第2話 私たちに戦い方を教えてください

 信也はオークたちが女生徒たちに夢中になっているのを見計らい、気配を消して技術室に忍び込む。扉は既に破壊されていたが、中に誰もいなかったためかオークの姿はない。


 鼻歌交じりで鉄くず入れを漁り、手ごろな大きさと重さの鉄くずを脱いだ靴下に詰める。中国には実際に存在する紐付きの錘・流星錘の簡易版だった。中身が石鹸でも大の男を失神させる程度の威力はある。鉄くずならば頭蓋骨程度あっさり砕けるだろう。


 手に感じる重さに心躍らせながら、信也は獲物を探す。


 すると、廊下に逃げ出した女生徒が今まさにオークに衣服を剥かれている最中だった。泣きじゃくりながら無駄な抵抗を繰り返す女生徒の顔に、オークのよだれがしたたり落ちる。目の前の獲物に夢中で、オークは忍び寄る信也に全く気が付いていなかった。


「まず、一つ」


 靴下を回転させて勢いをつけ、遠心力で破壊力を増した鉄くずをオークの無防備な後頭部に叩き付ける。


 おぞましい音と共に鉄くずはオークの後頭部にめり込み、オークの両目が勢いで半分ほど押し出される。どう見ても即死。オークはそのまま前のめりに倒れ、小さく痙攣した。


「なんだ、思ったより簡単だな」


 信也はめり込んだ鉄くずを引き抜き、倒れたオークを蹴とばして女生徒の上からどかせる。


「やあ、災難だったね」


 ブレザーの襟章を見ると、2年生だった。ボタンが弾けたブラウスの前を掻き抱き、異質なものを見るような目で信也を見上げている。


 信也にとって名前も知らない生徒の安否なんてどうでもいい。今はただ、自前の知識を試してみたいという純粋な欲求だけが胸の中を支配していた。

 次の獲物を求めて歩き出すと、背後に気配を感じて振り返る。今しがた助けた女生徒がおぼつかない足取りで信也の後ろを歩いていた。


「まあ、邪魔しないなら勝手にしてよ」


 信也の言葉に女生徒は虚ろな目つきで頷く。


 信也は適当に校舎をぶらつき、目に入ったオークの頭をカチ割って回った。どのオークも女生徒に夢中で驚くほど無防備であり、的としては実につまらない。

 そして、結果的に信也が助け出した女生徒がぞろぞろと付いてくるので、だんだん大所帯になってくる。


 中には信也に気付き、襲い掛かってくるオークもいた。しかし棍棒を振りかぶって突進してくるだけの単純な動きであり、怯えた者なら体が竦んでしまうだろうが、特に何の怯えも感じていない信也にしてみればどうということはない。

 振り下ろされる棍棒を後ろに飛んで躱し、体勢を崩したオークの顔面に鉄くずを叩き付ける。折れた前歯をまき散らしながら、面白いようにオークは倒れていった。


 次第にオークたちも自分たちを殺している者の存在に気付いたらしい。女生徒たちを襲うのをやめ、やがてプゴプゴと意味不明の言葉らしきものを交わしながら校舎を出て行く。どうやら抵抗されることは考えていなかったらしい。


 オークたちが引き揚げていく様子を廊下の窓から見下ろしながら、信也は靴下を肩に担ぐ。このどさくさで信也が殺したオークは10匹ほど。全体のごく一部ではあったが、撤退させるには十分な数字だった。


「さて、みんなは無事かなぁ」


 あちこちからすすり泣きや嗚咽が聞こえる中、信也は呑気すぎる口調で呟く。


 信也が自分の教室のドアを開けると、教室の隅に女生徒が身を寄せ合っており、頭から血を流して倒れている男子生徒たちに交じって、同じように怪我をしている藤来が凄まじい形相で信也のほうを見る。


「あ? クソオタ……?」


 信也であると確認するや、微かに表情が緩む。どうやらオークと戦っていたらしい。教室の中の女生徒が無事なのを見ると、かなり善戦したようだ。


「うん。藤来君も無事だったんだね。女子が無傷なのはこの教室だけだよ」


「見てきたのかよ」


「ここに来る途中の教室だけね。ついでに何人か拾ってきたから、面倒見てあげてよ。僕じゃ手に余る」


 信也が付いてきた生徒たちを教室に入れると、天谷が立ち上がって駆け寄ってきた。


「大丈夫!?」


「千冬先輩ィ……」


 何人かの女生徒が天谷にしがみついて泣き崩れる。天谷は信也と違って有名人なので、後輩にも名前が知られているのだろう。


「この子たち全員、笠松君が?」


「別に助けるのが目的じゃなかったけどね」


 信也にしてみれば単にオークを殺してみたかっただけだった。女生徒の救出はあくまでおまけに過ぎない。


 しかし、天谷はしがみついてくる女生徒の髪を撫でながら、その目を優しげに細める。


「ありがとう、笠松君」


 礼を言われ慣れていない信也はなんだか居心地が悪く、気にするなと手を振って教室の隅に腰を下ろす。とりあえず、成り行きで助けた女生徒は安全な場所まで送り届けた。行きずりとはいえ背負ってしまった責任は果たしたと言えるだろう。


「……とにかく、あのバケモンどもはいなくなったんだ。今のうちにみんなで集まって、今後のことを考えようぜ」


 藤来が気を取り直したように言うと、怯えていた生徒たちが元気を取り戻してくる。逼迫した状況で人気者が場を仕切ると、とりあえず頼るものができたというだけで子供は安心する。

 藤来という少年は、ノリは軽いけれど紛れもなく場を仕切る能力を持ち合わせた生粋のリーダーでもある。


 そんな藤来たちを、信也は冷ややかな眼差しで見つめていた。



――――



 藤来の号令で生き残った全校生徒が体育館に集結する。その際に分かったことだが、信也たちが異世界に転移したのは既に疑いようもなく、同時に転移したのはL字型の校舎と体育館。備え付けのプール。校庭があった位置は完全に地面がむき出しになっていた。


 携帯の電波は完全に圏外であり、校舎内の明かりが点いているのは非常用の発電機が作動しているからということ。これが動かなくなれば完全に電気は使えなくなる。そして、屋上の貯水タンクのおかげでしばらく水には困らない。


 教師は全滅していた。男の教師は抵抗したらしく全員殴り殺されており、女の教師は見るも無残な有様で、うっかり直視してしまった生徒の何人かがその場で激しく嘔吐する羽目になった。

 生徒も似たり寄ったりの状況で、オークに襲われて息絶えている者。息はあるが、廃人となった女生徒もいた。それでも信也が想像していたよりも被害は少なく、死者を含めて再起不能にまで追い込まれた生徒は30人ほどだった。もっとも、精神状態がかなり危うい生徒が相当数いるのだが。


「状況を整理しよう。オレたちはなんだかよくわからない場所に来ちまった。その上、あの豚のバケモンが襲ってくると来てる。ぶっちゃけ、最悪の状況だ。それでも、オレたちは生き残らなきゃならない」


 体育館に集められた生徒に藤来が演説している。


「それでだ、生き残った生徒を3つのグループに分けようと思う。当面の課題は安全の確保だ。そのために、それぞれのグループで最善を尽くしてほしい」


「意義ナーシ」


 すかさず、藤巻の取り巻きの一人が同意を示す。そうなれば右に倣えでなし崩し的にその案が採用され、さっそく生き残った生徒たちは3つのグループに分かれ始めた。


 信也はといえば、当然のようにハブられた。どこのグループにも所属できず、しばらくは一人で勝手に行動することになる。


「ごめん、笠松君。私のグループに入れてあげたいんだけど」


 天谷はしきりに頭を下げるが、天谷と同じグループの藤来たちは露骨に嫌な顔をしていた。信也としてもこんな風に露骨な悪意を持っている生徒と一緒に生活するのはごめんだった。


「別にいいよ。僕は僕で適当にやらせてもらう」


「本当にごめん。何か困ったことがあったらいつでも言って?」


「そろそろ行こうぜ、天谷」


 藤来の声に急かされるように、天谷はチラチラと振り返りながらも体育館を出て行った。


 残された信也は首を鳴らしながら、なにか武器に加工できるものを物色するために技術室に向かう。

 オークの強度は人間とそう変わらないのは確認済み。なら、人間用の武器が十分に通用する。最初の敵がうっかり機敏なモンスターであったり頑強なモンスターでなかったのは不幸中の幸いだった。


「さてさて、どうしたものかね。襲ってくるんだから、反撃しないことには仕方ないな、うん」


 どこか楽しそうに独り言を漏らしながら、武器に使えそうな刃物を作業台の上に並べていく。ノミや番線が見つかったので、モップの柄にでも括りつけて槍を拵えることができるだろう。


 そんなことを考えていたら、入り口の当たりに人の気配を感じて信也は顔を上げる。そこには先ほど信也が助けた少女たちが立っていた。


「ん? 君たちも武器を作りに来たの? 良いよ、使って使って」


 信也が場所を譲ろうとすると、少女の一人が首を振る。


「あの、さっきは本当にありがとうございましたっ! 私、2年の雨宮ゆかりって言います。それで、あの……私たち、先輩のお手伝いがしたいんです!」


「手伝いって? あのオークの頭をカチ割る手伝いがしたいってこと?」


 信也は信じられないといった様子で返した。

 雨宮は頷き、言葉を探すように視線を空中にさまよわせながら続ける。


「あの時、わかったんです。誰も私を守ってくれないんだって。みんな自分のことで精一杯なんだって。だったら、自分の身は自分で守れるようになりたいんです。お願いします、私たちに戦い方を教えてください!」


「お願いします!」


 少女たちは一斉に頭を下げた。


 信也はどうしたものかと思案する。


『正直、猫の手を養う余裕は無い。けど、やる気があるなら労働力は多いに越したことない……か』


 一人よりも、人数が多いほうが色々なことが試せる。そう結論付けた信也は大きく頷いた。


「わかった。歓迎するよ。雨宮さんと――まずはみんなの名前を聞こうか」


 この瞬間こそ、後に『最強の指揮官』と称される笠松信也がその第一歩を踏み出した瞬間だった。

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