五幕:招聘_an_invitation
「チカラが強すぎて困っている」
ノッカーを叩く音がした。礼儀正しい余白の後、静かにドアが開く。
「失礼いたします。そろそろお食事をお持ちしようと思いますが」
総統の執事の
「ああ、よろしく」
総統にそう告げられた天沢さんは、ワゴンを押して部屋に入ってくる。
天沢さんは、洗練された動作でテーブルをセッティングした。箸や布ナプキンを一人ずつの前に置いていく。
「ありがとうございます」
礼儀正しく笑顔をつくった鈴蘭さんが次の瞬間、「えっ」と息を呑んだ。
さよ子さんが、さも当然そうに鈴蘭さんに笑った。
「天沢さんの背中の翼、かわいいでしょ! あったかくて、羽根はつやつやすべすべなの。羽毛はふかふかだし。それに、一応、飛べるんだよ」
天沢さんは生まれつき、背中に羽毛があったらしい。思春期、体の成長とともに翼も伸びて、隠せなくなった。平井家が彼を見出さなかったら、生きる道がなかったという。
天沢さんは穏やかな微笑で、さよ子さんの言葉を訂正した。
「一応ではありません。私はきちんと飛べます」
「引退したのかと思ってた。だって、最近、抱えて飛んでくれないんだもん」
「お嬢さまがお年頃になられたからです」
みんな唖然としている。ぼくはさすがに慣れた。これが平井家の日常だ。
「この屋敷はどうなってるんだ? あんたは能力者を集めてるのか? それに、あんた自身、能力者だよな?」
総統が両肘をテーブルの上に突いて、両手の指を組み合わせた。軽く身を乗り出すと、組んだ両手の上にあごを載せる。
【ここはちょっとしたお化け屋敷、かもしれないね。私は、能力者そのものを集めているわけではない。私の特殊な体質のために必要なものを集めている】
笑顔の総統の口元は動いていない。声は、音を伴わないそれだ。
「特殊な体質って、何だ?」
【チカラが強すぎて困っている】
「あんたのチカラ、テレパシーだけじゃないのか?」
唐突に、煥くんが立ち上がった。違う。浮き上がった。
「なっ……お、おい、何だこれはっ!」
煥くんは不可視の十字架に張り付けられた体勢で、天井まで吊り上げられている。両手のこぶしの形が硬い。歯を食いしばる表情。力を込めて抵抗している。
【なかなか力が強いね。高校生の男の子は体力があってうらやましい】
「ふざけんな! 離せよ、おい! くそ、
【このとおり、私は割と何でもできるのだよ。肉体そのものは、普通の人間だがね】
さよ子さんが割り込んだ。
「普通の中年オヤジよりは、体、シュッとしてるよ! パパ、鍛えてるもん」
意味が若干ズレている。
「すっげー失礼なこと言いまくるんだけど、平井のおっちゃんも海ちゃんも大目に見てね。視界、めっちゃ気持ち悪い。おっちゃんがチカラ使ってるとき、情報量が意味わかんねえ。この数字でも文字でも記号でもないコレ、うじゃうじゃ動き回ってて、気持ち悪すぎ」
ぼくの
理仁くんはギュッと目を閉じた。それがいいと思う。
「
「めまいってか、鳥肌。背筋がぞわぞわする」
「虫が苦手なタイプですか? 脚の多い虫とか、集団になってる虫とか」
「そう、それ。めっちゃ苦手。あのぞわぞわ感と一緒だゎ」
理仁くんはまぶたを閉じた上に、右手で目元をすっかり覆っている。額にうっすらと汗が見えた。
さよ子さんがまた、すっとぼけたことを言い出した。
「理仁先輩の手、指が長くてキレイですね! 目元覆ってるポーズ、すっごいセクシーというか!」
さよ子さんには黙っていてほしい。まじめな話が引っ掻き回される。
「海牙さん、今、余計なこと考えたでしょ!」
「え? 声、洩れてました?」
「顔に出てました!」
「……別に何も考えてませんが」
「わたしは決して天然じゃないです!」
【天然なんてかわいい表現、使ってない】
「ほら今! また余計なこと考えた!」
「……総統、話、続けません?」
「海牙さんが逃げた!」
総統はぼくを見てうなずいて、口を閉ざしたまま、話題の軌道を修正した。
【宝珠は、その等級如何で、預かり手の能力の強さを決定する。四獣珠は比較的、等級が高い。陰陽を司る二極珠には劣るが、第三位と言っていいだろう。第一位が何か、誰か想像がつくかね?】
誰か、と問いを投げ掛けられたのは、理仁くんと煥くんと鈴蘭さんだ。それ以外のぼくたちは、総統が預かる宝珠の正体を知っている。
ヴォーカリストのしなやかな声が降ってきた。
「この地球上でいちばんデカい球体ってわけだろ? そんなの、決まってる。地球そのものじゃねぇか」
【よくわかったね、煥くん。いつも、なかなか気付いてもらえないのだよ】
ぼくも瑠偉も、正解に至るまでに時間がかかった。だって、ぼくたちの宝珠は直径20-23mm程度だ。その先入観があるから、まさか平均直径約12,730kmの地球が宝珠の一つだとは思わない。
【
「運命かよ? あんたは神さまなのか?」
【神ではない。私は人間として生まれ、人間の肉体を持っている。天地創造をしたわけでもないし、不老不死でもない。最近は花粉症が気になったりする、普通の人間だ】
「でも、化け物級のチカラがあるじゃねぇか。何でも知ってやがる。運命を預かるなんて、普通の人間の仕業じゃねぇよ」
【運命の一枝、だ。運命は、多数の可能性の枝を持つ大樹の姿をしている。私は運命の大樹そのものではなく、一枝のみを
鈴蘭さんが、そろりと手を挙げた。
「あの、平井さん、お願いがあるんですけど」
【何かな?】
「煥先輩を下ろしてあげていただけませんか? けっこう、つらそうです」
鈴蘭さんの指摘で、みんな煥くんを見上げた。煥くんの端正な顔に汗が伝っている。ひそかに暴れ続けていたらしい。総統の拘束は筋力でどうにかなるものじゃないのに。
【じゃあ、放そうか】
天井の高さにある煥くんの体が、ふっと支えを失う。息を呑む気配と短い悲鳴。けれど、当の煥くんは身軽に宙返りして、床に降り立った。
「危ねぇな。普通ならケガしてるぞ」
普通じゃない身体能力の煥くんが、平然と言い放つ。天沢さんもまた平然として、総統のそばに立った。
「失礼いたします、総統。テーブルのセッティングをいたしますので、肘をどけていただけますか?」
「ああ、これはすまない」
煥くんが自分の席に戻って、両肩を軽く回した。
「そんだけチカラが強いくせに、妙に平等なんだな。偉ぶったやつなら、こんな丸いテーブルは使わねえ。給仕の順番も、自分を最初にしたがる」
煥くんの口調に愛想がないのは、これが彼のスタンダードなんだろう。総統に敵意をいだいているからじゃない。
「私は決して偉くないからね。ただ単に、巨大な宝珠を預かっているだけだ。チカラが強いぶん、禁忌も大きい」
「禁忌?」
「きみたちにはろくな情報提供ができない。協力もできない。私が不言不動でなくては、因果の天秤が均衡しない」
理仁くんがようやく、手を下ろして目を開けた。
「あーもう、さっきはビビった~。で、やっとわかりましたよ。平井のおっちゃんが、全身にじゃらじゃら宝珠をくっつけてる理由」
「じゃらじゃら宝珠を、ですか?」
鈴蘭さんが、思わずといった様子で胸元に触れた。ペンダントの青獣珠がそこにあるはずだ。
「ほんっと、じゃらじゃらだよ~。海ちゃんモードの視界だと、チカラがあるのが見えんだよね。等級が低いのから高いのまで、いろいろ。おっちゃん、それ、結界でしょ? 自分のチカラが暴発しないように、宝珠のチカラで抑えてる」
瑠偉と天沢さんがうなずいた。二人とも、宝珠を総統に譲渡した。理仁くんの予測どおり、結界を作るためだ。
だから、この屋敷には能力者が集まっている。総統のチカラの抑制に協力する預かり手が、宝珠を総統に譲渡する、あるいは貸与する。その見返りとして、総統から仕事を与えられている人も多い。複数の企業を経営する総統のもとでなら、異能を活かした仕事ができる。
食事が運ばれてきた。洋風の部屋には不似合いだけど、和食だ。野菜や煮物を中心とした、高級料亭の弁当風。
鈴蘭さんが目を輝かせた一方で、煥くんが不満そうな顔をした。気持ちはわかる。これだけじゃエネルギーが足りない。
そのあたりは、もちろんフォローがあった。鶏の唐揚げとキャベツのサラダが大皿でやって来た。おかわり用の雑穀米のおひつも一緒だ。
いただきますと手を合わせてから、またにぎやかになった。
「煥先輩、唐揚げ、取り分けますね」
「あー、鈴蘭、ずるい!」
「……自分でやる」
「おーい、おれにも回して」
「あ、瑠偉くん、取り分けるね♪」
「くん付けかよ。おれのが年上だってば」
理仁くんが静かだ。隣にいると、ポーズだけの笑顔に隠してため息をつくのが聞こえてしまった。
「大丈夫ですか?」
理仁くんは箸を持ったまま、弁当に目を落としていた。
「数字がうじゃうじゃすぎて食欲が失せるっていうか。米が何粒あるのか、表示されるんだね~。表面に見えてるぶんと、全体の推定の数。目ぇ凝らしたら、温度まで見えた」
そう、食卓上の光景は、ぼく本来の視界とって、かなり疲れるものだ。粒や繊維の形状をした食べ物には、その個数が表示される。温度や体積も、見ようとすれば見える。
「茶碗だったら、持ったときに重さも見えますよ」
「だよね。昼飯でサンドウィッチの重さが表示されてビビった」
「小麦粉の粒子が見えないぶん、パンがマシでしょう? 素材の形がなくなっている食べ物のほうが、疲れないから好きです。固形のバランス栄養食とチョコレートでカロリー補給することも多いですよ」
「海ちゃんって、ガンガンの理系じゃん?」
「リヒちゃんは、文系ですか?」
ふざけた呼び方を、思い切ってまねしてみた。一瞬、理仁くんが目を見張って、それから笑った。本物の笑顔だった。
「おれは文系。おれのチカラ、言葉に直結してるから、日本語にせよ外国語にせよ、言語系だけは飲み込みがえらく速いんだよね。一方でさ、努力してないから、数字はほんと苦手」
「じゃあ、今の視界、
「しんどい。理系の海ちゃんでも、この米粒の数字、疲れんだよね?」
「疲れますね」
「おれ、泣きそうだよ。食べ物がこんなにストレスフルな存在になるとはね~」
さよ子さんが勢いよく立ち上がった。
「理仁先輩、困ってるんですね? ってことは、わたし、ほっとけないです! 目をつぶって、あーんしてください。わたしが食べさせてあげますっ」
朱い目を見張った理仁くんは、ポロッと箸を落とした。
「あ~、気持ちは嬉しいんだけど、そういうのをパパの前でやるのはどーかなーって思うんだよね」
にぎやかで、なごやかな夕食だった。何のためにここに集まっているのか、しばし忘れそうなほどに。
会話の輪に加わる理仁くんが、ふっと黙り込むことがある。表情を消して、目を閉じて、息をついて、かぶりを振って、うなずいて、自分の中で何かに納得して、また目を開ける。会話に加わって、一言ごとにおどけてみせる。
強い人だ。
ぼくでさえ、リアさんのことが心配でならない。あせりが胸を圧迫するから、じっとしているのが苦しい。リアさんの弟である理仁くんが平気なはずはない。
でも、総統が、動くべき時だと告げない。この一枝に起こる出来事をすべて把握できるのに、ぼくたちをここに留め置いている。それはつまり、まだ時が満ちていないから。
【不安かね、海牙くん?】
総統の声に、ハッと顔を上げる。ほかの誰も反応していない。ぼくだけに聞こえる声だ。
理仁くんなら、同じように思念の声をコントロールして、ほかの誰にも聞かれることなく応答できるんだろう。ぼくにはそのやり方がわからない。
ぼくは、小さく一つ、うなずいた。
【今のところ、彼女の命に別状はない。肉体を損ねたりけがされたりもしていない。ただし、この先はきみたち次第だ】
運命の一枝が分岐するポイントでは、総統にも明確な未来が見えない。一枝はブラックボックスの中で生長する。評価値を満たす生長をおこなうなら、未来は続いていく。おこなえないなら、一枝ごと淘汰される。
彼女を無事に救出できるのか。ぼくと理仁くんの能力はもとに戻るのか。そもそも、ぼくたちは生存できるのか。
不確かな未来へと、とにかく進んでみるしかない。
食事を終えた。紅茶とコーヒーが運ばれてきた。せっかくだからデザートも、と、さよ子さんが騒ぐ。
熱すぎる紅茶にミルクと砂糖を入れて、冷めるのを待っていた。スプーンで掻き混ぜてできた渦を見ながら、渦って何だろうと考える。
好きな渦は、銀河の形だ。渦巻銀河は、横から見るのも上から見るのも、かわいい形をしていると思う。銀河の中心にあるブラックホールも、いつかどうにかして自分の目で見てみたい。
けれど、それを見るための目が、今のぼくには。
思索の迷路に踏み込みかけた、そのときだった。
ポケットでスマホが振動した。何となくピンと来て、慌ててチェックする。
【リアさん!】
メッセージの内容を確認するより先に叫んでしまった。けっこう大きな声だったから、全員の注目が集まった。
「あ、いや、あの、リアさんのIDからメッセージが……」
「海牙、おまえ、すげー嬉しそうな顔したぞ」
「それは、だって、当然でしょう? ようやく新しい情報を得て、これから動けるじゃないですか」
「何でおれんとこじゃなくて海ちゃんに?」
理仁くんが冗談っぽく言った。瑠偉が冷静に、非情な事実を突き付けた。
「彼女本人が送信者じゃないからだろ。文天堂がいちばん嫌がらせしたい相手は、たぶん、海牙だ」
スマホのロックを外して、メッセージを確認する。瑠偉は正しかった。
〈人質の命は無事だ〉
〈眠らせてある〉
〈様子を知りたければこちらへ来い〉
〈TOPAZに今夜〇時〉
〈必ず四獣珠を持参しろ〉
ぼくがトークアプリを開いているのを確認した上でメッセージを送っているらしい。次々と短文が投げ付けられてくる。ぼくはそれを読み上げる。みんな、しんとして聞いている。
唐突に、一枚の写真がトークルームに上げられた。
〈よく撮れているだろう?〉
【リアさんリアさん赤いドレスだ目を閉じている眠っている昨日と違う服だ印象が違う化粧が違うのか髪型が違う眠っているリアさんリアさん赤いドレスを着ている助けに行かないと危険だ危険だ祥之助許せないリアさんに触れた許せない助けに行……】
「…………っ!」
写真のインパクトが強い。口で説明できない。ぼくは、画面を開いたスマホをテーブルに投げ置いた。
理仁くんが無言で、テーブルをこぶしで打った。
ひどくキレイな写真だった。
赤いドレスをまとったリアさんが、目を閉じて横たわっている。膨らみの形もあらわな、広く開いた胸元。赤いバラがあちこちに散らしてある。
総統が静かに言った。
「車を用意してある。時間になったら、行ってくるといい。心を強く持って、くれぐれも気を付けて」
さよ子さんが、鈴蘭さんにギュッと抱き付いた。
「預かり手じゃなきゃ、行けないんだよね。鈴蘭、絶対に無事で帰ってきてよね? 昨日も、ほんとにすごく、心配だったんだからね?」
瑠偉がぼくにUSBメモリを差し出した。
「持っといてくれ。USBメモリのふりした別物なんだ。おれのPC宛てに、位置情報が送信される。確実に何かの役に立つわけじゃないけど、待機してるだけのおれらにしてみたら、何でもいいから情報がほしいんだ」
ぼくは情報発信装置をポケットに入れた。心配されていることも、情報が不安を和らげることも、痛いくらいよくわかった。
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