2

「僕、こう見えておたくのチョコより甘いこと言ってると思わない? ここまでされてんのにクルミを返せば矛を収めようなんて、間抜けな悪魔でもこんなヌルい契約はしないよ」

「ウチには返すものがないと言っています」

「言い訳は聞き飽き……」

「ロン!!」



東2局0本場

シンデレラ→白雪姫(満貫8000) 混一色Half FlushGreen DragonStrawberry



「……言っちゃ悪いけどさ、そっちのやり口も随分と雑じゃない? そもそもいきなりうちの事務所にカチこんできといて被害者面なんて、狐の里親よりも行儀が悪いよ」

「元はと言えばうちにブヨを仕込んだのはそちらでは?」

「こんなことされちゃあ正しい判断だったと言わざるを……」

「ロン」



東3局0本場

シンデレラ→グレーテル(2000) 西West・ドラ



「いいからクルミをかえ……」

「ロン」



東4局0本場

シンデレラ→グレーテル(2600) リーチ・萵苣Rapunzel



「お前僕のことバカにしてるだろ」シローがシンデレラの首元に掴みかかった。「小人にパンでも差し出してるつもり? 何回ロンって言ってもらえるかの競争じゃないんだよ。それともあれか、もしかして、僕に恥かかせようとしてるんだ」

「ごっ……ごめんなさいぃいいぃ……」

「アハハハ、エラちゃんかわいそー」白雪姫はご機嫌に笑っている。「まだ一回もあがってないのね」

「あら、私もまだよ」

 ココアのように低く甘い声音が、自然と皆の視線を誘う。

 眠たげに薄っすらと開いた目はどんな姫よりもセクシーで、後ろで大きく三つ編みにされた髪はもちろん、どんな姫よりも長く美しい。自在に伸ばせる髪を今日は自分の背丈程度に留めている歌姫ラプンツェルは、脇の小テーブルからチョコレートをひとつまみし、彼女の<王子>へそっと差し出した。

「ハイ、どうぞ。あーん」

「あーん」

「あーんじゃないよ、でっかい図体して気持ち悪い」シローが顔を歪める。「僕のことバカにしてるの? 黒風」

「馬鹿になどしていないさ」もちゃもちゃとチョコを舌で転がしながら、ちしゃ組組長<グレイト・ファザー>黒風は、それでもそのたくわえた顎髭に相応しい渋い声を喉から響かせた。グレイがかった髪と無精髭を生やした、非常に"男らしい"見た目をした壮年の男だが、切れ長な目だけはどことなく女性的にも映る。長くしなやかな指をラプンツェルの肩に置き、黒風はニヤリと微笑んだ。「俺たちのイチャイチャは俺たちだけのものだ。お前たちのイチャイチャも、お前たちのものだ。俺たちはいつでもどこでも、何も変わらない」

「その割におたくの長男、野いちご組とずいぶん仲良くなられたようで」

「なんだ、君も"仲良く"なりたかったのか?」

「冗談じゃないね」

「ねえ、さっきから男の子たちはなんの話してるの?」白雪姫が首を傾げる。

「退屈な話よ」ラプンツェルが答えた。牌を眺めながら、小さく上品に肩をすくめる。「はしたないわね、男の人って。含みを持たせた言い方ばっかり……ハッキリしゃべったらどうかしら」

「そう言わんでくれよラプンツェル。これが俺たちの楽しみ方なのさ」黒風は大袈裟な仕草でひざまずき、愛する姫の膝に頭をそっと載せた。「男心に、なんとか優雅に振る舞おうと努力しているんだよ。許してくれ」

「ふふ……かわいい人」

「りーち!!」また、白雪姫が元気よく声を発した。

「うぅ……」と、意気消沈しかけたシンデレラの背に、シローが強く爪を立てた。「ひんっ!?」

「降りるな」シンデレラの耳元でシローは囁く。「さっきとは状況が違う。その手で戦わなくていつ戦うの? 負けるために戦ってるわけじゃないなら、今が勝負どころだよ」

「は、はい……」

 そっと、シンデレラは卓に"無筋"の牌を置いた。

「ロン」



南一局0本場

シンデレラ→グレーテル(3900) 三色同順Three Color Runs



「そっちかよ! 親が黙聴ダマテン入れてんじゃねえよ!! どいつもこいつもイライラするなぁ!!」



 こんな感じで、麻雀は淡々と楽しく進んでいきました。初心者1st Princessの白雪姫が次々に高い手を和了あがる中で、賢いグレーテルはコツコツと手数を稼ぎ、最後まで一度も和了れなかったシンデレラは哀れ箱下に沈んでしまいました。ラプンツェルも、最後に一度手痛い失点を喫し、一回目の結果は、


白雪姫   :46300

グレーテル :38000

ラプンツェル:18700

シンデレラ :-3000


 で終わってしまいました。

「あらあら残念」最後、白雪姫にドラで放銃したロンされたラプンツェルは、微笑みながら目をシュンと細め、一つため息をつきました。「とってもいい手だったのに」



「一試合目はゆきちゃんの勝ちだってさ」

「へー、ラプちんじゃないんだー」

「負けたの誰?」

「エラちゃん」

「あはははは!」

 近くでも遠くでもない……だが相対的に言えば遠いところにいる名前も知らない姫たちがそんな会話をしているのが、コガの耳にもかすかに聞こえてくる。もちろん、その内容も意味も現在の彼の知ったところではない。

 今の彼を支配しているのは、もっとずっと単純で原始的でやかましい、自分自身の鼓動だった。おぞましいほどのエナジィが全身にほとばしる反面、心は気が遠くなるほどの恥に満たされてる。

 恥。

 とにかく、それだった。

(さいあくだ……)

 胸の内でそう毒づいたコガの周りを、温い水がゆらゆらと波打っている。ここはナイトプール『ミルポンド』。りんご組のクラブの屋上に設置された、ガラスの天球の内側にある巨大な温水プールである。水はうっすらと青く、空調の効いた空気は澄んで甘い。作り物か本物かわからないヤシの木や白いテントの他にカラフルなカクテルが並ぶ上品なバーが清潔なプールを囲んでいて、20人ほどの姫が思い思いの場所でくつろいでいる。コガ以外に男はいない。おそらく……否、どう考えても、本当ならばヤクザの幹部クラスかその紹介がなければ入場できないような超高級クラブだろう。お代はどうやらチビが勝手に盗んだドレスを使って先払いしたらしい。

 わけもわからず連れてこられたコガは今、貸し出されたトランクスみたいな水着しか履いてなくて……、

 まずいことに、周りにいる姫たちもみんな、同じように水着だけだった。

「だいじょうぶだよコガくーん、顔上げてー」水着の姫のうちの誰かが言う。顔は見れない。「やっぱ恥ずかしい?」

「無茶よ、みんな最初は緊張するんだって」違う一人。「だって、今日が初デートなんでしょ? いきなりここはハードル高いよー」

「でもほんとにかっこいいね、コガくん」

「かわいい」

「ヤクザじゃないんだっけ?」

「ええと……仕立て屋です」顔を近づけてきた姫に対しなんとか答えを口にして、ほんの少しだけ目線を上げた。

 裸みたいな女がいる。

 白い肌が剥き出しで、当たり前のように胸元があらわだ。

 股に、何もぶら下がっていない。

 髪が濡れてる。

 水が滴っている。

 肌の上を、水が……。

 ここは楽園か、天国か。

 いっそ呑気にそんな風に思える自分であればどれだけ楽だっただろうかと思いながら、コガは無意識に自分の顔に爪を立てていた。

「仕立て屋? へー、じゃあ、親指小僧トムちゃんのお弟子さんだ」眼の前まで迫ってきていた白っぽい髪の姫が、頬に指を当てる。「あれ、違う?」

「あの……はい、そうです」

「私、ゴールデンスター」彼女はそう名乗ってウィンクした。とてつもないほどに美しい顔で、額に金色の星が宝石のように光っている。「金ちゃんって呼んでもいいのよ。よろしくねコガくん!」

 内臓が口から飛び出しそうになった。ゴールデンスター、ベンジャミンと11人の兄たちの妹、グリム童話から直接飛び出してきた<王様の娘オリジナル・プリンセス>たちの一人……。

「よろしくおねがい……します」

「しますぅ、からのー?」

「えっと……き…………」

「かったいなあ」クスクスと、近くにいた赤い髪の姫が笑う。「もしかして、の熊さんもガッチガチ?」

 キャー!! と、姫たちから声が上がり、コガは心臓が青ざめるのを感じた。反面、顔は赤銅色に紅潮する。

 ガッチガチ?

 ガッチガチかって?

 そんなレベルで、済むものか。

 冗談でもなんでもなく、今のコガは、勃起を抑えることが全くできないでいた。

(やばい……やばいやばいやばい)コガは一層、歯を食いしばった。

 これは、笑い事ではない。緊急事態である。何せこちらはパンツ一丁、隠す手段が絶無なのだ。どう考えたってもうすでにバレている。なぜ自分がまだ蛙にされていないのかが不思議でたまらないくらいだ。こんな無様な姿、絶対に姫たちの前で晒すわけにはいかなかった、その最低を遥かに下回った状態に彼はいる。ほとんど命の危機のようなものだ。

 それなのに……、

 それなのに、こんなにも抑えられないものか?

(見るな考えるな意識するな息を止めろ……)

 遠く、神秘でしかなかった女の体。写真の中でしか見たことのなかった女の肌が、網膜というこの世で一番大きなスクリーンをいっぱいに埋めている。まずいことに、これまでのチビとのかすかな触れ合いのせいで半端に得てしまったが、眼の前の光景に確かな「重さ」を与えてしまっていた。

 果実のような、晴れ空のような、その肌の柔らかさ。

 なんと表現するのが正しいのだろう。

 ふわふわ?

 ポヤポヤ?

 ……むっちり?

 みんなとても細く美しいはずなのに……。

(肌が見えるだけで……こんなに違うなんて……)

 蛙相撲で見た糞の虹を思い出してなんとか情動を押さえつけようとしているコガの腕を、ぐっと、小さくて細くてむっちりとした腕が捕まえた。ヒメの腕だった。彼女も当然水着だ。花の模様がついた白っぽいビキニしか着ていない。

「ちょっとー、あんまからかわないでよベニちゃん。ぼくのデートのお相手なんですけどぉ?」口を尖らせながら、体を押し付けてきた。

 素肌と素肌。距離は0。

 男としての躰が悦びに悶え、精神は悪魔に契約を迫られた兵士のように恐怖に打ち震えた。

「大丈夫だよ、リラックスして」ヒメが耳元で、わざとらしくささやく。「実は、女の子は男の子のそういうところ……ちゃんと知ってるから」

 クスクスと、色んな姫たちの笑い声が重なった。

 とてもいい匂い。

 最悪の気分。

「ね、ねー、ほんとに大丈夫だってばぁ」あまりにも体を強張らせているコガに対し、ヒメが多少困ったように首を傾げる。「あっちにウォータースライダーもあるんだよ? 一緒に滑ろうよぉ」小さな手のひらを、彼の太ももに這わせてきた。

 今日一番、やばい一撃だった。

(……あ)

 コガは勢いよく立ち上がった。出会ってから初めて、まとわりついてくるヒメの体を振り払った。

「うわっ!?」

 水浸しのままプールから飛び出して、女たちに背を向けて白いテーブルの間を駆け抜ける。

「あ、ちょっとどこ行くのコガ!?」

 ヒメが慌てている。

 だが、これは笑い事ではない。

 冗談でもない。

 真面目中の真面目、本気の中の本気である。

 コガはどこかでこれを、「処理」してこなければならない。

 何があっても、絶対に、「暴発」だけは許されるはずがないのだから。

「あーあ、ほら逃げちゃったー」

 遠のく姫たちの笑い声が、ハリネズミの針のように、コガの背を深く突き刺していく。

「かわいー」

「かわいそーだよ」

「だからここは早すぎたんだってヒメちゃん……」

「えぇ……でも…………」

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