2 何やら若返ってしまいました

『ねぇ、お嬢さん。わたしと来ませんか?』

「!?」

 わたしはささやきます。声ではないので、意識を向けた相手にしか聞こえないのが楽でいいですね。ふふ、びっくりしたようなお嬢さんが可愛いです。そこでキョロキョロしないのは、…何か、予想していたということでしょうか?

 まあ、とりあえずは勧誘です。

 勇者にささやいたあれ、本心です。一人旅も楽しいんですが、やはり連れがいるとずいぶん違うと思うのですよ。だから、一人欲しかったんですよね。

 先ほど伺いました事情を鑑みたら、もうお嬢さんで決まりです。いえ、お爺様も悪くないと思いますけれど、そこはほら、やはり老いたりといえど異性ですから。

 …老いたりと言えど賢者さまなわけですから、もしかして気づいてたりするんでしょうか。身体は崩壊し、…人目には、消え去ったように見えるはずなのですが、何やら視線が。

 うーん?

 もしかして、魔素が見える方なのでしょうか。わたしたちのような妖魔であっても、見える目を持つ者は珍しいのですけれど。まあ、流石に<核>は見えないでしょうから、かまいません。ちなみにこの状態でもしっかりと意識はありますし、術も使えます。……暴走しやすいらしいですけどね、噂では。

 さて、<核>の周囲には、今まで纏っていた魔素が溢れています。いくらかは、お嬢さんの術に同調していますね。わたしを治療しようとしたからでしょうか。そのまま、差し上げてもいいのですが…ちょっと、そうもいかないですね。流石に<核>むき出しのままとは行きませんし、この密度で放置すると何か起きそうなので、始末しなければ。

 でもとりあえず勧誘が先です。


『確実に、勇者から貴女を守って差し上げます。永遠に付き合えなどとは申しませんし…ああ、貴女の故郷の様子を見に行くのはいかがです? 行く宛てなどない旅の身ですから、そういう目的もありですよ』

 正直なところを言えば、あまり有名な観光地などに長居は出来ないんですよ。何しろ、当代は暫定魔王ですから。きっちり引き継がせたのですけれどね?

 なので、出来れば田舎町へ逃げ込みたいわけです。

 え、その方が目立つ?

 だからこその旅の連れですよ。一応、今の姿も本来の姿とは違いますし。よいカモフラージュになると思うのです。ならなかったら? 別に、可愛い連れとの二人旅になるだけです。何の問題もありませんよ?


『お嫌でしたら無理にとは申しません。わたしはこのまま姿をくらますだけですのでご安心を。でも、もしもわたしと来てくださるなら』

 ああ、残念です。ぎゅーってして耳元でささやいたら…って、それではあの色ボケ勇者候補と同じでは在りませんか、駄目ですよそんなの。まったく、何を考えているんでしょう、わたしは。

 さあ、最初で最後の一押しです。


(術式発動――”魔鏡練成”)

 お嬢さんの耳元に揺れていた、花弁を幾重にも重ねたようなイヤリング。それを魔鏡に作り変える術式です。流石にそんなピンポイントな術式はないので、魔鏡の素地にそれを指定したのですが。

 術式にしたのは、当然暴走を防ぐためです。こんな状態で術を放ったら、暴走するに決まってます。


『今夜、お迎えに上がりますよ。鏡の前でお待ちくださいね』

 まあ別に、鏡の前でなくてもいいのですが…絵になりますから、ね。

 さあ、するべきことも言うべきこともなくなりました。後は――とりあえず、身体をつくりなおしましょうかね。


   ※ ※ ※


 そして、夜中です。

 …ああ、まったく。これは明確な誤算でした…まさか、身体の構築に夜中までかかるなんて。


「…いいですけど。可愛いですし。偽装になりますし」

 泉に映る己の姿に、無理矢理にそう、納得します。

 ここは、森の中です。勇者たちに出会ったあの町から、徒歩で半日くらいのところにある森です。その奥に、<彷徨える泉>と呼ばれる魔素溜まりがありまして、わたしは今、その中にいます。


 え、魔素溜まりが何か、ですか?

 読んで字のごとく、「魔素が溜まったもの」ですよ。その濃密さから泉のようにも見えるので、<彷徨える泉>とも呼ばれます。本来は目に見えない魔素がそこまで溜まるのは、けっこう珍しいです。あと、危険です。

 ええ、危険なんです。毒ではありませんが、魔素溜まりまで行くと色々なものが変質します。あまり、よろしくない方向に。ええ、主に魔物化するという方向ですね。扱いきれない魔力を暴走させるのと逆で、扱いきれない魔素に呑まれてしまうんですね。

 ああ、わたしですか。この程度、別に平気ですよ。元魔王ですから、扱える魔素の総量はけっこうなものですので。

 ちなみに泉に浸かっている理由ですが、身体構築です。これだけの魔素が溜まっていると、集める手間が省けてとても楽なんですよ。もちろん、あの後で探したわけではありません。最初から、この森に魔素溜まりがあることを知っていたので、あんな暴挙に出たんです。

 自分でも今にして思えば赤面ものです。ま、思いませんけど。

 ええ、ええ、この可愛い身体で顔を赤らめるとか、絶対に危ないことになりますから!


「12、3…といったところ、ですかね」

 傍から見ると、とても可愛い少女が泉の中でぽてっと座り込んでいるのでしょう。

 別に、失敗したわけじゃありません。魔素が足りなくなったわけでもありません。足りなくなったのは、先に申しました<時間>です。しかも、まだ時間がかかりそうだったので途中で放棄してしまいました。身体を作り直そうと思ったら、”身体崩壊”からですからね…冗談じゃないです、あんな術何度も使いたくありません。

 まったく…まさか再構成にこれほど時間がかかるとは思いませんでした。大きな誤算です。

 それに、この子供の身体…これ、どうしましょう。どうやって、旅を続けましょう?

 今までも妙齢の女性一人旅だったので、そこそこ危ない目に遭いかけました。これほどの見目麗しい子供となれば、その比ではないでしょう。一人で旅なんて出来ません。絶対にどこかで、かどわかされます。いえ、別に平気であしらうと思いますけれど、たぶん各町の親切な小母さま、小父さま方によって、保護されてしまうでしょう。

 ええ、もちろん逃げ出しますけれど。

 …そういえばわたしを追っているはずの追っ手たち、手を出してきませんでしたね。なんでですかね。もちろん、そこで絆されて戻ったりとかはしません。ええ、間違いなく。

 ああもうそうではなくて、これではあのお嬢さんのほうが年上に見えてしまうではないですか。困りました…あら?


「別に、困りませんね。お姉さまとお呼びすればいいのですし」

 ええ、そうしましょう。そうしましょうったらそうしましょう。姉妹二人での旅なら、多少は幼く見える妹がいても無理はありませんし。ええ、いいですね、それはとても素敵です。

 ええ、それで行きましょう!

 お嬢さん…お姉さまを迎えに参りましょう!

 お姉さまの行き先を辿るのは簡単です。魔鏡の術式は、そのためのものでもあるのですから。


「術式発動――”鏡の国へようこそ”」

 ……ふざけた名前ですが、術式の発動句です。かなり綿密に組まれた術式で、自分用に編纂することは出来ませんでした。ああ、言い忘れましたが、ことが可能です。本来なら自分で作り上げるのが術の楽しさなのですが、既にあるものを利用することも、時にはあります。

 で、この術式ですが。実は先ほどの”魔鏡練成”とセットで使います。魔鏡とは、本来であればを持った鏡、いわゆる、工芸品です。それを応用し、という術式です。まあ、反射するものは鏡に限っていますが、制限を取り払えばそこらの硝子ですとか、水鏡も含めることが出来ます。

 そしてこの魔鏡を呼び起こすのが、”鏡の国へようこそ”でして……魔鏡となった鏡を全て、<鏡の国>の入り口とします。もっとも、鏡の国なんてものは実在しませんので、要はへの入り口となるわけです。

 使い方次第では、けっこう極悪な術式なんですよね、これ。

 そして今回、場所としてはこの泉を指定してあります。わたしがけっこうな魔素を食い荒らしましたから、夜明けまでには消えるはずなので、こういう無茶をしてみました。普通は、閉じられた空間…ひらぺったく言えば、邪魔が入らないような部屋とか、そういうものを指定するんですけどね。

 さてお姉さま、どちらにいらっしゃるのかな?

 わたしの周囲を、無数の鏡が取り巻きました。たった今発動させた術によって、魔鏡に映し出されたものが全て、見えている状態です。それを一つずつ、潰していきます。さて、言ったとおりに鏡の前にいてくれるといいんですけど。何しろあのイヤリング、あくまで反射したものを魔鏡にするための道具なので、それ以上のことが出来ないんですよね。

 うわ、勇者が映ってますね!? 裸って、うわ、化粧ですか。え、さっきのあれで、化粧ですか!? 見たくありません、潰しましょう。

 ああ、こちらは…何かのお店ですね。試着用の鏡かも? でも人気はないのでこれも潰して。

 …ああもう、多すぎです。本当にもう、鏡だけに限定してあってもこれですか、泣きたいです。

 それからも確認しては潰し、潰し、潰し、潰し…どうにか、見つけ出したころには彷徨える泉が消えかけていました。まだ夜明けには遠いようですが、とっとと済ませたほうがよさそうですね。


「お姉さ…お嬢さん。お嬢さん、起きて下さいな」

 鏡を見ながら呼びかけます。イヤリングを通して直接聞こえているはずですが、流石に時間があれですし、簡単には起きないですかね?

 でもこの術式、召還型なのでこちらから出向くことは出来ないんですよ。いえ、出来ても流石に賢者のお爺様がいらっしゃいますし、やりませんよ。正直、この術式もばれてるでしょう。単に、妨害不能なレベルで組まれているので安心しているだけですし。

 なので、呼びかけるしかありません。


「お嬢さん。おじょーうさん。おぜうさ~んっ」

 ふぇ、と可愛い声が聞こえました。ああ、よかった。意外と早く起きてくれました。まだ寝ぼけているようですが…大丈夫かな?

 ちょっと強引ですけれど、やっちゃいましょう。


「さあ、どうぞお嬢さん。鏡のこちらへおいでなさいな」

 驚いたような顔でこちらを見るお嬢さんが可愛いです。まあ、そうですよね。鏡に映っているのはわたしですから、驚きますよね。しかも、子供になってますし。


「もう二度とそこへは戻りませんから、荷物も忘れないで下さいね?」

 ちょっと哀しそうな顔で、お嬢さんが立ち上がります。どうしてと問いかけるより先に、その姿はこちらへ来ていました。しっかりと抱きとめて、こちらへ引っ張ります。荷物なしで、よかったのでしょうか。まあ何かあるなら取りに向かうのは問題ありませんし、後から飛び込まれても困るので――何しろ、相互通行の術式ですから。どこへ出るかは、わからなかったりするんですよね――術式は解放しますが。

 さて、いろいろと説明とかお話とかしたいところ、ですが。


「眠そうですね?」

「…はい。すごく」

 そうですよね、真夜中ですし。あんなことがあったわけですし。とりあえずは、朝まで休みましょうか。


「あちらに小屋がありますから、少し頑張ってくださいな」

 たぶん、狩人さんの小屋だとは思いますが、もうずいぶんと使われていない感じでした。ちょっと掃除をするくらいはお手の物ですので、もう済ませてありますし。結界もしっかり張りますから、まああの賢者のお爺さまがいらっしゃっても何も出来ないでしょう。

 元とは言え、わたし、魔王ですからね。

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