40分で作ったショートショート

舞茸ヒロカズ

ぷろミス

 「一つ、約束して」

 「何でもするよ。」

 「私の鼻を、絶対に強く押しちゃダメ」

 「え?」

 「何でも約束するんでしょ?」

 「うん、でも、なんで?」

 「ダメなものはダメなの。」

 「まぁ、いいけど…」

 

 高嶺の花だと思っていた澄川さんに思い切って告白したら、こんな感じで謎の約束をさせられただけで、すんなり交際がスタートした。

 澄川さんは、その名の通り澄み切った川のように、―それは透明に限りなく近いぐらい―白い肌の持ち主の美女で、一緒に時間を過ごせるだけで僕は幸せだった。

 最初こそ謎の約束がしばしば頭をよぎることもあったけど、僕は澄川さんの美貌と、どこか浮世離れした価値観や言動にどんどん夢中になって、そのうち約束のことをすっかり忘れてしまった。っていうかわざわざそんなことしない。


 それは水族館に行ったときだった。薄暗い蒼の世界が澄川さんの白い肌をスクリーンにして投影されてそれは最早、絶景だった。そして澄川さんはその蒼の世界でどこか悲しげな表情を浮かべる。とても儚げで、その絶景はさらに美しさを増すのだが、僕は少し心配になって聞いた。

「海はきらい?悲しい顔をしているよ?」

「…私はもう、ここには帰れないから」

 澄川さんはしばしば僕にはなんの比喩になっているのかよく分からないような、すごく詩的なことを言う。そこも好きだった。そんなとき、僕はばかだから、そのままの意味にとって返すことにしていた。意外とそれで澄川さんは満足そうなのを知っていたから。

 「どこにも帰らないでいいよ。ずっと僕と一緒にいて。」

 「…そうね。」

 そのとき澄川さんが浮かべた笑顔が、その言葉とは裏腹に、彼女がどこか遠い遠い場所へ帰ってしまい二度と会えなくなってしまうかのような儚さを孕んでいて、僕はたまらなくなって、彼女を強く抱きしめた。強く抱きしめて、キスをしようとした。

 でも慣れないことをしようとしたもんだから、僕と彼女の鼻が強くぶつかってしまった。

 「あ。」

 鼻の痛みを感じながら、僕が約束のことを思い出した頃には、澄川さんは鼻から大量の墨汁のような液体を噴出しながら彼女自身の「体積」をどんどんと減らしていっていた。そして僕らの周りが大きな墨の水たまりになると澄川さんはペランペランの白い皮だけになってしまった。どん引き。

 その墨汁は独特の生臭さの中に、どこか食欲をそそられるような匂いがして、そうだ、まさに「イカスミ」だった。そうすると澄川さんの透明なまでの白さにも合点がいって。


「…気ぃ持ち悪ぃ~」


 イカ女の墨で汚れた床の清掃代を請求されたら大変だと思ったのでダッシュで家に帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

40分で作ったショートショート 舞茸ヒロカズ @maitake_hirokazu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ