196:戦争は、なにが起こるかわからないよなって話


 地平を埋め尽くす魔物を、ようやく駆逐したミズホ神国の前に、さらなる脅威が押し寄せていた。

 ハンベエが城壁に駆け上がる。


「ノブナ! 管狐くだぎつねだ!」

「わかったのよ! 我は願い奉る。冥府よりおいでませ! 管狐くだぎつね童子!」


 ノブナが呼び出した式神は、リスほどの大きさのキツネ。そのキツネがハンベエの肩に止まる。

 この式神は、触れている者に千里眼を与える能力を持っているのだ。

 ハンベエが千里眼の力を使って、地平を睨む。


「バカな……帝国め。いったいどうやってあれほどの大軍勢を連れてきたと言うのだ!?」


 帝国の旗を翻した軍勢は、目視で軽く三十万を超える。

 愕然とするハンベエの肩から、管狐がノブナに移り、彼女も目を見開く。


「まさか、転移門を作ったっていうのよ?」


 それに対して、ハンベエが首を横に振った。


「転移門は、クラフト殿が最近復活させた技術とのことだ。それはないだろう」

「じゃあ、魔物溢れる広大な森を、あの大軍で進軍してきたっていうのかしら?」


 ミズホ神国とデュバッテン帝国の間には、山岳地帯と広大で魔物の巣くう危険な森が広がっている。

 実力のある冒険者などは、少数で一気に突っ切ることが出来るが、それでも途中で息絶えることが多い。それに比べ、進軍速度の遅い軍勢などで進もうと思えば、何ヶ月もかかるし、その間にどれだけの兵が魔物にやられるか想像もつかない。


 もちろん軍勢であるから、魔物を撃退は出来るだろうが、長期間魔物の生息域に晒されるのだ。全滅してもおかしくはないだろう。それだけ魔物の徘徊する深い森というのは危険なのだ。

 なにより、帝国とミズホ神国の間には安全な街道などなく、獣道に毛の生えたような細道しかない。


 それがわかっている二人だから、突然現れた大軍勢が理解できないでいた。

 今までほとんど国家間の交流のなかった帝国だが、間違っても友好的な関係を築きに来たのではないだろう。


 まさかとは思うが、まだまだ魔物の生存圏が人類の生存圏を遙かに上回っているこのご時世に、侵略戦争をおっぱじめるつもりかと、ハンベエが戦慄する。


 おそらく敵である帝国の軍勢を凝視していたが、突如空中に半透明の美女が映し出された。なにかしらの魔法かアーティファクトの力だろう。


 黒で統一された豪奢なドレスは、驚くほど戦場に似つかわしくないが、レースの扇子を口元に当てた美しさは本物。妖艶という言い方を体現したかのような女であった。


『ミズホ神国よ、わたしたちはデュバッテン帝国である』


 広域に女の声が響き渡る。心の奥を撫でるようなぬめりを感じる艶やかな声であった。

 ハンベエは戦場に場違いな貴婦人に眉をしかめる。


『ミズホ神国は速やかに我がデュバッテン帝国に降伏し、属国になることを承認しなさい。これはガドラック・ユリーウス・カエサル・デュバッティゥス皇帝陛下による勅命であり、慈悲である』


 事前通達もなにもない突然の降伏勧告。まさに問答無用だ。だが、それを言い切るだけの戦力が向こうにはある。ハンベエとノブナは歯ぎしりを隠さなかった。


『服従の証明として、ムテン・イングラムとカイル・ガンダール・ベイルロードの身柄を渡しなさいな。皇帝陛下の名のもとに、丁寧に扱うことを約束してあげましょう』


「ムテン様を呼び捨てるなど無礼千万なのよ!」

「カイル殿を要求する意味が全くわからぬ。それに彼の名前が古いままとは……」


 現人神である、ムテンを呼び捨てにされ、ミズホの住民が一斉に激怒する。それまでの激戦による疲れなど、忘れたかのように国中が震えた。


『明日、太陽が真上に差し掛かるまでに二人の身柄を渡さない場合、不本意ながら実力を行使することになりましょう。なお、交渉には一切応じないので使者を寄こしても帰ってくることはないでしょう。それでは賢明な判断をお待ちしております』


 そう言い放つと、女の幻影がすっと消えた。

 あまりに一方的な物言いに、武士だけでなく国民全員が怒りで声を張り上げ、魔物との戦争中よりも騒がしくなってしまう。


 そんな怒号が飛び交う最中、ハンベエとノブナのもとへ、一人の武士が走り寄ってくる。御三家の当主の一人、モトナリ・オブライエンだった。


「聞いたか、ハンベエ」

「妄言ならばな」

「くくく、我らがムテン様を人質として求めるなど、宣戦布告以外のなにものでもありませんな」


 するとノブナの方が先に沸騰する。


「あんな奴ら皆殺しにしても足りないのよ!」

「くくく……それは国民全員の総意でしょうが、残念ながら勝てる兵力ではありませんね」

「臆したの!? モトナリ! オブライエン家の誇りはどこかに落としたのよ!?」

「やめろノブナ。モトナリの言っていることは正しい」

「でも……!」

「くくく。精神論で勝てるなら、我がミズホ神国は無敵なんですがねぇ」


 ノブナは近くの壁を蹴っ飛ばし、怒りをあらわにする。


「モトナリ、まさかノブナをからかいに来ただけではあるまいな」

「そんなつもりはなかったのですが、次期当主としてはいささか思慮にかけるかと」

「次期当主はあたしじゃなくて、弟のカネツグなのよ」

「くくく、それは失礼。やはり、良い家に嫁ぐのがよろしいかと」


 こんなときなのに、モトナリがノブナを妙にねっとりとした視線でなめ回す。


「ふん。少なくとも、貴様の後妻に入れる予定はないがな。それで、モトナリ。なにをしに来たのかそろそろ教えてはくれぬか?」

「ああ、それですが、御三家の当主は速やかに御所に集合とのことです」

「早く言わんか! いくぞ、モトナリ!」

「くくく、もちろんですとも」


 こうして、将軍シンゲンと現人神ムテン。それに御三家を含めた重鎮たちで、短い話し合いが始まる。

 結論はすぐに出た。


「国民よ! 徹底抗戦である!」

「「「うおおおおおおお!!!」」」


 当然、無条件降伏など受け入れられない。なにより、現人神であるムテンを差し出すなど言語道断であった。

 それに、籠城であれば、帝国軍の兵糧がなくなるまでなら、なんとか守り抜けるだろうという判断である。

 もちろん、それは大型の転移門から、食料や武具が供給できるという前提があればこそだ。


 だが、帝国軍の攻城は想像以上に激しい。

 長かった魔物との戦いで披露していた武士の問題だけでなく、帝国は魔物と違い、効率的に城攻めをしてくるからだ。


 例えば何百ものはしごで一斉に城壁を越えようとしたり、穴を掘って侵入しようとしたり、火攻めをしたり、水脈を断ち切ったりである。

 さすがのミズホ武士たちも、限界であった。

 それでも、敵の食料さえ尽きればと、無理を押して戦おうと決意している。


 そして、帝国との開戦から五日ほど経ったときのことだ。再び空に例の女が浮かび上がる。


『皇帝陛下のご慈悲を足蹴にした、下等なるミズホ民よ。あなたたちは無駄な抵抗をし、帝国臣民を虐殺している』


 とんでもない言い分だ。虐殺しようとしているのはどっちだと、ミズホ民たちは口々に叫ぶ。


『そんなあなたたちには、普通の死すら生ぬるい。今より、絶望を与えましょう』


 それまで女だけが写っていた幻影の横に、新たな人物が浮かび上がる。いや、人物のような。と言うべきだろう。


 それは人のような手足を持った蜂……身体の表面に黄色と黒の縞模様が走り、嫌悪感を抱かせる。見知らぬ亜人とは思えない。

 ノブナはゴールデンドーンとの交流期間中、爬虫類寄りのリザードマンを見たこともあったが、不思議と亜人だと理解できていた。

 しかし、今浮かび上がる蜂の異形のことを同じ亜人だとはどうしても思えない。


 蜂の化物が、どこからともなくなんらかの魔導具を取り出し、それを天にかざすと、闇色に輝いたあと、崩れ去った。


 なんらかの魔術攻撃を恐れ、ノブナやハンベエたちは身を固くしたが、特になにも起きない。

 だが、女は扇子で隠しきれない嫌らしい笑みを浮かべ、大仰に腕を振った。


『それでは、己の愚かさを後悔しながら、死んでいきなさいな』


 それで幻影は消える。ノブナは意味不明な行動に、思わず独りごちた。


「……なんなの?」


 それに反応したわけではないだろうが、直後にくのいち猫獣人のチヨメが姿をあらわす。


「帝国軍に動きがあるナリよ」

「どう動いてる?」

「城壁から一定の距離をおいているナリ」

「包囲網を城から離したってこと? どういうことなのよ」


 その答えは、一時間もしないうちに判明する。

 物見の兵士が叫んだ。


「ま、魔物が! 大量の魔物が集まってきています!」

「またスタンピードなのよ!?」


 なぜかノブナの近くにたまたまいたモトナリが続く。


「くくく。ちょうどいいではないですか。魔物と帝国軍が潰し合ってくれれば万々歳ですよ」

「それもそうなのよ」


 だが、この二人の希望は打ち砕かれる。

 魔物の大軍と帝国軍の間に、黄色と黒の縞を持つ、蜂の化物が立ったことで。


 蜂の化物が、腕をゆっくりと地面と平行に上げる。真っ直ぐにミズホ神国を指さすと、それまでバラバラに動いていた魔物たちが、ひとかたまりになって城へと殺到したのだ。

 帝国軍には目もくれず。

 それに呼応するように、帝国軍は遠距離攻城攻撃を再開する。


 この瞬間、ミズホ神国の敗北が決定したのであった。



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