「預かり手を集めて、何のつもりだ?」

 例のロックバンドは、瑪都流バァトルという。襄陽学園の三年生三人と二年生二人の五人組だ。


 さよ子さんから連絡が来て、瑪都流のサイトのアドレスを教えられた。ライヴまでに予習をしておくように、と。


 瑪都流は、オルタナティヴロックというジャンルに分類されるバンドらしい。オルタナは、セールス重視のメジャー音楽とは違う、「ロック好きによるロック」だそうだ。


 サイトにアップされていた歌詞に、思いがけず惹かれた。


 青くさい、かもしれない。日本語として文章の技巧が優れているわけでもない。ただ、自分にも聴き手にも嘘をつきたくないという不器用なほどの一途さが感じられて、悪くないなと思った。


 十九時ちょうどに玉宮駅の北口広場に到着した。さよ子さんに、いきなり苦情をぶつけられる。


「十分前行動! 女の子との待ち合わせは、早めに着いておくべきです!」

「迷ったんです。すみませんでした」

「誠意のこもってない謝罪、ひどい!」


 でしょうね。こめてませんから。


 キャンキャン吠え続けるさよ子さんの小言を聞き流して、ぼくは、さよ子さんの隣に立つ人を注視した。


 色白で小柄な女の子だ。長い黒髪に、目の形は典型的なラウンド・アイ。白目に対して青い虹彩が大きい、いわゆる「つぶらな目」の美少女だ。


 でも、問題は顔立ちじゃない。彼女の胸元にチカラを感じる。異次元的で計測不能なエネルギー。無機物でありながら、鼓動に似たリズムで、光のようなものが収縮する。


 あれは間違いない。

 ぼくの胸の上で、玄獣珠が静かに鼓動を速めている。


 と、次の瞬間。

 さよ子さんの猫パンチが飛んできて、ぼくはのけぞった。


「海牙さん、どこ見てるんですか! いくら鈴蘭が巨乳だからって、まじまじと観察しないでください!」


 なんて無礼な勘違いだ。推定825mm・Eカップの胸を観察していたわけじゃない。サイズをチラッと計測しただけだ。


「鈴蘭さん、とおっしゃるんですか? 不思議なペンダントを付けているんですね。チカラを持った青い石。そうでしょう?」


 ぼくは小声の早口で言った。駅前広場の雑踏の中、声はぼくたち三人にしか聞こえないはずだ。

 さよ子さんが勢いよく鈴蘭さんを振り返った。


「もしかして、鈴蘭も超能力が使える人だったの?」


 鈴蘭さんの青い目がうろうろとさまよう。


「あの、超能力っていうか、えっと……」

「ゴメン、いきなりな言い方しちゃった。鈴蘭、警戒しなくていいよ。うちのパパもそうだし、この海牙さんもそうだから」


「え……ほんと?」

「うん、ほんと。だから、わたしの前では隠し事をしなくて大丈夫。わたし、バラさないし、パパに頼んで鈴蘭を護衛してもらうこともできる」


 鈴蘭さんはうなずいて、短くギュッと、さよ子さんに抱き着いた。そして、ぼくを見上げて言った。


「あなたも四獣珠の預かり手ですよね?」


 この人はどんなチカラを持っているんだろうか。見たところ、鈴蘭さんの身体能力は一般的な文科系の女の子だ。筋力の乏しさは、さよ子さんといい勝負。

 ぼくは笑顔を作った。


「阿里海牙といいます。玄獣珠の預かり手です」

「青龍のあんぽうすずらんです。あの、瑪都流のライヴは、事情がわかっていて来られたんですか?」

「事情?」

「あ、ご存じないんだ。すぐわかると思いますけど、瑪都流のヴォーカルの……」


 会話はそこまでだった。


 瑪都流のスタンバイが完了したらしい。簡潔なMCが入って、ギターとベースが短いフレーズで掛け合いをして、ヴォーカリストがフロントマイクの前に立つ。


 その途端、止める隙もない猛烈な勢いで、さよ子さんと鈴蘭さんが駆け出した。


「ライヴ始まるーっ! あきらセンパーイ!」

寧々ねねちゃん、場所取りありがとーっ!」


 重要な情報を話そうとしていたんじゃないのか? 四獣珠の問題よりも、インディーズの高校生バンドのほうが重要?


 玉宮駅の北口広場は、ストリートライヴのメッカらしい。十六歳以上で市の許可を取っているならば、二十一時まで演奏が許されると聞いた。


 さよ子さんたちが押さえていた場所は、最前列ではなかった。ヴォーカリストの正面、およそ十メートル離れた位置にある外灯の下だ。外灯の土台が花壇を兼ねて一段高くなっているから、縁のブロックに登れば、人の頭越しにバンドメンバーの姿が見える。


 ハイテンションに飛び跳ねながら手招きされたので、ぼくもさよ子さんたちの場所に合流した。花壇の下に立って、さよ子さんに尋ねる。


「もっと前に出ないんですか?」

「このあたりで聴くのが、いちばんキレイに聞こえるんです!」


 演奏が始まってすぐ、さよ子さんの発言の意味がわかった。

 瑪都流の編成は、ヴォーカル、ギター兼コーラス、ベース、キーボード、ドラム代わりのPCだ。スピーカーはそれぞれ一台ずつ、計五台を使っている。だから、場所によって音量のバランスが違う。


 ヴォーカルの入らないイントロが奏でられる。RPGのオープニングで冒険の始まりを告げるファンファーレのような、聴き手の期待を掻き立てる曲調。


 うまいな、と思った。ぼくは楽器をしたことがないから、音楽理論的にどうだということはわからない。ただ、体の芯にスッとなじむ音だと感じた。


 イントロが唐突に終わる。長身で栗色の髪のギタリストが、ヴォーカリストと視線を交わした。


 ヴォーカリストは、銀色の髪、琥珀色アンバーの目。左右で誤差の少ない、意表を突かれるほどに端正な顔立ちだ。銀髪の隙間からチタン合金製のリングのピアスがのぞいている。


 ああ、なるほど。

 彼が話題の人か。


 四獣珠の預かり手の、最後の一人。Tシャツの内側に隠したペンダントが、白く冴える光のようなものを発して、ひそやかに脈打っている。


 ぼくの観察は、しかしそこで、彼の声によって阻まれた。

 出だしからのいきなりのサビに揺さぶられた。



   モノクロな感情世界に どうか

   小さな光が降ります様に



 サイトで読んだ詞だ。銀髪の彼が書いているらしい。彼の名前は、あきら。ぼくより一つ年下。さよ子さんと鈴蘭さんのお目当ての人だ。



   哀しみの色は黒

   まぶしすぎる光におびえる僕に

   寄り添う影と同じ色


   哀しみよ

   いつでも君がいてくれるから

   孤独じゃないんだ

   うしなったことが哀しいのは

   大事なものを喪ったせいだ


   モノクロな感情世界で迷子の僕が

   置き忘れてきた涙


   大事なものがあったんだと

   大事に思う心があったんだと

   黒い影の哀しみに寄り添われて

   僕はそれを知る


   一人でいても孤独じゃない



 不思議な声だ。

 甘い声ではない。深い声でもない。明るい声でもない。そんなふうに簡単に「モテる声」として記号化できる声ではない。


 しなやかに伸びる声だ。澄んでいて、少し硬い声だ。空気が一切の抵抗を放棄して彼に従って忠実に振動してみせるかのように、張り上げてもいない声がどこまでもよく通る。


 ぼくは目を閉じた。歌声にいざなわれて、音だけの世界へ連れ去られる。



   怒りの色は白

   遠い空に明るく燃える星の

   高すぎる体温と同じ色


   怒りよ

   自分じゃないものを想って

   心を燃やしたときに

   初めて

   濁らない色をした君に出会えたんだ


   モノクロな感情世界で見付けたよ

   貴方がいつか流した涙


   憎むんじゃなく 恨むんじゃなく

   ひがむんじゃなく ねたむんじゃなく

   大事なものを想う純粋な

   怒りが此処に燃える


   貴方はいつも孤独じゃない



 ロック、という言葉が持つ荒々しい印象も内包している。けれど同時に、今にも壊れてしまいそうにはかない。ひどく繊細な唄だ。


 詞の中に歌われた高温の天体を思った。

 数億歳の巨大な天体でも、誕生は一瞬の光だ。死もまた一瞬の光だ。その一瞬を観測できたら奇跡。


 そんな奇跡を、この目でいつか見てみたい。星空に目を凝らして、そこにひしめく無数の計算式の中から運命の一閃を見極めて、待ちかまえる。世界じゅうの宇宙物理学者や天文学者を動員して、ぼくの発見と理論を全世界で共有できたら。


 夢があるんだ。この先もずっと伸びていくはずの一枝の未来で、ぼくは、学び続けて生きていたい。


 目を閉じて、知覚し得る情報の量を落として、暗がりの中で自分自身をのぞき込む。心地よい音楽は、ぼくが無防備になることを許している。肩の力が抜ける。



   モノクロな感情世界で手を繋いで

   孤独じゃない一人と一人で


   混じらない様に 濁らない様に

   忘れない様に こぼさない様に

   別の色の感情を探しに

   僕達は歩き出す


   喜びの色は 空の色と丘の色

   楽しさの色は 花の色と夕日の色

   捕まえたら壊れるから

   そっと見つめるだけ


   モノクロな感情世界にいつか

   小さな虹が架かる様に



 曲の余韻の中で、さよ子さんに呼ばれた。


「海牙さん?」


 ぼくは目を開ける。正直に言った。


「いいですね、彼らの音楽」

「海牙さんの普通の笑顔、初めて見た! いつももっと計算高そうな笑顔ですよね!」

「本人の前でその言い方をしますか」


 一時間半のライヴは、あっという間だった。ぼくはほとんどずっと目を閉じたまま、心地よい音楽の中にいた。


 だから、隣に立たれていたことに、しばらく気付かなかった。

 ライヴ終了のMCが聞こえて目を開けて、右の頬に視線を感じて、ハッとした。


「リアさん!」

「こんばんは」

「聴きに来られてたんですか」

「弟の友達なのよ、彼ら」


 彼らというのは、もちろん瑪都流のことだ。ひとくんは少し離れた場所で、ナンパでもしているのか、女の子たちと話している。


「ぼくも人に誘われて聴きに来たんですけど」

「さっきまですぐ近くにいたショートボブの子でしょ? きみの彼女?」

「違います。全然違います。お世話になっているかたのお嬢さんで、ぼくは護衛を頼まれただけです」


「ふぅん。ねえ、ちょっと横向いて。さっきみたいに」

「こうですか?」


 突然、リアさんの手がぼくの頬に伸びてきた。反射的にビクッとしてしまうのを、うっかり制御しそびれた。

 リアさんの指先は少し冷えている。その指が、ぼくの髪をそっと持ち上げた。


「前髪の形、どうするのがいいかしら? 長めでもいいと思うけど、今はちょっと長すぎ。それにしても、横顔、ほんとにキレイね。まつげがまっすぐで長くて、うらやましい。天然つけまつげだわ」

「最後の一言、矛盾してません?」

「肌もキレイ。お手入れも何もしてないんでしょ? ずるいなあ」


 かすかな夜風が吹いた。肌寒い空気に、ふわりとしたいい香りが混じっていて、ぼくは思わず息を止めた。

 たぶん、リアさんの髪の匂い。それとも、肌にひそませた香水の匂いだろうか。


 不自然な沈黙が落ちてしまった。ぼくは浅い息をして、体をこわばらせたまま言った。


「すみませんが」

「何?」

「動いてもいいですか?」

「ダメ」

「……あの」

「冗談よ。ゴメンね、急に。きみの横顔を見てたら、どうカットしようかなって楽しみになって。今度の月曜、できれば私服で来てね」


 当然のことだけれど、髪に神経は通っていない。だからぼくはリアさんの指の感触を知覚したわけではないのに、変だ。髪のあたりからふわふわと発熱するようで、息が苦しい。


「服はヴァリエーションがなくて。モノトーンしか持ってません」

「無難すぎ。派手な色でも着こなせそうだし、かわいいと思うわよ」

「かわいいって」


 ぼくはそんなタイプじゃないのに。


 瑪都流は楽器を片付けながら、気さくな様子で聴衆と話をしている。唯一、ヴォーカリストの煥くんだけは、さっさと輪を離れた。が、クールな一匹狼に、果敢に声をかける勢い余った姫君が二人。逃げ腰になる煥くんには同情を禁じ得ない。


 栗色の髪のギタリストは作曲とコーラスもこなして、MC担当のバンドマスターでもある。理仁くんが彼に話しかけると、まわりは女の子でいっぱいになった。


 リアさんが紹介してくれた。


「理仁と話してるのが、伊呂波ふみのりくん。ヴォーカルの煥くんのおにいさんで、理仁が気を許してるたった一人の相手ね」


 気を許せる友達。ぼくにとっての瑠偉みたいなものか。


 人の輪の中心に立って、理仁くんは楽しそうに笑ったりしゃべったりしている。ぼくに向けていた社交的な笑顔よりずっとリラックスしているように見えるのは、リアさんから文徳くんの紹介を受けたせいだろうか。


「理仁くんに話したいことがあるんですが、しばらく待つ必要がありそうですね」

「話って、四獣珠のこと? 今この場に四つともがそろっているんでしょ。理仁がそう言ってた」

「リアさんは、四獣珠について、よくご存じなんですね?」

「そうね。海牙くんより知ってると思うわ。朱獣珠には振り回されてきたの」


 含みのある口調だった。それに続く説明があるかと思って、ぼくは黙って少し待った。でも、リアさんは何も言わない。結局、ぼくが再び口を開く。


「宝珠は本来、バラバラの場所で眠っているべき存在だと聞いています。預かり手は、宝珠に願いをかけることは禁忌で、ただ預かって次代に渡す。ぼくは生まれつき、預かり手という厄介な役割を担っていますが、聞いていた以上の厄介事が起こりかけているようです」


「起こりかけている、じゃないわね。すでに起こってしまっている。この十数年、何度も宝珠を使っている人物がいるから」

「なぜ、そんな……」

「そんなこと知ってるかって? 今はまだ訊かないで。全部を話せるほどの深い仲じゃないでしょ?」


 冷たく強い口調に、ぼくは、息の根を止められた思いだった。

 口角の上がった唇の形にだまされていた。リアさんが微笑んでいるとばかり思っていた。違う。リアさんの目は今まで一度も笑っていない。


 理仁くんがぼくを見て、リアさんと同じ笑い方をした。

 彼は文徳くんのそばを離れて、煥くんに声をかけた。煥くんは素直に応じて、理仁くんと一緒にこちらへやって来る。さよ子さんと鈴蘭さんもくっついてくる。


「ってことで、四獣珠関係者、集結~。いやぁ、奇遇だね」


 のんきな口調で言う理仁くんに、さよ子さんが声をあげた。


「理仁先輩もチカラの持ち主だったんですか!」

「え、さよ子、この先輩のこと知ってるの?」

「鈴蘭、何で知らないの! イケメンで気さくで優しいって、超有名なのに!」


 理仁くんが仕切って、簡単に自己紹介し合った。


 煥くんの声は、歌っていなくても特徴的だった。ささやいているようでいて、よく通る。彼の身長が意外と低いことに驚かされた。1,704mmといったところだ。歌っているときの存在感は、実際の身長や体積を超えて、もっと大きかった。


 琥珀色の目をきらめかせて、煥くんは理仁くんをにらんだ。


「それで? 預かり手を集めて、何のつもりだ?」

「おれが集めたわけじゃないよ。白獣珠も言ってない? 『因果の天秤に、均衡を』ってさ」


 煥くんはげんそうに眉をひそめ、問いを重ねようとした。そこでハッと身構える。ぼくも同じ瞬間に、視界の端に異常をとらえた。


 いつの間にそこにいたのか。


 今朝、正門前のロータリーで見た高級車が止まっていた。それを目印にするように、ぞろぞろと集まってくる姿がある。十六人。全員、同世代だろう。


 それが訓練された戦闘集団なら、ぼくが脅威を覚えることもなかった。そういう職業の人々なら、KHANの屋敷で見慣れている。ぼく自身が彼らのトレーニングに加わることもある。


 そこにいる人々は、間違いなく生きて自立歩行しているのに、生きているように見えなかった。生気も正気も吹き飛んだ、空っぽの表情。まともに動けるはずのない呼吸と脈拍と体温の数値。


「酔っ払ってんのか?」

 煥くんのつぶやきを、理仁くんが否定した。

「違うね。一種のマインドコントロールだ。でも、ただ操ってるのとも違いそう。何だあれ?」


 彼らは夢遊病めいた足取りで、こっちへ向けて歩き出した。男も女も、おおかたが裸足だ。自分の姿にとんちゃくできない状態なのか、下着のような格好の人もいる。


 異常な光景だった。駅前に居合わせた人々は、言葉を呑んで立ち尽くしている。


 車から男が降りた。両眼が爛々らんらんとした黄金色に輝いている。黄金色の光のようなものが、宙に浮いて彼のそばにたゆたっている。


 ぼくの心臓の鼓動が騒いだ。玄獣珠がざわついているせいだ。ほかの三つの宝珠の気配が濃くなったのも、あの光のようなものの毒気に当てられたためだろう。


「文天堂祥之助」


 ぼくがつぶやくと、さよ子さんが目を真ん丸にした。


「あのイケメン、海牙さんの知り合いなんですか?」

「大都高校二年生の成績優秀な御曹司ですよ」

「イケメンだけど、ちょっと性格悪そうですねー」


「ぼくとベクトルは違いますが、絶対値でくくって比べても、ぼくよりあっちのほうがひどいと思います」

「それは相当ですね!」

「さよ子さん、とにかく下がっててください」


 ギラギラとした黄金色の光のようなものが不快だ。玄獣珠が熱いほどに脈打って、警告している。

 あれは、よくないものだ。あれを許してはいけない。預かり手よ、取り戻せ。因果の天秤に、均衡を。


「因果の天秤?」


 ぼくの問い掛けに、うなずく気配があった。玄獣珠と、ほかの三つの宝珠と、宝珠の声を早くから聞いていたらしい理仁くん。


 黄金色は四つあるように見えた。祥之助が近付くにつれて、それらの形がわかった。光に揺らめきながら宙に浮いたそれらは、直径70mm程度の球体を四つに割った破片だ。


 異様な放心状態の人々は、バラバラの方向へ歩き出した。近寄られた人は、触れられるのを恐れるように、後ずさって逃げる。ホラーゲームの世界にでも迷い込んだみたいだ。


 鈴蘭さんは青獣珠をかばうように胸に手を当てた。


「あの人たち、何なの?」

「こっちの市では問題になってませんか?」

「初めて見ました」

「大都高校のあたりでは最近、ああいうのがけっこういるんですよ。犬や猫に始まって、ここ数日で人間も」


 まっすぐこっちに向かってきた祥之助が、立ち止まった。ぼくたちとの距離は、およそ五メートル。一歩で踏み込むには少し遠い。


 祥之助の両眼にともる黄金色と、その頭のそばにただよう宝珠の破片が、祥之助の華やかな顔立ちを照らしている。


「こんばんは、四獣珠の預かり手の諸君。ボクは文天堂祥之助。四獣珠より上位の宝珠を預かる身だ」


 祥之助の言葉を受けて、黄金色が強く明滅した。今は四つに割れた姿をしている。かつては球形だったはずだと想像して、ゾクリとした。うまく言えないけれど、直感的に。


 完全体の黄金色を再現してはならない。

 ぼくの感じた不吉さを、理仁くんが言葉にした。


「四獣珠の上位って、その金ピカの浮いてるやつ? 何か、そいつ、ヤバいやつじゃねーの? きみ、取り憑かれてない?」

「ボクは正気だ」

「はい出た。頭おかしいやつは必ず、自分は正気って言うんだよ」

「勝手にほざいてろ」


「きみ、一気にこんだけ大勢の精神に働き掛けて何がしたいわけ? 個別に操らなきゃ細かい指示は出せないから、使いにくいでしょ? いや、人間くんのほうじゃなくて、そっちの金ピカに訊くのがいい?」


 祥之助が黄金色に触れた。黄金色がうなずいた、ように見えた。

 その瞬間、チカラが、祥之助を起点として竜巻のように吹き荒れる。


 ふらふらとあてどなく歩く人々が動きを止めた。方向転換。そして、きしむ音を鳴らしそうな足取りで、そのくせ妙に素早い歩調で、一斉にこっちへ向かってくる。


 生気のない、顔、顔、顔。

 瞳孔が拡散した目。締まりのない口から、よだれが糸を引いている。


 下着同然の姿の人々は、露出した皮膚にあちこち傷を作っている。その痛みも感じていない様子の無表情。足を引きずっては段差につまずいて転んで、ますますボロボロになった姿で平然と立ち上がる。また歩いてくる。


 ゾッとして、ぼくは体がこわばった。

 機敏に動いたのは、チカラを持つぼくたちではなかった。


 長い髪がひるがえる。

 白いジャケットを脱いだリアさんが進み出た。半裸の女の子にジャケットを着せかけて、祥之助を見据える。


「この子たちをもとに戻しなさい」


 鈴蘭さんも、ひるむことなく声を上げた。


「そうです、今すぐもとに戻してください! あなた、何がやりたいの? 四獣珠に用があるなら、どうして直接わたしたちに話し掛けないの? 宝珠のチカラを手にしたからって、好き放題やるのはおかしいでしょう!」


 祥之助の頬がピクリとした。ふっと、表情が消える。瞳の異様な輝きが失せて、あどけなく無防備な表情になる。


 黄金色の宝珠の破片が激しくまたたいた。

【祥之助】

 ざらざらと低い声が呼んだ途端、祥之助の顔に傲慢で狂気的な笑みが戻る。


「身の程知らずめ。ボクに指図するな。おまえらも同じ目に遭わせてやるよ。女たちをとらえろ」


 祥之助が命じると、放心状態の人々の群れがまた軋むような動きで、向かう方角を変える。


 リアさんのジャケットを着た女の子が、勢いよく腕を振った。ぼくはとっさに飛び出して、リアさんを引き寄せる。


 少し遅かった。七分袖のシャツからのぞく腕に、三筋の傷が平行に走っている。


「大丈夫ですか?」

「大したことない」


 小さな悲鳴が聞こえた。鈴蘭さんが三人に囲まれている。が、その恐怖も一瞬。


「危ねぇんだよ、バカ」


 煥くんが鈴蘭さんを小脇に抱えて救出した。理仁くんがニヤッとする。


「あっきー、そこはお姫さま抱っこすべき」

「ふざけんな」


 理仁くんの目があかく輝く。


【じゃ、本気出そうかな!】


 空気が張り詰めた。音ではない声、チカラを込めた号令コマンドの波動が、理仁くんを中心に、爆発的な勢いで広がる。


【全員、そこから動くなッ!】


 ぼくの体も、わずかながら鈍くなった。酸素濃度が下がったかのような、何らかの違和感を覚える。


 理仁くんの号令コマンドによって、北口広場にいるほぼ全員が一切、動けない。祥之助に命じられた人々も動きを止めた。


 動けるのは、能力者のぼくたちと祥之助、リアさん、さよ子さん。そして、離れた位置にいる文徳くんが声を上げる。


「煥、理仁! どうなってるんだ!」


 駆け寄ってこようとする彼を、煥くんが止めた。


「兄貴はそこにいろ!」

「わ、わかった」


 理仁くんがチカラを発動させたまま、テレパシーを響かせた。


【その金ピカより、おれのチカラのほうが上位みたいね。しかし、祥之助っていったっけ? きみ、本当は能力者じゃないっぽいけど、何でおれの号令コマンドを受け付けないのかな~?】

「ボクには特別な宝珠が付いている。これしきのマインドコントロール、受けるはずがない」


【これしきとか言っちゃう? おれのチカラのが強いって言ったばっかなんだけど?】

「今、ボクらが操っている者たちの中にコンはない。動いていられるのは、肉体に属するハクがあるからだ」


【精神のコンと肉体のハク、か。中国系の『たましい』の概念だっけ? で、それがどした?】

「おまえは今、こいつらのハクにのみ影響している。ここで、ボクらがコンを解放しよう。そうすると、どうなるか?」


 祥之助が言葉を放った瞬間、黄金色が激しく光った。その内側にため込んでいたものを、一気に弾き出したんだ。


 物理学的にあり得ない光景だった。でも、確かにぼくは見た。


 十六人のコンというのが、それだったんだろう。十六個の光る球体が、それぞれ帰るべき場所へと一直線に飛んだ。球体は宿主の肉体にぶつかると、中へ消えた。


「う、ぁっ……クソ、重い」


 理仁くんが頭を押さえてうずくまった。

 負荷が一気にかかったんだ。理仁くんは対象の数量に合わせて、チカラの出量を調整していた。そこに十六人ぶんのコンが加わって、バランスが崩れた。


【無理……!】


 うめくように告げて、理仁くんがガクリと倒れた。リアさんが駆け寄る。


「理仁!」


 悲鳴が、そこここで上がった。コンを返された人々が、糸の切れた操り人形みたいに倒れている。北口広場は騒然とした。


 祥之助が哄笑した。


「ボクらのチカラのほうが上位だったな。四獣珠の預かり手諸君、どうだろう? 一度、ボクらと話をしてみないか?」


 ぼくと煥くんの声が完全に重なった。

「断る、と言ったら?」


 祥之助はきびすを返した。

「話すように仕向けるだけさ。それとも、話し合いなしで、ボクらの要求に従うか?」


 祥之助は立ち止まらず、振り返りもしない。黄金色の宝珠とともに、車に乗り込む。ドアが閉まる。車が発進する。


 車を追って駆け出そうとした煥くんを、ぼくが止めた。


「ぼくが行きます。車を追跡する程度なら、朝飯前です」

「チカラを使うつもりか?」

「使うまでもないですね。足、速いんですよ」


 ぼくはスポーツバッグからローラースケートを出して、ニッコリしてみせた。

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