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昼過ぎから降り出した雨の水滴が、車の窓ガラスを虫のように這い回っている。そろそろ雪が降ってもいい時期だが、街が冬化粧するのは今年もきっとクリスマスまでお預けだろう。冬になると、体の節々が痛む。これも老いから逃れられない男という生き物の宿命だ。かぼちゃ組若頭補佐である穂村は、急遽開催が決定した姫たちのお茶会のために<王様のいるお城>へ向かう高級車の後部座席で背を丸めながら、バイブを鳴らしたケータイをポケットから取り出した。着信は岸。かぼちゃ組でただ一人のクルミ泥棒調査担当である。
「穂村だ。どうした?」
「クルミ泥棒の正体が割れました」電話の向こうで岸は言う。「どうやら野いちご組に出入りしていた仕立て屋が噛んでいるようです」
「ほう……」
岸の報告によると、仕立て屋の名前は
「まあ、向こうとしてはやましいところなどねえってわけだ」穂村は一人頷く。「だがそうなると難しいな。野いちごよりも先に
「居場所は把握できています」
「あ?」
「飯屋で堂々と餃子食ってやがりました。念のため浮浪者に化けて間近で顔も確認したので間違いないです。現在、離れて監視を継続しています」
穂村はゆるりと体を起こした。「そいつはお前……優秀が過ぎるな。まずは不正を疑いたくなるような好形ダブルリーチだ。一体どういうことだ?」
「どうやら俺は幸運に恵まれています」岸は言う。「偶然、蛙の土俵周りで、知った顔を見つけたので」
「知った顔?」
「コガは現在、
「……あ?」
岸が更に続けた報告によると、そもそもはケージの顔を下町で見つけたのが先だという。かぼちゃ組と野いちご組が喧嘩を始めようというこのタイミングで、奴が下町にいるのは確かに違和感がある。見知らぬ若い男を連れて歩いているのなら尚更だ。こういう時の現場の勘というのは馬鹿にならないということは、かつて腕利きの
「クルミ泥棒に仕立て屋が噛んでることも、それがケージと共にいる男であることに気がついたのも、全て追跡を開始した後のことです。どちらかと言えば、
「山読みはバッチリってか……」
穂村は頭を振り、額に手を当てた。
(ケージだと……?)
流石に、冗談ではない。
「わかった、ひとまずは監視を続けろ」考えをまとめた穂村は岸にそう伝える。「ケージと一緒にいる以上、野いちご組だって金の魚を網に入れるのは難しいはずだ。お前も無茶はするな。ケージが噛んでいる、それを先んじて知れただけでもまずは手柄だ」
「……うす」
通話が切れた。穂村はケータイをしまい、更に考える。棚上げにしていた最初の疑問、クルミ泥棒がそもそもなぜあの事務所にクルミがあることを知っていたのか……その答えがケージにあるのだとすれば、今回の騒動はそもそも火種からしてきな臭くなる。
(鈴木がクルミを取引しようとしていた相手はケージだった?)
穂村には、あの
(ただでさえこれからお茶会だってのに……)
オリを選択できない身の上を呪いながら、それでも鳩が答えを教えてはくれない半端者の次男として、穂村は必死に知恵を絞った。
*
そんな風にして、悪い心を持ったヤクザたちは思い思いにいろいろなことを考えながら、お姫様たちが暮らす<太陽のお城>へと向かっていました。<太陽のお城>というのはメルヘンシティの真ん中に建つ真っ赤な旗が掲げられた大きな大きな白い宮殿で、男たちの住む街の建物と違ってちゃんとメルヘンらしい雰囲気の素晴らしいお城です。
夕暮れの太陽が雨雲を切り裂いて街を小麦畑の色に染める頃、たくさんの黒い車が低い音を響かせて、お城の前へと集まりました。お城にはドラゴンでもすくっと背筋を伸ばしてくぐれるような大きな鉄の門があって、この門を開くためには、小人が作った鉄の棒で三度、その扉を叩かなければなりません。また門の中には悪い男たちが入ってこないよう雄のライオンが二頭見張っていて、彼らをなだめるためには、その口に小麦のパンを投げ入れなければならないのです。
野いちご組、かぼちゃ組、りんご組の中で、それぞれ二番目に偉い男たちが車から出てきて、長い長い鉄の棒でそれぞれ一度ずつ門を叩きました。すると、巨人の乳に育てられた男が蹴飛ばしてもびくともしないくらい硬い鉄の扉が物々しくゆっくりと開いて、中からこれはまた大きなライオンが二頭、恐ろしい唸り声を上げながら顔を覗かせました。若いヤクザたちは大層怯えましたが、今度はちしゃ組で二番目に偉い小さな男がすっと一歩前に進み出て、その二頭の口に大きなパンを放り込みました。こうしてライオンはなだめられ、車から降りた黒スーツの男たちはこれでようやく、メルヘンの王国の中に入ることができます。
門を抜けた先には、季節を問わず果実を成らす木々の上を歌い上戸な小鳥たちが飛び交う、本物のメルヘンの国が広がっていました。男たちが作ったメルヘンもどきの街の汚らわしさと比べれば、女たちの暮らすこの風景のなんと牧歌的で美しいことでしょう。遠くに見えるお城まではずっと、太陽が時間を間違えたような輝きに満たされた金の道が続いていますが、普通の男たちはその汚れた靴で黄金色を汚さぬよう、行儀よく道の脇を歩かざるをえません。
その道を歩く資格があるのは本物の王子たち、つまり、ヤクザの組長たちだけなのです。
「かぼちゃ組」の王子は少年、その顔はまるで姫のように美しく。
「野いちご組」の王子は青年、魔法の車椅子の上に
「りんご組」の王子は優男、手も足も長い、サングラスを掛けた微笑む男。
「ちしゃ組」の王子は紳士、屈強、されど清潔なる長髪の偉丈夫。
金の道の上に、黒いスーツの4人の王子たちが今、ゆっくりと足をかけました。
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