あるアイドルの死 【Episode:5】

〔5〕


「MEL空間での過激な行動と、リアルでの人物像はリンクするんでしょうかねえ?」

 

俺達はリードの車で、ゴーグルから得た個人情報を元に、アタックを掛けていた男の住む家へと向かっていた。助手席の俺は、ハンドルを握るリードを一瞥し首を傾げる。


「どうだろうなあ。リアルでの鬱屈したものをMEL空間でぶつけている奴もいるだろうし……」

「ゴーグルが普及して、何となくリアルとMELの境が薄くなっている気もしますね」

「確かにそれはあるな」

「……ファントム・ヘヴンもそういうことなんでしょうか?」


 独りごとのように呟かれたリードの言葉に、俺はぎょっとして彼を見やる。端正な横顔は何の感情も浮かんではいない。ゴーグルのスピリットとボディの接続を切ってMEL空間の深層に消えていったルナとノアの事が頭を掠めた。

 ファントム・ヘヴン……MEL空間の深層部分のもっと深い超深海帯ヘイダルゾーンと呼ばれる階層にある空間だという。都市伝説だという者もあれば、そこは天国か楽園のように平和な空間だという者もいる。

 熱心なダイバーは、そのファントム・ヘヴンへアクセスすべく、日々、深層階層に潜り込んでいるらしい。


「……ノアとルナの事を言っているのか?」

「ええ……すみません。なんだか急に彼女達の事を思い出してしまって……兎羽野さんくらいのダイバーなら、超深海帯ヘイダルゾーンまで辿りつく事ができますか?」

「深層階層くらいなら潜れるが、超深海帯ヘイダルゾーンとまでとなると、ゴーグルの負荷とこちらのスピリット精神にも悪影響を及ぼす可能性がある……」


 何度かトライはしたことはあるがな……そう心の中で呟いて、俺は再びタブレット端末に映し出された情報に目を落とす。そこには、言葉は悪いが、どこにでもいそうな……平凡な出で立ちの男の画像が表示されている。


「合田誠二、三十歳……独身で、在宅でプログラマーの仕事をしているのか……」

「家にいるといいですね」


 そうこうしている内に、合田の住んでいるアパートメントに到着した。少し古びた五階建ての最上階の部屋に合田は住んでいるらしい。彼の部屋のドアホンを鳴らすと、微かに物音がドア越しに聞こえた気がしたが、応答はない。俺達は互いの顔を見合わせた。


「合田さん、いらっしゃいますか? 警視庁の者です」


 何かが倒れるような音がし、俺はドアを強めに何度か叩いた。


「合田さーん! いらっしゃいますよね!? 出てきてもらえませんか?」

「ちょ、ちょっと兎羽野さん、借金取りじゃないんですから……!」


 リードがぎょっとしたように言うが、俺は構わずドアノブを捻った。意外にもドアが開き、俺達は目配せして、そっと滑り込むように玄関に入る。

 玄関先から細い廊下の突き当りにガラスドアがあり、微かな声が聞こえる。何か音楽を掛けているのか、甲高い人工的な声なそれは、ララベルのものではないようだ。

 合田が警戒してこちらに何か仕掛けるか、もしくは逃亡を図る恐れがあるので、俺とリードはそれぞれ、途中にあるドアをそっと開け、中を確認する。

 俺が確認したのは浴室で、リードが開けたのはトイレらしい。互いに無人なのをハンドサインで伝えて、リードがガラスドアを開ける。

 ドアが開いた瞬間に、ふわりと鉄っぽく生臭いような匂いが鼻を掠める。これは間違いない、血液だ。互いに緊張を走らせながら、室内に踏み込む。

 リビング兼、作業場らしいその部屋には大きなデスクや機材が占領しており、デスクチェアに脱力して腰を下ろしている男……合田誠二は胸から大量の血を流している。どう見ても事切れているその様子を一瞥し、壁に貼られたポスターに視線をやったのと、デスク脇から何者かが飛び出してきたのは同時だった。

 リードも同時に気付き「待ちなさい!」と声を張り上げるが、脱兎の如くその人物が玄関へと走り去り、俺達もその後を追う。

 玄関を飛び出し、廊下を見回すが誰もおらず、俺達は非常階段へと走る。階段を駆け下りる気配がし、リードが俺より速く、階段を駆け下りていった。流石、片方の脚をオートマタ化しているせいか、その健脚ぶりは中々のもので、俺が外へ辿り着いた時にはアパートメントの前の大通りを見回していた。どうやら、部屋に隠れていた人物は逃げおおせたらしい。

 久しぶりの全力疾走で、息を切らせながらリードに追いつく。思わず肩で息をしながら呻くような声が漏れる。

 クソ……なんてことだ、いつの間にか体力と筋力がこんなに落ちているなんて……


「リード……俺は、ワークアウトを再開するぞ……」

「ええ。是非、そうしてください」


 呼吸一つ乱さずにリードが辺りを見回しながら、大きく溜息をついた。


「兎羽野さん……さきほど逃げた人物ですが……」

 俺は額の汗を手の甲で拭い、大きく頷きながら「子供だ……多分、男児だったな」と返した。


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