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「女ぁ?」

 車の後部座席でウトウトしかけていた野いちご組舎弟頭補佐ハセは、運転する双子が喧しく話し合う内容に目が開き、ついついそれを訊いてしまった。

「あのチビちゃんですよ、兄貴」助手席の弟山田ダマが、鼻詰まりのガキのような笑顔で振り返る。「あの仕立て屋が連れてた舎弟キツネ、あれ、女みたいな声してたじゃねえですか」

「……そうだったか?」思い出そうとしたが、思考は蹄鉄の釘が抜けた馬のように前に進まない。

「そっすよ兄貴、手も小さかったし」兄山田ヤマも振り返る。

 背もたれを蹴る。「前見て運転しろボケ」

「はは……でもマスクで顔も見せねえし、それにちょっといい匂いもした気がするんだよなあ俺ぁ」

「ほう」ハセはあくびをする。「それでお前らは、もしやどこかの姫がお忍びで、ヤクザがヤクザいたぶる悪趣味な仕事場に慈悲深くも見学に来てくださったと思ったわけだ。いいじゃねえか、お前らもだいぶ頭がメルヘンに馴染んできたな」

「やっぱありえねえっすかね?」

「……いいかお前ら、世の中にゃドラッグクイーンはいくらでもいるし、女諦めてそっちに走るタマ無しだって大勢いる。あの仕立て屋、俺が投げた飴にも大して食いつきやしなかったろ? 男で満足できるなら、菓子も靴も化粧品もいらねえんだから、楽でいいよなぁ」

「なんだか夢がねえ話だなあ」ヤマが鼻を鳴らし、車を停める。場所はかぼちゃ組のシマであるきらびやかなファッション街、その外れにある靴屋の前。野いちご組の菓子屋通りからさほど遠いわけではないが、バレないよう裏を回ってきたので多少時間がかかった。ここの二階が、末端の組員がたむろする事務所の一つなことは調べがついている。通りには貧乏な男たちが数人連れ立って歩いているが、全体的には物静かで閑散とした雰囲気だった。ハイヒールと女の足を象ったマゼンタカラーの看板が場違いに眩しく光っている。

「俺はやっぱ女がいいぜ」そう言いながらヤマは懐から拳銃を取り出した。「なあ兄弟?」

「ったりめえよ」隣のダマは既にスライドを引いている。

「カチコミは速度が命だ」ハセは後部座席に座ったまま、懐からゆっくりタバコを取り出した。「今日は殺す必要はねえぞ。ほどほどに暴れてこい」

「がってん」

 双子が勢いよく車から降りる。

 二秒と待たず銃声が鳴り始めた。ガラスが割れ、通りを歩いていた男たちの品のない悲鳴が続く。

 ハセはタバコに火をつけ、紫煙をゆっくりと車外に吐き出した。双子は野いちご組の鉄砲玉だ。頭は悪いが共に殺意が生存本能を上回る根っからの兵士であり、その素質に目をつけたハセが、二人を直々に取り立てた。仕事は1分もかかるまい。ひとしきり銃声を聞いてからハセは車を降りてトランクを開け、甘いスパイブヨの死体と「荷物」を確かめた。この撃ち込みの目的はあくまでも舐めたまねをしたかぼちゃ組への警告と挑発であり、こんなシマの端っこの小さな事務所にまとをかけたのもそれが理由である。

 数発撃ち込み、荷物を届けて終わる、アクビが出るほど退屈なカチコミ。

 そのはずだった。

 不意に、視界の端で、オレンジの光が瞬いた。

「あ?」

 耳をろうする爆発音。

 ガンっと、燃え盛る爆炎に吹き飛ばされたダマが車にぶつかり、サイドミラーがへし折れる。悪魔の釜に薪を焚べたような熱風が轟々と唸り、肌を舐めた。

「アチチチチ!!! アッチぃいい!!!!!」

「……無事か?」叫ぶダマに、ハセは聞く。

「いってえ……っす、兄貴」ダマは火の粉を払い、それから慌てて、懐の名刺入れを取り出して中身をあらためた。「ああ、くそ、レオナちゃんの名刺燃えちまった……チキショウ!!!」

 燃える火焔の中心からバチバチと、不気味な笑い声にも聞こえる音が響いてる。

「<そら豆>の火種だぁ?」ハセはタバコを捨ててネクタイを緩め、その手で鼻の片方の穴を塞いだ。「おいおいおい、なんでそんな物騒なもんがこんなとこにあるんだぁ……」

 クラクラと、魔力が体内にワインのように巡るのを感じる。

「……よっ!!!」

 フーっと、思い切り鼻息を吹きかけた。

 暴風。

 マットをはたくようなくぐもった音圧と共に、燃え盛る炎に風の壁がぶつかり、一瞬で消し飛んだ。散らばっていたガラス片が舞い上がり、余波でショートした看板のネオンから火花がバチバチと降り注ぐ。

 一気に涼しくなった。

「すげえ……」ヤマが口笛を吹く。「兄貴、鼻吹男ブロワー刺青スミまで入ってんすか」

「クソが、原典グリムじゃ炎を消すのは冠雪男リトルハットだっつうのに……」ハセはペッと毒づきながら、焼け付く鼻をハンカチで拭った。サングラスを外し、店の奥、大量の靴と共に鼻息に吹き飛ばされたかぼちゃ組の下っ端を睨みつける。そいつは頭を打ったようだが、まだ意識はあるらしい。ヒゲの剃りが甘い青白い顔に驚愕と恐怖の浮かんでいる。

「……一人だけか?」

 ハセは視線を逸らさぬまま、双子にそれを聞いた。

「みたいです」どちらかが答える。

 <そら豆>の火種……なぜこんな場所にいる三一サンピンがそんな特級品を持っていたのかはわからないが、それを持っていたということは、きっと普通の銃ではだろう。

「出ろ、棍棒、袋から出ろ」ハセの声に合わせ、トランクに詰め込んでおいた木製バットが魔力を帯びて宙に浮かび上がる。「だが殴るな。それは俺がやる」キャッチしたハセはバッドを肩に構え、青ざめた顔のサンピンに向けてゆっくりと近づいていく。

 ハセは野いちご組でも指折りの危険な男であり、そして少し、苛立っていた。この街で生きる男たちにとって、おとぎ話の原典をなぞるのは憧れである以上に、実際に特別な存在にためになくてはならない絶対の儀式なのだ。

 なぜ、なにと問わず、ただ与えられた儀式に従う。

 それをメルヘンという。

「お前は俺と違って幸運だな……まだ演じられる役が残ってる」

 ハセは笑いながら歯を剥き出し、命乞いを吐こうとする男に向かってバットを振り上げた。

「さあ、木の上まで逃げてみせろよ、猫のように」

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