寒いのよ貴女

濱野乱

第1話

「仕事を辞めたい?」


午前九時五十五分。

私はティシューを摘み、それを鼻に添えながら聞き返した。


「はい、実は縁談の話が来てまして」


目の前のメイドの器量から推察するに、あながち嘘とも断定できない。三か月の間だけだったが、立派に務めを果たしてくれたことには感謝している。私は感情の起伏が薄い方なので、お幸せに、と無難なことしか言えないのが残念だ。


それよりも冷房が効きすぎている。リモコンを探したが、手近な所に見当たらなかった。猫のミーアが持ち去り、破壊した可能性がある。


二枚目のティシューを摘み取る。私はさる資産家の娘である。


メイドも、ミーアも、ティシューも父に買ってもらった。私はどれも差別せずに丁重に扱ってきた。ティッシュ一枚に至るまでも、メイドと差別したことはない。本当だ。


それなのに、リモコンが見つからないとは、神の目も相当な節穴と見える。


メイドは謙遜を交えつつ、縁談相手の資産価値を語った。大企業に勤め、海外ボランティアにも参加経験のある大変お買い得な人物だということが伺い知れた。


私は功徳を積むために、メイドの話を聞くふりをしながらリモコンを探すが、一向に見つからない。


「ねえ、××。私の猫、見なかった?」


私が話を遮ったことにご立腹だったのか、メイドは不満そうにそっぽを向いた。


「お屋敷に猫なんかいませんよ」


「いるわよ、サーバルキャット。貴女も餌をやったことがあるでしょう」


「あれは猫ではありません」


ネコ科の括りに入っていれば、私にとってはサーバルキャットも、ライオンも猫である。差別はしない。


「ミーアがエアコンのリモコンを持って行っちゃったみたいなのよ。探してくれる?」


辞職を願い出た人間に頼むのは気が引けたが、使えるものは親でも使うのが私のやり方だ。


案の定、元メイドは険しい顔で私を見下ろした。


「お嬢様は、私の話を聞く気がないのですか?」


「だって、寒いのよ。貴女」


私は部屋が寒いと言ったつもりだったが、メイドは自分の話が寒いと受け取ったらしい。


私の腕を掴んでめちゃくちゃに揺さぶる。いつも他人のこと見下して金持ちがそんなに偉いか? とか、鬱憤を晴らすかのように罵倒した。


貴女の時間を買ったのは私じゃなくて父だから、文句は父に言って欲しい。


部屋の窓からミーアがよじ登ってきた。お行儀が悪い。メイドを噛んじゃだめよ。いけません。肉じゃないんだから。……、肉であることは変わりないか。


あ、風が止んだ。エアコン、タイマーにしてたんだ。十時に設定しておいたのを忘れていた。メイドが来てから話終わって丁度、五分だわ。


ミーア、メイドのエプロン漁ってどうしたの。リモコンが出てきた!?


私に話を聞いて欲しくてそんな事までするなんていけない人。もう辞めるんだったわね。丁度良かった。


これにて一件落着。神様はやっぱり見ていて下さるのね。




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寒いのよ貴女 濱野乱 @h2o

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