第5話 Q.眼鏡ですか? A.はい

 ――1001。


 この、数字の羅列から、人は何を連想するだろうか。


 郵便番号にしてはキリが悪い。

 電話番号にしてはよくとれたなという番号だ。


 千夜一夜物語を思い出すことができるのならば、いささかロマンチストと俺はその人のことを評するだろう。


 しかし問題はそう複雑ではない。

 そう、この問題を解くのに必要なのは、数字に対する蘊蓄ではないのだ。

 直感――見たままで感じたことを回答すればいい。


 すなわち。


「……眼鏡!!」


「……眼鏡だね、タカちゃん!!」


 休日。

 俺とみゆきの二人は、県内随一の繁華街にあるちょっとお洒落な眼鏡屋で、それを眺めていた。みゆきは水色のワンピースに、栗色をした薄手のカーディガンを着ている。この暑い時期にそんな厚着はどうかと思ったが――。


 控えめに言って可愛かった。


 可愛かったが、これは客観的かつ一般大衆的な視点で見た時に、みゆきが可愛いということに他ならない。

 俺が主観的に、みゆきのことを可愛いと思っているかと言われれば、この胸のときめきをはっきりそうだということはできない。


 そう、今日も今日とて休日ではあるが、俺たち二人は越えることのできない幼馴染の壁を突破するべく、それを穿つ属性探しに出向いていた。

 ここに来たのは他でもない。


「眼鏡属性、というものがある」


「そんなものがあるのタカちゃん?」


「あぁ、眼鏡は視力矯正器具だ。よって、学校で付けていたとしても、それについて教師から咎められることはない。ピアスやバレッタ、ヘアピン、カチューシャなどよりも、よっぽど扱いやすいアクセサリーなんだ」


「アクセサリーだったの!?」


 みゆきが驚嘆の顔をして言った。

 そう、その事実を知った時、俺もまた彼女と同じ顔をしていたと思う。


 まったくそのことについて気がついたのは偶然と言ってよかった。

 たまたま、プレイステーションストアでそれをみかけて、そう言えばこのシリーズ5まで出てる人気作だけれども、面白いのだろうかと購入し――初めて知ったのだ。


 やれやれ。眼鏡をかけて、仮面ペルソナを被り、違う自分になるか。


 やられたぜ――ペルソナ4!!

 そして、面白かった、とても面白かったぞ、ペルソナ4!!


「タカちゃん、そのペルソナ4ってゲームの情報は間違いないの?」


「間違いない。人は、眼鏡をかけることで、違う自分になるのだ。そしてカットイン演出をすることで――ペルソナを発動できるのだ!!」


「す、すごいね……」


「あぁ、目のいい俺たちには、まったく思いもよらない発想だよ。これを思いついたアトラスは――控えめに言って天才だろう」


「天才!!」


「あるいは、悪魔的発想!!」


「悪魔的発想!!」


「お客さま。他のお客様も居る手前、その、あまり入り口ではしゃがれるのは、ご勘弁いただけますでしょうか」


 店員さんが苦笑いでやって来た。


 ふむ。アトラスのすばらしさについて、もう少し語りたい所だったが、今日の目的はそれではない。俺たちは、新しい自分を見つけるために、この眼鏡屋までやって来ているのだ。


 見つけねばなるまい。

 自分たちに似合う新しい顔ペルソナを。

 そして、確認するのだ――。


 眼鏡をかけたみゆきに、俺がときめくかどうかを。

 彼女をお嫁さんにしたいと思うほどに、愛しているかどうかを。


 そのためには、この店員さんに聞くのがどうにも手っ取り早そうだった。


「すみません。眼鏡屋に来るのは初めてで、取り乱してしまいました」


「あぁ、そうなんですか。それは仕方ないですね」


「いえ、申し訳ありません」


「それで――本日はどのような眼鏡をお求めでしょうか? 普段使いのものですか? それとも、スポーツ用途のもの? あるいは、お洒落用とかでしょうか?」


 親切に受け答えしてくれる眼鏡屋の店員のお姉さん。感じがいい、いかにも接客慣れした感じのその人に向かって、俺は――。

 みゆきを手前に引き寄せると、その肩を抱いて言った。


 どき、と、みゆきの鼓動が高鳴るのが伝わる。


 一瞬にして耳まで真っ赤になったみゆきだが、こうしないと説明できないのだから仕方ない。


 すまないみゆき。

 だが、俺も恥ずかしいのだ。


 そんな恥ずかしさを耐えて、言わなくてはならないのだ。

 この眼鏡屋に来た目的を。


「みゆきに、お嫁さんにしたくなる眼鏡を造ってやってくれないか!!」


「……造ってくださいませんか!!」


「……は、い?」


 よく聞き取れなかったようだ。

 青い顔をして、親切そうな店員さんが俺たちに微笑んだまま硬直する。


 仕方あるまい。

 俺は恥ずかしさを我慢して、もう一度、ここに来た目的を彼女に告げた。


「幼馴染のみゆきを、お嫁さんにしたくなる眼鏡を造ってくれないか!!」


「……造ってくださいませんか!!」


「店長ぉ!! 店長ぉッ!! すみません、とんでもないモンスターカップルが現れましたァッ!! 応援をお願いします、店長ぉ!!」


 失礼な。

 カップルではない。

 俺たちはただの、幼馴染である。


 男と女の幼馴染である。


 男と女が一緒に来店したらカップルと判断するなんて、まだまだ、接客のなんたるかを心得ていないようだな、この女性店員さんは。

 まったく……まぁ、嬉しくない訳ではないが。


「えへへ、カップルだって」


「客観的にはそう見えるんだろうな。しかし、俺たちは幼馴染だ」


「そだね。店員さん、カップルじゃありません。幼馴染です」


「そんなに距離が近いのに!?」


「物理的な距離の近さは心の近さに関係しない」


「むしろ物理的に近いからこそ精神的に離れていることもあるんです」


「店長ォッ!! このカップル、妙に哲学的です店長ォッ!! 私の身には余ります、助けてくださぁい!!」


 哲学ではない、科学だ。

 経験則に裏打ちされた客観的事実であり一般法則だ。


 幼馴染の肉体的な距離は近いが、精神的な距離は遠いのだ。

 それは科学的に、そして歴史的に証明されているのだ。


「とにかく、貴方たちのようなバカップルがどうして当店に!?」


「だから何度も言っているだろう」


「お嫁さんになるためです!!」


「眼鏡は嫁入り道具じゃないですよ!?」


 なんて当たり前のことを言うんだろうこの店員は。

 そんなこと言われなくても、俺たちだって重々承知していることだ。


 眼鏡は視力矯正補助器具――アクセサリ的な側面はあるが本質はそれだ。

 嫁入りのために必要な道具などでは決してない。


 考えてほしい。眼鏡で炊き立てのごはんをかき混ぜられるだろうか。

 想像してほしい。眼鏡で床の埃を吸い取れるだろうか。

 察してほしい。眼鏡を洗濯機に入れて防菌防カビできるだろうか。


 答えはノーだ。


 眼鏡は眼鏡でしかないのだ。

 新婚生活に必須の、お便利アイテムなどでは、決してないのだ。


 しかし――。


「必要なんだ!! 結婚に!!」


「必要なんです!! 結婚に!!」


「店長ぉッ!! 若いカップルの将来がかかっています!! 早く来てください店長ォッ!! 私もう、砂糖を吐いて倒れそうです!! 店長ォッ!!」


 嫁入り道具ではないが、愛を確かめるのに眼鏡が必要なのだ。

 とにかく、今は、なんとしても、この眼鏡屋から――みゆきと結婚したくなる眼鏡を、俺は見つけ出さなくてはいけなかった。


 それが、俺の、幼馴染として果たさなければならない、使命であった。


「……えっと、取り乱しました、すみません」


「いいえ、大丈夫です」


「騒がしいのはなれてます!!」


「……ちなみに、お二人の視力について確認させていただいても問題ないですか? だいたい、裸眼でどれくらいになるんでしょう?」


 そんなことも聞かれるのか。

 俺とみゆきは、店員から浴びせられた言葉に少し面食らった。

 しかし――理想の眼鏡をみつけるためには、乗り越えねばならぬ試練。


 頷いて、俺とみゆきは店員さんにその曇りなき眼を向けた。


「……視力2.0!!」


「……同じく2.0!!」


「なんで眼鏡屋来た!! ほんと勘弁してバカップル!!」


「目が悪いと、みゆきのことを見守ってやることができないだろう――だから、な?」


「目が悪いと、タカちゃんのかっこいい所、見逃しちゃうから――ね?」


「店長ォッ!! ナチュラルにのろけてきます、この子たち!! 大人の汚れた恋愛事情とか、そういうの消し飛ばすピュアっぷりに、私のライフはもうゼロです!!」


「……みゆき!!」


「……タカちゃん!!」


「みゆき!!」


「タカちゃん!!」


 俺とみゆきは抱き合った。

 抱き合って目を閉じた。

 見えなくても、こんなにもお互いのことは分かる。


 だって俺たちは、心の通い合った――幼馴染なのだから。


「店長ォッ!! はやく助けてください店……オロロロロ!!」

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