0章 雌バチは一直線に飛ぶ 3

 中心地に差しかかり、高層ビルが増え始める。

 階段状に並ぶビルの屋上から屋上へ。

 手前から順番に飛び上がり、ひときわ高いビルからさらに跳躍したとき、空がとても近く感じた。


 上空に一機、プロペラユニットをつけたハード・トイがいた。

 あの機体が依頼者に一番近そうだ。

 この時点でニジミはいちど切断していた通信回線をつなぎ直す。

 

「えー、こちらはミツバチ。依頼者情報の転送をおねがーい。……あれ?」


 返事がない?


「あれー、クラウー? どったのー? う○こ中ー?」

「それはこっちのセリフよ、バカ滲みにじみぃっ!」

 連絡艇シャトルにいる相方、クラウディア・ティア・エルガンが大声で返してきた。頭上にあるスピーカーからツバが飛んできそうな勢いだった。

 ニジミの余裕ある声とはうらはらにクラウは怒気を込めた声を返してきた。

 しかもご丁寧に通信モニター上には、

【滲み:ni ji mi、またはshi mi。液体がしみて広がったもの。一般的に汚れを指すなどネガティブな用途の多い単語】

 と、表示させてくる。彼女はちょいちょい駄洒落ジャパニーズジョークでニジミという名前を馬鹿にしてくるのだ。


「滲みじゃなくてニジミっ! あとバカも余計っ!」

「余計なわけあるか、こんのほえほえ娘っ! あんたいったいどこで油売ってたのっ!」

「売ってないもん」ニジミがぷぅと頬を膨らませる。「買ってたんだよ、ほら! 名物のカリカリカリーパン! なんと今日は5個も買えたんだから!」

「あのね……」

「なんとしかも揚げたてっ」(キリッ)

「どーでもいいわっ!」

「んもー、さっきからカリーパンの以上にカリカリだよ? クリスピーだよ、クリスピー。ミス・クリスピーだよ?」


 そう返すと、スピーカーから力なく。……仕事中はガマンって何度言ったら何度言ったらわかるのかしら、という声がした。


「クラウの分もちゃんと買ってあるから。元気出して☆」

「いらないわよ、そんななんの油で揚げてあるかわからないジャンクなモノ!」

「へほへほ、ふっほふほいひーんはお?(でもでも、すっごくおいしーんだよ?)」

「コクピットで食うなぁっ! 誰が掃除すると思ってんの……?」

「んもー、ひふふひふぴーはひふほはひはひ(んもー、ミスクリスピーはいつもカリカリ)」

「とにかくこの依頼は大きいんだから。ぜったいアタシたちが取るわよ」

「あいあいさー」

「取れなかったら腹いせに、あんたの名前を『滲み』にデータ改ざんするから」

「え゛……」


 クラウディアにとって、ID管理システムへのハッキングなんて寝起きの頭でもできるくらいの難易度で、ゆび一本で出来てしまうくらいに簡単なぶん、遊び半分の気持ちで本当にやってしまうからたちが悪い。

 だからニジミにとってはジョークにならない。

 笑えない。

 名前は大事っ。


「私、いまから本気出すっ!」


 クラウの、ならもっと前から本気出しなさいという呆れた声は右から左に聞き流し、ニジミはぐっと操縦桿そうじゅうかんを握り直す。

 降下中の愛機《ヴェスパーくん》を大地に沈ませるように踏ん張らせて、覆い被さる下向きの慣性をハード・トイのヒザ関節とすね部分のアブソーバーで吸収。上半身ユニットの重さを下半身ユニットで受け止めたのち、つぎはアブソーバーの反動を生かして突き上げるようにヒザ関節を伸ばし、さらに高く速く前方上方へと飛び上がる。


「よしよし、いい子いい子っ」


 ニジミは、あっという間に建物二棟分を跨いでしまう愛機を褒めて、目の前のプロペラ飛行の商売敵を追いかけた。

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