4 温泉に浸かったら珈琲牛乳。
「…チェル、大丈夫?」
「うう……はい、なんとか……」
わたしは今、お姉さまに看病されています。一人旅ではありえなかったシチュエーションなので、ちょっと楽しいです。痛いですけど。
「看病も何も、膝枕だけどね。…高すぎない?」
「ちょうどいいですぅ……」
仰向けでは辛かったので、横向きならば、という注釈は付きますけれど丁度いい高さです。お姉さま、年齢は16だそうでして…勇者がなんと、あの見た目で二十歳超えているのだとか。そこから修行してものになるとか、在りえないと思うんですけどね。人間、成長のピークは16歳だそうですし。
あ、お姉さまがちょうどそのころですね。治癒士の能力もお持ちですし、ちょっと鍛えちゃいましょうか。
「いやなんかもう、十分鍛えられたっていうか…今日は流石に、宿で寝たい、かなぁ」
周囲を見回して、お姉さまが苦笑します。
そうですねぇ……術式から飛び出してみたら廃墟に出てしまって、そこが盗賊の根城になっていたとか、びっくりです。あまりにも定石すぎて。
そして更に驚いたことに、お姉さまの身のこなしがとても素敵でした。驚くより先に手すりを蹴り、桟を蹴り、壁を蹴ってあっさりと屋根の上まで出てしまったのですから。おかげであっさりと、盗賊を退治できてしまいましたし。うん、これはたぶん、賞金首ですね。このご時勢、まして旅の身ですから先立つものは必要です。きっちりとお役所に届けて、褒賞をいただきたいところですが。
「信じないと思うよー?」
「ですよねー」
無傷で逃げ出したならばまだしも、女二人…片方は幼女すれすれですからね。どうやって信じさせましょうって、実際にやって見せるしかないわけですが。
面倒ですが、馬に頑張ってもらって全員連行、ですね。
「でも、どうしてこんな廃墟に出ちゃったの?」
「あー、それはですねぇ」
単に、古い術式を使ってしまったせいでしょうね。興図という術式で、派生術やら術式やらが大量にあるのですが……どうも、基礎となったうちの古い術を使ってしまったようです。おそらく、移転先が固定されていたのでしょう。廃墟とは言え、屋敷自体は立派に存続していますし。たぶん、魔王様の別荘とか、そういう扱いだったのではないですかね?
「勿体無いなぁ」
「そうですねぇ。でも、盗賊が住処にするような場所ですから、住まうにはお勧めできないですよ?」
むー、とお姉さまが唸ります。かわいいです。
まあ実際、とんでもない山奥なんですよね、見た限りにおいても。道が整備された様子もありませんし、されていた気配もありません。つまりはそれだけの年月が経っているか、……もしかしたらホントに別荘で、興図を使って訪れることが前提にされていたか、ですね。周囲に畑もないようですし、人が住むような場所ではないでしょう。だから創ったのかもしれませんが。
え、それでどうしてわたしが寝ているか、ですか?
えー、その。魔素の使いすぎで倒れちゃったんです。
いえ、身体はいたって問題ございませんよ。ただ、ですねぇ。どうも一度に扱える魔素の量が変わってしまったみたいでして、今までと同じ感覚で使っていたら、いきなり倒れちゃいまして。
まあそのころにはほぼ片付いていましたので、問題ありませんでしたが…動けないので、こんな状態です。
時間が勿体無かったので、こんな状態ながら周囲は探っておきました。少なくとも人間はいませんから、一網打尽に出来たと思っていいでしょう、たぶん。
「お姉さま。馬は、乗れます?」
「馬? うん、乗れるよ?」
「わ、すごーい」
本心ですよ。女性の身で馬に乗れるって、珍しいですから。
「うちの島、みんな乗れたけど」
そうなんですか、なかなか勇ましいお国柄のようですね。でも、それならそれで、いい方法があります。
「馬を頂いて、峠を越えちゃいましょう」
「え、いいけど。置いてくの?」
「下っ端を一人、反対側の麓へ送ります。後は町の警備隊が来るでしょうから、任せちゃいましょう」
「…いいのかな?」
「拘束はしますが、手の届く範囲に食料は用意しますよ。まあ駄目でも、飢えて死ぬだけですし」
同情の余地もないので、問題ありません。ね?
そういうことで、復活したわたしはお姉さまといろいろ、準備に勤しみました。
最初は渋っていたお姉さまでしたが、奥のほうで見つけたよろしくないことをした跡を見て以後、据わった目でとても協力的になってくださいました。
ちなみにこの館、近くに<彷徨える泉>があるようです。
…さて、変質までにかかる時間はどれくらいでしたかね?
※ ※ ※
「かんぱーいっ」
「はい、かんぱいっ」
麓の町へ下りたわたしたちは、結局そのまま町を出ました。下手に長居すると噂になりますし、峠越えのために一泊するだけの町だそうで見るものもなく、次の町までさほど距離がないということもあって既に、二つ目の町です。
夕方、まだ早めではありましたが、昼を抜いてしまったお姉さまの要望でお食事です。
「驚きましたー、お姉さま本当の意味で馬に乗れたんですねぇ」
「うちの島でも、あそこまで乗る子はあんまりいないけどねー」
並足でぽくぽくと歩く、そのくらいだと思ったんですよね。ところがどっこい、
わたしですか? そのあたりは術で何とでもします。
仕方ないじゃないですか、サイズが縮んじゃったんですからっ!
そして辿りつきましたのがこの町で、海に程近い河口の町です。もう少し川沿いに下ると、遠浅の海岸に出るらしいですよ。
何が嬉しいかって、魚介類です。内陸で食べられるものが美味しくないわけではないんですが、海の料理には豪快なものがあるわけでして。
「お待たせしました、磯鍋でーす」
「はーいっ」
お姉さまが呆気に取られていますが、気にしませんったら気にしません。鍋物大好きなんですっ!
何せ、豪快です。
海水の鍋に名も知らぬ魚や野菜の具を入れて、そこへ焼いた石を放り込んで煮る! こんなの、王都や内陸では出来ませんよっ!
「はふはふはふーっ」
うまうまうま。ああ、素晴らしい。この町に長居して堪能しつくしたい味わい……!
「あ、はは…そう、なんだぁ」
お姉さまがちょっと引き気味です。気にしません、したら負けです。誰に?
「うちの島でも昔はやったなぁ」
「え、やったんですか?」
「うん、小さいころに浜辺でなんかやったと思う。いつの間にかやらなくなっちゃったけど」
ちょっと寂しそうなお姉さまを見ると、…やはり、長居はできませんね。勇者たちの動向を探りつつ、故郷へお連れしましょう。
で、も。
「はふふあふー…ん~っ」
「あははははは」
今は駄目です、この熱々鍋料理を堪能しきるまで、わたしは機能しません。ええ、しませんよっ。
「ふー……まさか、デザートもあるとは……」
「面白いね、これ。海草って煮詰めると、こんなのになるんだ」
寒天、というのだそうです。半透明ながら色とりどりの四角い塊、それを器に持って甘い蜜を掛けて水菓子を飾ったものが食後に用意されていました。締めにはリゾットと思っていたのですが、これも悪くないですね。
寒天の堅さはいろいろで、ごりんと砕けるようなものもあれば、ぷるるんと震えるようなものもあります。どちらも果汁が入っているらしくそれぞれ美味しいのですが、好みは分かれそうですね。ええ、わたしはこのぷるるんと震えるほうが好みです。
何が素敵かって、これ、持ち歩けるそうなんです。作り方もあるということでしたので、道中の楽しみにとつい、注文してしまいました。明日の朝には用意できるそうなので、出立には影響なさそうです。
「じゃあ、やっぱり明日には出る?」
「ええ、出ましょう。昼過ぎの馬車でも間に合うそうですから、着替えくらいは調達していきましょう」
もちろん、馬車は使いません。馬が二頭いますから、その方が早いですし。ああ、そういえば馬に乗れること、勇者ご一行はご存知ないらしいです。これもまたいいカモフラージュになりそうです。
「あと、この町温泉が出るそうですが」
「行く?」
あらあらお姉さま、とってもわくわくですね?
「もちろんです!」
温泉とお風呂だったら、当然、温泉ですよね?
というわけで温泉つきのお宿を選びました。宿選びはお姉さまにお任せです。何やらいろいろと吟味して、ちょっと宿併設の食堂なんかも覗いたりして、決まりました。
馬を預ける必要もあって、かなり豪華な宿ですが、温泉の雰囲気は落ち着いていて、悪くありません。いえ、これは失礼ですね、とてもいい感じです。
「そーだねー…ぷくぷくぷく」
「いいですねぇ…こぽぽぽぽぽ」
二人で入っているのは、壷湯というものだそうです。とても大きな壷で、膝を伸ばせるくらいのものに首まで浸かることが出来て、なかなか楽しいです。
贅沢にもお湯は掛け流しで常に満杯、入るときに溢れる湯が心地よいのと勿体無いのとで二人して汗汗してしまいました。あ、これは一人湯だそうでして、一緒には入っていませんよ。ついでにいうと、混浴のためか湯浴み着が用意されていました。ちょっとお姉さまの肢体が見られないのは残念でしたが、ぴったりと張り付いたそのお姿もなんとも言えず、悪くないなと思ったので無問題です。
わたしですか?
あの、12,3の子供に期待しないで下さいませね?
「へー…勇者さま…」
びく、と二人して固まります。今、非常に嫌な単語が聞こえましたよね?
「なんでまたこんなとこへ? 魔王さまと縁も何もないのにねぇ」
え、来るんですか?
「それにさぁ、今の魔王さまって、退治されるようなことしたのかねぇ?」
あー、それ。してませんよ。譲位直後でそれどころじゃないでしょうし。
「力がない今のうちにってことらしいよー?」
えー。力、ありますよ?
常時、魔王本人には力があるんですよ?
政治的な力はまた、別ですけれど。
「チェル…」
「あがりましょうか、とりあえず」
不安そうなお姉さまのためにも、あがるべきですね。流石にここで遭遇するとは思い難いですが、身動き取れませんしね?
手早く着替えまで済ませ、珈琲牛乳を二つ購入して、部屋へ戻ります。まあそこそこの高級宿ですし、偽名と言うか、本名ではありませんし、問い合わせがあっても拒否ってくれるでしょう。フロントに聞いた名前を告げたら、お姉さまが固まりました。
「まさか…、まじで、あの勇者候補生くんですか……?」
うんうんうんうんとものすごい勢いで首が縦に振られます。ちょっとー、どういうことですかそれーっ!?
だってあの町からどれだけ離れてると思います、直線距離にしたって徒歩で十日とか、そんな距離ですよ!?
あの興図だってわたしが妖魔だから起動できるようなもので、とてもじゃないですが賢者さま程度の魔力じゃ不可能です、ぜったい無理です!
「勇者、は…王族用の転移陣、使える……」
「まじですか。え、じゃあここまさか、王族も来るような保養地?」
「たぶん、そう。この宿、うちの島にもある……」
あらー……それはまた、また、またぁ…がく。
偶然此処に来たわけがないですよねぇ。ぜったいにお姉さまを確保するためですよねぇ……。
ていうかお姉さま、また固まってますね。折角ほぐれましたのに。
「それ、は…わかんない。たまに、こういうとこに泊まってたから」
「…はい?」
何でもあの勇者候補くん、特権をいいことにそこらじゅうの温泉とか観光地とか、泊まりまくってたそうです。だから今回もたまたまで、お姉さまの居場所がわかっていて、というのは考えにくいのだとか。
……あの、いいんですかそんなのが勇者で?
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