第十楽章
一週間は流星のように過ぎていき、あっという間に前日になった。
曲の完成度はみるみる高くなっていった。最後の合奏もやれるだけの事はやったと思う。
帰りに第二音楽室に寄ってみると樹の姿があった。
「明日、頑張れよ」
「西野先輩も見に来て下さいね」
おーよ、と言って樹は篤哉にVサインを送った。
家に帰って両親が寝室に言った後、篤哉はリビングのピアノで最終確認をしていた。ふと手元が暗くなったので不思議に思って顔を上げる。
そこには寝室に行ったはずの理香子がいた。理香子は黙ったまま、篤哉にくしゃくしゃになった表彰状を差し出す。篤哉は驚いた。
「これって…」
七年前に捨てたはずだった。まさか母が持っていたなんて。
「あの時はあんたの事を放ったらかしにして、本当に悪かったわ。」
理香子は申し訳なさそうな顔をする。篤哉は首を横に振って笑った。
「もう気にしてねえよ。でもその代わり、明日は父さんも連れて見に来てくれよな」
篤哉の言葉に理香子は微笑んだ。
「ええ、勿論そうするわ」
もうこれで大丈夫だ。明日はきっといい演奏ができる。
その確信を噛み締めながら篤哉は鍵盤蓋を閉じた。
コンクール当日。
舞台裏に立つと部員達は緊張の色を見せ始める。でもその顔はどれも明るかった。
篤哉は零に話し掛ける。
「あの時の拍手嬉しかった。サンキュな」
「礼なんて別にいいよ。本当にすごいと思ったからしただけだし」
「なんかお前に褒められると虫唾が走る」
二人は静かに笑い合った。
前の学校の演奏が終わり、遂に自分達の番が来る。
「本番ミスるなよ?」
「当たり前だ」
篤哉達は「楽しむ」という言葉を胸に、輝かしい舞台に上がった。
アナウンスが終わると会場は静寂に包まれる。そんな中、池谷先生の合図で七分間の演奏が始まった。
オーシャンドラムの波の音が漂い、トランペットとホルンが静かにメロディを吹く。そこに鐘が響き、木管楽器とティンパニで一気にクレシェンド。その後重厚で壮大な旋律を全員で奏でる。一楽章はクラリネットの軽快なメロディから始まり、その上をピッコロ、フルートの三連符が駆け巡る。金管楽器も加わり、曲はスピードを保ったまま一層盛り上がる。全体が最高潮に達して、二楽章に入った。ユーフォニアムソロからオーボエソロへ。ここまでは完璧だ。だが、篤哉はテンポを合わせる為に桃花の方を見た時、その光景に唖然とした。
桃花が立ってソロを吹いている。その目は真っ直ぐ観客席の方を見ていた。審査員ではない。おそらくこの観客の中にいるであろう一人の男に向かって、桃花は篤哉の伴奏と共に切なくも優しい旋律を奏でる。いつか桃花が話していたこの場面のイメージ。「家族への愛」はきっと建前だろう。桃花は今、別の「愛」を想像しているはずだ。勝手だと思いながらも、篤哉は桃花に合わせて鍵盤を叩いた。今はただ、彼女の思いに寄り添いたい。ソロがさらに感情を乗せて歌い上げる。篤哉も感情を込めて最後のフレーズを弾き切った。
無事にソロが終わり、曲は三楽章に入った。篤哉は安堵しながらも、少し寂しく思った。もうすぐでこの曲が終わる。この日までの日々を思い返すと名残惜しかった。もうあの疎外感は無い。篤哉は今、皆と一緒に演奏している。それが素直に嬉しかった。だからもう少しだけ、この時間が続いて欲しい。
静寂を割って、ホルンのメロディが高らかに響き渡る。ファンファーレで一気に盛り上がり、曲調は一楽章のスピーディさに戻った。トロンボーンとホルンのオブリガートが激しくぶつかり合い、木管の連符が流れをさらに加速させる。
そして。
テンポが落ちて冒頭の重厚なパッセージに戻った後、全員のリズムは揃ったまま曲はフィナーレを迎えた。
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