子供部屋(幻想推理小説)

 三日間以上続いた慌ただしい人の動きも今は止み、家はかつての姿を取り戻して、広々とした静けさに満ちている。静けさは床の下から湧き出てきて、家全体を時が止まったかのような錯覚で包みこむ。壁も天井もじっとしている。空気が震えることもない。誰かがペットボトルから飲み物をすする音だけが、スウスウ、スウスウと聞こえてくる。


 ふと、その「誰か」が囁くような声で人の名前を呼んだ。するとこの家に残っていたもう一人の「誰か」もゆっくりと今目覚めたばかりのように立ち上がった。まもなく二人分の足音が近づいてきた。ドアノブを回す音がした。子供部屋の扉が開かれ、夫妻が入ってきた。


 五年前、この部屋で子供が死んだ。ある日の午後、居間の掃除を終えた母親が部屋を覗いてみると(母親は子供がまだ昼寝をしていると思っていたのだが)、赤ん坊は小さな冷たい手を首のあたりでバタつかせながら助けを求めるようにベビーベッドの上でむせび泣いていた。母親は赤ん坊を抱きかかえ、どうすればいいのかわからずに何度も声をかけていたが、自分の手の中にある体が突然痙攣をおこしたので、青ざめた顔で電話の元に走りより、救急車を呼んだ。昼間のけだるい空気は突き破られた。たくさんの人が駆け回り、幼い命を救うため懸命な処置がなされたが、赤ん坊の体は徐々に活動をやめて、そのまま息をしなくなった。医者が死を告げた(生まれてまだ2年3か月だった)。子供の魂は体を離れてどこかへ行ってしまい、空っぽになった体はお墓に埋葬された。


 夫妻は部屋に入ると、右奥の壁の前に立ち、両手を合わせて黙祷を始めた。子供部屋の明かりはともされず暗いままだった。窓の外から日の光や雑音が入ってくることもない。家の中のものはすべて動きを止めている。


 ………………………………

 ………………………………


 しばらくして顔をあげると、夫妻は目の前の壁を少しの間ぼんやりと見ていた。それから壁に背を向けると、無言のまま部屋を出ていった。


 足音は来た時とは違う音を経てて離れていく。そして玄関の扉が開く音がする。


 子供部屋には再び、この世のものではない悲しさが漂っていた。カーテンは閉じられ、明るいはずのライトブルーの壁はその色を失っている。床に敷かれたカーペットを踏むものは何もなく、壁際のカラーボックスの上に置かれたおもちゃ箱は秘密を覆い隠すように蓋が閉まっている。ベビーベッドの中では赤ちゃんの顔を映した遺影が木製の柵にもたれかかって眠っている。


 車庫の方からエンジンの音がした。その音はだんだん遠ざかり、そして、聞こえなくなった。


 ……………………………………しばらくすると子供部屋の中に何かが現れ始めた。


 ゆらゆらとした薄い靄のようなもの、それらが四角形の部屋の床を包み込んだ。初めのうちはかすんで姿がはっきりしなかったが、時間が経つにつれて徐々に輪郭を持ち始め、その姿はくっきりと見えるようになった。初めに形を成したのは、木で作られた小さな小さな家だった。気づけば、それまで何もなかった床一面に家が点在して建っていた。これらの家には屋根がなかった。扉のない家もいくつかあった。壁が家の片側にしかない家もあった。もちろん、四方を壁に囲まれて窓と扉がついている立派な家も少しだけだが建っていた。家の後には、その合間を縫って雑多なものが散らばるように現れた。


 犬のぬいぐるみ、ブリキでできた自動車、三角や丸の形をした積み木、バラバラの大きさのコップ、複雑に入り組んだビーズコースター、扇形に重なった絵本、こういったものが部屋中に溢れかえった。子供部屋はにわかに活気を取り戻して、穏やかに脈打つ息遣いが感じられるようになった。そして最後に、小人が現れた。


 百人ほどの小人が子供部屋の中にいた。小人の背丈は十センチにも満たず、手足は短く、顔はふっくらとしていて、ぺちゃんこの鼻と大きな黒いまんまるの目を持っていた。小人たちは皆そっくりの姿をしており、服を見なければ見分けがつかなかった。カーペットの上を歩いたり、誰かとおしゃべりをしたり遊んだり、小さな家の中で座ったり寝転んだり、それぞれ好きなことをして楽しんでいた。そんな生活を昔からずっと続けているみたいだった。


 さて、子供部屋を見渡してみると、扉近くの部屋の角(扉から見て左下の角)に交番らしき建物があって、その中には一見しておまわりさんだとわかる姿をした小人が一人座っていた。この小さな警察官は机の前で退屈そうにしていたが、やがて帽子をかぶり警棒を持って、交番の外へパトロールにでかけた。小さな警察官は子供部屋の中を壁に沿って時計回りに歩き始めた。一つ目の壁の近くを横切る時には、カーペットの上を進んだ。ここには大勢の小人がいた。小人たちははるか高いところにある子供部屋の天井を見上げたり、カーペットの模様をなぞったりして遊んでいて、どの小人も顔に笑顔を浮かべているのだった。小さな警察官も笑顔になって、そのうちの一人に話しかけた。


「君はとっても楽しそうだね」

「うん、とっても楽しいよ。だって僕は今遊んでるんだからね」小人は元気よく答えた。小人たちの話し方は皆そっくりだった。

「僕も今遊んでるんだ。僕はね今パトロールしてるんだよ」小さな警察官は言った。

「わあ! それは楽しそうだね!」

「うん、だって部屋中を冒険できるんだもん」

「僕もパトロールやってみたいな」

「今度一緒にパトロールして遊ぼうよ。きっとだよ。きっとだよ。あ、そろそろ行かなくちゃ、じゃあ、またね」

「またね」小人はまたカーペットの模様をなぞり始めた。


 小さな警察官はパトロールを続けた。窓のついた二つ目の壁の前を歩いた時にはほとんど誰とも会わなかった。特に二つ目の壁と三つめの壁に接しているベビーベッドのそばを歩いた時には小人の姿は一人も見当たらなかった。そこには家もおもちゃも何もなく、ただ木製のベビーベッドだけが不気味にそそり立っていた。小さな警察官は体をブルっとふるわせ、足早にそこを通り過ぎた。


 三つ目の壁には巨大なカラーボックスが密着するかたちで備え付けられている。カラーボックスには何台もの細い梯子が立て掛けてあって、それぞれが仕切られた空間につながっており、その中には小人たちの姿が見受けられた。一番長い梯子はカラーボックスのてっぺんに通じている。てっぺんに置かれたおもちゃ箱の蓋はいつのまにか開けられていて、箱の隣では小人が一人眠っていた。何の異常もなかった。


 小さな警察官は四つ目の壁に差し掛かった。この壁の前を横切って交番に帰る途中、小さな警察官はカラーボックスから一番近くにある一軒の家に立ち寄った。その家は広い敷地を持っていて、敷地の中には二階建ての母屋と一風変わった離れが建っていた。この離れは一辺が小人の背丈の倍ほどしかない正方形の形をしていて、屋敷の広さに比べると極端に狭かったが、一方その高さは小人の5倍以上はあった。遠くから眺めるとそれはひょろ長い塔のように見えた。窓はなく、扉が一つだけついていた。もちろん屋根はなかった。


 小さな警察官は母屋の中に入っていき、この広い家の持ち主の小人の様子を尋ねた。母屋の中には小人が三人いて、そのうちの一人が質問に答えた。


「あの小人なら離れに閉じこもってるよ」

「まだ閉じこもってるの?」

「うん、そうだよ」


 母屋を出ると、小さな警察官は離れに向かった。そして扉をコンコンと叩いた。


「僕だよ、僕だよ、今パトロールしてるんだよ」


 鍵が回される音がしてゆっくりと扉が開いた。小さな警察官は離れの中に入った。小人が一人、椅子の上に座っていた。


「パトロールしてても君には全然会えないね。君はまさかずっとここにいるの?」

「僕はずっとここにいるよ」椅子の上の小人は答えた。


 小さな警察官は離れの中を見回してみた。椅子と小人以外には何もなく、どこを向いても暗い壁があるだけで、はるか上の方に子供部屋の天井が垣間見えているだけだった。


「君はなんでこんなところにいるの? 外に出たら、もっと楽しいよ。昔はカラーボックスのところでよく遊んでたのに」小さな警察官は不思議そうに言った。

「僕は怖いんだよ。いつあの時のことでバチが当たるかわからないものね。僕はわざとしたわけじゃないんだよ」小人の声は震えていた。「僕は反省してるんだよ。でも反省してもどうにもならないことってあるんだね」


 小さな警察官は別れを告げるとその足で敷地の外に出て、パトロールを再開した。どこにも異常はなかった。小さな警察官は交番に帰っていった。


 その夜。影が広がり、小人もおもちゃも何もかも寝静まったころ、突如子供部屋の床を大きな揺れが襲った。寝ていた小人たちは皆バッと目を覚ました。揺れが続く間、小人たちは暗闇の中でどうすることもできずにジタバタと動き回っていた。叫んだり、走り回ったり、床にはいつくばったり、互いに身を寄せあったり。小人のわめき声と不気味な震動が部屋中に響き渡っていた。その光景を見ていると、何やら目に見えない力が小人たちを脅かしているのが感じられた。揺れはじきにおさまった。壊れたものは何もなく、あらゆるものがそのままの姿をしていた。あっという間に静かになった。小人たちは何事もなかったかのように再び眠りについた。


 朝になると、小人たちはいつもの集合場所であるカーペットの広場に集まった。陰鬱な雰囲気が漂っていた。小人たちは昨夜のことを話していた。


「あれは何だったんだろう?」

「とっても怖かったよね。こんなこと初めてなんだもの」

「あんなこと起こってほしくなかったな」

「どうしようもないよ。僕らにはどうしようもないよ」


 そこにあの小さな警察官がやってきた。小さな警察官は一人一人に声をかけて全員の無事を確かめた。小人たちは安心した様子で、また笑顔になり始めた。さきほどまでの陰鬱な雰囲気はなくなりかけていた。しかし、集まった小人たちの中から誰かが声をあげた。


 「広い家の小人がいないよ」


 笑顔が一斉に消えた。目に見えない力が蘇り、小人たちを支配した。小人たちは何も言わずじっと黙っていた。顔には何かで迷っているような表情を浮かべていた。その様子はあたかも物思いにふけっているようにも見えた。小さな警察官もほかの小人たちと同じことをしていた。動きのない小人たちの集まりは、そのまま薄れてなくなってしまいそうなほど弱々しかった。


 長い時間が経った。まだ沈黙が続いていた。その時、小さな警察官が心を決めたように、集まった小人たちにむかって話し始めた。


「みんな、今日はもう帰っていいよ。広い家の小人には僕が会いにいくからね。みんなやりたいことがあるはずだもの。時間はまだあるんだからね」


 小人たちは別々の方向に帰って行った。残された時間はわずかしかなかった。


 一人広場に残った小さな警察官は広い家の方へと歩き始めた。道端にはおもちゃが散乱していた。広い家に近づくにつれておもちゃの数は少なくなり、家の周りにはおもちゃは一つもなかった。広い家とカラーボックスの間に置かれていたおもちゃはすべて片づけられていて、無機質な床がむきだしになっていた。


 敷地の中に入ると、小さな警察官はまっすぐ離れに向かって、広い家の小人を呼んだ。


「ねえ、僕だよ。そこにいるの?」


 返事はなかった。


 小さな警察官は扉を開けようとした。だが鍵がかかっていた。小さな警察官は手に持っていた警棒で木の扉を壊した。くしゃくしゃになった扉をくぐって離れに入ると、広い家の小人は椅子の前でうつむせになって横たわっていた。近寄って体に触れてみると小人は死んでいた。頭には叩かれたような跡があった。離れの中は昨日と同じで椅子と小人の他には何もなかった。


 小さな警察官は離れの外に出た。それから三つ目の壁の方へと進んだ。そしてカラーボックスにかけられている一番長い梯子をせっせと上った。てっぺんまでたどり着くと、カラーボックスの端に立って、子供部屋全体を見渡した。そこは子供部屋で一番高い場所なので、部屋にあるものは何もかも見ることができる。交番が見える。カーペットが見える。家が見える。おもちゃが見える。子供部屋の扉も窓にかかったカーテンも誰も寄り付かないベビーベッドも。そして一番近いところには、あの高い塔のような建物、広い家の離れが見えるのだった。ここからならあの高い塔も見下ろすことができた。カラーボックスは離れ3つ分の高さがあるのだった。


「ねえ、君は何をしてるの?」どこからか声がした。


 振り向くと、一人の小人がおもちゃ箱の中から顔を出していた。小人はおもちゃ箱にかけられた梯子をゆっくりと下りてきた。


「僕はね、今おもちゃ箱の中にいたんだよ」


 その小人は満面の笑顔を浮かべて小さな警察官に話しかけてきた。


「おもちゃ箱の中はね、とっても不思議なんだよ。楽しいものならどんなものでもあるんだ、でもなんだか怖くなる時もあるんだよね。僕はおもちゃ箱が大好きだからいつまでもここにいたいんだ」


 小さな警察官は愉快そうに言った。


「君は本当に楽しそうだね。君を見ていると僕も楽しくなってきちゃったよ。いつか君と一緒におもちゃ箱の中を冒険したいな!」

「うん、僕も遊びたい!」おもちゃ箱の小人はとても嬉しそうに言った。「ねえ、明日遊ぼうよ。いつ遊べなくなるかわからないからね。だから明日遊ぶのが一番だよ。明日必ずここに来てね」

「うん、わかったよ」小さな警察官はおもちゃ箱の小人と別れて長い梯子を降りた。床に着いたころには辺りはすっかり暗くなっていた。小さな警察官は交番に帰っていった。


 再び夜が訪れた。小人たちは眠り、最後の夢を見ていた。うなされている小人は一人もおらず、皆幸せそうな寝顔をしていた。子供部屋の中を一筋の夜風が吹いていた。風は家とおもちゃの間をすり抜けて部屋中を駆けまわり、前へ、横へ、後ろへと自由に飛んでいくのだが、結局最後には子供部屋の壁にぶつかって、それ以上は進むことができなくなってしまった。行き止まりの前で風は悲しげなかすれた泣き声をあげていた。子供部屋は夢の中にあった。部屋中のものが夜明けがいつまでも来ないことを望んでいた。夜がいつまでも続くことを願っていた。だが、時は進み続けて、明るい光が子供部屋の中に広がった。小人たちは夢の世界から帰ってきて目を覚ました。夜は去った。


 小さな警察官は目を覚ました。いつも通り、帽子をかぶり警棒を持って交番を出発した。小さな警察官は昨日と同じ梯子をもう一度上ってカラーボックスのてっぺんにたどり着いた。おもちゃ箱の前に昨日の小人がちょこんと立っている。小人は小さな警察官を見ると走り寄ってきた。


「来てくれたんだね。うれしいなあ!」

「僕もうれしいよ。君と一緒におもちゃ箱を冒険してみたいもの」

「じゃあさっそく行こうよ!」


 二人の小人はおもちゃ箱にかけられた梯子を上って、箱の中に入った。中は無数のおもちゃでいっぱいになっており、今にもおもちゃがはみ出してしまいそうだった。二人はおもちゃとおもちゃの間をゆっくりと潜り抜けて、一つ一つのおもちゃをじっくりと見たり、触ったりした。ねこの形をしたつみき、ふわふわのひつじ、バラバラになった線路、タクシーやバス、不思議なビーズ、タカタカ鳴るタンバリン、ちっちゃな跳び箱、大きなサッカーボール、かわいらしいくまのぬいぐるみ、他にも様々なものがあった。二人はおもちゃを思い思いに指さしては、はしゃぎまわっていた。二人は純粋でとにかく楽しそうだった。怖いもののことなど素振りにも見せなかった。時間が過ぎていった。


 二人の小人はおもちゃ箱でめいっぱい遊んだあと、梯子を下りてカラーボックスのてっぺんに戻ってきた。おもちゃ箱の小人は今日見つけたもののことを何度も話していた。


「すごかったね、あの鳥のくちばし! あんな風に曲がったくちばしははじめて見たよ!」

「うん、そうだね……」小さな警察官は自分がなぜここに来たのかを思い出し始めているようだった。

「それにあのきれいな箱! いろんな色がついてたね。やっぱりおもちゃ箱は何度来ても楽しいね。行くたびに新しいものが見つかるんだもんね」

「ねえ、おもちゃ箱の小人くん」小さな警察官は少し改まった口調で言った。「僕は君に話さないといけないことがあるんだ」


 おもちゃ箱の小人は笑顔を浮かべ、小さな警察官の言うことに耳を傾けていた。


「広い家の小人は君のせいで死んじゃったんだよね」

「うん、僕のせいだよ」おもちゃ箱の小人は答えた。


 この瞬間、あの目に見えない力が子供部屋の隅々まで行き渡った。部屋の中にあるものすべてに目に見えない力が入り込んだ。子供部屋は最後の時に向けて動き始めた。


「君はどうしてこんなことをしたの?」小さな警察官は尋ねた。

「ねえ、知ってる? 人間の赤ちゃんって小さいときに死ぬと小人に生まれ変わるんだよ」おもちゃ箱の小人は笑顔を絶やすことなく、ウキウキと話を続けた。

「僕は昔ね、この部屋で人間の赤ちゃんとして生きてたんだよ。でもある時、死んじゃったんだ。それは僕のせいじゃないんだよ。広い家の小人のせいなんだよ。

 僕はあそこのベビーベッドの中で寝転んでたんだ。そしたらカラーボックスのてっぺんから何かが飛んできて僕の口の中に入ったんだよ。僕はなんとかして口の中に入ったものを外に出そうと思ったんだけど、どうすることもできなかった。お母さんがやってきて僕の名前を何度も呼んでいたっけな。それからいろんな人が僕の顔を見て……そのあとは覚えてないや……」


 おもちゃ箱の小人はしばらく言葉を途切らせたが、再び話し始めた。


「気づいたら、僕は小人になってたんだよ。小人として生きるのはとても楽しかったよ。だって人間として生きてた時とおんなじように遊べるんだもん。でもお母さんとお父さんに会えないのは寂しかったな。僕は小人になって生きてたんだけど、ある時気づいちゃったんだよ。あの広い家の小人のせいで僕が死んじゃったってことにね」


 おもちゃ箱の小人はここでいったん話すのをやめて、息を吸い込んだ。そして話をつづけたが、笑顔とウキウキとした調子はそのままだった。


「広い家の小人はよくカラーボックスのてっぺんで遊んでたよね。あの小人も今日僕たちが冒険したおもちゃ箱の中で遊んでたんだよ。あのおもちゃ箱は今にも中身が飛び出しそうだったの覚えてる? 本当に飛び出しちゃったんだよ。スーパーボールがね」


 小さな警察官は何も言わず、話を聞いていた。


「広い家の小人はおもちゃ箱のはしっこにあったスーパーボールにちょん、と触ってみたんだ。スーパーボールはちょっと転がった。そして箱からはみ出て、カラーボックスのてっぺんに落っこちちゃったんだよ。スーパーボールはカラーボックスのてっぺんに当たると飛び跳ねて、そのまま子供部屋の床に落ちていっちゃった。床に当たると、また飛び跳ねてベッドの中に入ってきて、そして僕の口の中に入っちゃったんだ」


 おもちゃ箱の小人は無邪気にしゃべり続けた。


「だから僕が死んじゃったのは、広い家の小人のせいなんだよ。僕は仕返ししたくなったから、同じことをしようと思ったんだ。僕はおもちゃ箱の一番上に乗っかっていたスーパーボールを転がしてあの広い家の高い塔に向けて落っことしたんだよ。ボールは子供部屋の床に当たって、すごく高く飛び跳ねたんだ。あの時はびっくりしたな。ボールが床に当たった時、揺れがここまで伝わってきたんだもん。

 ボールは空でいったん止まって見えたけど、また落ちていって高い塔の中に入っていった。そして広い家の小人に当たったんだ。それからまた飛び跳ねて、高い塔から出ていったんだよ。ボールはそのまま転がっていっておもちゃの中にまぎれこんじゃった」


 おもちゃ箱の小人はここでいったん話をやめた後、思い出したようにつけ加えた。


「難しいことだけどうまくいくのはわかってたんだ。僕は人間の赤ちゃんだったころ、スーパーボールでよく遊んでたからね」


 おもちゃ箱の小人は話を終えた。顔にはまだ笑顔が残っているのだった。


 小さな警察官は黙っていた。昨日と同じようにカラーボックスの端に立って、子供部屋の様子を静かに見ていた。おもちゃ箱の小人が話をしている間、部屋中の小人がカーペットの広場に集まりだしているのが見えた。広場に着いた小人たちは声を出すこともなく、静かにたたずんでいた。しばらくして小人が皆揃ったことがわかると、その小人の一団は何かを決心したように出発した。小人たちはベビーベッドを目指して歩き始めたのだった。


 小さな警察官が突然口を開いた。


「君が死んだのは広い家の小人のせいじゃないよ」


 おもちゃ箱の小人の顔からついに笑顔が消えた。


「どうして? スーパーボールを口に入れたのは広い家の小人だよ。だから僕が死んだのは……」

「広い家の小人がそんなことできるわけがないよ」


 小さな警察官は苦しそうな声で言葉を続けた。


「あのおもちゃ箱は君が死ぬまでカラーボックスの上には置かれてなかったんだよ。赤ちゃんの君がいつでも遊べるように床の上に置いてあったんだ。おもちゃ箱は君が死んだ後に、お父さんとお母さんがカラーボックスの上に移したんだよ。君が死ぬ前のことをちゃんと思い出してみてよ!」


 赤ちゃんは一人で部屋の中にいた。母親は居間で掃除をしており、父親は会社に出かけていた。赤ちゃんはスーパーボールが床にぶつかって飛び跳ねるのを見て遊んでいた。何度かスーパーボールを床にぶつけているうちに、ボールは赤ちゃんのもとを離れて、ベッドの中に入ってしまった。赤ちゃんはボールを追って、ベッドをよじ登った。そしてベッドの中に入った。それから赤ちゃんはスーパーボールを手に持ってしばらく見つめていたが、興味がわいたらしく、それを口の中にいれた。


「君は自分でもわからないうちに死んじゃったんだよ。君が死んじゃったのは広い家の小人のせいじゃないよ。君のせいなんだよ」


 小人の一団はいまやベビーベッドへ向かう大きな行列を作っていた。一歩、一歩と少しずつではあるが着実にその行列はベッドへと近づいていた。


「そっか、でもそんなの僕、やだな」おもちゃ箱の小人は言った。

「どうしようもないよ。どうしようもないんだよ」小さな警察官がつぶやいた。


 小人の行列の先頭がベッドの前にたどり着いた。


「僕はこれからどうなるの?」おもちゃ箱の小人は不安そうな表情で言った。

「君はあそこに行かなくちゃいけないんだ」


 小さな警察官は遺影がおかれたベビーベッドの方を指差した。ちょうどベッドの柵の間に、小人たちが梯子をかけているところだった。


「あそこには何があるの? 僕は毎日ここからベッドの中を見てたけど、何もないみたいだったよ」

「見えてなくても何かがあるんだよ。それが何かは僕にもわからないや」


 小人たちの行列は梯子を上り始めた。木の柵の間を抜けて、小人たちはベッドの中に入っていった。ベッドの中に入ると小人たちの姿は消えてしまった。


「さあ、一緒に行こっか」小さな警察官はおもちゃ箱の小人に声をかけた。

「行かなくちゃいけないんだよね」

「うん、そうだね」

「どうしようもないんだよね」

「うん、そうだね」

「じゃあ行かないとね」

「うん、行こう」


 二人の小人は長い梯子を下り始めた。ベッドの前の小人たちは木の柵の間を、一人また一人とくぐって、いなくなってしまった。長い梯子を下りて床にたどり着いたころには、二人の小人だけが子供部屋に残されていた。二人の小人は何も言わず、ベビーベッドへと歩き始めた。ベッドの周りには目に見えない力が満ちていた。二人はベッドの前に着いた。小さな警察官が先に梯子を上った。そのあとおもちゃ箱の小人も梯子を上った。二人は木の柵の前に立った。小さな警察官は木の柵をくぐった。そして消えてしまった。おもちゃ箱の小人だけが子供部屋に一人残された。木の柵の向こうから目に見えない力が最後の小人を呼んでいた。おもちゃ箱の小人は木の柵をくぐった。そして…………消えた。


 小人たちがいなくなると、子供部屋の小さな家は徐々に薄れて靄のような姿に戻ってしまい、そのまま消えてしまった。床一面に散らばっていたおもちゃもすべて消えてなくなってしまった。


 ………………やがて赤ん坊の顔を写した遺影が靄のような姿になって………………ベビーベッドが……カラーボックスが……おもちゃ箱が……床に敷かれたカーペットが……窓にかけられていたカーテンがかすみはじめて…………………………消えた。


 窓の外から人の声が聞こえてくる………………

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