第一章 その3
王都までは三日の道のりだった。最初こそ大人しく
そして三日後、早朝。瑞湖国の王都・
夜咲城……重武装中立国家・瑞の
「王のご
馬を降りるなり、飛翔が皮肉っぽく言う。
「裏口? これで?」
明遠が口をあんぐり開けるのも無理はない。
「確かに、
城外の民は知らない、ということは、城内の人はもう知っているということ? 明遠の心情を察したのか、燦逸は
「このようなことを申し上げるのは心苦しいですが……、
言いながら、燦逸は城門の中へと進んでいく。夜咲城は要塞と言われるだけあり、門と言ってもそこらの
「王宮には、明遠様を必ずしも
「たとえば?」
明遠が
「皇太后
「皇太后、っていうと」
「惻隠王の
義理の母? 明遠は一瞬混乱する。そうか、父は瑞の王。後宮にはたくさん妃がいたはずだ。皇太后はそのうちの一人……それも、正妃。つまり、一番身分の高い妃ということ。
「どうかくれぐれもご注意を」
「どういうこと?」
暗がりの中で、燦逸は苦い顔をした。
「惻隠王の妃たちのうちで、お
「はあ……?」
「分かってないな、遠」
飛翔の低い声が通路に
「惻隠王は確かにたくさん妃を囲っていたが、子を産んだのは正妃だけだ。自分の子のうちの誰かが王になるものと思っていたに違いない」
「ええ。
「ふうん」
明遠は考える。じゃあ、皇太后自身も、自分の
「……
明遠がおずおず問うたとき、一行はようやく東麗門の終わりに
「少なくとも、明遠様にご興味はおありのようですね」
「
光の中に一歩
「正妃……失礼、皇太后殿下の
燦逸が耳打ちした。
「行かなきゃ
「お気持ちは分かりますが」
燦逸は明遠に向き直り、宦官たちに聞かれないよう、小声で言った。
「ともかく余計なことは言わぬことです。
「ついて来てくれないの?」
「申し訳ありません。皇太后殿下はご自分の宮には直接の臣下しか入れようとしないのです。入り口まではご
「飛翔は?」
「俺は宦官じゃないからな。そもそも後宮に入れん」
「そんな」
明遠は
「あたし、王宮なんて入ったことないし、
「お気持ち、ご拝察いたします。どうかご辛抱を」
どうやら一人で行くより仕方ないようだ。明遠は嫌々ながら足を進める。すかさず、皇太后の宦官たちが明遠を取り囲んだ。ついて来いということらしい。
顔をこわばらせて後宮へと向かう明遠の後ろ姿を、飛翔と燦逸が見送る。
「早くも最初の試練、かな」
「お手並み拝見と参りましょう」
夜咲城は、南北に大きく二分されている。南に公務や各種
紅の宮。その名の通り
「ずいぶん
明遠が
彼女が皇太后・紅玉。燃えるような
明遠は
「えっと、あの、ご
丁重にご挨拶しろ、とは言われたが、そもそも明遠は高貴な人に対する挨拶の仕方を知らない。しかし幸か不幸か、皇太后は気が短いらしく、たどたどしい明遠の
「何をごにょごにょ言っている。
「母様、失礼だわ」
そのとき、
「明遠、王たる者、
明遠は訳も分からぬまま、素直に立ち上がる。背の高い女性だった。皇太后を『母様』と呼んでいたから、彼女はつまり……、
「公主様?」
「それはあなたもでしょう、明遠」
当たり前のように言う彼女。
「私は那珂。瑞の第一公主よ。よろしくね」
「那珂、様……」
彼女が、次の王だと思われていた、第一公主・那珂。明遠さえいなければ、玉座についていたかもしれない人。
「那珂様、だなんて。呼び捨てで構わないわよ。私たち、母は違えど、姉妹なのだから」
予想に反し、那珂は
「姉妹……」
重ねた手のひらは、温かかった。
「明遠、那珂、何をしている?
「貧相なこと。さぞひもじい思いをしてきたのであろ。
息を吐くように
「それに
皇太后は嫌味っぽく続けた。
「どんな服を着ていても美しいつもり? 未来の王はよほど自信がおありと見える」
「紅玉様こそ、四十前にしてはお
明遠はあっけらかんと言った。紅玉の顔が固まる。ぷっと、小さく聞こえたのは、隣で那珂が
「……さすがは
紅玉は顔を引きつらせながら無理やり笑った。
「妾はこんな
そしてこれ見よがしに、長椅子に身体をぐったりと投げ出す。
「これまで
自分を
「とはいえ、そなたもまた惻隠王の娘。ならば、妾はそなたの母、であろう?」
「妾に従っておいた方が得だぞ。助言役になってやろう」
明遠が何か答える前に、隣に立つ那珂が苦言を
「母様、王は天以外の誰にも従いません」
「お
しかし娘に言い負かされる皇太后ではない。声を
「
那珂はぐっと
「あの、ちょっといいですか」
明遠が小さく手を挙げた。皇太后は顎で
明遠は『余計なことは言わず、
「あいにくですけど、初めて会った赤の他人を母だとは思えないし、助言も必要ありません。あたし、王になる気なんてありませんから」
「なんだと……?」
「じゃ、失礼します」
明遠は燦逸の最後の助言だけは守った。つまり、あっけにとられる紅玉親子を前に、『可能な限り早急に辞去』したのである。
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