九幕:落涙_grieving_tears

「残り一分か二分ってところかな?」

 漆黒の扉の前に立ったときから、ここが最奥部だと感じていた。扉を押して開く。ぼくはその部屋に足を踏み入れる。


 壁も床も天井も黒曜石でできているかのように艶めく漆黒の部屋だ。


 赤、青、黄、緑と、さまざまな色の淡い光が、ふわふわとただよっている。光が偶然、重なり合えば、そのときだけ少し強い輝きが現れる。


 淡くない、ぎらついた光がある。けばけばしい黄金色が、部屋の中央で異質な存在感を主張していた。


「遅かったな、阿里海牙。しかも、おまえひとりか?」


 祥之助は、浮遊する黄帝珠の破片を王冠のように頭の周囲にまとって、仰々しく巨大な椅子の上で脚を組み直した。椅子のデザインに見覚えがある。懐中時計と同じゴールドで、バラと宝石がしつこい。


 ぼくは声を張り上げた。


「核への到達は全員でなければならない、との条件はなかったしょう? 制限時間内に、ぼくはここに至りました。このゲーム、ぼくたちの勝ちです」


 ポケットから取り出した懐中時計の文字盤は、三百五十度以上が暗転している。ぼくはそれを祥之助のほうへ放った。無駄のない放物線を描いて、懐中時計は祥之助の手に収まる。


 祥之助が鼻で笑った。


「気の早いやつだ。この部屋は確かにココロの最奥部だが、ここ全体が核というわけじゃない。核は、これだ」


 これ、と示されたのは黒い直方体だ。長辺1,800mm×短辺550mm×高さ1,200mmと、おおよその寸法を目測する。


 祥之助のそばにその直方体があることには、最初から気付いていた。その正体が何なのか、近付いてみて初めてわかった。

 まるでひつぎだった。


「リアさん……」


 直方体の中で、黒衣のリアさんが仰向けに横たわって目を閉じている。胸の上で両手の指が組み合わされた姿勢だ。じっと見つめる。呼吸をしている様子がうかがえない。


 ぼくはとっさに、リアさんに触れようとした。無駄だった。透明度のきわめて高い素材から成る蓋が、直方体にぴったりとかぶせられている。


 ざらざらと不快な声が哄笑した。


【ココロの核は、おおむね堅く閉ざされておる。このココロの主はことに守りが堅い。おぬしらを最奥部へ近付けぬ迷宮も、ひどく入り組んでおったのう。しかも、侵入者を惑わす仕掛けだらけだった】


 高みの見物をされていた、というわけか。


「最低な趣味ですね」

【ほざけ、駄犬が】

「石ころのたわごとに付き合う暇はない。要するに、核に到達するための条件は、この蓋をどけることと解釈していいんですね?」


 蓋と呼んでみたけれど、密閉されている。二種類の無機物で継ぎ目のない箱を構造させるなんて、どんな組成になっているんだか。


 不意に、皮肉な気分が胸に差して笑いたくなった。力学フィジックスの目を保ったままなら、ぼくがここまで来るのは無理だったに違いない。ココロの矛盾にばかり意識が行って、大事なものを見なかっただろう。


 祥之助が椅子に掛けたまま、伸ばした脚のつま先で、黒い直方体をつついた。


「やってみなよ。メルヘンのワンシーンを演じてみるがいい。王子が、眠れる姫君を目覚めさせるシーンだ」


 祥之助の足を、ぼくは踏み付けた。涼しい笑顔で告げる。


「きみはメルヘンの再現を演じたことがあるようですが、本末転倒を自覚していますか?」

「痛い痛い痛いっ!」

「姫君に呪いを掛けた魔法使いと、眠りの呪いを解く王子の、一人二役。たいした道化ですね」


 悲鳴がうるさいから、ぼくは祥之助の足を解放した。祥之助が涙目でぼくを見上げる。


「おまえ、ボクに暴力を……!」

「振るいましたが、それが何か?」

「野蛮人!」

「テストの点数で競ってもかまいませんよ?」

「が、学年が違うじゃないか!」

「ぼくの一昨年の成績を、きみは去年、超えられなかった。そういう話なんですが」


 祥之助の涙目に黄金色が宿っている。うらみの感情は、淀んだ黄色。この色が、まさしくそれなのか。


「ボクは、負けてはならなかったんだ。それなのに、おまえがいた。おまえさえいなければ……!」

「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。ぼくもね、きみのわがままに振り回されるばかりじゃいられないんです」


 言いながら、ぼくはすでに祥之助を見ていない。眠るリアさんを、透明な蓋越しに見つめている。

 イヌワシが蓋の隅に降り立った。生意気な目を閉じて、じっと動かなくなる。


 直方体のあちこちに手のひらで触れてみた。冷たい。軽く叩いてみる。結晶の集合密度が高いようで、音が響かない。びくともしない。


 祥之助が鼻を鳴らした。


「無駄だと思うね。こんなに堅固な棺は初めて見た」

「棺?」


 ハッキリとそれを声に出されると、カッと頭に来た。誰のせいでリアさんが眠らされたと思っているんだ?

 ぼくはリアさんの眠る箱を揺さぶってみた。いや、揺さぶろうとしたけれど、無理だ。


「だから、言ってるじゃないか。その程度で開くわけがない。ボクが黄帝珠のチカラで以てさんざん叩いても、壊れなかったんだ」


 ザワリと、髪が逆立つように感じた。瞬間的に感情が沸騰した。

 ぼくは正面から祥之助をにらんだ。


「彼女に触れようとしたんですか。その小汚い手で」

「おまえはこの女の恋人でも何でもないだろう? 単なる片想い。おまえはこの女に、ボクより先に触れたいと望んでいる。ただそれだけだ」


 ぼくは、暴れたくて震えるこぶしを固く握りしめた。


「ゲスな勘繰りをしたければ、勝手にどうぞ。これ以上、きみにかまってやるつもりもない。あの時計が示すのは、この迷宮の存続時間か、ぼくたちの滞在可能時間なのか。いずれにせよ、もう時間があまりないはずだ」


 黄帝珠が応えた。


【異物の滞在可能時間、および、宿主のココロの安定時間。それを過ぎれば、両者ともに、精神崩壊へと向かう】


「そう、あと少しでタイムリミットだったね。どうするつもりなのかな、阿里海牙センパイ? 愛の言葉でも掛けてみるか? 理系では成績トップでも、ロマンスを語るための文才がどの程度なのか、見ものだな」


 なるほど、文天堂祥之助は天才だ。ぼくの感情をこれほど見事に逆撫でしてくれるとは、何たる才能の持ち主なんだろう。


「繰り返しますが、きみにかまうつもりも時間もないんですよ」

「この迷宮を現出させたチカラの持ち主たるボクらとの会話の中に、ゲームクリアのヒントがあるかもしれないぞ。ないかもしれないが」


「……ロマンスを語る文才は持ち合わせていませんね。大げさな表現もクサい比喩も嫌いです。言葉は、正確さを期することだけ心掛けています」


 だから今も、正確な言葉を選んで使うことにしようか。

 ぼくは息を深く吸って、言葉とともに吐き出した。


「【黙ってろ、ゲス野郎! その汚い口、しばらく閉ざしてろ!】」


 祥之助が目を剥いた。口は動かない。頬の筋肉がひくつく。

 号令コマンドだ。チカラの込め方がわかった。


【離れろ】


 祥之助が、見えない腕に引きずられるように、一歩二歩と後ずさる。

 息を止めろとでも命じたら、どうなるんだろう? チラリとそう思った瞬間、祥之助の頭上の黄帝珠が声を轟かせた。


【こざかしい! この程度のチカラで、我らを制御したつもりかッ!】


 その声は、衝撃波だった。

 黄帝珠を中心として噴き出した圧力に、ぼくはよろける。ビリビリと部屋全体が揺れた。ただよう淡い光が、いくつか割れて砕けた。


「宝珠が、単独でチカラを使った?」

【驚いておるのか、玄武よ。無理もない。おぬしの玄獣珠は無能に沈黙しておるからな。しかし、我、黄帝珠は違う。物理的な制約を受けぬココロの世界では、思うままにチカラを使えるのだ】


 哄笑が再び衝撃波を生んだ。

 ピシッと、ひびの入る音がした。天井だ。


 祥之助が懐中時計を掲げた。黄金色の両眼が爛々らんらんと光っている。ニタリと笑う口が開いた。声が回復している。


「体感時間にして、残り一分か二分ってところかな? この女、リミットまでの時間は長かったよ。もっとさっさと壊れ始める人間のほうが多い。さて、時間が来たら、ボクらは外に出る。ほら、無駄話をしているうちに、もうすぐその時間だよ、阿里海牙センパイ?」


 近寄ってきた祥之助がぼくに懐中時計を突き付ける。暗転した文字盤に、ごく細い一条の黄金色。


 ぼくは懐中時計を受け取らず、祥之助の胸倉をつかんで持ち上げた。怒鳴り付けたいのを押し殺して、低く尋ねる。


「文字盤をもとに戻す方法は?」

「は、離せ、無礼なっ」

「ぼくの質問に答えろ。文字盤をもとに戻す方法はあるのか、ないのか?」


 祥之助の瞳孔が、黄金色の異様な光の奥で、広がったり縮んだりした。


「あるわけがないだろう! ココロの滞在可能時間は、宿主次第だ。ボクにどうこうできるわけが……うぎゃあ」


 胸倉をつかむ手を、軽く押し出しながら離した。直感で計測した力点は正確で、効率よく力が作用して、祥之助が吹っ飛ぶ。

 投げ飛ばした拍子に、懐中時計が床に落ちていた。絶望の瞬間が目の前にある。


【少しだけ……もう少しだけ時間をください、リアさん】


 黄帝珠が、ざらざらと不快な声を轟かせた。


【絶望するか、玄武? 出会ってわずか数日の他人のココロの中で、むなしく滅ぶことを。それとも、歓喜するか? 美女のために死するは、男の愚かなる本望であろう。いや、怨みに溺れるか? 玄獣珠のチカラを以て怨みながら死ぬとは、これは芳しい】


 さびたノコギリの刃を皮膚に押し当てられているかのように、黄帝珠の声が触れる耳や頬はピシピシと痛む。

 また、部屋のどこかで、ひびが走る音がした。


【のう、玄武よ、おぬしは……】

「【黙れ、くたばりぞこない! もっと粉々に砕かれないと、反省の『は』の字も学習できないのか!】」


 口から飛び出した怒声は、半分はぼく自身のものだ。もう半分は、玄獣珠の意志と記憶だった。


 できるんだと思う。玄獣珠も、本当は、みずからチカラを振るえる。それをしないのは、禁忌だと固く理解しているからだ。因果の天秤の均衡を守れと、四獣珠の本能には刻み込まれているから。


「世の中のエネルギーはすべて均衡の下に成立している。ところが、禁忌を守れず、均衡を崩す愚かな宝珠がここにある。運命の一枝も、揺さぶりを受けるわけですね」

【こしゃくな口を利くでない、玄武!】


「あいにくと、ぼくは絶望していないし、死に歓喜を覚えることもない。ましてや、何かを怨むつもりもありません。怨むなんて面倒なことをするより、腹が立ったその瞬間に正面から叩きつぶします」

【生意気な愚か者が! あくまで我が意に染まぬと申すか! ならば、今すぐ滅べ!】


 衝撃波が襲ってくる。

 ぼくはいい。耐えてみせる。

 でも。


【リアさんを傷付けるな!】


 叫んだ瞬間、ぼくの目の前に巨大な影が立ちふさがった。影は黒い翼を広げて、ぼくとともに、リアさんの核をかばう。


「イヌワシ!」


 ぼくよりも大きな、写実的な姿をしたイヌワシが目の前にいた。蓋の上にいたはずのぬいぐるみのイヌワシは姿を消している。

 つまり、あれが、これか。


 一瞬、めまいがした。物理法則に反しすぎている。ココロの中なんだから、何でもありかもしれないけれど。


 いや、今はどうでもいい。問題は祥之助と黄帝珠だ。

 祥之助は頭上の黄帝珠に触れた。


「もういいよ、黄帝珠。こいつらはどうせ死ぬんだ。放っておいて、早くボクらは脱出しよう」

【時間か。仕方あるまい】


 ふわりと、祥之助の体が宙に浮き上がった。ぎらぎらする黄帝珠が、凄まじいチカラを放出している。祥之助がぼくを見下ろしながら、天井を指差した。


「ボクたちは外に出るよ。まあ、一応、しばらくは待っていてやる。少々時間をオーバーしても、まともでいられるココロもあるしね。せいぜい頑張ってくれ」


【待て!】

「無駄無駄。黄帝珠が本気でチカラを使ってるんだよ。おまえの不完全な声が効くと思ってるのか?」


 仰々しい装飾の椅子が浮き上がって、そのまま天井に吸い込まれた。ここが魂珠の中心で、最下層だ。外へと脱出するには、上向きに外壁を抜けていくイメージが必要なのだろうか。


 祥之助と黄帝珠が、まもなく漆黒の天井に達する。

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