第4話 僕たちは悪くない

 天谷の合流は信也のグループにとって思わぬ恩恵をもたらした。

 それはつまり、信也が苦手とする人間同士の折衝を天谷が担うことで部隊運営が段違いにスムーズになったことだった。


 信也は純粋な縦社会のやり取りは得意とするところだが、相手はまだ子供なのでそういった縦社会に順応できない者もいる。先日藤来グループに去って行ったのもそんな子供たちだった。

 しかし、天谷が潤滑油となることでそういった不満も減り、信也の指示が下の人間に受け入れられやすくなった。


「大したもんだ。正直、すごく助かる」


 ぶちぶちと不満を漏らしていた生徒をなだめすかし、訓練に戻らせた天谷を見ながら信也は素直な感想を漏らした。信也ではこうはいかない。

 それを聞いた天谷はゆったりと笑みを浮かべる。


「それぞれ得意なことは違うから。笠松君は笠松君の得意なことに専念してくれれば良いの。苦手なことはお互い補えば良いんだから」


 天谷は天谷で人の上に立つ器を備えた人物に違いない。こうした人材を手に入れられたことは信也にとって僥倖だった。


 ただ、状況は楽観視ばかりもしていられない。


「たぶん、そろそろオークどもが攻めてくる頃合いだ。逃げて行った方角から、おおよそ攻め込んでくる方角はわかってる。迎撃陣地の設営に移るか」


「どうして? 校舎の中で戦ったほうが良いんじゃない?」


 天谷の疑問に信也は軽く頷く。


 常識的に考えた場合、校舎の中であれば高低差も生かせるし地形を熟知している信也たちのほうが待ち構える分には有利と言える。


「でも、それじゃあせっかく手に入った弓との連携が取れない。屋内で白兵戦を繰り広げながら弓と連携が取れるほどの練度はまだ無い」


「あっ……」


「そういうこと。天谷さんたちは高所に陣取ってオークの出鼻を挫いてほしい。そうやって混乱したオークどもをぶちのめすのが僕たちの仕事だ」


 幸いなことに、一緒に転移してきた倉庫の中に土嚢に使う袋が大量にしまってあった。同時に保管されていたスコップは武器としても使えるだろう。


 信也は早速作戦の概要を全員に伝え、昇降口前に土嚢を積み上げ始めた。


 一様に不安そうな顔を浮かべつつも、黙々と陣地を作っている雨宮たちに信也は声をかける。


「オークと正面からやり合うのが不安かい」


「その、まあ」


 あまりネガティブなことは口にしたくないのか雨宮は言い淀む。

 良い傾向だと思った。一人一人が士気というものを意識できている証拠だからだ。


「大丈夫。君たちは訓練も頑張ってるし、努力は嘘を吐かない。ただ突っ込んでくるだけの豚の化け物なんて相手にならないほど成長してるのは僕が一番よく知ってる。本当に、ここまでよくついてきてくれたと思うよ」


 天谷が少女たちにそうしているように、信也も思い付く限りの甘い言葉を並べ立てる。信也とて何も考えていないわけではない。部隊をスムーズに運営するために、天谷のやり方を学習していた。


 雨宮たちは意外そうに顔を見合わせ、途端に嬉しそうに表情を綻ばせる。普段あまり人を褒めない信也が褒めているという事実だけで効果はてきめんだった。


「わかりました。頑張ります!」


「結構」


 土嚢を積み上げた陣地が8割がた完成した頃、屋上で周囲を警戒していた天谷たちが音楽室から調達したハンドベルをけたたましく鳴り響かせる。

 敵襲を知らせるその合図に、周囲の少女たちに一気に緊張が走った。


「来たか。総員迎撃配置。大丈夫、訓練通り的当てをするだけだ」


 指示を飛ばしつつ、あえて『的』という表現を強調した。


 信也たちにとってオークは異世界に転移して最初に遭遇した仇敵ではあるけれど、同時に生物であることも事実だった。誰も彼もが自分以外の生き物を敵だからと攻撃できるわけではないということを、信也自身も理解はしていた。


 だからこそ、的という表現を強調する。

 相手は敵でも生き物でも無い。単なる的に過ぎないのだと思い込ませた。


 各々が手に手製の槍やスコップを握り、土嚢の陰に横一列になってしゃがみ込む。


 迎撃準備が整ったところで信也は屋上に展開しているはずの天谷たちを仰ぎ見た。現状では遠く離れた場所にいる部隊に直接意思を確認することはできない。携帯電話が使えればと悔やまれるが、無いものねだりをしても始まらない。


「目標を肉眼で確認。敵勢力規模およそ300」


 オークたちが森から姿を現し、校門に殺到してくる。その数はおよそ300。対する信也たちの白兵部隊はせいぜいが50。


「大丈夫。この程度なら想定の範囲内だ。準備はできてるな、天谷!」


 信也が屋上に向かって叫ぶ。


「もちろん」


 屋上に待機していた天谷は信也の叫びを聞き、優雅にすら見える動作で矢を番えた。横に控える弓道部員たちも次々に矢を番える。


 天谷から放たれる緊張感が部員たちにも伝播することで、屋上の空気が静まり返る。学校の屋上から校門近くにいるオークまでは直線距離でおよそ60メートル。普段の練習のおよそ倍の距離だが、高低差がある上に的の大きさも遥かに大きい。


「射て!」


 極限まで高められた集中から、必中の矢が放たれる。甲高い弦鳴りが響き、次々に放たれた30本の矢は彗星の如くオークの群れに降り注ぎ、その体に突き刺さった。


 残心の構えでその様を見つめていた天谷はすぐさま二の矢を番え、脳内で弾道を修正する。


「構え! 射て!」


 すぐさま二の矢が放たれ、更に鋭く精度を増した一撃がオークを薙ぎ倒していく。


「いや、大したもんだな」


 陣地の陰からその様子を見ていた信也は感嘆の呟きを漏らす。

 天谷が全国クラスの選手だということは知っていたが、実際に目の当たりにするとその凄まじさは信也の想像を軽く超えていた。天谷のみならず、他の一般部員ですら的をほとんど外さない。天谷が放ったであろう矢に関しては、既に急所を貫き始めていた。


 遠距離武器による攻撃に一方的に晒されたオークは、たちまちのうちに大混乱に陥った。なまじ数が多いだけに右往左往する度に誰かとぶつかり、罵る間に天谷の矢が突き刺さる。もはや虐殺の様相を呈していた。


「さあ、そろそろ僕たちの出番だ。見てろ、奴さんそろそろ逃げ出すぞ」


 信也は獲物を握り締めて口元に笑みを浮かべる。


 半数が倒れた頃、ついにオークたちは信也たちに背を向けて逃げ出した。屋上の天谷たちには、あらかじめ逃げる敵を射つなと伝えてある。誤射の心配がなくなったところでいよいよ信也が立ち上がった。


「やれやれ、簡単すぎて拍子抜けだな。総員突撃! 生きてここから帰すな!」


「わあぁぁぁ!」


 号令と共に信也は土嚢を乗り越え、逃げるオークの背に突進する。それぞれの得物を手にした少女たちも雄叫びをあげながらそれに続き、逃げるオークの背に刃を突き立てていく。


 既に戦意喪失していたオークたちは完全に潰走へと転じた。無抵抗な逃げる背中を刺すのは、戦闘経験のない子供にとっては最後の一線に違いない。それでも、少女たちは恐れていると同時にオークを憎んでいた。心底憎んでいた。


 憎悪は最もシンプルな力の源になる。ついこの前まで善良な日本人に過ぎなかった少女たちは、自分たちを脅かした忌まわしい記憶を振り払うように、あっさりとその一線を越えた。


「ははっ! そうだ、思い知らせてやれ! 喧嘩を売ってきたのは奴らのほうだ。僕たちは降りかかる火の粉を払うだけだ。僕たちは悪くない!」


 顔に付いた返り血を拭い捨て、信也は心底愉快そうに叫ぶ。


 最初は震えていた少女たちの手はいつしか固く握り締められ、血の臭いと狂騒でハイになった思考が戦場の快楽に狂っていく。


 やがて、戦場に立つのは信也たちだけになった。すべてのオークを殲滅するには至らなかったが、それでも相当数のオークが物言わぬ躯と化して信也たちの足元に転がっている。


「戦闘終了。各員は被害状況報告」


 呼吸を整えながら信也が言う。報告を受けるまでもなく、被害など出るはずもなかった。まともに抵抗できるオークは皆無だったのだから。


「全員無事です」


 代表して雨宮が報告するのを聞き、信也は満足げに頷いて笑みを浮かべた。


「ざっとこんなもんだ。各員の奮闘に感謝する」


『わあぁぁあ!』


 歓声をあげる少女たちを眺めてから、屋上に視線を移す。弓を携えた天谷が大きく手を振っているのが見え、信也は軽く手を上げてそれに応えた。

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