第一章 その2

 その昔、天は地上に庭を造ろうと考え、花のせんにんたちを地上へと送った。

 花仙たちは自分の住まいを定めると、人間の中から代表としてそれぞれ一人の庭師を選び、自らの力を分け与え、おのおのだんを整え始めた。庭師が死ぬと花仙も死んだが、すぐに次の花仙が生まれてまた別の庭師を選び、彼らの花壇を拡大していった。これが国のおこりである。

「以降、花仙によって選ばれた王が各国を治めるようになり、ひやつりようらんの世となりました」

 そう説明するのは、黒いころもに身を包んだ男性。額に小さな石のかざりがついたひもを巻いている。はんさんいつと名乗った彼、歳は飛翔と同じくらいだろう。王都から明遠をむかえにやって来たかんがんだという。

 彼の引き連れてきた部下たちはみな一様にそろいの紐を額に巻いている。彼らは今は庵の周囲を見張っているが、村人すらここにはめったに近づかないというのに、いったい誰がめてくるというのか。鹿しかの大群とかか。

 燦逸は田舎いなかの村で手に入るうちでは最も上等な部類の茶と、茶請けのまで買ってきてくれた。客の方にもてなされるとはどういうわけか……。ただ、ついでだからと、湯をかす間にせまくりやそうまでし始めたところを見るに、彼は元来かなりの世話焼きのようだ。

「我が瑞湖国の建国は六代前、時の花仙に見いだされた英瑞王によってなされました。以来、一つの家がれることなく王を出し続けています」

 花仙……天につかわされたという仙人。人ならざる力を持ち、王だけに一生仕えるとか。

「あの、でも」

 明遠は指を胸の前でからめる。

「あたしは片田舎のしよみんの……ただの遠です。何かのちがいじゃ?」

「いいえ、貴方あなたは『ただの遠』などではありません。瑞湖国第二公主・明遠様」

 明遠様、なんて呼ばれて、当の明遠はめんらった。すがるように飛翔を見やると、

「遠、お前は惻隠王の血をいだ正当な公主だ」

 飛翔も今ばかりはな顔だ。いい加減、信じるほかないらしい。

「飛翔は知ってたの?」

「ああ」

 明遠はくちびるをぎゅっとんだ。なんだか裏切られたような気持ちだ。

「だって飛翔、あたしの父は死んだって」

「色々あって、今までかくしてたことはびる」

 飛翔は言い訳をしなかった。そういう人だ。

「お前の父は惻隠王だ。だが母はきさきになるには身分が低すぎた。それで、お前は庶民として育てられることになった」

 飛翔の灰色の眼はずっと遠くを見つめている。明遠はそんな話、初めて聞いた。

「王宮も、明遠様の存在はあくしていませんでした。まさかこのようなところにらくいんがあったなんて……」

 探し回ったのですよ、と、燦逸はうらみがましく言う。

「瑞の花仙は、建国以来ずっと、英瑞王の血を引く王家の人間をぎに選んできました。しかし、たび生まれた新しい花仙によれば、現在王宮に住まう王族の方々の中には、残念ながらがいとう者がいないとのこと」

「はあ……」

「彼は言うのです。もう一人いるはずだと。英瑞王の血を引く者が、もう一人」

 それが貴方だと、燦逸は無言のうちにうつたえた。

「ご母堂がどのような身分であれ、明遠様、貴方にも確かに、国父の血が流れている。そして次の花仙が明遠様を選んだ以上、惻隠王の次のは明遠様が治めねばならないのです」

「ちょっと待って」

 を言わせず丸め込まれそうになり、明遠は割って入った。

「父のことは本当だとしても……あたしが次の王なんて信じられるわけないでしょ。その、花仙とかいう……その人が選んだのは、本当にあたしなの?」

しようならあるぞ」

 こっちのあせりもよそに、飛翔は当然のように、明遠の左手を指さした。明遠は左手のこうあざを見やる。

「……これが何?」

「そりゃ花印だ、遠」

「カイン?」

「花仙のなえどこ……王たる者のあかしです。一生消えませんよ」

「は?」

 確かに、この痣が突然現れたのはちょうど惻隠王のほうぎよ……つまり新しい花仙の誕生と同時期だった。そのときからすでに、明遠は選ばれていたというのだろうか?

「花仙と正式にけいやくわせば、もっといろく美しいもんになります。しばらくごしんぼうを」

「冗談じゃないわよ! 消えてほしいんだってば!」

 明遠は左手の甲をごしごしこする。もちろん痣が消えることはなかった。

「何にせよ、明遠様には早急に王都にお出ましいただく必要がございます。このようなあばら家で、今までご苦労なさったことでしょう。王宮では何一つ不自由はさせませぬゆえ」

 あわれむような燦逸の言葉に、明遠はすっくと立ちあがった。

「おづかいありがとうございます。でもあたし、あばら家なりにここが気に入ってるの」

「と、申しますと」

 王の証? 王宮? そんなもの……ちっとも欲しくない。

「十五年間、自分のこと、ただの庶民だって信じて生きてきたのに、急に王になれなんて……あたしには無理です!」

 そうさけぶや、明遠は裸足はだしのままけ出した。しまった、と、飛翔が舌打ちする。

「こら、遠! げるな!」

「明遠様!」

 燦逸がすぐに指笛を吹き、庭を警備している部下に指示を出す。

「お止めしろ!」

 号令と共に、いつせいに明遠をつかまえにかかる部下たち。しかし、明遠は風にかれる花びらのようにばやく身をかわす。明遠のかげつかそこね、せんじんの男たちは勢い余ってもつれ合った。

「くそっ、すばしっこい!」

 明遠は動きを止めず、飛びかかる男たちのまたけ、足をかけ、なぎたおし、投げ飛ばし……、



「何なんだ、このお方は!」

 自分のむすめほどのねんれいの少女相手に力負けするとは思っていなかったのか、男たちは目をむいている。その間に、明遠は気づけばとうに、門の外へ飛び出ていた。

 飛翔は明遠の置いて行ったくつを拾い上げ、つかれた顔で燦逸に声をかけた。

「だから言ったろ、うちのさる輿こしなんて必要ないって」

「猿というよりゴリラでは?」

「お前、ちょいちょい失礼だよな」




 半刻後、阿備村を見下ろす高台に、明遠はいた。日はかしぎ、夕焼けが万年雪をいただいた山脈を赤く染め上げている。ここから遠く王都まで、東西に連なるこのぎよくゆう山脈が、瑞の北の国境。こうほうの間からは雪解け水が流れ出し、広大な高原に無数の小さな湖を作る。

 美しい光景だと、明遠は思う。けれど、どれだけ美しくとも、冬は雪におおわれ、夏も天候の変化が激しいこの高原では、安定した農業が難しい。ここ阿備村も、不顧峠へとつながる街路を除けば、あとはひたすら広がる雪原をただただ持て余していた。

 貧しい村だ。わずかならくのう家はあれ、宿場町の収入にたよっているのが現状。

 新王そくはまだなのか。村全体のれたふんを、明遠はここ数週間はだで感じていた。その新王がまさか、自分だなんて。

 ふるふると首をる。無理だ。絶対に。

 と、湿しめった地面をみしめる音がした。飛翔だろう。明遠は意地になって振り返らない。飛翔は平然と明遠のそばにやってきて、沓を投げる。明遠は氷のように冷え切った裸足をさすり、よごれた沓に収めた。

 飛翔はしばらくだまっていた。彼が退たいくつそうにつま先でこする足元、けかけた雪がどろと混じり合っている。このおかの土はこんなに黒かったろうか? すみのような色の土を一すくい拾い上げ、飛翔はこんな言葉でちんもくを破った。

「創建記第一巻、二章の二」

 明遠はうつむいた。小さなころから、り返し繰り返し、じゆもんのように唱えさせられた英瑞王語録。二章の二、天命のおきて

「英瑞王いわく、王は天の庭師なり。天命をもて、国土を耕し、たみかせ、国を大安せしめるべし」

 明遠はすらすらとそらんじて、そして、やっぱり首を振った。

「あたしには無理。庭の花だってまともに育てられたことないのに」

 国土を耕し、民を咲かせるなんて。

 飛翔は黒い土を手のひらからこぼした。その顔を振りあおげば、夕日に照らされ、いつになくしんけんな表情。

「遠、いくら母親の知り合いだからって、俺がすいきようでお前を預かって、十五まで育ててやると思うか? 田舎いなかむすめ相手に、およそ役に立つとも思えない歴史や兵法や武道を教え込んだのは、何のためだと思う」

「……」

「お前がいつか王宮に帰るべき人間だからだ。瑞湖王になる可能性のある人間だからだ」

 そう言う飛翔は、まるでだれか知らない人みたいだった。確かに飛翔は、小さな村のやぶしやにしては、ものを知りすぎていた。いおりにある書だって、ただのしよみんが手にできるとは思えない専門書がたくさん交じっていた。気づくべきだったのだ、明遠は。とっくの昔に。

「お前を預かった日から、俺はお前を家族として守ると決めた。何もかもこの日のためだ」

「家族? 残念だけど、あたしの定義では、こんな大事なこと今日までずっと黙ってた人のこと、家族とは言わないわ」

「俺の定義でも、これまでの恩も忘れて生意気な口きくやつのこと、家族とは言わんな」

 明遠は俯き、額に零れるまえがみの毛先にれた。

「あたしは、今の暮らしで十分なのに……」

 これ以上を望みはしないのに。王宮に帰りたいなんて思わないのに。どうしてこのままでいられないのだろう。

「遠」

 飛翔はうでを組む。不顧峠の方をながめながら、

「ここで待ってても、げつはもう帰って来ない」

「……」

 長い長い沈黙。太陽は最後にぎらりと強い光線を放ち、玉游山脈の向こうにしずんでいった。空気がぐっと冷え込んで、風が吹くたび、飛翔のころもがばたばた音を立てる。明遠は飛翔にそっと寄りかかった。

「……飛翔もついて来てくれる?」

「そうなるだろうな。俺も元々は王宮にいた人間だから」

「そうだったの」

 知らなかったと思うたび、傷が増えて行く。明遠はしかし、いつまでもうじうじくさっているようなしようぶんではなかったから、無理やりにでも深呼吸して、ぐっと踏ん張った。

「分かった。王宮に行く」

「いい子だ」

 飛翔は大きな手で明遠の頭をでる。明遠は空元気でうおお、と叫んだ。こぶしにぎりしめ、

「どこの誰だか知らないけど、そのせんって奴、全力でなぐって帰ってくるわ」

「帰ってくるつもりなのか、お前は」

 飛翔はため息交じりに言うけれど、だって明遠はまだこのとき知らなかったのだ。天命の重さも、この国の病も。彼に出会うまでは。

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