6 逃げ場なし!

 結局けっきょく、ボクはお母さんの弁当を食べた。


 でも、タタリ王子がせっかく用意してくれた料理に少しも口をつけないのはさすがにかわいそうだと思い、色とりどりの野菜がおいしそうなサラダだけは食べてみた。サラダなら、「ウラメシヤ〇〇」みたいに不吉な名前の動物の肉が使われていないはずだと思ったからだ。サラダにはヨーグルトのドレッシングがたっぷりかけられていて、とてもおいしかった。


「このドレッシングは、ウラメシヤ王国の名物なんだ。ウラメシヤヨーグルトというヨーグルトを使っていて……」


「ぶーーーっ!」


「うわっ! き、急に吹き出してどうしたんだ⁉」


「よ、ヨーグルトにまでウラメシヤがつくの? ちょっとおかしくない?」


「ウラメシヤ王国で作られたヨーグルトなのだから、ウラメシヤヨーグルトという名前はふつうだろ。ブルガリアで作られているヨーグルトも、ブルガリアのヨーグルトと呼ぶじゃないか」


「た、たしかに、そうだけど……」


 う~……。タタリ王子には悪いけど、ウラメシヤ王国の言葉にはまだれないなぁ~。だって、日本人ならだれだって「うらめしや~」とのろわれているように聞こえちゃうじゃん。


「ぼ……わたし、ちょっとトイレに行ってくる」


「よし。オレも行こう」


 あのねぇ……。ふつう、女の子とつれションに行く? いや、本当は、ボクは男なんだけどさぁ……。


ずかしいから、ついてこないで」


 ボクはちょっと怒ったような表情をつくって、強めの口調くちょうでそう言った。


「む……。たしかに、そうだな。悪い」


 意外なことに、タタリ王子は素直すなおにあやまって引き下がった。

 どうやら、わがまま王子でも、自分が悪いと思ったらあやまれるらしい。ただ、どういう基準きじゅんで「自分が悪かった」と反省はんせいするのかは、さっぱりわからないけど。


「はぁ~。ほんの数分だけど、ようやくタタリ王子から解放かいほうされたよ。休み時間の間は、ずっとボクにつきまとってきたからなぁ。早く家に帰ってゆっくりしたい……」


 教室を出たボクは、そうブツブツつぶやきながら、廊下ろうかを歩く。すれちがう他のクラスの生徒たちが、


「あれ? あんな美少女、うちの学校にいたっけ?」


「しっ……! あの子は一年C組の宮妻みやづまくんよ。ほら、朝のホームルームで先生が言っていたじゃない。宮妻くんを女の子だとかんちがいしたウラメシヤ王国の王子様が学校に転校てんこうしてきちゃったって。大声で不用意ふよういなことを言ったら、王子様に聞かれちゃって、日本とウラメシヤ王国の外交問題になるわよ」


「あっ……。そ、そうだったな。先生も、宮妻のことは女の子としてあつかえ、彼が男だった過去かこはきれいさっぱり忘れろ、って言っていたもんな……」


 などとウワサしあう声が聞こえてきた。


 ……どうやら、ボクはこの学校……ううん、この国のトップシークレットになってしまったようだ。トップシークレットなのに学校のみんなは知っていて、タタリ王子だけが知らないというのがなんともバカバカしい。ああ……なんでこんなことに……。


 それにしても、「男だった過去は忘れろ」はちょっとひどすぎません?


「あっ、ノゾミちゃん。そっちは男子トイレだよ」


 ボクがトイレに入ろうとすると、ちょうど女子トイレから出てきたばかりの織目おりめさんがボクに声をかけてきた。


「うん、知っているよ。男のボクが男子トイレに入ったらダメなの?」


「……女子のかっこうでおしっこをしたら、他の男子たちがめちゃくちゃ困惑こんわくすると思うけど」


 織目さんが小声でボクに耳打ちする。


 そ……そうだった。ボクはいま女子の制服せいふくを着ている。しかも、すごくかわいい。どこからどう見ても絶世ぜっせいの美少女なのに、男子トイレで立ち小便しょうべんなんかしたら、かなりヤバイ光景こうけいじゃないか……!


 それに、万が一、タタリ王子に見られたら、大変なことになるだろう。


「い、いったい、どうしたら……」


「女子トイレで用を足せばいいじゃない」


「それはそれでマズイでしょ⁉ ボクが男だということはみんな知っているし、『男が女子トイレに入って来た!』っておおさわぎになるじゃん!」


「だいじょーぶ、だいじょーぶ。君は女装じょそうする前からあんまり男として見られていなかったから、ふつうに受け入れてもらえるって」


 それはそれで、ちょっとショックなんですが⁉


「で、でも、さすがに抵抗ていこうあるよ。つらいけど、家に帰るまでがまんしよう……」


 う、うう……。まさか女装にこんな落とし穴があっただなんて……。







 午後も、いろいろと散々さんざんだった。


 五限目の体育では、体操着たいそうぎに着がえたくても男子更衣室こういしつが使えない。かといって、姫路ひめじさんたちといっしょに女子更衣室に行くわけにもいかない。仕方しかたなく、ボクは保健の先生にお願いして、保健室で着がえた。


 体育はもちろん女子たちにまざってバレーボール。

 でも、ウィッグが取れると、一大事だ。同じ体育館内では男子たちがバスケをやっている。かつらがぬげた瞬間しゅんかんをタタリ王子に見られでもしたら、


「男だったのかよぉぉぉ! 日本人はウソつきだぁぁぁ!」


 と外交問題が発生してしまう。


 ウィッグのことが気になって満足にボールを追いかけることができないボクは、ヘマばかりして、同じチームの姫路さんや水野さんたちに迷惑めいわくをかけてしまった。


「く、くそぉ~。姫路さんにかっこ悪いところを見せちゃうし、トイレに行けなかったせいでおしっこがもれそうだし、最悪だよぉ~……」


「ノゾミちゃーん! ボール、そっちにいったよー!」


「え⁉ あ、あわわ! あわわわ!」


 水野さんに声をかけられたボクはあわあわ言いながら、内股うちまたのへっぴり腰でボールを待ちかまえようとした。ちょうど尿意にょういの激しい波が来ているところだったので、こんな情けないポーズになっていたのだ。


「おい、見ろよ。ノゾミちゃんがへっぴり腰でボールを打ち返そうとしているぞ!」


「あんな姿勢しせいじゃ、ぜんぜんダメだな。だが、そんなドジっ子なところがかわいい」


「フン。かわいいのは当たり前だ。オレの許嫁いいなずけなのだからな。ノゾミは鼻くそをほじくっていてもかわいいはずだ」


「がんばれ、ノゾミ! はなれていても、親友のオレが応援おうえんしているぞ! だが、鼻ほじりは鼻の中の皮膚ひふ血管けっかんきずつける危険性があるからやめたほうがいいとオレは思う!」


 バスケの試合をやっているはずの男子たちがボクを見てさわいでいるのが聞こえてくる。


 タタリ王子のアホ! ボクは鼻に指をつっこむなんてかわいくないことはしないよ!

 あと、俊介もタタリ王子の言うことを真に受けないでよ!


「ノゾミちゃん! ちゃんと前を見て、前を!」


「ほえ?」


 男子たちに気を取られ、うっかりよそ見をしてしまったボクが、水野さんに注意されて前を見ると――眼前がんぜんにバレーボールが……‼


「き……きゃぁ~!」


 顔にボールがぶつかる! と思ったボクは悲鳴ひめいをあげ、目をつぶった。女装をしているせいか自然と美少女っぽい悲鳴が出ちゃうボクってやっぱりかわいい。


「ノゾミちゃん! あぶなーい! ……うおりゃぁぁぁーーーっ‼」


 ボールが顔にぶつかる直前、近くにいた姫路さんがボクめがけてもうスピードでタックルをした。ボクは目をつぶっていたからわからなかったけど、あとで水野さんから聞いた話によると、姫路さんの残像ざんぞうが一瞬だけ見えたような気がしたほどの速さでボクに突っこんでいったらしい。


「げふぅぅぅーーーっ⁉」


 姫路さんのタックルをお腹にまともにくらったボクは、ボクの体を抱きしめている姫路さんといっしょに、男子たちがバスケをやっているコートまでぶっ飛んだ。

 さすがのボクも、こんな強烈きょうれつなダメージを受けたら、かわいい声なんて出せない。


「ふぅ~……。ノゾミちゃんのかわいい顔にボールが当たらなくてよかったぁ~……。ノゾミちゃん、だいじょうぶですか?」


「だ……だいじょうぶ……。な、なんとか奇跡的きせきてきにもらさずにすんだみたい……」


 お腹にあれだけの衝撃しょうげきを受けておしっこがもれなかったのは、本当に奇跡だよ……。


「もれる? なにをもらすんですか?」


 そうやって小首をかしげている姫路さんもかわいいなぁ~。あはは……。







「ぐっ……。お、おしっこがしたい……」


 六限目の国語の時間、ボクの尿意にょういはかなり深刻しんこくなものになっていた。姫路さんの強烈なタックルでお腹を刺激しげきされてしまったらしい。


 でも、授業中にみんなの前でおもらしするわけにはいかない。ボクは汗をだらだら流しながら、がんばってたえた。


「ノゾミちゃん、だいじょうぶ? どこか体調が悪いの?」


 ななめうしろの席の水野さんが、もじもじしているボクを心配して、小声で話しかけてきた。でも、ひたすらおしっこをがまんしているボクは返事をする余裕よゆうなんてない。


「ノゾミちゃん。ねえ、ノゾミちゃんてっば」


 水野さんがボクのわき腹のあたりに手をのばし、こきざみにボクの体をらしはじめた。


 えっ、ちょっと……。そんなことをしたら、もれ……!


「うっ……くっ! ふひょふへほろへれぷぅくふぅぅぅ……!」


 ボクは自分でもよくわからないなぞの声をもらし、ダムの決壊おもらしを必死にたえた。


 た、たえろ……! たえるんだジョー……!


 ボクがもらすまいとふんばっていると、まったく返事をしないボクのことを水野さんがさらに心配し、


「ノゾミちゃん、本当にだいじょうぶ? プルプルふるえているけど、気分が悪い? 保健室に行く? 返事ができないぐらいキツイの⁉」


 そう言いながら執拗しつようにボクのわき腹を揺さぶった。

「ボクは平気だから、体を揺らさないで!」と言いたいけど、はげしい尿意の波と戦っているボクはまともに声を出すことができない。


 ゆっさ! ゆっさ! ゆっさ! ゆっさ! ゆっさ!


 ゆ~さ~……ゆ~さ~……ゆ~さ~……ゆ~さ~……。


 ゆっさ! ゆっさ! ゆっさ! ゆっさ! ゆっさ!


 あああぁぁぁーーー‼ 緩急かんきゅうをつけて揺さぶってくるぅーーー‼


 さ、さすがは肩こりぎみのおばあちゃんを毎日マッサージしてあげている水野さんだ! なんというマッサージのテクニック!


 クラス委員長としてクラスの仲間を守らなきゃっていう水野さんの優しさはうれしいけど、もうやめてーーーっ‼


 もれる‼ 本当にもれるからぁーーーつ‼







 キーンコーン、カーンコーン♪ キーンコーン、カーンコーン♪


 ようやく授業が終わって放課後ほうかごになると、ボクは「はぁ……はぁ……」と息もたえだえによろめき立ち、家に帰ろうとした。


 いまだれかにお腹を押されたら、百パーセントもれる。全力で走って帰りたいけど、走ったら二百パーセントもれる。し、慎重しんちょうに、慎重に歩いて学校を出なければ……。


「くすん……くすん……。ノゾミちゃんがわたしをたよってくれない……。きっと、わたしがクラス委員長として頼りないからなんだわ……。くすん……くすん……」


 み、水野さんがボクのせいで落ちこんで泣いちゃってる!


 誤解ごかいをときたいけれど、女の子におしっこをがまんしていることを知られるのはすごく恥ずかしい。

 ごめんね、水野さん。君はとてもいいクラス委員長だよ。たまに空回からまわりしちゃうところがあるけれど……。


「ノゾミ。顔が真っ青だぞ。具合が悪いのか?」


 ボクの異変いへんに気づいた俊介しゅんすけが心配して声をかけてきた。すると、俊介のことを警戒けいかいしているタタリ王子まで、俊介をボクに近寄ちかよらせまいとして、かけよってきた。


「ノゾミ! 体調が悪いのなら、車で家まで送ってやろう。オレのボディーガードたちが、校門の前で車をとめて待っているはずだから」


「そ、それは……」


 本当なら遠慮えんりょしたいところだけど、車で送ってあげようという提案ていあんに、ボクは拒否きょひするだけの余裕よゆうを持っていなかった。


 運が悪いことに、帰り道にあるいくつかの小さな店には男女共用トイレがない。男子トイレにも女子トイレににも入れないボクは、家のトイレを使うしかないのである。


 そして、家まで歩いて帰る二十分の間、おしっこをがまんできる自信がボクにはなかったのだ。


「お言葉にあまえようかな……」


 こうなったら背に腹は代えられない。ボクは弱々しい声をなんとかしぼり出し、タタリ王子といっしょに教室を後にした。


「フフフ……。勝ったな」


 教室を出るさい、タタリ王子は俊介に勝ちほこった笑みを見せた。

 一方、俊介のほうはというと、ムッとした表情でタタリ王子をにらんでいた。


 一見すると、少女マンガの三角関係みたいだけど、取り合いになっているヒロインは男なんだよなぁ……。







 校門にとまっていた黒りの車は、外国の王族が所有しょゆうしているものにしては、案外あんがいふつうだった。


 いや、高級車こうきゅうしゃだということはひと目でわかるけど、非常識なことばかりのウラメシヤ王国のことだから、めちゃくちゃたてに長い、いかにもマンガの金持ちが乗っていそうな車なのではと想像していたから拍子ひょうしぬけしたのだ。


「……ふつうの車だね。あっ、もしかして、空が飛べたりとか、ミサイルを搭載とうさいしていたりする?」


 校舎こうしゃを出たあたりで尿意の波が一時的におさまりつつあったボクがかぼそい声でそう言うと、タタリ王子は「そんなわけあるか」と笑った。


防弾ぼうだんガラスがほどこされている以外いがいはふつうの車だ」


「そ、そうなんだ……」


「おまえ、オレの国のことを少しかんちがいしていないか? そんなマンガに出てくるような非常識な車を友好国の日本で乗りまわすわけがないだろう。おおさわぎになってしまうぞ」


「ごめん……」


「まあ、本国には機関銃きかんじゅうが搭載された車ならあるがな。ミサイルはさすがにない」


「あるんかいっ‼ ていうか、なんでそんな物騒ぶっそうなものをつんでるのさぁぁぁ‼」


 おっと、まずい。興奮こうふんしてさけんだら、また尿意の波が……。


「なんでって、王族の身を守るためには、それぐらいの装備そうびは車にも必要だろう? 日本は治安ちあんがいいから、必要ないが」


 げ、厳重げんじゅうすぎるよ、ウラメシヤ王国の警備体制けいびたいせい……。


 なにはともあれ、ボクはミサイルも機関銃も搭載されていない平和的な高級車に乗せてもらい、家まで送り届けてもらえた。


 それはよかったんだけど……。家に着いたボクは、とんでもない光景こうけいを目の当たりにしてしまい、


「ほ、ほげげげぇぇぇぇーーーっ⁉」


 と、頓狂とんきょうな声を上げてビックリしてしまったのである。


「い……家がない。いや、ボクの家はあるけれど、そのまわりの……ご近所さんの家がぜんぶなくなって、ボクの家をかこむように大豪邸だいごうていが建ってる……」


 ボクは、口をあんぐり開けてぼうぜんとした。


「ああ、明日まではかかると思っていたが、思ったよりも早く完成したみたいだな。これはわがウラメシヤ王家の別荘べっそうだ。おまえとできるだけいっしょにいたいから、おまえの家のすぐそばに建てたんだ」


今朝けさまではご近所さんたちの家があったのに⁉ ていうか、ここに住んでいた人たちはどこに行ったの⁉」


「ウラメシヤ王国の建築技術の高さは世界一だから、これぐらいは朝飯前あさめしまえだ。近所の住民たちには一生遊んで暮らせるだけの金をあたえて、引っ越してもらった」


「う、うそーん……。やっぱり、ウラメシヤ王国は非常識すぎる……」


 まさかボクの家の周辺しゅうへんの土地を買い取って別荘を作ってしまうとは考えてもいなかった。つまり、今日からボクの家のご近所さんは、ウラメシヤ王国の王様一家ということだ。近所づきあいにめちゃくちゃ気をつかうじゃないか……!


 いや、それよりももっと大変なのは、ボクはウラメシヤ王国に四六時中しろくじちゅう監視かんしされてしまう立場になったということだろう。この強引ごういんでわがままな王子なら、勝手にボクの家に上がりこんで、ボクのプライベートに土足どそくで入りこんでくるにちがいない。いっきに男だとばれてしまう危険度がはね上がってしまった。


 学校でつきまとわれるだけでも大変なのに、家にいても安心できないなんて……。


 に、逃げ場がないじゃないかぁ~!

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