした声に、現実に引き戻される。


「お客様……。そう、緊張なさらなくとも結構ですよ。申し上げた通り、今日急いでご契約なさらなくとも結構ですから。」


 机の体面に座る営業職員は、非礼さを感じさせない程度に慎ましやかな微笑で表情を崩してみせた。本当に人を安心させることにかけてはこの上なく如才のないひとだな、と私はにべもないことを考えていた。

 ふと、机の下で合わせた両の掌を、筋肉繊維が軋むほど強く握りしめていたことに気付く。

 喜怒哀楽、感情が昂るとその内訳を問わずこうしてしまうのは、物心ついた頃からの癖だ。10年の時を経て変わった部分も多かったが、時々ふとこうした何気ない癖に気付くとぼんやりとした安堵感を覚えずにいられないのは、そこに『変わらない自分』のようなものを発見してしまうからだろうか。


 識者に言わせると、今という時代はそれまでと比べ、「これまでにない程なんでも貨幣カネで買えるようになった」時代なのだそうだ。私自身の経験・体感に照らしてみても、それは現代社会の偽らざる実態だった。


 私の社会人としてのこれまでの10年を振り返ってみると、他人に比べて随分多くを買い物という行為に費やしてきたように思う。大学では優秀な成績を修め、無事採用された勤務先では、高額な給与に見合うだけの優秀な労働者として振舞い、常に雇用主の期待に応えてきた。

 そして10年のあいだ、買い物という行為は、私にとって一貫して公正な取引であり続け、一度として裏切られたことはない。貨幣という唯一絶対の形態で対価を求め、要求する金額は断固として変わるところはなかったが、対価に応じ常に私の要求に応じる内容を提供してくれた。 

 人生の成果の殆どを余すところなく買い物という行為に注ぎ込んできた私の10年のプロセスは、『献身』という言葉で形容されるある種の性質に似ていたかもしれない。寧ろ些かも自嘲的なニュアンスを含むところなく、自らを優良な現代的浪費家と自負してきた。

 

 何度も聞いて申し訳ないけれど、と前置きをしてから、いま自分が目の前にしている『商品』と契約内容について、営業職員に再度の説明を求める。

 職員は軽く頷くと、面倒を厭う素振りひとつ見せず、ゆったりとした口調で説明を始めた。この営業職員との付き合いも、足掛け8年以上に及ぼうとしている。美声や艶っぽい声という訳ではないが、通りがよく単語ひとつひとつの発音がくっきりとしていて聞き取りやすい声や、言葉の示すところの意味内容を正確に相手に伝えようとする言葉選びをするこのひとを、私はこの上なく信頼している。過去10年の『浪費』のパートナーとしての実績があるからこそ、この職員を通じて今回の『商品』の購入の検討に至った、と言っても過言ではない。


 暗誦できるほど繰り返し受けた説明内容を聞きながら、私自身が今回のに抱いているおそれや躊躇いを打ち消そうとする。私にとっての「大きな」の意味は、その途方もなく高額な購入代金の高額さ、だけではなかった。支払能力というだけならば、積立を重ねて、最初の説明を受けた半年前の時点で既に一括購入に足るだけの現金は用意している。

 今回が、自分にとって最後の『浪費』になるだろうことを、ぼんやりとであるが私は察知していた。過去10年間の『浪費』の度、契約内容に違わぬ誠実な取引に満足する一方で、自信が求めるところの欠落の補填や欲望の解消において、究極的なところでは達成されないという失望感を味あわない日はなかった。

 そして今回ので求めるものは、私にとってあまりに魅力的だ。生まれて以来満たされえなかった私の欠落をもしかしたら十全に埋めてくれるのではないか。今回の『商品』が説明するところの内容は、そうした希望を私に抱かせるには十分であり、同時に、この『商品』でさえ私の願いが叶わなかったら、自分はいったいどうなってしまうのだろう、ということに想像を巡らせると、身震いするような寒々さむざむとした恐怖を感じさせずにはいられないものだった。


 私の逡巡のあいだに、営業職員はひととおりの説明を終え、なにか、ご不明な点はございませんか、と語りかけてくる。問われるたび、何度も疑問を投げかけてきた決まり文句。そしていま投げかけるべき疑問はもはや私の裡には存在していなかった。

 冷淡な突き放しとも馴れ馴れしさとも距離を保ったまなざしを、職員は私にじっと向ける。この人物が顧客に結論を急がせない類の職業人であることを、私は熟知している。机上に置かれた説明資料に目を落とす。私の望みを直截に表現してみせた文言を読み上げると、高揚感が背中の芯を突き抜けていくのを感じた。視線が資料と職員の瞳の間を何度か往復する。


 絶えず机の下で固く結んでいた両手を解いた。職員に購入の意思を伝えると、丁重な仕草で目の前に契約書が差し出される。物心ついた時から憧れたもの、美しいもの。いま私は、本当の意味でそれを手に入れようとしている。私の10年はこの瞬間のためにあったのだ、と思いながら、署名欄に自らの名前を記入する。何でもないその行為は、まるでなにか神聖な儀式のように厳かに完了された。

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