第三幕 王様の住むお城で

1

「男らしさとは醜いものでございます」

 小人は深々と頭を垂れてそう言いました。

「迷いに目を背け、何かを決めきることでしか前に進めぬ臆病者の論理です。ああ、優柔を不断にできぬ弱い我らをどうかお笑いください。女々しき姫にさちあらんことを……」

「不埒なものね、言葉なんて」それが姫の答えでした。「きっと、男の人が考えたものなんだわ」



 メルヘンシティを支配する4つの組には、それぞれのシノギとシマがある。ドレスと靴が『かぼちゃ組』なら、ケーキとスイーツは『野いちご組』、そして、化粧品を扱う『りんご組』。それぞれが数百人規模の構成員を抱えた巨大な武力組織である。その一方、ラプンツェルの庇護下にある『ちしゃ組』は、わずか18名で構成されたごく小規模のヤクザでしかない。貢ぎ物のシノギは一切持たず、シマもたった1つのタワーホテル『魔女の塔』のみ。にも関わらずちしゃ組が他のヤクザ組織と並び立つ4大ヤクザとして数えられている理由は、まさしくその、紫レンガで積み上げられた一つのホテルにある。

 母なる歌姫、ラプンツェルの居城『魔女の塔』

 それはメルヘンシティで唯一のラブホテル。

 いかにお菓子を集めドレスを貢ぎ化粧品を献上しても、最終的におとぎの街でゴールテープを切れる場所はここしかない以上、ちしゃ組は小なれど最も安定したシノギを持つヤクザと言えるだろう。

 野いちご組舎弟頭"二面の次兄"ガラシは、そのホテルの40階の窓際に立ち、眼鏡の奥からメルヘンシティの全景を見渡していた。夜になれば輝くネオンとカラフルなレンガで夢を騙るメルヘンシティの景観も、昼下がりに上から見下ろす分には呆れるほどに凡庸なすすけたコンクリートジャングルでしかない。のっぽなばかりのビル群は太陽の眩しさに耐えられず硫黄色にくすみ、鳥の糞と男の汗に汚れた広大なスラム街・下町コケインとの境目にほとんど区別がつかないほどだ。ガラシが初めてこのホテルに来たのは10年以上昔だったが、あの夜は雨で霞がかった街の景色や雨粒に映ったネオンの紫色までも誇らしく思えていた。

「改めまして、ようこそおいで下さいました五十嵐さん」

 豪華な白いソファに座っている腰の曲がった小男が、ガラシに向けてわざとらしくそう切り出した。女受けの良い端正な顔立ちとオレンジの髪、『ちしゃ組』トレードマークの緑のシャツ、そして、朝起きた時から夜寝ることしか考えていないようにやる気のない目。極端な猫背のせいで低い背丈が余計に際立っているが、わざとらしくへつらう態度は見るものが見れば不気味にも映るだろう。

「野いちご組の舎弟頭ともあろう方がわざわざ当ホテルにお越しくださるとは、いやはや感激の極みですなァ」ヘコヘコと小男は頭を下げる。

「あんただって若頭だろう」ガラシは答える。「ちしゃ組の耳、"がちょう番"植木」

「言うて、ウチの組はちっちゃいですからねェ」小柄な体を更に縮こまらせ、植木は笑う。「五十嵐さんとこは舎弟がたくさんいらっしゃって羨ましい限りですよ」

「ガラシだ」

「ああ、そうでしたね、へへへへへ……」植木は上機嫌にニヤついている。「にしても、いいんですかァホント? はるばるお越しいただいた挙げ句お土産までいただいちゃって」テーブルの上の薄桃色のボックスを指先でつついた。「ウチのオヤジは領土欲求はねえけど、甘いもんは大好きでね。これ、もう開けてもよろしいんで?」

「もちろん」ガラシも対面のソファに腰掛け、笑顔で頷く。ガラシは、ちしゃ組のナンバー2であるこの男のことが大嫌いだった。特に深い理由はない。地位にそぐわぬ小物じみた立ち居振る舞いと、思ってもないことばかり喋る口が気に障るだけである。

「では……」植木はリボンを丁寧に外し、蓋を開けた。パッケージされていた冷気とともに、芳醇な甘い香りが立ち上る。

 ちしゃ組のカラーに合わせて抹茶のクリームで飾られた、最高級シフォンケーキの1ホール。

 植木の目付きが変わる。口元に張り付いた薄ら笑いはそのままに、濁った紫の瞳がガラシの眼鏡の奥を覗き込んだ。

「……何をお望み?」

「これはうちが兄弟の契りを交わす時に用意するケーキだ」ガラシは答える。「クリスマス、バレンタイン、収穫祭、ハロウィン……俺たちは兄弟のために、都度都度このクラスのケーキを用意する」

「それはそれは……」植木はソファに寄りかかり、懐からタバコのケースを取り出した。「ええ、いいですよ、いいですとも。これで今日からあっしとあんたは、"兄弟"だ」すっと一本、差し出される。

「俺は、吸わねえ」

「ああ、そう言えばそうでしたね、」植木は笑いながら手を引っ込め、自分のタバコに火をつけた。「おぅい、吉村。ちょっとこれ切り分けて来い」

 呼ばれた舎弟がケーキのボックスを慎重に運んでいくのを待ってから、植木は煙を吐き出し、もう一度ガラシに向き直った。

「……で、結局うちに何をして欲しいんです?」植木は上目遣いにガラシを見つめる。「失礼を承知で言いますが、兄弟になったからってそちらさんとかぼちゃ組のケンカのケツは持てませんよ?」

「わかってるさ」ガラシは組んでいた脚を解き、植木の目を睨み返す。「打算なんかねえよ。ただ俺たちが兄弟になった、その事実だけで十分だ。今後とも仲良くしようぜ」

「ようするに、火事場泥棒を牽制したいわけだ。ずいぶん念入りですねェ兄貴」

「っるせえわ、とっつぁん坊や」ガラシは気分とは裏腹な笑顔を顔に貼り付けたまま、目を細める。「……兄弟になったからには教えてくれよ。植木お前、<ハンス>だろ?」

「ええ、そうですよ」あっさりと植木は頷いた。「まあ、髪フェチってだけで偶然転がってきた最弱のハンスですがね」

「ハンスはハンスだ馬鹿野郎」

「はは、そりゃいっぱい殺せって言われりゃいっぱい殺せるでしょうがねェ」植木は口元を歪めて笑っている。「でも<そら豆>や<スズメ>みたいな百人殺しどもにゃ小人が味方してくれたって敵いませんよ。もちろん、<ヘンゼル>にもね。いや、お宅んとこなら、あのハセ坊やとりあっても負けちゃうと思うなァ。ねェ、あんな子どっから見つけてきたんです? うちの女の子からも結構人気なんですよねェハセちゃん。あの子ならきっと、杖泥棒もきっとアッサリ見つけてくれることでしょうよ」

「……耳が早いな、がちょう番」

「へへへ……あら、そろそろ取組とりくみの時間だ。一緒に見ましょうや」そう言ってリモコンに手を伸ばし、テレビを点けた。

 モニターから喧騒が溢れ、"土俵"が映る。呪われたかえるたちが相撲を始める時間である。

「ご贔屓の力士とかいますか? 兄貴」

「グレーテルは、相撲が嫌いだ」

「そりゃ残念……愉しいのに」

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