7

 同じ夜、違う場所。

 同じ月、違う景色。

 その夜は、剣のように黒く冷たく磨き上げられた素敵な星空だった。地上を停滞する薄いもやに霞んだ三日月は、初めて女を垣間見た青年もお城からの帰路につく男たちも、等しくしららかな顔で見下していた。

 お茶会を終えた王子と側近のヤクザはまた金の道を通って街に戻り、お城の門の前に集まっていた。ケツモチの姫たちはすでに姿を消していたが、門の左右にあるレンガ造りの城塞の窓からはまだ、好奇心旺盛な姫たちが黒服の男たちを熱心に見物している。黒風率いるちしゃ組のヤクザと刈子カルコ率いるりんご組のヤクザはすぐに、黒い車を唸らせ自分たちの領土シマに帰っていった。ケンカをしてるのは野いちご組とかぼちゃ組であって、彼らは抗争に興味がないのである。

 居残ったのは、野いちご組とかぼちゃ組。行儀の悪い二つのヤクザが左右に分かれ、メルヘンシティの門の前にひしめき合っていた。

 夜の10時。

 街の魔法が解けるまで、あと2時間。

「シローの親分」

 お城の門の前、ヘンゼルの車椅子を押していた次兄ガラシが眼鏡の奥の目を細め、2つの組のちょうど真ん中で夜空を見上げているシローに語りかけた。

「ん?」シローは曖昧に返事をしたが、振り返ることはない。

 ヘンゼルの車椅子が、シローの隣に並ぶ。

「うちには、協力する準備があります」ガラシが言う。「クルミ泥棒の正体にもアタリがついていますんでね」

「……なんて都合のいい話だこと」答えたシローの声はどこか眠たげだった。「誰がそんなの信じるの? というか、そもそもお前らが人の事務所土足で荒らしたからこんなことになってるんだけど」

「仕掛けたのはそちらが先、クルミがあんな場末の事務所にあったのはそちらの不手際と認識しています」ガラシは冷徹に言い返す。「共同捜索。これがウチができる最大の譲歩です」

「だからそれじゃ……って、もうやめようか、こんな不毛な会話」そう言ってシローはまた空を見上げた。目を細め、ウットリと三日月を見つめる。「ヘンゼルも僕とおはなししてくれないし……まったく、なんてつまらない街なんだろうね、ここは」

 カラスが鳴いた。

 地下をざわざわと、ネズミたちが駆け回っている。

「ねえ、おとぎ話って面白いかな?」シローは呟く。

「は?」

「お前に話してないよ、ガラシ。僕はヘンゼルと話してる」

「…………」

 無論、ヘンゼルは何も答えない。吹く風に茶色い髪が揺れても、その高級なスーツをどこからか跳ねてきた雨水が濡らしても、グレーテルがいない今、ヘンゼルは微動だにしない。

 車椅子に座るヘンゼルはいつも、"死んだように動かない"。

 だがそれでもかぼちゃ組のヤクザたちは……あるいは野いちご組のヤクザたちやシローですら、ヘンゼルの正面には立つことはできないでいた。

 地下でネズミが騒ぐ。

 空にはカラスが吠えたけっている。

 この街のすべてが、を恐れている。

「読者を引き付けるのは、安易でもいい、簡単なミステリィ」

 シローは続ける。

「でも、おとぎ話にそんなものはない。結末が予想できない物語なんて一つもなかった。姫は王子と結婚し、正直者はお城を手に入れ、末っ子は意地悪な兄弟を出し抜いて、、悪者以外はみんな、末永く幸せに暮らす……」

 ふっと、息を漏らす。

「おとぎ話って、つまらないよね」

 タバコを取り出し、火をつけた。今、シローとヘンゼルの前には誰もいない。メルヘンパンクの表通りは閑散としていて、影ばかり目立たせる不気味なネオンの光で満たされている。

「……でも、それがこの街の宿命なんだ。御伽メルヘンで頭が破綻パンクした僕らの行く先はいつも予定調和……例えば、こんな風な」

 タバコをくわえたまま、シローは左手を隣のヘンゼルにかざした。

 一瞬にして空気がヒリつき、野いちご首のヤクザたちが<道具>を抜く。ガラシが弟たちを片手で制したが、その彼もまた銃を取り出しすでに臨戦態勢だった。

「なんのつもりですか? シローさん」

 一段と冷たいガラシの声。

 シローの顔からは、微笑みが消えていた。月だけがそれを見ていた。

「つまらない物語が始まるよ」

 シローは歌うような声でささやく。

「子どもにもわかるような単純さで、誰にでもわかる結末のために、誰にだって予想ができる行動を、誰も思いつかない夢のような景色を揃えて……もう、口実なんかどうだっていい。こうしなきゃ物語は動かないんだ」

 パッと、その手に拳銃が出現した。

「おい!! 何しとんだコラァ!!」

 ガラシが吠える。

「じゃあね。久しぶりに会えて嬉しかったよ……ハンス兄ちゃんヘンゼル

 躊躇なく、シローは引き金を引き抜いた。

 銃声が弾け、

 血が飛び散り、

 ヘンゼルの頭に銃弾が届いた瞬間、月夜にヒビが入ったような、ゾッとするような怖気が辺りを貫いた。

 残響。

 失神しそうなほどに悍ましい殺気と凶兆に、誰もが一時、呼吸すらできなかった。

 薬莢が落ちる。

 おびただしい数のカラスが城壁から飛び立ち、姫たちが悲鳴を上げた。

 最初に動けたのは、野いちご組舎弟頭補佐"狼狩り"ハセ。

 バットをアスファルトにこすり付けて火花を散らしながら、姫のような<姫喰い>の王子にまっすぐ突進する。

 次に動いたのはシローだった。ビュンとステッキを振ると同時に、そのステッキが鎖のように変化し、上空に伸びていく。城壁の窓の上にその切っ先が突き刺さり、シローの体を一瞬で巻き上げた。

 遅れて動いた野いちご組のヤクザたちの拳銃が、逃げたシローを狙う。

 だが、誰も撃てない。

 窓枠に飛び乗ったシローは、片腕で、男たちを見物していた一人の姫の肩をしっかりと抱きしめていた。

「どうしたチンピラ共!!」見下ろしながら、シローはあざ笑う。「撃てよ! 蛙にされるのが怖いのか!?」

「てめえ……っ!!」

 ふざけやがって……降りてこい……ヤクザたちは罵声を飛ばすが、やはり引き金を引ける男はいない。

 シローもまた、野いちご組のヤクザを挑発しているわけではなかった。

「聞こえないのか!? 早くやれ!! セミ!!」シローが叫ぶ。

「てめえら後ろだぁ!!」

 ガラシが彼の道具、<必ず当たる空気銃>を構えながら叫ぶのとほとんど同時に、かぼちゃ組若頭・夜蝉が挿絵の描かれたカードを空に投げた。

 夜の闇を引き裂き、化け物が姿を表す。巨大な牙を持つ人食いの大猪が唸り声を上げ、車を踏み潰しながら野いちご組に向けてまっすぐに突撃した。

 間を合わせ、かぼちゃ組のヤクザたちが<そら豆の火種>を投げて野いちご組の退路を塞ぐ。

 間髪入れずにハセが<鼻吹男ブロワー>の鼻息で火炎を吹き飛ばし、ガラシが<冠雪男リトルハット>の力で火種を凍らせた。

 皆、素早く動き出す。敵を打ち倒すために、勝つために、次々に牙を剥く。

 彼らは男。

 野蛮な獣。

 姫の前で萎縮しニコニコとかしずいていた滑稽ながちょうたちの姿はすでになく、そこにいたのは一人残らず、戦うときばかりはどこまでも優秀で残忍なメルヘンシティの悪漢ヤクザたちだった。



 男たちというのはなんと野蛮なのでしょう。

 これを待っていたと言わんばかりに、楽しげに火薬を散らして暴力を振るう男たちを見下ろす城壁の窓の後ろで、ただ一人そこから逃れ出た<姫喰い>の王子シローは、たまたま窓の一番近くにいた一人の姫にずっと抱きついていました。

「もう……シロくんったら」優しい姫が、その白く小さな手でシローの背中を撫でました。「ほんとに浮気性ローランドなんだから。シンデレラに悪いわ、こんなの」

「……死んだかと思った」

「え?」

「ヘンゼルを撃ったとき……本当に、もう、地獄にいるのかなって思ったよ。が怖くないとか、女ってほんとどうかしてるよね……」

 シローはゆっくりと顔を上げて、眼下の戦争を覗き見ました。

 銃と剣が火花を散らし、<挿絵の怪物>たる大猪が<挿絵の怪物>たる悪牛とぶつかりあう真ん中で、怪物もヤクザたちも誰も、車椅子に座るヘンゼルには近寄りもしません。

 銃で撃たれたはずのヘンゼルの頭。

 その傷口から、血まみれの鹿の角が突き出ているのが見て取れます。

「化け物」

 シローはそう呟いて、震える頭を姫の胸に埋めました。

「あれのどこが、ヘンゼルだよ」

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