1章 雌バチは守るために刺す 10

 ニジミは最短距離でターゲットに迫る。

 つまり直線に、道路を使わずに建物の屋上や屋根を伝ってはしった。

 メインカメラとは別にあるナビモニターに視線を移す。

 クラウディアのハッキング技術を組み込んだナビシステムは、街の監視カメラに侵入し、周辺のすべてのハード・トイに関するの位置情報を正確に表示する。

 中央に自機のハートマークが3Dマップの上で横回転している。

 バイ菌マークが他機である。

 次のジャンプで敵機が走行中の道路をまたぐことがわかった。

 ニジミは右肘を曲げてコンパクトショットガンを斜め下向きに構え、次のポイントへ飛んだ。

 コクピットのニジミが操縦桿のトリガーをちょんと触り、連動するハード・トイは持っていた銃のトリガーをぐっと握る。


 ――ボッ――


 発射したゴム弾

 弾かれる黒光りのハード・トイ。

 地面を滑るいきおいで奥の建物に突っ込んだ敵機を見送り、ニジミの愛機は進行方向に向き直った。

 同じ要領でもう一機も無力化。


「ん?」


 二区画先にいる敵が静止している。

 手早く近くの監視カメラ映像に切り替える。

 それは真上にライフルを向けて上を向き、ニジミの登場を待ち構えていた。


「もぅ、えっちな人はきらいだよー?」


 走りながら、左手で腰に固定していた閃光手榴弾をもぎり、その先にぽいっと投げると、日中でもはっきりとわかる暴力的な光が、ビルとビルの間から立ち上がって消えた。

 そして道路を飛び越えるときに、足下のうす煙の中で顔に手を当てて地面にもだえ転がるシルエットに、弾丸を撃つ。

 命中と地面からの反動で跳ね上がった様子を見届けて進路を変えた。

 ジャンプしたときに離れた場所から何かが打ち上がる影を見た。


「げぇっ……」


 動体視力のいいニジミは、相手がさきほどの自分と同じことをしてきたのを反射的に理解した。

 閃光弾が弾ける前にメインカメラをかばうように首を背けてアームを伸ばし、自分自身もキツく目をつぶる。

 それでもコクピットが一瞬ホワイトアウトして、ニジミのまぶたも強烈な光による残像が焼き付いてしまった。

 しかも着地に失敗し、そのまま屋上から落下してしまう。


「あー、しぱしぱするよぅ……」


 絞るように目を細めて、迫り来る壁に足を向ける。

 勢いをヒザで吸収してそのまま地面に降りることを選ぶ。

 着地して首をふる。

 それでもまぶたの奥に残る緑色の街の輪郭は、剥がれることなく動かす目の先に回り込み、見ようとする景色を視界いっぱいに通せんぼする。

 わずかに見えるナビで、2つのバイ菌マークが左右から挟み撃ちを狙っていることがわかった。


「2人相手はちょっとむーりーっ」


 足のローラーを動かして脇道に逃げた。

 移動したニジミの動きを相手も把握できるようで、カクカクと区画を曲がりながら追ってくる。距離は離れているが、ついに相手の片割れがニジミの背後、同じ車線上に侵入してきた。そしてすぐさま片膝付きの射撃体勢をとった。


「それじゃあ私はこっち!」

 

 ニジミはかすむ目のまま、2度の方向転換で車線を一区画分ずらした。


 ――ビー! ビー!――


 頭の上で警報が鳴る。もう一方の敵が構えるライフルの射線上に入ってしまったらしい。


「うわっとととと!」


 薄くしか開かない目で、メインカメラの映像を見る。片手側転ひねりの要領で機体を回転させて弾丸を避けた。斜め後ろにあった店の看板が舞い上がる。足から着地。同じく退避行動。アスファルトが爆ぜる。


「うにゃーん!」

 今度は猫のように両足で飛び込んでビルの物陰に逃げる。それでも相手はお構いなしに撃ってきた。ビルの壁が崩壊するのも時間の問題かもしれない。


「あー……っ」ぐっと目を閉じて瞬きをくりかえす。「よし、OK」

 

 遠くにあったものが自分のところに舞い戻ってきたような感覚を覚えて、ニジミは自分の視界を取り戻す。

 大跳躍をすると同時に背負っていた壁が破砕された。

 対面に並ぶビルとビルを交互に飛び移り、もう一体の敵機が道路から顔を出したのが見えた。同じようにヒザをつき射撃体勢を取ったが、地上にいると思ったのか、正面にいない標的を探すように首を動かした。すぐに、ビルの壁を交互に蹴り上がるニジミを見つけて標準を合わせようとするが、その動きはニジミにとって緩慢であり、それだけの時間でニジミは相手に標準を合わせていた。

 

「そんな動きじゃ死んじゃうにゃん」


 迫り来る壁に機体の足を向けて、ヒザから沈みこんで射撃体勢をとる。

 押しつぶそうとする慣性を生かして――地面と水平に――機体を固定させる。

 ごくわずかな完全静止の間に――


 ――ボッ――


 コンパクトショットガンが発射したゴム弾が遠距離の黒いハード・トイを吹き飛ばした。


「ラスト一体!」

 

 壁を蹴り、腕で頭部を保護しながら今度は真横に――反対側のビルに頭から――突っ込んだ。

 立てば4メートル以上あるハードトイも、横を向けばビル一階分の高さで収まる。

 並んでいたデスクをなぎ倒しながら反対側まで床を滑り、ショットガンを持つ右腕だけを窓ガラスを破って外に出す。左手はその衝撃で外れぬように右肩の付け根を押さえた。そして上からゴム弾を発射した。

 衝突音のあとで鋼板がアスファルトを削る音を聞いた。


「……」


 大きな波が砂を道連れに引いていくように、これまでの射撃音や駆動音が消えていくと、パチパチという火の粉の他にガシャ……ガシャ……という、倒れたハードトイの、力なく跳ねる音が聞こえてくる。

 おそらく操縦者の痙攣を連動させて、道の上で跳ねているのだろう。

 

「……おっけーにゃん?」


 ビルからそーっと頭を出す。

 ニジミの機体は地上に降り立ち、腕に内蔵する電気銃テーザー銃で少しだけホネのあった二体と操縦者を完全に無力化させてまわり、クラウディアに通信を入れた。


「クラウー、おまたせー」


 こっちは終わったよーと伝えると、「おっけー、こっちはミサイル付きトラックをだまらせるわ」と言って、領事館の上空を飛ぶ移動機が見えた。

 それは機体の底から何かを落とし、空中で炸裂した物体は、広がった赤い煙で領事館広場の全体を覆った。


「あ、アレは……」


 気づいて慌てて屋上に待避した。

 赤い煙がもうもうと立ち上がり、黒服たちが腕で顔を押さえながら、時にぶつかりながらあえぐような口をして逃げ出す。

 みなサングラスを外して目をこすり、あるものは口を押さえながら、あるものはのどを押さえながら、またあるものはえずくようにして、煙の外で悶絶している。


『クラウディア特製、無農薬とうがらし使用のオーガニック催涙弾』


 激痛だけど害はなし。だって自然成分由来100%だから。……とはクラウ談。

 命を狙い街を破壊した黒服たちだが、水をくれぇと悲鳴を上げる姿はちょっとだけ同情する。


「クラウは無慈悲なドSの女王」


 ニジミは一発残っていたコンパクトショットガンで近くの消火栓を撃ち抜いた。

 発生した噴水に、われ先にと黒服が群がった。


「あんた、聞こえてたからね。誰が無慈悲でドSよ」

「あ゛……」


 回線を切ることを忘れていた。

 分かれてから75秒後。

 ニジミとクラウディアの2人は、その予期せぬ襲撃を、ほぼ無傷のまま抑え込んだ。

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