PHANTOM HEAVEN 【Episode:11】

〔11〕


 目の前にログアウトの文字が表示され、俺はゴーグルを外し、力なくソファーに放る。


「……クソッ!」


 わたし達は、きっとまた会えるわ……彼女の言葉が甦り、やるせなさを噛みしめる。

俺はまた、彼女を救えなかった。微かに痛むこめかみを揉みながら、モバイルフォンに手を伸ばし、リードへと連絡をする。


『兎羽野さん……! あの、いかがでしたか?』


 リードの気遣わしげな声音に、弱く唇の端を持ち上げ、先程の空間で起こった事を話した。


『MEL空間を自由に動くヒューマノイド……そんな技術が……』

「ああ、多少、分かってきたが、全てではない。彼女は針替から話を聞けと言い残した」

『針替さんって……例の兎羽野さんが殴ってしまったという彼ですか?』

「ご丁寧にどうも。そうだよ、真莉奈の元恋人で、彼女に手を挙げようとしたから、ブチ切れた俺が得意の右ストレートをお見舞いしちまった、あの男だ」


 半ばやけくそで言う俺にリードが短く笑い、俺も苦く笑いながら肩を竦める。


「会いたくはないが、会うしかないな」

『すぐに彼の事を調べて伺いましょう。大丈夫、僕がついてます』

「あん?」

『あなたが針替氏に殴り掛かったら、僕が止めます。まあ、もし殴ってしまったら……そうですね、僕の権限で隠ぺいしてあげますよ』


 そう妙に自信ありげに言うリードに、俺は思わず吹き出してしまった。本当に、変な男だ。


「頼もしい上司様だな」

『冗談はさておき、そちらに迎えにいきますので、待っていてください』


 絶対に、単独行動はしないでくださいよ? そう、言い含めるようにしてリードは通話を切った。俺はふとテーブルの上の知恵の輪を見やる。

 鳥籠から出された十字架を手にとり、俺はそっと握りしめる。


「真莉奈……」


 本当に俺達は、また会えるのか……? もし、きみにまた会えたら、その時は……

 そこまで考えて、俺はゆっくりと頭を横に振る。いや、今は、捜査に集中しなくてはならない。リードが来る前に身支度を整えようと、ソファーを立った。


 二時間後。

 リードの運転する車の助手席で、うんざりと見えてきた建物を見つめた。近くのパーキングに車を停めたリードが小さく笑った。


「立てこもり現場に突入する、スペシャル・フォース特殊部隊みたいな顔になっていますよ」

「言い得て妙だな。いっそ、適当な令状をつくって逮捕しちまおうぜ?」

「いくら、僕でもそこまでの違法捜査はできないなあ」


 リードがけらけらと笑いながら車から降り、俺も彼の後に続く。


「それにしても……凄いご自宅ですね」


 そうリードが目の前の豪邸に感嘆の吐息を漏らす。一見、どこかの美術館のようにも見える豪奢な近代的な建物が針替雅貴(はりがえまさたか)の自宅であった。

 リードがタブレット端末に目を落として言う。


「数年前にゴーグルのキットを開発し、それが大当たりしたようですね。今はそのキットの会社を興して、代表のようですね」

「ふうん」


 昔に殴ってしまったというバツの悪さもあるが、それよりも引っかかるのが、生前に真莉奈が針替と仕事をしていた、ということだった。

 俺と結婚してから、真莉奈はフリーのエンジニアになっていたのだ。そんな彼女が、元恋人であり元同僚の、あの男と研究開発をしていたというのがどうも……


「気に食わないんだよな……」

「彼が社長として成功していることがですか?」


 思わず漏れた言葉に、リードを驚いたようにこちらを見やり、俺は思わず口をへの字にしながら肩を竦める。


「そうじゃない。彼女が奴と繋がっていた、ということが気になるんだよ」

「ああ、そういうことですか! 真莉奈さんと針替氏に、不適切な何かあったのではないかと、危惧しているんですね!」


 納得したように何度か頷くリードに、俺は思わず横目でじろりと睨む。上司じゃなかったら、小突いているところだ。


「勿論、不適切な何かはないと信じているが、彼女から知らされてなかったのが……ただ引っかかるだけだ」

「うーん、それはやはり、守秘義務があったからでしょうねえ。なんせ、WC2に関係する開発業務ですからね」

「……そんな事、分かってるさ」


 これは、単なる俺の子供じみた嫉妬みたいなもんだ。俺はいらつきながら、インターフォンのボタンを押す。

 暫し応答がなく、留守か? と二人で顔を見合わせていると「……はい」と妙にざらついた声がスピーカー越しに届く。


「突然、申し訳ありません。電脳犯罪対策部 捜査壱課の者です。少々、お話を聞かせていただきたく、伺いました」


 そうリードがカメラに向かって警官バッジを掲げる。突然、警察の人間がやってきたせいか、針替が逡巡している気配が伝わってくる。


「……ちょっとだけ、待ってくれ」

「はい、わかりました」


 ちょっとって、どれくらいだ? もしや、何か疚しいことでもあって、逃亡でも企んでやがるのか?

 俺は警戒して玄関のやたらと大きい門扉から離れて、辺りに視線を走らせる。だがそれは、俺の杞憂だったようで、門扉のロックが解除される音がする。俺達は軽く頷き、豪奢な邸宅へと向かった。

 やたらと高い天井のエントランスに、ワインレッドのガウン姿の針替雅貴がいた。


「お待たせして申し訳ない……昨晩は友人たちと、ちょっとしたパーティーをしていてね」


 そう気だるげに言う針替は、あの当時とは随分と印象が変わっていた。当時は、どこにでもいる色白の神経質そうな……いかにも研究者といった風体だった。

 しかし、目の前の針替は肌を小麦色に焼き、伸ばした髪を後ろで結んでいる。社長というよりは、新鋭のアーティストといった雰囲気だ。その相貌も成功している自信がそうさせているのか、当時よりも目つきが変わっている。

 それだけじゃなく、ちょっと弄ったな……妙に筋通った人工的な鼻に気付きつつ、俺もリードに倣って警察バッジを提示する。

 表示されたホログラムの名前を見て、針替が少し驚いたように眉を動かす。そして、こちらを値踏みするような目で俺の頭の先から爪先まで走らせる。

 嗚呼……俺はこいつを殴らずに、この家を出られるだろうか……?


「……兎羽野というのは、わたしが知っている、あの兎羽野さんかな?」

「多分、あの兎羽野だと思いますよ」


 嫌味ったらしい口調に、反射的に返しつつ片頬を上げてみせる。針替は、ふんと小さく鼻を鳴らし「リビングへ」と俺達を促す。

 リードが窺うようにこちらに視線を寄越し、俺は小さく肩を竦めてやった。

 エントランス同様に、やたらと広いリビングには、パーティーの名残が色濃く残っていた。大理石の床には、クラッカーの残骸らしき金色のテープや、シャンパンやワインの瓶がいくつも転がっている。

 おまけに、ソファーには、下着姿のようなほぼ半裸の服装をした派手な女がうつ伏せに横たわっている。しかも二人だ。

 リードと俺は、もう一つある事に気付いて互いに目配せする。針替は、ソファーにだらしなく横たわる女たちの尻を叩いた。ペチンと妙に張りのある音が響く。


「おい、起きろ」

「ん……まだ、寝てたいのにぃ……」


 女達がノロノロと寝ぼけ眼で身体を起こし、針替は床に落ちていた安物の毛皮やハイヒールを彼女達に放る。


「ほら、帰れ。警察の方々が来ているんだ」


 警察という言葉に、女達はぎょっとしたようにこちらに顔を向ける。


「我々は、針替さんに用事があって来ているだけですよ」


 そうリードが紳士的に微笑むと、コールガールらしき二人の顔が輝く。針替が苛ついたように「ほら、さっさと出ていけ!」と彼女達を犬でも追い払うように手を振る。

 彼女達はうんざりとした顔で、自分たちの荷物を拾い上げると、気だるそうに歩いてくる。

二人は、俺達の前で立ち止まると、誘うような視線を送る。すかさず俺達の腕にゆっくりと手のひらを這わせて、しなだれかかった。


「お兄さんみたいな素敵な刑事さんなら、逮捕されてもいいわよお」

「わたしは、あなたに逮捕されたいな。ちょっと悪そうな、くたびれた男って……最高」


 そう二人は、艶やかな流し目と投げキッスをして、出ていく。俺達は軽く肩を竦めて、ソファーへと向かった。

 針替は相変わらず怠そうに、向かいのソファーにどっかりと腰を下ろしている。


「早速ですが、少々、お話を伺わせてください」

「兎羽野さん、あんた真莉奈が死んでから結婚は?」


 リードの言葉を遮るように、針替がこちらに顔を向ける。俺は、ポーカーフェイスを保ちつつ肩を竦めてみせる。


「していませんよ。独り身です」

「へえ……まあ、そんな感じだな」


 針替は底意地の悪そうな目つきで皮肉気に笑い、俺はそのムカつく顔を真っ直ぐ見つめる。二人の間に緊迫した空気が流れた。


「針替さん、あなたは十年前にWC2の開発業務に関わっていましたね?」


 リードが緊張漲る空気を切り替えるように切り出し、針替がソファーの背もたれにだらしなく寄りかかりながら頷く。


「当時在籍していた会社から、プロジェクトの為に派遣されていた。フリーだった真莉奈にも声を掛けて、チームに加わってもらったんだ」

「青い鳥プロジェクト……真莉奈は、プロジェクトを中止することを進言したはずだ」


 針替は重く溜息をついて、胸の前で腕を組む。その顔に自嘲的な笑みが浮かんだ。


「……そこまで知っているのか。流石、電犯の刑事さんだな」

「開発していたチルチルとミチルは貪欲に学習し、自我が芽生えた、だろ?」

「正直、我々の想像をはるかに超えた成長ぶりだったよ。彼らは、MELを通して、様々な知識を取り込み、我々のいるこの世界の事を知っていった。真莉奈は、チルチルとミチルのナニー役だったんだ」

「シッター兼、家庭教師ってところですか……」


 リードが低く呟き、針替がおざなりに相槌を打つ。


「オールドタイプの映画であったろ? 『ローズマリーの赤ちゃん』ってやつさ。可愛いベイビーだと思っていた電脳ヒューマノイドが、とんでもない悪魔……もしくは神に変化していったんだから」

「実際に、チルチルとミチルはMEL内で暴走したのですか?」

「いや、まだあの頃は我々の管理下で好き勝手にはMELを行き来できないようにしていた。しかし、彼らはリアルで起こっている戦争や紛争について学んだときに、こう言ったんだ。そもそも人間がいなければ、互いに殺し合う事もないのに、ってね」


 ホッパーだろ? そう針替が片方の眉を器用に上げてみせ、俺とリードは一瞬、目線を合わせる。このまま放っておけば、とんでもない事を……人間に危害が及ぶと、真莉奈は危機感を覚えたのだ。


「だからこそ、中止するように提案したわけだな」

「まあな。流石に、WC2の連中もマズいと思ったのか、プロジェクトチームは解散となった」


 中止……? 俺は思わず身を乗り出した。


「WC2は、プロジェクトを中止したのか?」

「ああ。わたし達は、お役御免となって、チームは解散。そして、その直後に彼女は死んだ……」


 針替はゆっくりと脚を組んで、どこか遠い目をして囁く。


「チルチルとミチルが、彼女に懐いていなければ、あんなことには……」

「それは、二人が真莉奈さんに何かをしたということですか?」


 リードの言葉に、針替はハッとしたように「それを調べるのは、あんたらの仕事だろ?」と鼻を鳴らす。


「わたしが知っている事は、これだけだ」


 その言葉に、俺とリードは軽く目配せをして席を立つ。リードが軽く頭を下げて、俺達は出口へと向かう。その背中に声を掛けられて、俺は振り返った。


「本当は、話を聞きたきゃ頭を下げろって言ってやろうかと思ったが、今のあんたを見てたら憐れになってきて、そんな気も失せたよ」


 口の端を歪ませて嗤う針替に、俺は片頬を上げてみせる。



「そりゃ、お気遣いどうも。こっちも、あんたが素直に口を割らなきゃ、ケミカルジュースの所持で取調室にご招待しようかと思ってた」


 言葉を失う針替に俺はニヤリとして、自分の口の端を指差す。


「ケミカルシロップがついてるぞ。シャンパンに混ぜて馬鹿騒ぎするのはいいが、ほどほどにしとけよ」


 途端に、針替がガウンの袖でごしごしと口元を拭い、俺とリードは玄関へと向かう。

 再び車に乗り込み、リードが悪戯っぽく微笑んでみせる。


「人が悪いですね。シロップなんて付いてなかったですよ。室内にケミカルジュースの匂いは微かに漂ってましたけれども」

「そうか? じゃあ、俺の見間違えだな」


 とぼけて言う俺に、リードが爽やかな笑い声を上げて「胸がすく思いでした」と頷く。


「僕が言うのはなんですが、真莉奈さんは、あんな人のどこが良かったんでしょうね」

「成金になる前は、もう少しマシだったからな。まあ、あの頃も性格はクソだったが」


 リードが納得したような面持ちで車を発進させる。同時に、俺のモバイルフォンに連絡が入り、確認するとゴーグルから転送されたものだった。


「ピジョンからだ」

「何か情報を得られたのですか?」

「おそらくな。とりあえず俺の家に戻って、ダイナー666にダイヴしよう」


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