第四楽章
郁人のおかげで篤哉は他の男子部員とも仲良くなり、次第に部に溶け込んでいった。
今日も部活から帰宅して、そのままリビングのソファに倒れ込む。
「あら、帰ってたの」
母の
「今日もこんな時間まで友達と遊んでたの?」
「んー」
篤哉の空返事に理香子は眉をひそめる。
「…あんた、吹奏楽のコンクールに出るらしいわね」
理香子の言葉に篤哉は跳ね起きた。
「なんでそれを…」
「今朝、零くんのお母さんに偶然会って話を聞いたの」
篤哉は奥歯を噛み締めた。零の奴、せっかく高いアイスを奢ってやったのに。
別にどうしても隠したかった訳では無い。ただ何となく言いづらくて、部活で遅くなる日は友達と遊んできたと嘘を付いていた。
しかし、その嘘がバレたのは決まりが悪かった。
「母さん、それは…」
「何でもいいけど、やると決めた事を途中で放り出しちゃ駄目よ」
そう言って理香子は台所に戻ろうとして、あ、と何かを思い出し立ち止まった。
「練習したいならそこのピアノ使っていいわよ」
篤哉は台所に戻る母の背中を呆然と見つめた。てっきり叱られると思っていたので、理香子の態度はあまりにも拍子抜けだった。
しかも、リビングのグランドピアノを使っていいなんて。
両親が寝室に行ったのを確認して、篤哉はピアノ椅子に腰掛けた。目の前のグランドピアノは両親が恭哉のために奮発して買った物だ。しかし、二年前恭哉がドイツに留学して以来一度も使っていないので、今ではうっすらと埃を被っていた。
それを丁寧に払い除け、鍵盤蓋を開ける。スケールで音を鳴らしていって異常が無いか確かめたが、大丈夫なようだった。
改めてピアノを見つめながら、篤哉は昔の事を思い出していた。
家にまだオルガンピアノしかなかった頃。それを楽しそうに弾く兄の姿に憧れて、篤哉もピアノを始めた。鍵盤を初めて叩いた瞬間は今でも鮮明に覚えている。音が可視化して、目の前にキラキラとした粉が降っているようだった。最初の頃は色々大変だったが、それでも楽しかった。ある程度弾けるようになればもっと楽しかった。でも、その間に兄との差は埋められないくらいに広がっていた。ちょうどこのピアノが家に来た頃、兄は次々と賞を取るようになっていた。そんな兄を両親はとても可愛がり、篤哉にはあまり構ってくれなくなった。それに反発して、篤哉はわざとコンクールで手を抜いた。それでも最後は必死になって努力した。そうすれば、二人に褒めてもらえると思ったから。それなのに、それなのに…!
篤哉は両手で鍵盤を強く叩いた。不協和音が広い部屋に広がる。
その音が完全に消えるのを待って、篤哉はピアノを元に戻し二階に上がって行った。
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