1章 雌バチは守るために刺す 12
クラウの叫んだ声が聞こえた気がした。
墜落直前に両膝と左手で地面への直撃を防いで、しかしそのまま横転。一瞬たりとも止まってはいけない。その予感は正しく――ずむっ――という鈍い音が真横で鳴る。突き立ったハサミは道路のアスファルトを砕かず、凹ませて貫いていた。ロブスターもどきのハード・トイは地面に刺さったハサミを引き抜く。
その間にニジミは左手で地面を押して上体を起こし、飛ぶように後ずさり、相手との間合いを切った。
ロブスターもどきが、引き抜いた右手のハサミを開いて閉じて見せてくる。
そのねっとりとしてぎらぎら光る光沢が
相手が初めて体を半身にして攻めの構えをとる。
ニジミは瞬時に目だけ動かしてヴェスパーの右腕の状態を確認する。
指は動いても、肘のジョイントが完全に死んでいた。
先の裏拳をなんとかヒジで防いだおかげで、コクピットへの衝撃は緩和できたが、そのせいでジョイントのほうはとどめを刺されたようだ。
ツバをのむ。
呼吸が浅い。
自覚はある。
……でも、どうしたら。
生きている握力で右ふとももを握る。
少しでも重心バランスを保つためだった。
左手を手刀のように開いて腰を落として構えを取る。
このままやり合うつもりはない。
ただの時間稼ぎだった。
離れた場所にはクラウとルック。そして捕まえた人たちがいる。
3人で逃げたらあの人たちは無事だろうか?
そんなことを考えていた。
「にらみ合いを見たいんじゃないんだよ~。シンゲツー、どーせ時間稼ぎだって。やっちゃえやっちゃえ。ってね」
少年はこちらの考えを見抜いてる。
しかも、
「おーい、報道船が来てるらしいからあと10秒で終わらせろ~。お荷物たちの始末はボクがやっておいてやるよー」
と、担いでいたライフルを肩から落とす。
「だめっ! ――っ!!」
人質たちと少年の射線上に入ろうとするが、ロブスターもどきがハサミの刺突で邪魔をする。
「クラウッ!」
「わかってる!」
クラウは少年に向かって拳銃を発砲する。
少年は後方に跳んでかわす。人の脚力では不可能な高さに跳んで、領事館の2階の手すりの上に立つ。そしてそこから一発の発砲。放たれた少年の弾丸がクラウディアとルックの間を抜けてひとりの黒服を貫いた。
「うっ……くっ! どいてぇっ」
ローラーユニットで加速させた蹴りを放つが、やはり大きなハサミに受け止められる。反動を生かして距離を取る。数瞬前にニジミがいた場所を、もう一方のハサミが薙いだ。
「あんたたち、逃げなさい!」
クラウディアが拳銃を連射して縛っていた縄を撃ち切った。
よろよろと立ち上がった黒服たちはちりぢりに逃げようとするが、
「君たちおそいよね。本当に……おそい。ってね」と、少年がまた一発放って、ひとりが倒れる。
ルックも近くの黒服から拳銃を奪い、少年に向かって発砲するのだが、彼は動かずに撃ち返す。またひとりの黒服が一瞬の痙攣ののち地面に突っ伏す。
「ボクの邪魔をしないなら、君らは先にこいつらを黙らせてから殺してあげる。ってね」
ルックは聞かずに撃つ。
少年が少し不快な顔で銃口を向ける。
クラウディアがルックの背広をつかんで引っ張る。
「避けなさいバカ!」
クラウディアはルックをつかみ、発砲しながら移動機の影に回り込む。
少年は最小限の動きでクラウディアの射撃をかわして、こんどはライフルを逃げ惑う黒服のほうに向ける。
ヴェスパーを壁にしようとして、ニジミは足場を蹴るが、ロブスターもどきが道を塞いで避けられる速度で攻撃をしかけてくる。
発砲音とともに人がまたひとり倒れた。
ロブスターもどきがハサミをカチカチ鳴らす。
さっきより細かく打つそれは興奮を示しているのかもしれない。
そして両手をゆっくりと広げる。
こいつも、楽しんでる。
嫌な思いが胸に無理矢理詰め込まれる。
攻撃も効かない。
速さも足りない。
向こう側に赤い水たまりがひとつ、またひとつと増えていく。
「あああああっ!」
左ストレートを打つ。
こともなく受け止められる。
そのハサミにキズどころかツヤを曇らせることすらできない。
「もうモグラたたき終わっちゃった……」少年が言う。「じゃあ今度は、そっちの王子様にしよう。ってね」
少年が背中からべつの銃を出す。口径のでかいグレネードランチャーを両手で構え、その短い銃口から爆弾を2人の隠れる移動機の前に発射する。
「クラウーッ! ルックー!」
地面を揺らす爆発音と跳ね上がった移動機。
重なり合って倒れている2人を見る。
「どいてどいてどいてっ!」
ニジミはがむしゃらに機体を揺らす。
そのとき偶然、使えなかった右のアームがムチのように
「クラウ! ルック!」
呼びかけるとクラウディアの下にいたルックが苦悶の顔を見せて、声に反応する。
よたよたとクラウディアも体を動かす。
肩に担いでルックの上体を起こす。
「よかった!」
「……うるさいのよあんたは。スピーカーか声のボリューム、落としなさい」
「あらら、生きてたんだ~。ボクちゃん失敗っ。ってね」
ニジミは歯をむき出しにして緑髪の少年をにらむ。
そのときクラウから通信が入る。
「――王子つれて、ここは逃げるわ――」
「でもあのロブスターもどき、あれでとっても速いよ。それに固いからいまのヴェスパー君じゃ倒せそうにない。逃げるにしてもコクピットに2人を入れてる時間もないし」
「――時間稼ぎなら手はあるわ。……ヴェスパーには悪いけど――」
と言ってクラウディアが作戦を告げる。
「なにをくっちゃべってんのー? 諦めたかのかー?」
少年の声にニジミたちは反応しなかった。
「……無視かよ。 ボクが聞いてんだぞっ。あーもうい! シンゲツ、3人を叩き潰しちゃえ!」
うなずき、はじめて声にリアクションを返したロブスターもどきがゆっくりと3人の元に歩みを進める。
ニジミの機体はハチのマークのある左肩を上側に、2人を守るように覆い被さっている。
ロブスターもどきが両手のハサミを大きく振り上げる。
「痛い思いさせてごめんね」
ニジミが操縦桿とはべつのボタンを押した。
赤いハチのマークが光を放つ。
「――っ! 自爆!? おいシンゲツっボクを守れ!!」
ニジミが叫ぶ。
「
ヴェスパーの左肩が閃光を伴って、巨大な発光が一帯を飲み込んだ。
そして爆発とともに無数の針が飛び出す。
ロブスターもどきは緑髪の少年の前にハサミを突き立てて盾にする。
閃光の消失したあと、ニジミたちの姿は消えていた。
自爆したハード・トイがいた場所を、少年はギリギリ奥歯を鳴らしながらにらんでいた。
ハサミの隙間を通り抜けた、左肩に刺さったとげの束を右手でわしづかみして引き抜き、地面に叩きつけた。
「ざっけんなぁ!!! こんどあったらぜったいに殺してやるんだっ! あのクソバチ
彼ら以外に誰もいなくなった街に、怒りで叫んだ少年の声が何度もこだました。
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