197:ときには逃げることも、恥じゃないよなって話


 帝国軍の総大将は、公爵であるドルガンデス・ドーラ・バルタークだが、帝国の兵士たちは知っている。真の総大将が誰なのか。

 それは戦場に似つかわしくない豪奢な漆黒のドレスを身にまとった魔女。ベラ・バルタークその人であることを。


 総大将が使うものより立派な天幕でくつろいでいるのは、もちろんベラである。

 置いてある調度品も一級品。

 何人ものメイドが、ベラの身の回りを世話している状況は、とても戦場とは思えない。

 陶器製のバスタブが持ち込まれ、ベラは薔薇を浮かべた風呂に浸かっていた。メイドがせわしなく濡れガラスの髪に香油を塗っている。


 そこに挨拶もなく入ってくる人影。


「ひっ!?」


 メイドが喉の奥で悲鳴を上げるが、ベラは冷たい視線を人影に向けるだけだ。


「貴方、女性の入浴中に失礼ではなくて?」

「人間のメスに興味はねぇよ。それより、状況がおかしいんだ」

「……戦争は殿方の仕事ですから、私に言われましても」

「いやいや。戦況の話じゃねぇんだよ。敵の反撃が目に見えて減っててな」


 ベラは嫌そうに眉をしかめる。


「ですから、それが殿方のお仕事では」

「敵が全く反撃をやめたって言ってもか?」

「今さら降伏するつもりなのでは? 許すつもりもありませんけれど」

「そういう感じじゃねぇ」

「……はぁ。お父様を呼んでください」

「あいよ」


 蜂男は天幕を出ると、すぐにドルガンデスを連れてきたが、目はうつろで口からはよだれが垂れている。


「うーん。薬が効きすぎてんなぁ。与えすぎじゃねーの?」

「言うことを聞くならそれでいいのです。さてお父様、今すぐミズホに特攻して、様子を見てくださいまし」

「あ……う……様子……見る」


 ドルガンデスはぶつぶつと呟きながら、兵士宿舎へと危なげな足取りで行ってしまった。

 蜂男も肩をすくめて一緒に出て行く。


「まったく。誰も使えないこと」


 しばらくすると、蜂男が戻ってきた。どこか怒りを感じる。


「どうしましたか?」

「いねぇ!」

「は?」

「誰もいねぇんだよ! 人っ子一人な!」

「意味がわかりません。全員死んだのなら、貴方の希望通りでしょうに」

「ちげぇよ! 死体一つねぇんだよ! 煙みたいに全員消えちまった!」

「なにを馬鹿なことを」

「俺はな! 苦しんで苦しんで打ちひしがれ、絶望の表情を浮かべながら死んでいく奴らを見たかったってのに、これはどうなってんだよ!?」


 蜂男は興奮して、手近のマホガニー製テーブルを手刀で粉々にする。恐るべき威力だ。

 メイドたちは恐怖に顔を青ざめ、部屋の隅でガタガタと震えている。

 ベラは小さくため息を吐く。


「落ち着きなさいな。抜け道など探したのですか?」

「逃げられるとしたら、逃げ道か転移門だが、どっちも狭いから、この数日で国民全員逃げられるわけねぇだろ!」

「とにかく兵士に原因を探させなさい。あと、貴方はずっとこの国に潜入していたのでしょう? もう一度心当たりを探してきなさいな」

「ふん。人間風情が偉そうに!」

「もうすぐお仲間になるではありませんか」

「……けっ。可能性は転移門だろう。もう一度調べてくる」

「それがよろしいかと」


 そこらの物に八つ当たりしながら、蜂男がようやく出て行く。


「国民などどうでもいいのですよ。あの憎きカイルさえ捕まえられれば」


 しかし、カイルはおろか、ミズホの住人も人っ子一人、見つからないのであった。


 ◆


『聞こえたナリか?』

「ええ、チヨメさん。それ以上そこに潜むのは危険です。今からは離れて帝国軍の監視をお願いします」

『了解ナリよ』


 ここはエリクシル城の作戦室。

 俺を含むカイルの重鎮が集まっていた。もちろん国王であるヴァンやバティスタ爺さんなども勢揃いである。あとなぜかジタロー。たぶん精神感応指輪を持っているからだろう。

 それに内緒で俺の弟分になった、現人神ムテン・イングラムと将軍シンゲンに御三家当主。あとノブナだ。


 ノブナがいる理由は、チヨメに精神感応指輪……通信の魔導具を渡すのに、主人であるノブナにも渡しているからである。


 なお、魔導具を持たされている生産ギルドのプラムは呼ばれていないし、情報の共有もされていない。

 ……ますますジタローの立ち位置がわからんが、ヴァンに気に入られているのが一番の理由かもな!


「チヨメさんには危険な任務を頼みましたが、おかげで貴重な情報が手に入りました」


 カイルがチヨメの無事に安堵しながら、身体の力を抜いた。

 続いて、国王のヴァンが偉そうに腕を組む。


「ミズホ神国から、緊急で国民全員の避難を打診されたときは焦ったが、間に合って良かったぜ」

「陛下。お言葉遣いが乱れております」

「かー! ザイードはかてぇなぁ! ムテン様もシンゲン殿も構わんと言ってるだろうに!」

「しかし……」


 さらに注意しようとするザイードだったが、ムテンがわずかな笑みを浮かべて遮る。


「ふふ。構いません。私も堅い口調を続けるのは大変ですから。シンゲンも同じですよ」


 目の見えないムテンだが、瞳を閉じたまま紅茶を口にする姿は気品溢れる。

 シンゲンが頷いた。


「うむ。我らを受け入れてくれたヴァインデック陛下には、ぜひ友のように接して欲しいと思うておる」

「……わかりました」


 そこまで言われて、ようやくザイードが引く。それにしてもザイード兄ちゃんもぶれないね!

 あと、シンゲンとヴァン。脳筋同士で気が合うの知ってるからな!


「ノブナの配下に危険な任務を押しつける形になったがな」

「陛下。これはもともとミズホの問題。むしろ誉れある任務をあたしの配下に下してくださり感謝しております」

「そう言ってくれると助かる。転移門の破壊と情報収集。戻ってきたら勲章を用意しておこう」

「ありがたき幸せ。ですがチヨメには帝国軍の動向を探る任務が残っております。それが成功した暁に名誉を頂戴いただければ幸いにございます」

「ああ。もちろんだ。それにしてもミズホの密偵……忍とか、くのいちとか言ったか。恐ろしく優秀だな」


 ヴァンに対して、今度はシンゲンが答える。


「うむ。チヨメはミズホ一の忍よ」

「こちらも見習わなくてはな。……さて、今後帝国はどう動くと思う?」


 即座にチヨメの父、ハンベエが持論を披露した。


「チヨメが盗み聞いた限り、敵の総大将はカイル様に強い恨みを持っているようですから、やはりこのゴールデンドーンに攻め入るのが濃厚かと」


 確かオブライエン家の当主であるモトナリも続く。


「くくく。まぁ間違いないでしょう」

「ふむ。ではそう仮定して、敵軍はどの程度の期間でここに来ると思う?」

「くくく。相手は軍隊です。魔物に襲撃されないと仮定して、どんなに早くても三ヶ月と言ったところでしょう。普通に考えたら食料に困らなくても四ヶ月ですね」


 凄いな、このモトナリっておっさん。即答だよ。


「よし。では二ヶ月をめどに、ゴールデンドーンの防衛強化に全力を尽くせ。その頃に王国軍も派遣できるようにしておく。カイルは設備と兵力の増強に努めよ」

「はっ!」

「もちろん我らミズホの武士も参戦させてもらおう!」

「期待している。では、しばらくはカイルとザイードに任せる。俺は王国の運営もあるからな」

「ならば、いいかげん執務も王国で執行してはいかがでしょう?」

「う……いいんだよ。ここの方が情報が早い」

「はぁ。まったく」


 マジでザイードぶれねぇな!

 ここで王都側の人間が執務室へと移動を始める。出て行こうとしたヴァンが、足を止めジャビール先生に振り返った。


「ジャビール。貴様が戦争を嫌っているのは知っているが、今回は明確にこちらに大義がある。カイルに協力してやってくれ」


 そういえば、ジャビール先生は帝国出身なんだよな。そう命令されても素直に頷けないのでは。


「う……む」

「なに、面倒なのは弟子に押しつければいい」


 なぜかヴァンが俺にウィンクを飛ばす。やめろ! 気色悪い!


「私なりでよければ、強力するのじゃ」

「それでかまわん。任せたぞ」


 なんでそこで、先生も俺を見るんですかね!

 苦労の予感しかしないんですけど!?


 まぁ、カイルのためだから頑張るけどさ!

 こうして、俺たちは防衛のために奔走を始めるのであった。


「おいらも頑張るっす!」


 ……まぁ、食料は大事だよね? 狩人さんよ。



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