病弱ロック(心境小説)
ある無名のロックミュージシャン曰く、
「ロックを鳴らす資格があるのは永遠の敗北者だけだ
クソまみれの臭い便所で生まれ、便所より臭い廃棄場で死ぬ
それでこそ真のロッカーだ
成功は敗北 有名は忘却
ロックスターなんて偽預言者にすぎねえ
オレたちは無名の衝撃を世界にぶつけるんだ」
貧困層 失業者 その他有象無象の雑魚ども
ありとあらゆる敗北者たちにロックを鳴らす資格があり、
途方もない強がりを叫ぶことが許されているなら、
オレだってその一員になれるはずだ
オレは「ヘルス・マイノリティ」、日本語に訳せば「健康弱者」、病弱だ
いつからか全身を病気に蝕まれている
オレがどんな人間で、どんな暮らしをしているか、あれこれと説明する気はない
病気と病状、これがオレの伝えたい唯一の関心事だ
だから年齢、職業、性別とかは勝手に妄想しといてくれ
いや、別に匿名性を確保したいわけじゃない そんなケチなことは考えてねえよ
第一、保険証に名前の記載がある 素性は国にバレバレさ
オレが素性を隠すのは、それがエネルギーを純化させるからだ
少し先走りすぎたな、オレの考えを説明させてくれ
オレは今、猛烈にロックを鳴らしたい。きっかけは最初にのっけたロックミュージシャンの言葉だ。あの言葉をいつどこで聞いたのか、曖昧にしか覚えていない。覚えてるのは、その日は意識が朦朧としていて、眩暈と偏頭痛に一日中苦しみ、意識がはっきりした時には、いつの間にかクラブハウスでバンドの演奏を聞いていたってことだけだ。重症患者によくある記憶の欠落だな。
クラブハウスに来たのは初めてだったが、ありゃマジで最低な空間だ。病院よりおぞましい匂いがするし、空気も悪い。電気で増幅された大音量の演奏に観客たちのファックな叫び声が加わって低血圧の頭にガンガン響く。瞬殺で体調をヤラれたね。だからクラブハウスでの記憶もはっきりしない。再び意識を取り戻した時には、渋谷駅の待合室で酔っ払いみたいにぶっ倒れてたよ。何も思い出せなかった。だが何故か、あのロッカーの言葉だけは一言一句頭にこびりついていたんだ。不思議なもんだろ?
ロックミュージシャンは言った。オレたちは無名の衝撃を世界にぶつけるんだ、と。オレはこの「無名の衝撃」というフレーズに身も心もイカれちまった。永遠の敗北者が無名の衝撃を世界にぶつける。最高にイカすじゃねえか。
オレはこの日からベッドの上で、「無名の衝撃」について、考察を始めた。ベッドの上は思考するには絶好の場所で、なぜかといえば退屈だからだ。寝るかオナニーするかの二択しかないのさ。だから暇つぶしといえばもっぱら考えること、哲学者のように頭の中だけで思考を拡大すること、これに尽きるんだ。オレは一日の大半をベッドの上で過ごしているから(それほど病弱なんだよオレは)、考える時間なら山ほどあるんでね。
ベッド・シンキングの末、到達した結論ってのが、「無名の衝撃」っていうのは実態を掴むことのできない未知なる力のことで、例えばジャングル戦で兵士たちがスナイパーに狙撃されてパニックに陥っている状況では、スナイパーの弾丸こそ「無名の衝撃」。その弾丸は純粋に弾丸であって、他のどんな要素も含んでいない完全な弾丸だ。弾丸がなぜ純粋に弾丸のままでいられるかというと、スナイパーの姿が見えないからだ。だからこそ、兵士たちは未知なる力に怯えて、地面にひれ伏し神に祈りを捧げる。仮に兵士たちがスナイパーの姿、いやライフルに反射した光の一端さえ目にしたら、この魔力は途端に覚めてしまうだろう。「無名の衝撃」を世界に与えるためには、一切の不純物を取り除かないといけない。だからオレは自分のプロフィールをひた隠し、自分の「弱点」、オレが弱者であり続ける理由だけを世界に向けてぶちまける。
じゃあ「世界」って? 「無名の衝撃」をぶつける「世界」ってなんだ? 国家か? 体制か? 政府か? 大抵のロッカーにとってはそうだろうな。けど、医療費の七割を負担してもらってるオレにとっては、奴らは敵どころか感謝すべき恩人なわけで、攻撃するのは自殺行為に等しい。保険制度が潰れたら、オレはおしまいだよ。
じゃあ労働者を搾取する企業か? オレたちを画一の価値観に押し込もうとする学校か? どうもピンとこねえ。学校の成績は可もなく不可もなく普通だった。企業と戦う理由も特にないしさ。だいたい、そういうやつらと戦うためには、ある程度の健康と活力が必要なんだ。社会と戦う機会なんて、オレには一生巡ってきやしない。オレは自分の病気は一生治らないと確信している。あと十年、二十年、五十年生きるのかは知らないが(別に不治の病ではないからな)、心臓が止まるまで病気はオレの身体から決して離れないし、まとわりつくのを止めないっていう根拠のない自信をオレは持っている。
となると、オレにとっての世界っていうのは、やっぱり病院、そして医学なんだ。やつらは敵だ、まぎれもない悪だ。あいつらじゃオレの病気は治せない、そのくせ病院内をたらい回ししたあげく、金をたんまりとふんだくりやがる。挙句の果てに、医者によって病名が変わる始末だぜ。能無しの藪医者が! くたばっちまえ!
オレは医学と戦う、そして医学に完全勝利するつもりだ。戦況はオレに圧倒的優位。週に一度、ズタボロの身体で病院という名の要塞に攻撃を加えている。奴らは科学技術と知性を結集し、万全の態勢でオレを治そうとするが、勝利を掴むのはいつもこっちの方。すでに十七の診療科を征服ずみだ。ざまあみやがれ。
オレには心強い味方が大勢いる。紹介しよう。上の方から、低血圧、偏頭痛、眩暈、立ちくらみ、メニエール病、耳鳴り、鼻炎、副鼻腔炎、息切れ、血痰、気管支炎、喘息、喉の異物感、逆流性食道炎、吐き気、胃潰瘍、不整脈、手の痙攣、アトピー性皮膚炎、過敏性腸症候群、腎臓病、下痢、インポテンツ、足のしびれ……あと全身に疲労感があるのと、食欲不振と不眠症と……まだまだ思いつくが、これぐらいにしておこう。人間の三大欲求って知ってるか? 食欲、性欲、睡眠欲、オレは一つも満たされてねえ。胃腸もイカレてる、頭もイカレてる、チンポもイカレチンポだ。この満たされない欲望をエネルギーに転換して、世界にぶつけてやらあ!
オレは病人として過去に何度も差別を受けた。もう慣れたがな。地下鉄に乗った時の話だが、喘息の発作が出てマスクもつけずにゴホゴホしてたら、近くにいたどっかのおっさんが「他の人に風邪が移ると迷惑だから降りなさい」とか言って、オレを途中の駅で降ろすように仕向けやがった。は? 風邪? 何言ってやがんだ! 頭ラリってんのか? 喘息が移るわけねえだろ! きっとあのおっさんは自分の行動を英雄視してやがる。とんだ勘違いだ、くそ野郎め。そりゃ健常者の論理としちゃ、正しいだろうがな。あいにく、健常者には健常者の論理が、病人には病人の論理があるんだ。これは自虐じゃない。病人の論理は別に病的じゃないし、一本筋が通ってる。健常者の論理を病人に押し付けるのはまぎれもなく差別だ、病人差別だ、イルハラだ。オレが言いてえのは、健常者の論理と病人の論理は別物だってことだ。病人に健全な論理は通用しないぜ。
差別を受ける敗北者、ベッドの上にいるだけで何もできない敗北者、勝負を挑むこともできず敗北者として終わるオレはロックを鳴らしたい、いや鳴らすしか道は残されていない。ロック・ミュージックは一生を敗北者として終わるやつらの強がりの雄叫び……勝者と敗者を分けるのは能力の違いなんかじゃない。勝者が持っていたのは、運と機会と環境と……最低限度の健康……それだけだよ。
こんな風に考えてるのはオレだけじゃないんだよ。愛用の病院で、待合室にいたときのエピソードを話そう。目の前の椅子に座ってた五十歳前後の夫婦の会話だ。
妻「昼ご飯、家で作るけど、ハンバーグでいい?」
夫「そんな脂っぽいもの食えるわけないやろが! ちゃんと考えてから物言えや!」
妻「はい、はい。身体は弱いのに、口だけは達者やね」
夫「うるさいな、喋る以外何をすればええねん。ええか、ワシが何もできひんのは才能がないからとちゃうで。単に元気が足らんだけや。もし、全身健康やってみ、今頃ノーベル賞でも取ってるで」
妻「聞き飽きましたよ」
前置きはこの辺でやめにしよう。そろそろロックを鳴らす時間だ。
さあ、オレは今、ロックを鳴らそうとしてる。けどオレはバンドなんて組んだ経験はないし、作詞作曲のやり方なんて知らねえ。中学の頃、エレキギターはちょっとかじったけどな。当時、オレは「The Plasters」を崇拝していた。たった三人で、あんなカッコいいサウンドを生み出せるってのはたまらなかった。その影響でスリーピースバンドが好きになった。「MINROKU」「booltype」「アーチデュークス」……などなど。残念ながら、オレの好きだったバンドは「成功」しちまったから、もはやロックじゃない。そりゃ音楽はロックミュージックだけどな。精神的にロックじゃねえんだ。わかってくれるかい?
それでもリスペクトの意を込めて、オレはスリーピース編成でロックを鳴らす。作曲、作詞、演奏テクニック、そんなもんは気にするな、技術なんてクソくらえ! とにかく演奏スタートだ。タイトルは『病弱ロック』。医者のやつら、病院のやつら、医学にかかわるやつら全員に、健康弱者の強がりをぶちかましてやる。ほらいくぞ!
イントロはうねるような高速ベースとエッジの効いたリズムギターでスタート
ドラムがエイトビートを叩きはじめたぜ
ここでバリバリにカッコいいギターリフが入ってくる
たまんねえ! もう最高だ!
そのままAメロに突入だ ボーカルが叫ぶ無名の衝撃を聞きやがれ!
「バスにも船にも飛行機にも乗ってやいないのに
三半規管がイカレてるんだ
爆弾低気圧接近中 オレは地球という乗り物に酔っている」
ベース主導でコードチェンジしてBメロだ!
バックでドラムがハイハットを刻み、ボーカルを支える
「頭はいつも揺れている(ロックしてる)
強襲 立ちくらみ
何も考えれやしねえ
視界はいつも揺れている(ロックしてる)
走りたいだけなのに
吐き気が止まんねえ」
さあサビだ!
「カルテに刻まれた病名はオレの勲章なのさ
炎症起こした内臓の傷跡が戦いの歴史を物語ってる」
サイケでハードなギターソロに酔いしれな!
気分はどうだい? 最高だろ?
さあ二番に突入だ
変化の加わったAメロ、Bメロ、そしてサビだ!
どんどんいくぜ!
「たった一杯のオカユを食っただけで
腹の痛みで立っていられなくなるんだ
血圧脈拍急上昇 オレは大地の鼓動を感じている
胃液は逆流して暴れている(ロックしてる)
身体が溶けていく
自殺行為はやめろよ
小腸はビンビン反応してる(ロックしてる)
日が昇るのはまだ先だ
そっと静かにしとけよ
カルテに刻まれた病状はオレの伝説なのさ
衰弱していく全身の痛みが
そのままオレの生き様となる」
さあもうすぐお別れの時間だ
オレの無名の衝撃、感じてくれてるかい?
演奏が終わったら、そのままさよならだ
最高の状態でラストを迎えようぜ
いまから間奏行くぞ!
気分をハイにしやがれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
「増え続けてく薬
これ以上飲めそうにない
アルコールの匂いをたっぷり吸い込んだら
準備OKさ
体が壊れるのが先か頭が壊れるのが先か
さあレースの始まりだ」
最後のサビいくぞぉぉぉぉおおおおおおおおおおお
「カルテに刻まれた病名はオレの勲章なのさ
炎症起こした内臓の傷跡が戦いの歴史を物語ってる
カルテに刻まれた病状はオレの伝説なのさ
衰弱していく全身の痛みがそのままオレの生き様となる」
いつか武道館で会おうぜ 医師の許可が下りたらな
終
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