6
「ご、ごめんなさいッ!!!」
飛び退いたコガは尻もちをついて、そのまま、両手をチビに……ヒメにかざした。
「すいません!! 本当にごめんなさい!! そんなつもりはなかっ、か、なかったんですっ!!」
狂った鼓動が言葉を急かす。
「許してください!! どうか……」
喉が詰まり、ギザギザの咳が出る。
震える体。
鮮血のように汗が吹き出し、涙で視界がにじむ。
予感したのは、命の終わり。
あるいはもっと悪いもの。
こんなことがあるのか?
まさか、姫を尻に敷いたまま、それに気が付かないなんて。
(終わった……なんて
姫とは、魔女。
魔女とは、呪い。
どんなおとぎ話でも、魔女の機嫌を損ねた男の末路は知れている。
「お願いします!! なんでもします!! どうか、どうかどうかどうかどうか、どうか……っ!!」
「どうか……」
いつの間にかうっすらと差し込んでいる街の灯りに照らされながら、ヒメはフードを脱ぎ、口元のマスクを外し、クスクスと笑った。
「蛙にするのだけは……」
クスクス、クスクス……。
金色の髪の魔女が笑ってる。
クスクス、クスクス……。
男の人生を弄ぶ、女の魔性。
クスクス、クスクス……。
「……ごめん、ごめんなさい」やがてヒメの口から、そんな言葉がこぼれた。「わ、笑っちゃいけないのはわかるんだけど……そんなビビらなくてもさあ……」頬に手を当て、愉快そうに微笑んでいる。
「す、す、すいませ……」
「ばぁー!」ふわりと、軽やかにコガの胸に飛び込んできた。
「ひっ……!!」
「なんてね! 大丈夫、カエルになんてしないよぉ」細く小さな腕が、コガをギュッと抱きしめる。「やめてよもう。ぼく、コガが大好きだって言ってるでしょ? あんな程度で怒るわけ無いじゃん。むしろ……実は……ご褒美だったり」
「………………へ?」
「ああどうしよう、なんか、ほんとにクセになっちゃったかも」ヒメはまだクスクス笑っていて、その震動が、温めすぎた牛乳のようにコガの胸に染み込んでいく。「男の子にあんな本気で体重かけられたの初めて。ちょっと今日の夜は忘れられないかも。まだドキドキ止まんないや。うふ、うふふふふ……」
「…………」
壊れた屋根の隙間から、薄い月明かりが差し込んでいる。純粋で、混じり気のない夜の色。ネオンに満たされたおとぎの中央街ではほとんど見る機会のない素朴で神秘的な青さに、コガは、流した汗と涙が急速に冷えていくのを感じていた。
安心したわけではない。むしろ逆だった。
コガは、ヒメが今何を言っているのか、ほとんど何も理解できなかった。
どうやら本当に怒っていないことだけはなんとなく伝わってくる。だがなぜ怒らないのかがわからない。そもそも許されることはないと確信していたし、例え慈悲を得られたとしても、きっとガラスの斧で森を切り払うような無理な要求をされることも覚悟していた。
本当に、自分の人生が終わったと絶望していたのだ。
(ご褒美? ドキドキ?)
その言葉が現在の状況にどう当てはまるのか、推測しようにも全くあてが見つからない。
男に体を下に敷かれるなんて屈辱を、どうして受け入れられる?
人は未知を恐れる。
あるいは、闇を。
未だ収まらぬ動悸と困惑、そしていつの間にか笑うのをやめ、熱く呼吸をしだしたヒメの存在に本能が警戒を解くことを許さなかったことが、あるいは功を奏したのか。
コガは頭上で、ブゥーンと、重たい何かが風を切るのを聞いた。
先立って、遠くで窓ガラスの割れる音が鳴っていたことを、
ハッと見上げて、
そしてまた、ヒメを抱えてグルリとその場を転がった。
「キャ!? え、ちょ、待ってさすがにこんな場所じゃ……」
ヒメの言葉をまるごとかき消すように、床板にバゴンと穴が開いた。
「って、え、なになに?」
先までコガがいた床に、細長い棒が突き刺さっている。その棒はガタガタとまだ揺れていて、今にも宙に浮きそうな気配である。
<袋の中のこん棒>。
野いちご組舎弟頭補佐ハセが持つ、狙いを定めた相手を半殺しにするまで追いかける魔法のバットである。
上空で、また、ビルのガラスが割れる音がした。
人影が飛び降りてくる。
「やばい、ハセさんが来る……」血の気が引くのを感じながら、コガはハサミを抜いた。「猫がこっちに来たからバレたんだ……」
「猫? 猫って、さっきの?」
「ひ、ヒメは、ここに隠れててください!! 俺だけで逃げます!!」
「あの、ごめん、状況が……」
説明する暇などあるわけもなく、コガは一目散に明かりの消えた夜の街へと駆け下りた。
今はただ、逃げるのみ。
怖いハセからも。
怖いバットからも。
怖いヒメからも。
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