第一章 その3

王都までは三日の道のりだった。最初こそ大人しく輿こしに収まっていた明遠だったが、ちゆうからしんぼうならず、燦逸の部下たちに交じって馬に乗った。彼らのおどろく顔からするに、公主はつうこういうことはしないらしい。でも明遠には幸い乗馬の心得があるし、馬上の方がずいぶん気楽だった。だいたい、横たわる銀色のりゆうのような玉游山脈の絶景をしりに、あんなせまい輿の中に閉じこもっているなんて、ばちたりというものだ。

 そして三日後、早朝。瑞湖国の王都・すいめいのようないしだたみの道を抜け、一行はようやく、目的地であるしよう城に辿たどりついた。

 夜咲城……重武装中立国家・瑞のとりでであり、庶民は立ち入ることすら厳しく禁じられているという王城。長方形をした高いじようへきの中に、英瑞王の血を引く王族と臣下たちとが暮らす、市井しせいとはかくぜつされた鉄壁のようさいである。

「王のごかんが裏口からとは、立派なごあいさつだな」

 馬を降りるなり、飛翔が皮肉っぽく言う。

「裏口? これで?」

 明遠が口をあんぐり開けるのも無理はない。そうれいさいいろどられたきよだいな城門は二層のろうかくを構え、これだけでも城と呼べそうな大きさ。細かくそうしよくほどこされたがわらゆるやかに弓なりになって、天を支えるかのようだ。左右に延びる城壁には終わりが見えず、規則正しくかかげられたちようが冷たくれている。

「確かに、とうれい門は普通なら臣下しか使いません。だが今日のところはごようしやを。城外の民はまだ明遠様が王だとは知らないのです。混乱をけるためです」

 城外の民は知らない、ということは、城内の人はもう知っているということ? 明遠の心情を察したのか、燦逸はうなずく。

「このようなことを申し上げるのは心苦しいですが……、みなから温かくむかえられるとは思わぬよう」

 言いながら、燦逸は城門の中へと進んでいく。夜咲城は要塞と言われるだけあり、門と言ってもそこらのぱいぼうとはわけがちがって、分厚い城壁に穿うがたれたこうどうといった様相だ。暗い通路はいしきで、空気は冷え切り、遠くに小さく光が見えるだけ。いやが応でも心細くなる明遠に、燦逸は追い打ちでもかけるように、

「王宮には、明遠様を必ずしもかんげいせぬ方もいらっしゃいます」

「たとえば?」

 明遠がそつちよくに問うと、燦逸はいつしゆん言いよどんでから、小声で答えた。

「皇太后殿でんです」

「皇太后、っていうと」

「惻隠王のせいこうぎよく様です。貴方あなたにとっては義理の母上ということになりましょうか」

 義理の母? 明遠は一瞬混乱する。そうか、父は瑞の王。後宮にはたくさん妃がいたはずだ。皇太后はそのうちの一人……それも、正妃。つまり、一番身分の高い妃ということ。

「どうかくれぐれもご注意を」

「どういうこと?」

 暗がりの中で、燦逸は苦い顔をした。

「惻隠王の妃たちのうちで、おぎがあるのは正妃様だけですから……」

「はあ……?」

「分かってないな、遠」

 飛翔の低い声が通路にひびく。

「惻隠王は確かにたくさん妃を囲っていたが、子を産んだのは正妃だけだ。自分の子のうちの誰かが王になるものと思っていたに違いない」

「ええ。ねんれい的に考えて、ご長女……十九歳の様が次の王だと確実視されていました」

「ふうん」

 明遠は考える。じゃあ、皇太后自身も、自分のむすめが次の王になると確信していたのだろうか。そこへ来て、実の子たちはみな王の資格なし、今まで存在すら知らされていなかったしようふくの子が王になると知らされたら?

「……おこってるかな?」

 明遠がおずおず問うたとき、一行はようやく東麗門の終わりに辿たどりついた。

「少なくとも、明遠様にご興味はおありのようですね」

さつそく呼び出しか。がす気はないってことだな」

 光の中に一歩み出すと、待ち構えていたのは、黒い服を着た数人のかんだった。みな一様にきようしゆし、こうべを垂れているので、明遠はおののいてしまう。

「正妃……失礼、皇太后殿下のかんがんです。明遠様を殿下の元にお連れに来たのかと」

 燦逸が耳打ちした。くだんの皇太后がわざわざお出迎えというわけだ。

「行かなきゃ?」

「お気持ちは分かりますが」

 燦逸は明遠に向き直り、宦官たちに聞かれないよう、小声で言った。

「ともかく余計なことは言わぬことです。ていちようにご挨拶をし、可能な限り早急に辞去を」

 おんな物言いは、まるで明遠の不安をあおるようで。

「ついて来てくれないの?」

「申し訳ありません。皇太后殿下はご自分の宮には直接の臣下しか入れようとしないのです。入り口まではごいつしよしますので」

「飛翔は?」

「俺は宦官じゃないからな。そもそも後宮に入れん」

「そんな」

 明遠はたよりなく視線を右往左往させる。

「あたし、王宮なんて入ったことないし、れい作法とか色々……知らないし!」

「お気持ち、ご拝察いたします。どうかご辛抱を」

 どうやら一人で行くより仕方ないようだ。明遠は嫌々ながら足を進める。すかさず、皇太后の宦官たちが明遠を取り囲んだ。ついて来いということらしい。

 顔をこわばらせて後宮へと向かう明遠の後ろ姿を、飛翔と燦逸が見送る。

「早くも最初の試練、かな」

「お手並み拝見と参りましょう」


 夜咲城は、南北に大きく二分されている。南に公務や各種しきの行われる外朝、北には王族と妃たちの居住区であるないてい。そして内廷の最も奥まった場所に、高いこうしように取り囲まれた東西六つの宮──後宮があった。王の妃たちが暮らす、男性立ち入り禁止の世界。六つの宮には序列があり、現在最も上位なのは東の三宮の最北に位置する、紅の宮と言われていた。

 紅の宮。その名の通りあかい屋根、こちらをあつとうするようなのきしたの彩画。瑞では高価な硝子ガラスや金銀の装飾がぜいたくにあしらわれたこの宮のあるじこそ、き惻隠王の正妃・皇太后紅玉である。

「ずいぶんおそいごとうちやくだこと。よもや、わたしの宮をどおりするつもりだったわけじゃあるまいね?」

 明遠がぜん殿でんに入るなり、その人はとげのある言葉で迎えた。ほおを引きつらせ、へやの奥を見やれば、紅い布張りのながこしかけたみようれいの美女の姿があった。

 彼女が皇太后・紅玉。燃えるようなしんころもに、装飾品を山のように重ね、長い足をゆうに組んだ様は、まさしく支配者の風格。確かに美しいが、り上がった目はきつい印象をまぬかれないし、態度もおうへいだった。

 明遠はふるえる息をき出し、とりあえずひざを折った。

「えっと、あの、ごげんうるわしく……」

 丁重にご挨拶しろ、とは言われたが、そもそも明遠は高貴な人に対する挨拶の仕方を知らない。しかし幸か不幸か、皇太后は気が短いらしく、たどたどしい明遠の台詞せりふを最後まで聞こうとすらしなかった。

「何をごにょごにょ言っている。田舎いなかでは言葉も習わなかったのか?」

 けいの言葉を投げつけられ、明遠は身体からだしんが燃えるような気がした。

「母様、失礼だわ」

 そのとき、すずの鳴るような声が割って入った。顔を上げると、すぐとなりに、これまた紅い衣をまとった女性が立っていた。

「明遠、王たる者、だれにもはいしてはなりませんよ。ほら、立って」

 明遠は訳も分からぬまま、素直に立ち上がる。背の高い女性だった。皇太后を『母様』と呼んでいたから、彼女はつまり……、

「公主様?」

「それはあなたもでしょう、明遠」

 当たり前のように言う彼女。つややかなくろかみを複雑にい上げ、きらびやかな歩揺でかざっている。りんと伸びた背筋には気品がただよい、きりりとした目元はにおい立つばかりの美しさだ。

「私は那珂。瑞の第一公主よ。よろしくね」

「那珂、様……」

 彼女が、次の王だと思われていた、第一公主・那珂。明遠さえいなければ、玉座についていたかもしれない人。いやの一つでも寄こされるのだろうかと、明遠はひやひやするが、

「那珂様、だなんて。呼び捨てで構わないわよ。私たち、母は違えど、姉妹なのだから」

 予想に反し、那珂はやわらかながおで右手を差し出してくれた。

「姉妹……」

 重ねた手のひらは、温かかった。きんちようでがちがちに固まっていた背筋が、不思議と緩む。

「明遠、那珂、何をしている? ちこう」

 いらいらとした調子で呼ばれ、二人は室の奥に進んだ。皇太后は明遠をそばまで呼び寄せると、その場で回ってみせろと、おうぎで指図する。明遠がまどいながら従うと、

「貧相なこと。さぞひもじい思いをしてきたのであろ。わいそうに……」

 息を吐くようにれんびんの言葉をこぼす皇太后。確かに明遠は那珂に比べれば発育も悪いし、はだも日に焼け、がさついている。かみだってばしっぱなしで、適当にまとめただけ。でも、しよみんなんてみんなこんなものだ。紅玉や那珂の肌の白さ、髪の美しさの方が異常なのだ。

「それにまつな服。よくもまあ、こんなぼろ布を着て出歩けるものだ」

 皇太后は嫌味っぽく続けた。

「どんな服を着ていても美しいつもり? 未来の王はよほど自信がおありと見える」

「紅玉様こそ、四十前にしてはおれいですよ」

 明遠はあっけらかんと言った。紅玉の顔が固まる。ぷっと、小さく聞こえたのは、隣で那珂がき出す音だ。

「……さすがはいやしい育ち。母に似て礼儀を知らぬらしい」

 紅玉は顔を引きつらせながら無理やり笑った。

「妾はこんなむすめに追い出されるのか」

 そしてこれ見よがしに、長椅子に身体をぐったりと投げ出す。

「これまでけんしん的に惻隠王をお支えしてきたのに、あのお方ときたら、どこぞで庶民のめかけを作り、その子どもが王だなんて」

 自分をあわれむ皇太后。一挙一動がしばがかっていて、真意は別にあることが見え見えだ。

「とはいえ、そなたもまた惻隠王の娘。ならば、妾はそなたの母、であろう?」

 つぶすような声で言われ、明遠は表情をかたくした。

「妾に従っておいた方が得だぞ。助言役になってやろう」

 明遠が何か答える前に、隣に立つ那珂が苦言をていした。

「母様、王は天以外の誰にも従いません」

「おだまり、那珂」

 しかし娘に言い負かされる皇太后ではない。声をあららげ、

せんに選ばれなかったくせに、えらそうに」

 那珂はぐっとまってしまった。そう、この夜咲城に住まうどの王族も、新たな花仙に選ばれなかったのだ。それは第一公主・那珂も同じこと。

 おやげんが始まりそうな重いふんの中、

「あの、ちょっといいですか」

 明遠が小さく手を挙げた。皇太后は顎でと示す。

 明遠は『余計なことは言わず、ていちようにごあいさつを』という燦逸の忠告を完全に忘れていた。言いたいことをまんするのはがらではない。だから明遠は正直に、

「あいにくですけど、初めて会った赤の他人を母だとは思えないし、助言も必要ありません。あたし、王になる気なんてありませんから」

「なんだと……?」

「じゃ、失礼します」

 明遠は燦逸の最後の助言だけは守った。つまり、あっけにとられる紅玉親子を前に、『可能な限り早急に辞去』したのである。

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