第8話 君はもう、そんなことをしなくて良いんだ
決戦の朝。
信也は学生服の襟を留め、眼前に整然と並ぶ少女たちを見回した。誰もが今の信也と同じように、決意を胸に秘めた表情をしている。
「おはよう。覚悟はできてるか」
信也の問いかけに、少女たちは一様に頷く。それを見た信也も静かに頷き返した。
「結構。それでは作戦開始」
信也を先頭に、少女たちは校門を抜ける。
そして、眼前に広がる森へと縦列を組んだまま分け入って行った。
――――
森の一部が人為的に切り拓かれ、切り立った崖の前にはおよそ50メートル四方の広場ができていた。その崖の一部がくり抜かれ、両脇に立てられた松明の前には見張りらしきオークがいかにもやる気なさそうに立っている。
洞穴からはひっきりなしにオークが出入りしていて、どこからか略奪してきたのであろう麻袋を洞穴の中に運び込んでいた。
茂みの陰からその様子を伺っていた信也は、後ろに控えている少女たちにハンドシグナルで持ち場につくように伝える。
信也の指示を受けた雨宮たちは極力物音を立てぬように、身を屈めたままそろそろと4列横隊の隊列を組む。同時に天谷たちが自分の弓に弦を張り、すぐに矢を番えられるよう、地面に矢を突き立てた。
それを見た信也は高鳴る胸に手のひらを当て、得物が滑らないように汗ばんだ手を拭う。
「よし、全員持ち場についたな。それじゃあ、派手に始めるとしよう。攻撃開始」
天谷たちは矢を番え、見張りのオークに矢を放つ。
弦鳴りと共に放たれた矢は狙い違わず見張りのオークに突き刺さり、一斉射で瞬く間に2匹のオークを絶命させた。
洞穴から出てきたオークが倒れた仲間を見て叫びをあげると同時に、天谷の矢が眉間に突き刺さる。叫びを聞いたオークが洞穴から棍棒を片手にわらわらと湧き出てくるが、何しろ大して広くもないひとつの出口に集中するものだから良い的でしかない。
「司令、そろそろ矢が尽きる!」
天谷の鋭い声が飛ぶ。学校中の矢をかき集めたとはいえ、その数はせいぜい数百本。何回か斉射すれば打ち尽くしてしまう。
「了解。総員白兵戦用意!」
信也の号令で雨宮小隊と三浦小隊がいつでも飛び出せるように全身に力を込めた。
「これで――最後!」
天谷が最後の矢を放つ。
「突撃!」
同時に信也が掲げた手をオークたちに向かって振り下ろしながら駆け出した。
「おぉー!」
少女たちも雄叫びをあげ、信也に続いて弾かれたように駆け出す。
一方的に狙撃されて右往左往していたオークたちは、何事かと仰天した様子で信也たちを見る。その目に信也は槍の穂先を突き立て、腹を蹴り飛ばしながら槍を抜き取る。
「ぶごぉっ!」
信也の姿を見たオークたちが、棍棒を振りかぶりながら一斉に群がってくる。
しかし、信也が狂気じみた笑みを浮かべながらその場にしゃがみ込むと、後ろに控えていた少女たちの槍衾が考え無しに突進してくるオークの群れを串刺しにした。
「散開して出入口を包囲しろ! 出てきた頭を叩く!」
頭数で劣る信也たちだが、それは正面から一斉にぶつかった時の話に過ぎない。今回のように相手が狭い出口から散発的に出てくるならば、その瞬間だけは信也たちのほうが数的優位に立つことができる。
数的優位な状況を維持すること。そのための地形を確保すること。それさえできればあとは圧倒的に有利な戦闘を繰り返すだけで相手は殲滅できる。幸いなことに、相手は退くことを知らない。
信也たちは洞穴の出口を完全に包囲し、洞穴から湧き出てくるオークたちを次々に串刺しにした。倒れたオークの死体で出口が狭くなり、それを押しのけようとするのでますます動きが鈍くなる。
こうしてどれだけの時が流れたか、ついに洞穴からオークが出てこなくなった。
信也は足元に転がるオークの死体を踏み付け、洞穴の中を透かし見る。
「さて、そろそろタネ切れか? あっけないもんだな……総員警戒態勢に移行。天谷さんは矢を回収してくれ。三浦さんは周辺警戒。雨宮さんは僕と一緒に内部の探索に行こう」
「了解」
3人はそれぞれ信也の指示に従い、隊員たちに指示を出していく。
信也は入り口の傍のたいまつを取り、もう一方を雨宮に持たせる。
洞穴は小柄な信也たちであれば裕に4人は並べる広さであり、天井までもそこそこの高さがある。松明で照らし出された内部は、電気の明かりに慣れた信也たちの目にはどうにも薄暗かった。
「まだ敵が潜んでるかもしれない。厳重警戒しながら検索する」
「了解です」
雨宮の声が緊張で上ずる。洞穴の中はさながらお化け屋敷のようであり、飛び出てくるのは作り物のオバケではなく、本物の化け物なのだから当然と言えば当然だろう。
通路には略奪してきた資材が雑多に積み上げられていて、死角も多い。信也はその一つ一つを丁寧に照らしながら先頭を歩き続けた。
「司令、あそこ」
「ん?」
雨宮の声に信也が顔を上げると、10メートルほど進んだところで通路が終わっていた。その両脇には雑に木で作られた粗末なドアがある。ドアといっても鍵のようなものは見当たらず、単に木の板に取っ手をくっつけただけのものだ。
信也は顎で雨宮たちを左手側のドアの向かいに立たせ、全員が武器を構えたのを見てから一気にドアを蹴破った。すぐさま雨宮が松明で中を照らし、武器を持った少女たちが中を覗き込む。
「貯蔵庫……ですかね?」
「みたいだな」
ドアの向こうは教室ほどの部屋になっており、正体不明の乾燥した肉の塊や、樽などがぎっしりと積み上げられていた。樽を槍の柄で叩くと重い音が響き、中身が詰まっていることを知らせる。
「ああ……肉だぁ……」
少女の一人が感極まった様子で呟く。信也もまったく同感だった。この世界に来てからというもの、野草や木の皮しか口にしていない。腹はそこそこ満たされるのだが、何しろ味の付いた食べ物が恋しかった。
しかし、今はもう一方の部屋の検索が先決だ。
肉の山から苦労して視線を引きはがした信也は、同じように雨宮たちをドアの向かいに立たせ、右側のドアも蹴破った。
部屋の中を照らし出した雨宮が、眼前に広がる光景に思わず武器を取り落として口元を手で押さえる。「ひっ」という短い悲鳴を漏らす少女もいた。さしもの信也も眉をしかめる。
右側の部屋は倍くらいの広さがあり、だだっ広い部屋の中には何十人もの女たちが裸で転がされていた。部屋全体に充満する饐えた臭いが、ここで何が行われていたかを嫌が応にも想像させる。
「うっ……えぇっ」
こらえきれず、少女のひとりが苦しそうに嘔吐する。
「洞穴の中に敵はいない。具合の悪い子を外に出してやれ」
「了解」
雨宮も青い顔をしながら、それでも隊員に指示を出すだけで自身はあくまでも信也の傍に控えていた。
更に部屋の中を見回してみると、部屋の奥には既に息絶えた女たちが乱暴に積み上げられていた。全身痣だらけで裸のまま放置された死体は、どこか人形じみていて逆に現実味がない。
比較的上のほうに積まれた死体は、すべて女性教師たちのものだった。ひどく抵抗したらしく、他にものに比べて損傷が激しい。
「先生……」
雨宮が湿った声を漏らす。
それが合図だったように、あちこちからすすり泣きが聞こえ始めた。
「連れ去られた人たちは全滅か……果たして、この状況で生き延びることが幸運かはわからないが」
そんなことを呟きながら、信也は足元に横たわる少女を見下ろす。
現地の人間らしき少女は完全に無表情になっており、信也たちが部屋に入ってきてもまったく無反応だった。
「言葉はわかるか? 君はどこの誰かな? 名前は?」
信也が傍らに膝をついて声をかけると、精気の抜けた少女の目だけが動いて信也の姿を捉える。そして、のろのろとした動作で身を起こすなり、信也に抱き着いてズボンに手を伸ばした。
「司令!」
雨宮が武器を構えるが、信也は手でそれを制する。
「ごしゅじんさま……ごほうししますから、おねがいします、らんぼうしないで、いたいことしないでください……ごほうしします……」
虚ろな声を信也の耳元で呟きながら、少女は手を動かした。
信也はその手を握り、空いた手で少女の頭を抱き締める。
「もう、そんなことしなくて良い。痛いこともしない。乱暴もしない。君はもう、そんなことをしなくても良いんだ……!」
ゆっくりと、言い聞かせるように囁く。
「あっ、あ……ああぁぁぁぁあっ!」
少女の両目から言葉と同時に涙が溢れ出る。幼い子供のように信也に必死にしがみつき、嗚咽を漏らす。
信也は上着を脱いで少女に羽織らせると、後ろで見ていた雨宮に視線を送る。
「生き残ってる子たちに上着を貸してやってくれ。全員連れて帰ろう――少なくとも、ここよりは僕たちの学校のほうがましなはずだ」
「はいっ!」
雨宮をはじめとして、女生徒たちが上着を脱ぎながら横たわっている少女たちに駆け寄る。まだ泣いている少女を抱え起こしながら、信也は彼女たちの今後をじっと考えていた。
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