190:暗躍は、遙か彼方でって話
その部屋は、暗闇に包まれていた。
分厚い石壁で囲われているにも関わらず、窓一つない。だから部屋中に淀んだ空気が充満していた。
牢獄と見間違えそうになるが、不釣り合いなほど豪奢なマホガニー製のテーブルとチェアが鎮座しており、ここが高貴な人のための部屋だと主張している。
そして、繊細な彫刻の施された家具に相応しい美女が座っていた。
その美女の名は、ベラ・ベイルロードという。いや、すでにベイルロード家からは外されているため、ただのベラになっていた。
ベラはカイルの父であるオルトロス・ガンダール・フォン・ベイルロードの妻であったが、義理の息子と娘であるカイルとマイナ、それに実の息子のザイードに呪いを掛けるという、許されざる犯罪を犯し、指名手配されていたが、見事に国外逃亡に成功し、現在は実家であるバルターク公爵家に出戻っている。
ベラは齢48だが、その見た目は20代後半にしか見えない。オルトロスの長男フラッテンと同じく、若返り薬を常用していたと噂されていた。
そんな彼女の見た目は魔女と呼ぶべき妖艶さを醸し出している。
部屋にはベラ一人。彼女はゆっくりと扇子を口元に当てた。
「……カイル。本当に邪魔な子」
一度扇子を開いて、パチンと閉じる。
「本当なら、ザイードにベイルロードを継がせ、安全に進軍する予定だったというのに」
パチン、パチンと扇子が何度も音を立てた。
「順番が狂いましたが、あの邪魔な小国家群……その盟主国となっているミズホ神国を先に潰してしまいましょう」
バチン! と一際大きく、扇子を閉じると、ベラしかいないはずの部屋に、男の声が響いた。
「それしかねぇな」
だが、ベラは驚くでもなく、当たり前のように会話を続ける。
「準備は?」
「問題ねぇよ。それよりあんたは?」
「お父様の洗脳は終了しました。皇帝も今日中に押さえますので、すぐに勅令を出させます」
「ほんとに大丈夫なんかよ?」
ベラが眉をつり上げ、壁を睨む。
いや、それまで確かに誰もいなかった壁際に、誰かが寄りかかっていたのだ。
人、ではない。
その姿はまるで蜂のような魔物であった。正確には、亜人のように蜂の特徴を備えた人型の魔物……だろう。
蜂男は組んでいた腕を、やれやれと、肩の高さで広げていた。
「問題ありません。すでに軍も掌握済みです」
「ふーん? ならいいが、王国んときみたいな失敗は勘弁して欲しいね」
「っ!」
バチン! バチン! と扇子を何度も開け閉めすることで、不快であると見せつけるが、蜂男には響いていない。
「頼むぜ? 成功したら、約束の
蜂男が小瓶を摘まみ、ゆらゆらとベラの前で揺らす。
「ああ! それが最後の……!」
手を伸ばして小瓶を取ろうとするも、蜂男はさっと小瓶を隠してしまう。
「王国を落としたらって話だろ?」
「っ!」
ベラが蜂男を睨みつける。
「まあいい、帝国の掌握はほぼ終わってるみたいだからな。特別に
言いながら、蜂男が先ほどとは違う小瓶をベラに投げると、彼女は慌ててそれを受け取り、血走った目で小瓶の中身を飲み干した。
すると、彼女の全身から蒸気のような煙が上がり、わずかだが、肌つやが良くなっていく。
若返り薬のアムリタ……ではない。
それは、とても危険で、許されざる薬であった。
「ふ……ふふふふ……大丈夫」
先ほどの憤りもどこへやら、ベラは満面の笑みで呟く。
「近日中には全て予定通りに進めておきましょう」
彼女の言葉に応える者はいない。すでに部屋には彼女一人だけだったのだから。
しばらく若返りの余韻に浸ったあと、彼女は音漏れしない分厚い扉を開いて、外にいた兵士に伝言を頼む。
すぐに老齢の男がやって来た。
「ふふふ。お父様、始めましょう?」
「……ああ」
彼女の父親、ドルガンデス・ドーラ・バルターク公爵は覇気のない声で答えると、兵士に号令を掛けた。
そう、皇帝陛下を捉えよと……。
◆
ミズホ神国中に、鐘の音が響き渡る。
武士と呼ばれる戦士が街中を駆け回り、住民に避難を呼びかけていた。
「領民は速やかに所定の避難場所へ! 商人たちはすぐに領外に逃げるか、我らの指示する場所へ移動するように!」
武士の怒号が飛び交うと、住民は手荷物一つで家から飛び出し、ぞろぞろと城壁の中へと移動を開始する。
ミズホ神国は小国であることを逆に生かした造りになっている。幾重にも連なるような市壁と住居が入り組んだ形になっていて、中央の城に近づくほど堅牢になっていた。
「なるほど、街の形そのものが、一種の防壁になっているんだな」
俺の呟きに、レイドックも頷く。
「山城に近い造りだな。特に中央から三枚目までの壁は守りに強い構造になってる」
「だから、街中にも武士が多く配置されてるのか」
走り回るミズホ兵を見ていると、もっとも外側の市壁だけでなく、区画を区切るように並んでいる市壁や城壁にも配置されているようだった。
「緊急時には外側の住居自体が敵の侵攻を遮る壁になるに設計されているんだろ。造りとしてはよくあるが、この国の構造はそれを徹底しているな」
俺はなるほどと頷く。
現人神ムテンの御所を中心に、幾重にも張り巡らされた防壁と、区画ごとに詰められた住居にはそんな意味があるのか。
御所を囲うように御三家の城があり、住民たちはその城内へと避難していく。
小国だからこそ出来る避難方法だな。
実は、ゴールデンドーンの城も、全住民が避難できる造りになっていたりする。だから城とそれを囲う城壁は、まさに鉄壁である。
俺とレイドックの会話に、誰かがナチュラルに参加してくる。
「だからこそ、この国が一番安全なんだよねぇ」
「小国家群の盟主国と言われることはあるんだな」
「ああ。逃げ込むならこの国に限るね!」
「国民以外の人間も受け入れてるのか……って! おいこら! てめぇなにしれっと会話に混ざってんだよ! ルーカス!」
あまりに自然に参加してたんで、一瞬気づくのが遅れたが、何食わぬ顔で俺たちに混ざっていたのは、旅の途中で知り合った、帝国の冒険者であるルーカス・リンドブルムだった。
レンジャーの紋章持ちのようで、危険な小国家群周辺を一人旅しているらしい。
「ところでなんで俺は、むさい野郎なんかと話してるんだ?」
「知るか! 勝手に参加してきたのはお前だろ!」
「いやー。面白い話をしてたんで、ついよー。こういう都市って、どうやったら落としやすいんだろうな」
相変わらず軽い男である。見た目も会話も軽い。
「いくらなんでも不謹慎だろ」
今まさに魔物に攻められている街でする会話じゃないだろ。
「そうかもしれないけどよー。そういうの気にならない?」
そう言われると、気にならないとは言い切れない。もっとも城攻めなんてしたくもないが。
レイドックは少し首をかしげる。
「傭兵じゃないから詳しくないが、こういう堅牢な城を落とすのは、昔から物量か籠城って相場が決まってるな」
ルーカスが、頭の後ろで腕を組んだ。
「ふーん。籠城ってたしか、城とかに閉じこもるやつだよな。守るほうが有利なんじゃねーの?」
「囲う戦力が突破されないって前提になるが、援軍の予定がなきゃ籠城側はいずれ干上がる。囲う方の食料が補充されないと、ただの我慢比べになるけどよ」
「なるほどなー。食料がなくなるまで囲うのか。えっぐいなー」
「ま、人間同士の戦争の話さ。今回みたいにスタンピードしてる魔物が相手なら、籠城は有効だぜ」
「面白い話だな。よし! ちょっとそこらの女の子に知ったかしてくるわ!」
そう言ってルーカスがエヴァの方に走っていき、しばらく後、風魔法で追い払われていた。
「……なにをやってるんだ、あいつは」
「ほっとけ、おかげで緊張感はなくなったしな」
「緩み過ぎだろ……」
俺とレイドックは、同時に肩をすくめて、やれやれと首を振るのであった。
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