二幕:集結_concentration
「怨む? 何のことです?」
総統の屋敷は、県境の山手のほうにある。市街地までは案外遠い。一本道だから迷う心配はないけれど。
ぼくは毎朝、ローラースケートで屋敷を出る。行きは下り坂。バイク並みのスピードが出るから、目を保護するためのバイザーを掛けている。
駅のそばに出たら、革靴に履き替える。ローラースケートはスポーツバッグの中。駅前で友人と落ち合って学校に向かうのが日課だ。
「はよ、海牙」
「おはよう」
「おまえ、昨日、また集会を抜け出したよな。担任がキレてたぞ」
「そろそろ学習してくれればいいのに。ぼくはこういう人間なんですが」
「だよな。海牙を枠に
瑠偉こそ、枠に嵌まらない。集会には出席しつつ、話を聞かずに内職していたようだ。
「投石機のモーションの動画、やっとサマになってきたぜ。これでようやく攻城戦のプログラムが組める」
瑠偉の趣味はコンピュータゲームの作成だ。小型のタブレットPCで、授業中でも隠れてデータを書いている。最近は前近代の戦争物を作っているらしい。情報工学系のスキルは、高校生のレベルじゃない。
瑠偉と知り合ったのは、総統の屋敷でのことだ。実は瑠偉も宝珠の預かり手で、チカラを持っている。
宝珠は基本的に単独では存在しない。四獣珠は四つでワンセット。七曜珠なら七つ、十干珠なら十、十二支珠なら十二。そんなふうに、バランスを取り合う相手が必ずいる。
セットとなる宝珠の母数が大きいほど、チカラは分散されて弱くなる。つまり、等級が低くなる。
瑠偉は十二支珠のうち辰の宝珠を預かる家系に生まれた。四獣珠に比べると、かなりチカラの弱い宝珠だ。預かり手である瑠偉のチカラもさほど強くない。本人曰く、ちょっと勘がいい程度の一般人だそうだ。
「それで、海牙、昨日は何人倒した?」
「三人」
「またカツアゲされかけたのか?」
瑠偉はニヤニヤしている。
緋炎は、大都高校の生徒を狙ってカツアゲしに来る。でも、ぼくと瑠偉にかかれば、あっさりと返り討ちだ。勘のいい瑠偉は運動神経も抜群によくて、小柄で幼い印象の外見とは裏腹にケンカが強い。
「昨日はカツアゲだけじゃなかったんですよ。美人がナンパされてたから助けまして。最終的には、その美人の連絡先を教えてもらいました」
「マジかよ!」
リアさんの一件を詳しく教えろと言われた。けれど、教えられるほどの進展もない。
「またそのうちに」
はぐらかしておく。髪を切ってもらった後に報告してやろう。
「海牙、おまえ、逆ナンされすぎだろ」
「応じたことはありませんし、昨日のは逆ナンとは違いますよ」
「おまえから声かけたわけ?」
「双方合意の上でした」
「言い方が怪しすぎ」
軽口を叩き合って、力の抜けた笑い方をする。
登校中のこの時間はいい。でも、学校に到着すれば、息もつけないような競争社会。ぼくと瑠偉はつねに上位にいて、下位から徹底的な敵意を向けられている。
角を曲がって、コンビニが目に入った途端。
瑠偉がビクッと肩を震わせて足を止めた。見張った目は、コンビニのほうへ向けられている。ぼくもつられてそっちを見て、ギョッとした。
コンビニのガラス壁に背中を預けて座り込んだ女の子が三人。
近所の公立高校の制服を、かなり派手に着崩している。緋炎関連の不良少女か。でも、様子がおかしい。
「酔ってんのか? それとも、クスリ?」
「両方、違うと思いますよ」
「だよな。目を開けた状態で寝てるみたいな、あれだな。ついに人間まで現れたか」
四月に入って、この界隈に異変が起きていた。異常な様子の動物が道端に座り込んでいる。人間的な表現をするなら、放心状態。まぶたは開いているけれど、目の前で手を振っても眼球が動かない。脈拍や呼吸の状態は、まるで冬眠中みたいだった。
近所の住人が警察と保健所に届けを出したらしい。その件について学校にも通達が来たのは、犯人探しが始まったからだ。
警察は何かの薬物だと疑っているようだった。高校生が関与した犯罪ではないか、とも疑っている。
「でも、化学物質ではないですよ、やっぱり」
「放心状態の動物を調べたときと同じか?」
「ええ。その気になって目を凝らせば、呼気に含まれるアルコール濃度だって、ぼくのチカラで観測して算出できるんです。そういう化学的な異常は、問題となっている放心状態の対象からまったく感じられない」
眉間にしわを寄せた瑠偉が、声を潜めた。
「サイエンスじゃ解決できないとなると、きついな。おまえがじっくり見ても、おれがプログラム走らせても、解析不能。でも、現象は確かに目の前に存在する。この現象についての情報をどう処理していいものやら」
科学的に解明されていない現象は、身近にたくさん存在する。
例えば、「コップに入った水の表面で、水分子は上を向いているのか、下を向いているのか?」というテーマ。分子レベルになると、モノそのものは、ぼくの目にも見えない。
ぼくも瑠偉も凝り性で、総統からは「謎があれば解けるまで考え続ける研究者気質は見事なものだ」と、呆れ半分に誉められる。でも、その実、ぼくたちは謎を放置することにも、ある程度は慣れている。そうじゃなきゃ気が狂う。
ただ、放置しづらい謎もある。
放置できるかできないかの基準は、たぶん、サイエンスという枠組みを超えている。倫理的な、あるいは生理的な、もしくは感性的な基準があるように思う。
瑠偉が吐き捨てた。
「何ていうか、胸クソ悪いんだよな。今回の件」
「ずいぶん熱くなってませんか?」
「勘が騒ぐんだよ。宝珠絡みのチカラが働いてんじゃないかって。海牙の玄獣珠がやたらと活性化してるし」
「玄獣珠の状態、瑠偉にもわかりますか」
「わかるさ。おれだって預かり手の端くれなんだ。
「お守りって言い方はないでしょう。でも、瑠偉にも玄獣珠の様子がわかっているなら話が早い」
玄獣珠から伝わってくる鼓動のようなリズムは今、高鳴っていて速い。以前、放心状態の動物を見たときもそうだった。脚を投げ出して座り込んだ女の子たちに、玄獣珠が不快感を示している。逃げ出したがっている。
「なあ、海牙、確かめたいことがあるんだ。玄獣珠が反応するかどうかを見たい。気になる人物がいてさ」
「その人物に会いに行って反応を見るってことですか? 誰なんです、それ?」
「二年の
「知りません」
「クラスメイトの顔も名前も覚えない男だったな、おまえ」
「興味のない男の顔と名前なんて、覚えるだけ無駄でしょう?」
「女なら全員覚えるのか?」
「興味のない女、以下略」
瑠偉の話によると、文天堂祥之助は、文系では全国トップレベルの成績らしい。学年が違う上に文理が違うから、まったく知らなかった。
さらに、文天堂家は県内でも有数の資産家だという。市内には文天堂グループ傘下のファッションビルがある。本屋が入っていない複合ビルなんて、ぼくは行く機会もないけれど、デートスポットとしてその名前を見聞きしたことくらいはある。
「その文天堂祥之助が、あの動物たちと関連しているんですか?」
「野良を、あいつが大量に買ったらしい」
「あの女の子たちは?」
「文天堂って、モテるらしいぞ。人脈がとにかく広いって話だ」
「瑠偉、その疑惑はどのくらいの確度があると考えてます?」
「胸クソ悪いこと言ってるって、自分でもわかってるよ。でも、おれはさ、辰珠くらいのちゃっちい宝珠のチカラでさえ、人間ひとりの人生を狂わせるのには十分だって、子どものころに目撃したんだ。超常的なチカラの前では、誰が何をしたっておかしくないと思う」
瑠偉の口調は確信的だ。でたらめを口にする男じゃない。それなりに調べて証拠をつかんだ上で、物を言っている。
「どこからそんな情報を?」
「最初は勘だよ。でも、文天堂を尾行して、実際に見た。あいつが、あの異様な放心状態の不良少年少女をはべらせてる現場。それと、黄色っぽい光、みたいなもの」
「黄色っぽい光?」
「みたいなもの、だよ。マクスウェルが電磁波の一種であると唱えた光、それ自体じゃなくてさ」
「アインシュタインが粒子と唱える光、それ自体でもない?」
「おまえが持ってる玄獣珠がボワッと光って見えるほうの、光。光みたいな何かだけど、三次元的に科学できないアレ」
ぼくは軽い頭痛を覚えた。
「昨日の今日で、この展開ですか」
「どした?」
「昨日、能力者に出会ったんですよ」
「マジ?」
「しかも、四獣珠の預かり手のうちの一人でした」
「宝珠って、集まりたがらない性質を持ってるだろ?」
「用事があるときは集まるようですよ」
「つまり、その用事があれか?」
瑠偉は、放心状態の女の子たちへと、あごをしゃくった。
「もしそうだとしたら、ぼくは何をすればいいんでしょうか。厄介だな」
「情報と仲間を集めるのがセオリーじゃねぇの? ひとまず、玄獣珠を文天堂祥之助に引き会わせてみよう」
二年生の教室まで文天堂祥之助に会いに行く必要はなかった。ぼくと瑠偉が正門の前に至ったときだ。
正門前には、生徒の送り迎えを想定した自動車用のロータリーがある。そこにドイツ製の黒い高級車が停まった。
ボディガードが先に車を降りた。後部座席のドアを開けて敬礼する。
「行ってらっしゃいませ、祥之助さま」
抜群のタイミングで姿を現した彼が、文天堂祥之助らしい。背丈は1,750mmほど。二年生としては、やや高い部類に入る。
瑠偉が肩をすくめた。
「あれが噂の文天堂祥之助だ。天から二物を与えられたって評判の、なかなか華やかな顔してるだろ」
「天から二物程度なら、全然珍しくもないんですが。ぼくはもっと持ってますし」
「人前でそういうこと言うの、ほどほどにしとけよ」
祥之助の両目の色に違和感があった。直感的に、黄色いと思った。でも、改めて観察しても、ただのブラウンだ。カラーコンタクトレンズでも入れている?
玄獣珠が、かすかに何か言った。いや、そんな気がしただけだろうか。
立ち止まっていたぼくと瑠偉に、祥之助は顔をしかめた。
「邪魔だ。そこ、どけよ」
挨拶もなく、
「年上の人間に対して、初対面で、その口の利き方ですか?」
「はぁ? 年上が何だって? ちょっと先に生まれたくらいで、無条件に敬われるとでも思ってるのか?」
「その考え方には同意しますが、いきなりケンカ腰で命令されるのはいただけませんね。ぼくのような
瑠偉がため息交じりに言った。
「おまえこそ、口調だけソフトでも、ケンカ腰じゃないか。いちいち過激なんだよ、海牙は」
祥之助が目を剥いてのけぞった。弾んだ前髪の動きが妙に硬いのは、ワックスでも使っているんだろうか。そういえば、眉の形も整えてあるし、香水のような匂いもする。
オシャレに手間をかける人間が大都高校にいるなんて、ちょっと想像できなかった。何せ、のっぺりしたグレーの詰襟をキッチリ着るせいで「墓石」とからかわれるのが、伝統的で典型的な大都高校の生徒だ。
「海牙って、おまえが、あの阿里海牙?」
「フルネームの呼び捨てとはまた失敬ですね。まあ、何にせよ、ぼくのことをご存じでしたか」
「知らないはずがないだろう。ボクはずっとずっとずっと……」
祥之助の両目に光が宿った。黄色い光、みたいなものが。
玄獣珠がドクンと激しく鼓動する。瑠偉がハッと顔を上げる。
ざらざらとして低い声が祥之助の口から染み出した。
【ずっとずっと、我は、
祥之助の口が動いた。声変わりしたばかりの細い声が言った。
「おまえを怨んでいる。こうも立て続けに屈辱を与えらえたのは初めてだ。許せない」
「怨む? 何のことです?」
ブラウンの目がぼくをきつくにらんでいる。玄獣珠は反応しない。
「ボクはおまえを超えなければならない。しょっちゅう学校を抜け出して遊び歩いてる程度のおまえなんかに負けていられない」
「超えるって、成績のことですか?」
「現時点では、阿里海牙、おまえが去年叩き出した全国模試の順位や点数のほうが、ボクよりも上だ。でも、これからボクが引っ繰り返してやる。ボクは必ずおまえに勝たねばならない。なぜなら、ボクには背負うべきものがあるんだからな」
「背負うべきもの?」
「ボクには将来が約束されている。それはつまり、将来への責任がすでに発生していることを意味する。ボクは誰にも負けられない身分にあるんだ」
ぼくはかぶりを振った。いちばん話が噛み合わないタイプの相手だ。
「きみと競うことに興味ありませんね。きみが勉強するのは、現在と将来の名誉のためなんですね? ぼくは違う。ぼくはただ、知りたいことや学びたいことがあるから勉強するんです。成績なんて、その副産物に過ぎません」
ぼくは祥之助に背を向けて、歩き出した。瑠偉が隣に並んだ。
祥之助が何かをわめく。声が裏返る。あのざらざらした低い声ではない。さっきのは何だったのか。
足音が走り寄ってきた。攻撃的な手がこちらへと伸ばされる気配。ぼくは振り返りざま、ローラースケートが入ったスポーツバッグを叩き付けた。
「すみませんね、手加減できなくて。背後に立たれるの、苦手なんですよ」
祥之助のボディガードが右手を抱えて呻いた。祥之助は、ボディガードには目もくれず、ぼくに指を突き付けた。
【玄獣珠の預かり手よ、汝に話がある】
ざらざらした低い声。音ではない、意識に直接突き込まれる思念の声。
ぼくの顔色が変わったせいだろう、祥之助がニヤリとした。
「放課後、午後七時に正門前で待っていろ。怖がらなくていい。話し合いだ。食事くらい出してやる」
瑠偉がぼくを見た。喉が干上がる感触がある。
玄獣珠のことを知られている。不気味で不快だ。祥之助も宝珠の預かり手なのか? でも、四獣珠ではない。だったら、何者?
ぼくは口元に薄い笑みをこしらえた。あせりも不快も、悟られたくはない。
「お断りします」
「何だと?」
「放課後には先約がありますので」
祥之助が鼻にしわを寄せて、にらみながら笑うような、鼻の上から見下す表情をした。
「おまえを招いているのは、ボクではない。彼はボクのように温厚ではないよ? 怖い目に遭いたいのか?」
「いえ、どう考えても、先約をスルーするほうが怖い目に遭うんですよね」
今日の十九時は、玉宮駅前のストリートライヴだ。さよ子さんとの約束をすっぽかしたら、怖いというか、ひたすら面倒くさい目に遭う。
祥之助について何もわからない状態で、一人で誘いに乗るのは愚策だ。総統に話すほうがいい。朱獣珠の
ぼくが再び背を向けると、今度は、祥之助は追ってこなかった。
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