第22話 夏休み最終日

 四宮親子の喧嘩からの数日間、先生は一人で実験したいことがあると言っていたため俺は研究所に行かなかった。そして八月三十日の夜、先生から俺の家に電話がかかってきた。母親からその電話を受けとると、先生は俺に電話越しに言ったのだ。


『高梨、明日の朝は来れるか?研究所じゃなくて塾の方に来てほしいんだが』


「あぁ、別にいいよ。でも何で塾に?」


 いつもは言うまでもなく研究所に向かうことになっていた。俺はわざわざ塾を指定してきたことを不思議に思ったのだ。


『お前らにたまには真面目な授業をしようと思ってな。四宮は先に来てるだろうから。お前はいつもぐらいに来いよ』


 俺はそれを了承し、通話を終えた。


 そして次の日、忘れもしない夏休み最終日の8月31日。

 俺は先生に言われた通り、朝から塾に向かった。塾についた俺を迎えたのは、自分の机で作業をしている先生と、その前の机で先生が書いたタイムマシンの設計図を見ている四宮だった。最近は、塾に行く時も研究所から行って他の生徒が来ていることがほとんどであったため、この場所に俺と四宮と先生の3人だけというのはもしかすると、初めて四宮と出会った時以来のことかもしれなかった。

 二人に軽く挨拶をして俺が四宮の隣の席に着くと、先生が話し始めた。


「よし、それじゃあ授業を始めようか」


「何の授業をするんですか?」


 四宮が机の上から目を離して先生に聞いた。


「この夏休みのまとめだ。お前らに教えておきたいことがあってな。まず四宮、お前からだ」


「私にですか?」


 先生は四宮からの質問に答え、彼女に話し始めた。


「自分でも分かってるんだろうが、お前は紛れもなく天才だ。それに立派な夢も持っている上に、優しい奴だ。でもその才能と資質は自分だけで掴んだものじゃないってことを、お前には覚えておいてほしい。才能の過信は自分の身を滅ぼすぞ。俺はそういう人間をいくらでも知ってる」


 先生の真面目な話を聞いた彼女は微笑んで、当たり前のようにそれに答えた。


「分かってますよ。私が勉強するようになったのは両親のおかげですし、この夏休みで夢に大きく近づいたのは先生と高梨くんのおかげです。私は周りの人に恵まれていたから、ここまで来れたと思ってます。ありがとうございます」


「分かってるならそれでいいんだ。それから今のお前に言いたいことはもう一つある」


 先生はさらに話を続けた。四宮は軽く頷いて静かに聞いていた。


「お前は確かに恵まれた環境にいる。今も俺や高梨はお前に協力してるし、父親も夢に理解のある立派な人だ。だがこれから出会う人間がみんなそうってわけじゃないぞ。ずるい人間も腐るほどいる。血の繋がりがあるなら別だが、元々人間っていうのは自分に利益が無いと、よく知らない赤の他人に協力したりはしないもんだ。お前みたいに顔も知らない未来の人のために何かしようなんて奴は、本当の天才か聖人君子みたいな奴だけだよ」


 四宮はそれまで黙って聞いていたのだが、その話を聞くとすぐに先生に反論した。


「でも先生も高梨くんも、特に利益が無いのに私に協力してくれましたよね?それは二人が親切だからじゃないんですか?」


「いや、違う」


 先生は四宮の質問をバッサリ否定してから話を続けた。


「俺がお前に協力したのは、タイムマシンの完成にお前の理論が必要だったから。お前の知識を使う代わりに、俺が持ってる知識と設備を使わせてやっただけ。ただ利害が一致しただけだ。高梨、お前はどうだ?なぜ四宮に協力した?」


 先生が聞いてきたので、俺は素直に答えた。


「俺の場合、初めはタイムマシンに興味があったからかな。こいつがタイムマシンを作れるみたいなことを言って面白そうだったから。それなら手伝って見てみようって考えただけ。勉強を教えてもらってたっていうのもあるな。でも今は違う。今は単純に一緒にいると楽しいから手伝ってる」


 俺の正直な答えを聞いて、先生は再び四宮に話しかけた。


「聞いたか、四宮。変な感じだが、これも立派な利害関係だ。だが、世の中の大人にはもっと悪い奴がいてな。自分の利益のことしか考えていない奴がうじゃうじゃいやがる。そのことも覚えとけ。すぐに分かると思うが、優しい顔をしてるからといってあまり人を信じ過ぎるなよ」


「はい」


 四宮は自分が知らない世間の厳しさを伝えた先生の言葉に、素直に答えた。そして先生は今度は俺の方を向いて話し始めた。


「次は高梨。お前にも言っときたいことがある」


「俺にもあるのか?」


 四宮と違って天才では無く、将来の影響力も無いであろう俺にも言うことがあると言った先生に、俺は驚いた。そして、先生は答えた。


「あぁ。でもお前にやってほしいことは簡単だ。強制はしないが、できる限り四宮のそばについていてほしい。それだけで十分だ」


「え?」


 四宮に言ったような教訓のようなことを言われると思っていた俺は、予想外な簡単なことを言われて思わず聞き返した。


「四宮はお前から見れば、天才でなんでもできるように見えるかもしれない。だが、どれだけ優秀な奴でも一人じゃいつか限界が来るんだよ。どんなに強く見える天才でも、理解してくれる人がいなくなれば意外とすぐに潰れるものなんだ。むしろ天才だからこそ、挫折した時にはあっけないこともある。だから今の四宮を理解しているお前には、このまま離れずにそばにいて支えてやってほしい」


 先生の質問には答えようによっては、四宮へのプロポーズみたいになりそうな話だった。俺はこれからも四宮のそばにいてもいいと思っていながらも、少し照れながら答えた。


「今は楽しいから一緒にいてもいいけど、これからの四宮の俺への態度にもよるな。あまりに変なことをし始めたら離れるかもしれない。これからも面白いやつであり続けるなら、一緒にいてやってもいいよ」


 その言葉を聞いた四宮は、俺の方を向いて笑顔で言った。


「このままでいいなら、多分大丈夫。私は変わる気なんて無いから、これからもよろしく」


 照れずにそんなことを言えるのは天才であるからなのか、そんなことを思いながら俺は照れて彼女にあいまいな返事をした。


 そして先生が時計をチラッと見た後、また話し始めた。


「俺からお前らに話すことはこんなところだ。まだ時間があるから、お前らから俺に聞きたいこととかは無いか?今日なら俺はなんでも答えるぞ」


 俺はそう言われて、先生が何の時間を気にしているのかを聞こうとしたが、四宮の質問にそれは遮られた。


「それじゃあ、先生。ずっと聞こうと思っていたことがあるんですけど」


「あぁ、何でも聞いてくれ」


 先生は彼女の質問を機嫌良さそうに受け入れた。そして四宮は先生に聞いた。


「先生はどうして、中学生の私の知識を利用してまでタイムマシンを作ろうとしてたんですか?先生が変えたい過去とは何なんですか?」


 四宮がそう言うと 、少し前まで笑顔だった先生はその表情を少し暗く変えて言った。


「そうか。そういえば言ってなかったな」


「はい。多分高梨くんも気になっていたんでしょうけど、聞けなかったんだと思います」


 四宮は俺についてそう予想していたみたいだ。だが、少し前にも俺は先生に同じ質問をしていた。その時の先生は誤魔化して答えてくれなかったので、今日もそうだろうと思っていた。だが先生はその俺の予想に反してそれに答えたのだ。


「今なら話してもいい。でも、お前らが期待しているような面白い話じゃないぞ。つまらない話だ」


「でも私は知りたいです。聞かせてください」


 四宮がそう言うと、先生は子供におとぎ話を話す父親のように優しい口調で、自分のことを語り始めた。


「今の俺から想像できるかは分からんが、俺は昔結婚してたことがあるんだ。大学の時に出会った人とな。その人との間には娘もいて、それなりに幸せな生活をしていたと思う」


「私はそんな先生は簡単に想像できますよ。むしろこんなに面倒見がいいのに結婚してない方が不思議だと思ってました」


 四宮は先生の話に意見した。先生はそれを受けて、話を続けた。


「そうか?ありがとう。だがその頃の俺は大学の助教授で、研究が忙しくてあまり妻と娘には構ってやれなかった。でも妻はそんな俺のことも分かってくれてたんだ。たまの休みでも俺を家でゆっくり休ませてくれたり、遊びに行くにしても近くの公園とかで3人でゆっくり過ごすくらいで我慢してくれた」


 それまで先生は俺たちに優しく語っていたが、それから急に話し方が悲しげに変わった。


「だが今から二十二年前のことだ。そんな生活は急に終わった。二人が事故で死んだんだ。誰が悪いとも言えなくて、誰を責めるわけにもいかない事故だった。それからは簡単だ。それまでやってた研究は手に付かなくなり、二人を取り戻すためタイムマシンの研究を始めた。そして今に至るってわけだ。四宮の言う通り、過去が変えられないものだったとしても、俺は妻と娘にもう一度会いたい。もう一度一緒に暮らせるなら、もっと時間をかけて構ってやろうと思うんだ。二人と少しでも多くの時間を過ごしたい。そう思ってずっとやってきた」


 今までのことを話し終えた先生は、一部始終を聞いた四宮に質問した。


「四宮、俺の話を聞いてお前はどう思った?もし俺がタイムマシンで過去に行くことになったら、お前は俺が家族を救うことを心から応援してくれるか?」


 彼女は心の底から迷ったような表情と、そんな声を上げて、先生からの質問に答えた。


「うーん。ごめんなさい。もちろん、先生の家族が助かって欲しいとは思うんですけど。心からは応援できないかもしれません」


 俺は四宮のその答えに驚いた。彼女は理想こそ高いが、誰かの足を引っ張ったり誰かの不幸を願ったりするような人物ではない。なので、俺は四宮が当たり前のように先生が過去に行って家族を助けることを全力で応援すると思っていたのだ。


「四宮?どうして?」


 思わず俺は四宮に聞いた。


「いいんだよ、高梨。俺もおそらく四宮と同じような気持ちなんだ」


 四宮を責めるように言った俺に向かって、先生はなだめるように声をかけた。そんなことを言い始める先生にも疑問を抱いた俺は、今度は先生に聞いた。


「何でだよ?二十年以上家族を助けるために頑張ってきたんだろ?じゃあ助けるべきだし、それを知ってる俺たちは応援するのが当然だろ」


 その時の感情に任せて発言する俺に対して、四宮は分かりやすく理論的に説明してくれた。


「高梨くん、考えてみて。先生が過去に行って奥さんと娘さんを救ったら、先生はタイムマシンの研究を始めると思う?先生がタイムマシンの研究をしなかったら、先生はこの塾を始めなかっただろうから、私たち三人はきっと出会わないよね」


「そうか。でも、タイムマシンを作らなかったら先生の家族は助からないだろ。だったらタイムマシンは作られるってことじゃないのか?あれ?どういうことだ?」


 一度は彼女の話に納得した俺だったが、冷静に考えると、先生がタイムマシンを作らなかった場合に、おかしなことが起きることに気付いた。四宮はそんな俺に対して説明を続けた。


「そう。矛盾が生まれるよね。それがタイムパラドックスってやつだよ。私が前にタイムマシンを使っても過去は変えられないって言ったのはそれが理由。でも実際過去を変えた人なんていないから、真実は分からない。だから、これから話すのはもしもの話だよ。もしも過去が変えられて、タイムパラドックスが起こった結果、未来が改変されるとしたら。先生が過去で家族を助けると、私たちが3人で過ごしたこの夏休みの1ヶ月は改変されて綺麗さっぱり消えて無くなる。そう考えるとちょっと寂しくて、先生が家族を助けることを私は心から応援できないかもしれない」


 自分の気持ちをそんな風に解説した四宮に、先生は同意して言った。


「そうだよな。俺もここまで来て迷ってる。二十年以上やって来たことを今更と思うかもしれんが、それができるようになった今だからこそ、本当にやっていいのか迷ってるんだ。お前らと会ったこともそうだが、いろんな人のこれまでの二十年を無かったことにしていいものか」


 先生はそう言ったが、俺はどうしてもその気持ちに賛成はできなかったため、先生に自分の意見を述べた。


「先生、俺は変えられるものなら変えるべきだと思う。二十年以上そのためだけにやって来たんだろ?なら変えなきゃいけないよ。俺たちや他の誰かのことなんて気にする必要ない」


「お前はそう思うか、高梨。まぁ変えられるか分からないことを今悩んでも仕方ないんだがな。その瞬間までには考えておこう」


 先生はその場では答えを出さなかった。少し前から先生は時計をチラチラ見て時間を気にしていたが、どうやらその予定の時間が来たらしく、話を終わらせて先生は俺と四宮に言った。


「そろそろ時間だ。四宮、タイムマシンの構造は頭に入ったか?」


「はい、大体は」


 俺が塾に着いた時から彼女が見ていた設計図にのことを質問した先生に、彼女は肯定の返事をした。


「それじゃあ、研究所に向かおうか」


 先生は四宮から設計図を受け取ると、机を綺麗に片付けながら言った。


「何があるんだ?」


 俺が尋ねると、先生は出口に向かいながら答えた、


「行けば分かる。さっき俺が四宮に言った自分のことしか考えてないずるい奴を見せてやるよ」


「?」


 さらに俺たちは先生に聞いたが、先生はそれ以上答えてくれなかった。そのため、俺たちは初めて研究所に行った時と同じように、研究所まで先生に黙ってついて行ったのだ。


「静かに」


 そして俺たちが研究所の前に着くと、先生は人差し指を立てて口の前に持って行き、小声で言った。

 先生に続いて忍び足で研究所の入り口に近づくと、誰もいないはずの建物の中から物音が聞こえた。


「誰かいるんですか?」


 四宮は小さな声でそう聞いたが、先生は答えずに鍵がかかっていなかったドアを開けた。


 中に入ると、そこは電気が付いておらず薄暗かった。しかし明らかに実験室の奥に誰かがいるのが分かった。

 先生は照明のスイッチを入れると、タイムマシンの設計図を見せながら奥にいた人物に話しかけた。


「探し物はこれだろ?白石」


 明かりがついた実験室には、俺たちが作ったタイムマシンと、先生の助教授時代の同僚だった白石の姿が見えた。彼はその直前まで、タイムマシンの近くに置いてあるテーブルからその設計図を探しているようだった。


「俺を嵌めたのか、東郷」


 白石は先生を睨んでそう言ったが、先生は友達に話すように親しげに彼に語りかけた。


「悪いな、自分の研究を守るためなんだ。でも正直お前の気持ちも分かるよ。お互い大変だよな。中途半端な才能を持つと、天才の凄さと自分の限界に同時に気づく。俺も今ではあって良かったと思ってるが、中途半端な才能ならない方がマシと思ったことも数え切れないほどある。そうすれば才能に対する嫉妬の気持ちも起きないからな。俺も立場が違えば、お前と同じことをしていたかもしれん」


 それを聞いた白石は諦めたように近くの椅子に座り、先生に言った。


「それで?才能溢れるお前は、俺を警察に突き出すか?」


 白石がそう言うと、先生は設計図を持ってタイムマシンに近づきながら、彼に言った。


「確かに、今のお前を捕まえてもらうのは簡単かもしれない。でもそれじゃ根本的には何も解決しないだろ?」


 そう言い終わる頃、先生はタイムマシンの操作部分に近寄って、何らかの設定をしていた。そしてその操作を終えた後、今度はタイムマシンの人を入れる箱の部分に近づきながら、白石への話を再開したのだ。


「今の段階じゃ大したことはしてないから、きっとお前はすぐに出てくる。ということは、その後にまた狙われる可能性は十分にあるわけだ。この設計図通りに作ればタイムマシンは作れるからな。もっと言えば、お前なら時間をかけて実物を見れば、その通りに作れるかもしれん。ということはお前からこれを守るには、タイムマシンの実物とその設計図、そしてそれを作った俺自身を、お前が絶対に関われないようにするしかないんだ。そのためにどうすればいいか。四宮、ここまで言えば俺が何をしようとしてるか、お前なら分かるだろう?」


 タイムマシンに近づいた先生は四宮に聞いた。そして彼女は、珍しく焦っているような雰囲気でその問いに答えた。


「えぇ、でも考え直してください。上手くいく保証は全く無いんです。辿り着けるかどうかも分からないんですよ」


 四宮は先生のやっていることが全て分かっているような感じで彼を止めていた。なので俺は彼女に聞いた。


「待てよ、四宮。説明してくれ。先生は何をしようとしてる?」


 彼女はすぐに早口で答えた。


「タイムマシンで自分を飛ばそうとしてる!おそらく奥さんと娘さんが亡くなった二十二年前に。でもあのタイムマシンが人間を移動させられるなんて保証はまだ無い!」


「それならこんなところで、話してる場合じゃないだろ!力ずくでも先生を引っ張り出さないと」


 先生が危険なことをしようとしているのが分かった俺は、すぐにタイムマシンに近づこうとした。だがその直後、四宮が大きな声で俺を止めたのだ。


「近づかないで!先生が今起動させれば、タイムマシンはきっとそのエネルギーに耐えきれずに崩壊する。近くにいたら高梨くんも巻き込まれるよ。先生もそんな事は望んでない!白石さんも!命が惜しかったら離れてください!」


 俺は彼女の言うことを聞いてその場にとどまり、白石も立ち上がってタイムマシンから離れ始めた。


「先生!やめてください!二週間もあれば今よりももっと安全にするための改造ができます!私の夢なんて考えずにタイムマシンを完成させれば、先生は確実に家族に会いに行けますから!だから考え直してください!」


 彼女はタイムマシンの中にいる先生に聞こえるような大きな声でそう言って説得しようとした。それを聞いた先生はスピーカーを通して俺たちに優しく話しかけた。


「四宮、気にするな。こうなったのは別にお前の夢のせいじゃない。俺は自分の家族に会いたいから過去に行くんだ。高梨、四宮のこと、頼んだぞ。お前がいるから俺は安心して、ここを離れられる」


「ふざけるな!そんなに四宮のことが心配なら、先生がこれからもこいつの側にいれば良いじゃないか!俺は高校物理もなかなか分からないような馬鹿だぞ!先生みたいにこいつの事理解できるはずないだろ!なぁ。頼むから、これからも俺たちのそばでいろいろ教えてくれよ」


 俺は無責任な先生の言葉を聞いて、怒りの言葉を彼にぶつけた。しかし実際のところは、先生にどこにも行って欲しくないという一心で話していた。

 俺の言葉を聞いた先生は、謝ってから話し始めた。


「悪いな、二人とも。俺も良く考えたんだが、これしか無かった。四宮、俺はお前の夢がどうなるか見ることはできないが、上手く行くと信じて応援してる。お前の夢が叶ったら、きっと世界は今よりもずっと良いものになるぞ。頑張れよ。元気でな、二人とも」


 その声が聞こえた後、先生がタイムマシンの中から操作レバーを動かしたのが見えた。すると、タイムマシンの中は強く光り始め、同時に巨大なタイムマシン全体が大きく揺れ始めた。

 四宮はそれを見てもう間に合わないと気づいたのか、出口のドアを開けて俺と白石を外へ誘導した。四宮のおかげで俺たち三人は、怪我一つなくドアから外へ出ることができたのだ。しかしその直後、研究所の中から金属が崩れ落ちるような、大きくて激しい音が鳴り響き、ドアの横にある大きなシャッターが内側から押されて形を変えた。


 俺は先生が心配でその後再び中に入ろうとした。だが、四宮が俺の腕をつかんで、震えているような小さな声で言ったのだ。


「やめて。どんな結果になってても、きっと先生にはもう会えない。お願いだから、高梨くんまでいなくならないで」


 彼女の言葉を聞いて、俺は研究所に入るのをやめた。その様子を見た俺は、彼女のそばから離れることができなかったのだ。


 その後、研究所の前にはタイムマシンが崩れる大きな音を聞きつけた近所の人が集まってきた。

 俺はその人たちの一人に頼んで、警察を呼んでもらった。警察を待っていた時も、俺は中の様子が知りたい気持ちでいっぱいだったが、四宮のこともあって行けないという、じれったい思いを抱え続けた。

 白石は、研究所から脱出してからしばらくの間呆然としていたが、近所の人に警察の連絡を頼んでいる時に急に俺に迫真な様子で話しかけてきたのだ。


「おい、お前。あれについてどれだけ知ってる?」


「え?」


「東郷がいま崩したタイムマシンだよ!あいつが二十年かけて研究してたものなんだ。きっとここで失って良いものじゃない!このまま日の目を見ないぐらいなら俺が完成させて発表する」


 彼が急に話しかけてきたので、俺は戸惑ってつい聞き返した。そもそもそんなことを聞かれても、俺は大したことを答えられないが、彼は四宮ではなく俺に話しかけてきた。今のこの状況なら、何もできなくなっている四宮よりも、警察を呼んでもらったりしていた俺の方が冷静で、マシンをよく理解できていると思ったのであろう。俺は白石の問いに答えた。


「大したことは知らないですよ。この状況じゃ作り直すなんてとてもできないです」


「とぼけるなよ!お前らがあれをつくるのに協力してたのは知ってる!」


 白石はイラついている口調で、それからもいくつか聞いてきたが、俺には何も答えることができなかった。

 そしてしばらくの間、俺が白石に質問責めにされていると、突然ある人物が俺と白石の間に入って来て、冷静な低い声で彼に言ったのだ。


「子供達を責めるのはもうやめてもらえませんか。彼は分からないと言っています。これ以上、大事な先生を失った彼らにしつこく構い続けるようなら、私はあらゆる方法であなたに仕返しをするかもしれませんよ」


 そこに入ってきた人物は四宮の父親だった。彼は俺と四宮をかばうように、白石の目の前に出て来てそう言ったのだ。


「チッ。何も知らないならお前たちにもう用は無い」


 四宮の父親に脅迫じみた注意を受けた白石は、不機嫌そうにそう言ってその場を去った。

 その様子を見た俺は、急に俺たちの前に現れた四宮の父親に質問した。


「おじさん、ありがとうございます。でも、どうしてここにいるんですか?」


 彼は俺の問いに少し間を開けて答えた。


「この辺で事故が起きたと聞いて駆けつけたんだよ。そんなことより高梨くん、何が起きたのか説明してくれるかい?」


 四宮の父親は優しく俺に聞き、俺はこれまでの経緯を彼に説明した。先生が未完成のタイムマシンを使って、タイムマシンが崩れたこと、その原因を作ったのはさっきの白石という男だということ。とりあえず警察は呼んでもらったことなどを俺は彼にざっくりと話した。

 そして、それを聞いた四宮の父親は俺に言った。


「分かった。警察の対応は私が先生の友人として対応しておく。もちろん、タイムマシンのことは説明しないし、君たちにこれ以上被害が及ばないように努力する。だから、高梨くんは香を家まで送ってくれないか?運転手に事情を説明すれば大丈夫だから。家に着くまであの子と一緒にいてくれ。頼むよ」


 警察への対応などやった事がなく先生も消えてしまって不安だった俺には、彼の気持ちはとてもありがたく心強かった。そんな彼に頼まれた事なので、俺はその提案を喜んで引き受けた。


「はい、しっかりと家まで送り届けます」


 俺は四宮の父親にそう言って、彼が乗って来た車に四宮と共に乗り込んだ。いつも四宮の塾への送り迎えをしている運転手さんに事情を話すと、運転手さんは少しも疑わず、車を走らせてくれた。

 しかし四宮の家に車で向かっている間も、四宮は酷く落ち込んでいる様子でいつもの元気が無かった。俺が慰めようと何を話しても『うん』か『そうだね』ぐらいしか答えてくれなかった。


 俺は先生がタイムマシンを動かす前に言っていたことが、その時ようやく分かった気がした。『むしろ天才だからこそ、挫折した時にはあっけないこともある』、一つのことに頑張って集中し続けたからこそ、そのせいで傷つけば立ち直るのは難しいのかもしれない。

 だがそれが分かったからといって、俺にできることが変わるわけじゃない。俺は彼女の家に着くまでの間彼女に話し続けたが、ほとんどのことにまともに答えてくれなかった。ただ唯一、彼女が車内で俺に話してくれたのは 、俺への謝罪の言葉だった。

 彼女はあと数分で家に着くという時になって口を開いた。


「高梨くん、ごめんなさい。高梨くんは私のせいで大事な先生を失ってしまった。本当にごめんなさい」


 それまで俺は何度も彼女のせいじゃないと言っていたが、どうやらそれは耳に入っておらず、彼女は自分を責めて続けていたらしい。


「だからお前のせいじゃないから、気にするなよ」


 もうこの言葉を言ったのは何度目か分からなかったが、もう一度俺は彼女にそう言って慰めた。


「ううん、私のせいだよ。私が先生の言うことを無視してタイムマシンを改造していれば、先生は確実に無事に過去に行けて、家族を救うことができたかもしれない。それができたのにしなかったんだから、こんな結果になったのは私の責任。ごめんなさい」


「先生が選んだことだ。仕方ないだろ」


 俺と四宮がそんな堂々巡りをしているうちに、俺たちが乗っていた車は彼女の家に着いた。

 車から降りると、大きなお屋敷から四宮の母親が出て来て彼女を迎えた。俺は四宮の母親にお礼を言われ彼女の家の夕飯に誘われたが、お礼を言われるようなことは何もできなかったので、遠慮して自分の家に帰ることにした。

 帰りも四宮の家の車で塾まで送ってもらうことになったので、再び車に乗る前に俺は四宮に言った。


「今は難しいだろうし、俺にできることはもう少ないかもしれない。でも手伝って欲しいことがあれば、いつでも言ってくれ。待ってる」


「うん、分かった」


 彼女が小さな声でそう言って頷いたのを見ると、俺は車に乗った。そしてすぐに運転手さんが車を走らせ、俺は彼女の家から離れた。


 塾へ向かう車内で俺は、先生がいったいどうなったのかとか、四宮はこれからどうするんだろうかとか、あれこれ黙って考えていた。するとそんな俺に、それまで黙っていた運転手さんが話しかけてきた。


「香さんは大好きな人がいなくなって、少し動揺してるだけだと思いますよ」


「え?」


 あまりに急に言われたので、俺は聞き返して彼との会話を始めた。


「香さんは、先生とあなたのことが本当に大好きみたいでした。私はこの夏、香さんの塾への送り迎えをさせていただきましたが、帰りには毎日その日にあったあなた達との事を楽しそうに話してくれていたんです。最近じゃそれを聞くのが私の楽しみにもなっていました。そんな人が急にいなくなったんですから、ショックを受けても無理はないですよ」


「そうですか、あいつはそんなことしてたんですか。運転手さんはこれから四宮はどうすると思います?自分の夢を追い続けると思いますか?」


「香さんはとても頭のいい方ですから、頭の整理ができたら、自分で今やるべき事に気付くことができると思います」


「俺もそう思います。でもそうじゃなかったらと思うと、自分に何ができるんだろうって考えてしまいます。四宮が落ち着くまで待っているだけでいいのか。勝手に立ち直ったとしても、俺はこれからもあいつのそばにいるだけで本当にいいのかって思います」


「香さんはきっとあなたがそばにいて欲しいと思っていますけど、それをするかどうかは高梨さん次第ですよ」


「そうですよね」


 俺は東郷先生の言った事を考えながら運転手さんとの会話を終えた。先生には四宮のそばにいて欲しいと言われたが、本当にそれだけでいいのか。現状そばにいながら、彼女のために何もできていない自分に情けない思いを感じながら、俺はこれからについて考えていた。


 しばらくすると車は塾の前に着き、運転手さんにお礼を言って俺は車を降りた。

 研究室にも寄ろうかと考えたが、せっかく四宮の父親が俺たちに影響が無いように努力してくれている事を無駄にしないためにも、俺はまっすぐ家に帰った。


 俺の高校二年生の夏休みはそうして終わった。大半は先生達と楽しい生活を過ごしたと思うが、最後の最後にモヤモヤした思いを抱えて終わりを迎えたのだ。

 だが、この話はまだ終わらない。それからおよそ二週間後、俺たちは思いもよらないことから、あの日の先生が何を考えて行動したのかを知る事になった。そしてその日が、俺のそれからの生き方を変える大きな分岐点になったのだ。


つづく

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