三幕:災厄_an_accident

「きみさ、目がイっちゃってんだよ」

 小さな手のひらから青い光が染み出した。光は、ぷくりと腫れた真っ赤な引っ掻き傷の上に広がって、白い肌をほのかに照らす。


 それが鈴蘭さんのチカラだ。鈴蘭さんは手のひらから癒しの光を出して、リアさんの傷を治療した。


 ぼくはその情景から目を背けて、ローラースケートを装着した。青い光は、解析できない情報の集合体だ。見ていて気持ちのいいものじゃない。


 鈴蘭さんの泣き出しそうな声が聞こえた。


「治せるのはここまでです。もう痛みが消えてしまった古い傷は、わたしには……」


 ぼくは顔を上げた。リアさんがジャケットを着込む直前、腕に幾条もの白い傷跡が走っているのを見てしまった。


 その一連の出来事は、数十秒の間に起こった。祥之助の乗った車が駅前の交差点の信号待ちを抜けるまでの、わずかな一幕だった。


 ぼくは車を追って滑り出した。

 祥之助の車は大通りを走った。尾行に気付かれてはいないだろう。でも、何らかの方法による追跡があることは、祥之助も想定しているはずだ。


 大通りはおおよそ線路と並走している。祥之助の車を追い掛けるうち、見慣れた景色の中へと至った。大都高校のそばだ。祥之助の車は繁華街へ向かっている。


 追跡の途中、リアさんから、トークにメッセージが入った。


〈位置情報を送信して。海牙くんの現在地を表示した地図のスクショでもいい。もしも向こうと接触したら、通話状態を保持すること〉


 機転の利く人だ。


 実は、ぼくは方向音痴というやつらしい。特に碁盤の目状の街並みや地下街が苦手で、まちなかではよく迷う。


 ぼくは信号待ちや曲がり角のたびに自分の位置情報をマップ上に表示して、スクリーンショットを撮った。それらをそのまま送信する。リアさんのスマホを道案内に、みんな動き出しているんだろうか。


 やがて、祥之助の乗った車は、あるビルの地下駐車場に入っていった。ぼくもそのエンジン音にまぎれて、ローラースケートで駐車場に侵入する。本日の営業を終えたビルの駐車場は、ガランとしていた。


 駐車場で車を降りた祥之助は、護衛を伴ってエレベータに乗り込んだ。まっすぐ最上階に向かったのを確認して、ぼくはリアさんに連絡する。


〈最終目的地、ファッションビルのSOU‐ZUIです。祥之助は最上階のカフェレストランTOPAZに行きました〉


 十五秒で返信が来た。


〈五分以内に着ける。合流するまで待ってて〉


 了解しました、と返信する。


 待っている間に、瑠偉に連絡した。文天堂祥之助に関して、わかることを全部まとめてほしい。コンを抜かれた動物や人間の情報も集めてほしい。そんな内容を送る。瑠偉からも、すぐに了解の返事が来た。


 五分以内と言ったリアさんは正確だった。四分ほどで、バイクが三台、ビルの前に到着した。


 先頭を走ってきたリアさんの姿に、ぼくは思わず目を惹き付けられた。

 ピッタリとラインの出るレザーパンツだ。細すぎず、ほどよい筋肉の形が見て取れる脚線美。颯爽とバイクを降りると、ヒップラインの丸みがレザーの光沢によって強調される。さっきまでスカートだったと思うけれど、バイクに合わせて穿き替えたんだろう。


 リアさんはフルフェイスヘルメットを外した。


「お待たせ」

「いえ。リアさんも来られたんですね」

「当然でしょ。チカラを持っているとはいえ、きみたちは高校生よ。きみたちに全部を任せて自分だけぬくぬくと安全なところへ避難するなんて、わたしにはできない。さよ子ちゃんには、おうちのかたとの連絡役をお願いしたわ」


 ひとくんもリアさんと同じ型のバイクだ。あきらくんのバイクは、長江姉弟のものよりずいぶん大きい。後ろに鈴蘭さんを乗せていた。

 ぼくは煥くんのバイクに感嘆した。


「すごいですね。こんな大きなバイクを乗り回す高校生って、本当にいるんだ。進学校ではお目に掛かれませんよ。自転車にも乗れない人がいるくらいなんですから」

「進学校じゃなくても、バイクに乗る高校生はめったにいねぇよ。オレも、この大型にはまだ乗れる年齢じゃないし」


 鈴蘭さんがヘルメットを取りながら、悲鳴のような声を上げた。


「じゃあ、煥先輩、今の運転は無免許だったんですか?」

「誰にも言うなよ」

「い、言えません! もうっ、危ないことしないでください!」


 SOU‐ZUIは、国内外のブランドのセレクトショップが入ったお高いファッションビルだ。エレベータの脇に掲げられたパネルに、ショップ一覧がある。


「そうそうたる顔ぶれね」


 リアさんが呆れたように言った。煥くんが首をかしげている。ぼく以上にファッションの知識に疎いらしい。

 鈴蘭さんが不満げな声を上げた。


「煥先輩は絶対にどんな服でも似合うのに、もったいないです」


 黒いライダースーツ姿の煥くんは、鈴蘭さんを無視して、ぼくに視線を向けた。


「あんたの能力のこと、理仁から聞いた。筋力がすごいわけじゃないんだな。視覚だけ?」

「能力があるのは、視覚だけです。筋力は、スポーツをしてる一般的な高校生レベルですね」


 呼んでおいたエレベータが地下に至って、ドアが開いた。一応警戒していたけれど、無人だ。防犯カメラ以外も特別な仕掛けがないことをぼくがチェックした後、全員で乗り込んだ。最上階を目指す。


 煥くんがドアからいちばん近い位置に立った。


「たいした筋力もねぇくせに、あんな無茶なスピード出すのかよ? 疲れてんだろ。ただのケンカなら、オレが動ける。あんたは温存してろ」


 煥くんにはバレている。待つように言われて、ぼくが素直に待っていた最大の理由。それは、疲れてしまったからだ。


「お気遣い、ありがとう。煥くんはイケメンですね」


 エレベータが最上階に近付く。上昇スピードが緩む。止まる。


【レーダーしてみる】

 理仁くんの特殊な声が発せられた。

 ドアが開くまで、あと二秒。

【いるゎ。五人ほど】


 レーダーという表現から推測するに、理仁くんには、思念の声の反射から対象物の位置がわかるんだろう。


 煥くんが両手を正面に掲げた。手のひらの前の空間が白く発光する。ぼくには読み解けない、光と呼ぶことに抵抗のある、猛烈に膨大なエネルギーを持つ白色が、輝く。


 ドアが開いた。銃を構えた黒服が五人。


 白い光が、一辺の長さ約1,000mmの正六角形に展開する。

 銃が火を噴く。光の正六角形に着弾する。ジュッと音がして、五発の弾が焼き切れる。


「これが煥くんのチカラですか?」

障壁ガードだ。今の、実弾じゃなかったな」


 リアさんが銃を指差した。

「あの形、麻酔銃ね。理仁、やっちゃって」


 あいよ~、と理仁くんはお気楽な返事をした。その全身から気迫が噴き上がる。


【銃を捨てて、そこどいてね~。痛い目には遭いたくないっしょ?】


 ゆるゆるとした口調に、ビリビリと肌を刺すほどのチカラがこもっている。理仁くんの両眼が朱くきらめいた。

 号令コマンドに打たれて、五人の黒服が麻酔銃を捨てた。煥くんが白い光の正六角形を消す。


 ぼくはザッと、あたりじゅうに視線を走らせる。この最上階は、下の階とは造りが違う。半分が屋内のカフェレストラン、もう半分が庭園風のテラスになっている。エレベータホールはテラスに面していた。


「トラップはないようです」


 ぼくの言葉に、リアさんがクスッと笑った。声を大きくして言い放つ。


「ここは、大人のデートスポットとして有名なカフェレストラン、TOPAZよ。派手なケンカをして営業停止だなんて、ねえ、まともな経営者がそんなことするはずないわ」


 わざと大声で言ったのは、けんせいだ。この人、本当に度胸がある。


 ピアノの音色に気が付いた。月光、と鈴蘭さんがつぶやいた。ピアノはTOPAZから聞こえてくる。

 TOPAZは、まぶしいほどの明かりがともされていた。煥くんを先頭に、ぼくたちは店内に入った。


 ゴージャスな内装、とだけ言っておこう。シャンデリアや燭台が、やたらキラキラしている。金メッキで、中身はアルミニウムだ。ヨーロッパの宮廷風なんだろうが、ぼくには何時代のどこの国の雰囲気なのか、まったくわからない。


 理仁くんがボソッとつぶやいた。

「成金趣味ってか、センスわりー。宝珠に魅入られると、似たようなセンスになんのかね?」


 誰との比較だろう?


 ホールの中央に、ピアノが置かれた円形のステージがある。そこに祥之助がいた。黄金色の宝珠を伴うだけで、一人だ。


 祥之助はピアノに向かっていた。一心不乱、という言葉が脳裏に浮かんだ。祥之助の十本の指は、鍵盤の上を繊細に駆け回っている。


 音色だけが聞こえたときは、生演奏だとは思わなかった。淀みもなく正確で、ひどく平べったい音に感じられた。瑪都流バァトルのライヴを体験した後だから、なおさらだ。


 黄金色の宝珠が祥之助の頭上に浮かんで、唐突に、ひずんだ輝きを発した。祥之助は電流に打たれたように、ビクリと全身を硬くした。


 ピアノの音色が止まる。ホールに余韻が響く。その残響を踏み付けるように革靴を鳴らして、祥之助は椅子から立ち上がった。


「意外と早く追い付いたじゃないか。おや、ボクらは四獣珠の預かり手だけを呼びたかったんだが?」


 祥之助の黄金色の目が、リアさんを見た。反射的に、ぼくは動いた。理仁くんも同時だった。リアさんの前に立った理仁くんが、チラッとぼくに笑ってみせる。


 鈴蘭さんが一歩、進み出た。青獣珠のペンダントに、服の上から手を当てている。


「目的を聞かせてください。なぜあなたは、あんな非人道的なことをしたんですか?」

「非人道的なこと?」

「人や動物から魂を抜いて操るなんて、非人道的です!」


 祥之助は笑った。


「人権尊重だの動物愛護だの、えらそうな口を利くつもりか? 人間のほうは同意の上だ。金も払ってやった。動物も、コンは抜いたが、適量のエサを与えて肉体を生かしている。殺したわけじゃない」

「それでも、虐待してます!」

「ならば、何をどうやって、どんな機関に訴える?」


 鈴蘭さんが言葉に詰まる。

 祥之助の言い分は正しい。宝珠のような異次元のチカラは、科学的に解析できないだけじゃない。現行の法律によって縛ることもできない。


 煥くんが舌打ちをした。


「あんたを法で裁けないことは、この際どうでもいい。オレがあんたに思い知らせればいいだけだ。あんたの目的を話せ」


 祥之助は、靴音高くステージを降りた。いちばん近いソファ席に腰を下ろして脚を組む。黄金色の宝珠の破片は、でたらめなリズムで明滅しながら祥之助に付きまとった。


 ざらざらと低い、音なき声で、祥之助は言った。


【ボクの目的は、「彼」の回復だよ。四獣珠のせいでこんな姿になってしまった。かわいそうな「彼」に、正当な姿を取り戻してあげたい】


 祥之助が親しげに「彼」と呼び掛ける先に、黄金色がある。四つに割れた姿の、もとは球形であったもの。宝珠の一つとおぼしき、チカラの光を発して宙に浮く存在。


 玄獣珠が「彼」に反応している。「彼」を忌み嫌っている。「彼」こそが宿敵だと叫んでいる。「彼」を回復させてはならないと、ぼくに訴えている。


「まだわかんねぇな」

 理仁くんが言った。口調も横顔も、ゾッとするほど冷たい。


「わからない? 何がわからないんだ?」

「きみの目的、回復させるだけ? それじゃ語り足りなくねえ? もっと続きがあんだろ。きみさ、目がイっちゃってんだよ」


 祥之助の顔に、嫌悪と笑みが同時に浮かんだ。


「おまえにボクの葛藤がわかってたまるか。学校の勉強も、経営学も、マナーも、ピアノも、ゴルフも、英会話も、与えられる課題はすべて完璧でなくてはならない。一つでも劣ったものがあれば、ボクは生きることを許されない。そんな中で生きてきたんだ」


「あっそう。だから何? これまで頑張ってきたのは誉めてあげるけどさ~、今や便利なひみつ道具の宝珠に巡り合っちゃって、チートスキル使いまくり? 反則じゃねーの?」

「黙れ」


 祥之助の表情が歪んだ。苦痛の表情に見えた。それがたちまち泣き顔になる。両目から涙があふれると、押し流されるように、その瞳の黄金色がにじんで消えた。祥之助は頭を押さえて体を折る。か細い呻き声が漏れる。


 どうした? 何が起こった?


 黄金色の宝珠が、爆ぜるように光った。

【祥之助よ!】

 怒声めいた波動とともに、不快な思念がまき散らされる。


 祥之助が背筋を伸ばして顔を上げた。瞳の中に黄金色が、満面に笑みがあった。


狡猾チートとは人聞きが悪い。ボクは正当に有効活用してやるさ。『彼』のチカラも、おまえたちの四獣珠も。取引だよ、預かり手の諸君。生きてこのビルから出たかったら、四獣珠をボクらに渡せ!」


 カツン、と音がした。靴のかかとの鳴る音だ。ハッとしたときには、リアさんがぼくと理仁くんの間を通り抜けて、祥之助のほうへ進み出ていた。


「ずいぶん窮屈な家庭環境で、追い詰められて過ごしているのね。同情するわ。よくないモノに魅入られてしまう弱さも、仕方がないのかもしれない。でもね、わたしはきみのふるまいを見過ごすことも許すこともできない。宝珠なんて、今すぐ捨ててしまいなさい」


 凛とした後ろ姿がキレイで、場違いだけれど、ぼくはリアさんに見惚れた。リアさんはまっすぐに祥之助に近付いていく。


 リアさんは祥之助のソファのそばに立った。祥之助はリアさんを見上げた。


「預かり手でもないおまえには用がない。さっさと失せろ。今なら、おまえの無礼な言動も許容してやれる。ボクらは四獣珠がほしいんだ」


 祥之助が言い切るかどうかといった瞬間だった。リアさんが、祥之助の胸倉を左手でつかんだ。


「きみは宝珠に願いをかけたことがあるのね? 何を代償に、どんな願いをかけたの? 宝珠はね、使ってはならないのよ。人間はたやすく欲に溺れる生き物だから」


 黄金色がギラギラとまたたいた。リアさんは黄金色を見下ろした。祥之助の胸倉から手を放す。

 ソファのそばのテーブルに、重たげなガラスの灰皿がある。リアさんは灰皿を手に取った。祥之助が悲鳴を上げた。


「や、やめろっ!」

「きみを殴るわけじゃないわ」


 リアさんは灰皿を「彼」に叩き付けた。


 硬いものが砕ける音がした。砕けたのは灰皿だ。リアさんは、灰皿の破片を持ったままの右腕を、左手でさすった。

 祥之助がソファから立ち上がって、リアさんと「彼」の間に割って入った。


「いきなり何をするんだ!」

「宝珠に依存するのをやめなさい」

「ボクに指図するのか? 調子に乗るなよ、暴力女! おまえなんか、ボクは……」


 パシン!

 見事な音で、祥之助の頬が鳴った。リアさんに平手打ちを決められて、見る間に祥之助の頬が腫れ上がる。


「暴力女でけっこうよ。目を覚ましなさい。それとも、意識を失わせれば、そちらの『彼』の影響下から引っ張り出せるのかしら?」


 愕然としていた祥之助が、わなわなと震え出す。リアさんは背筋を伸ばして立ったまま。その距離は危険だ。

 ぼくと理仁くんが同時に地面を蹴った。ぼくのほうが速い。


「リアさん、無茶です!」


 肩を抱いて引き寄せる。その瞬間、祥之助が不格好に振り回す腕が空を切った。


「ボクを侮辱して、ただで済むと思うな! 今すぐだ。今すぐここで思い知らせてやる!」


 リアさんが、なおも祥之助に批判を浴びせようとする。ぼくは彼女を横抱きにさらってバックステップした。


 祥之助が、テーブルの上のブザーを鳴らした。レストランの入口とテラスから一斉に、黒い戦闘服の男たちが乱入してきた。

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