第20話 時を越えるリンゴ

 高二の夏休みに入った俺が、数日間廃工場のような先生の研究所で行っていたことは、主に今のタイムマシン改造のための高所作業だった。それ自体は別に良かった。中学生や年寄りに危険な作業はさせられないし、こんな大きな機械いじりは新鮮で、最初のうちは楽しめた。だが、先生や四宮の言うとおりに作業をしているうちに『俺が作っているこれは本当にタイムマシンなのか?』という疑問がわいてきた。

 当然、タイムマシンについて勉強してきた先生と四宮なら分かっているんだろうが、俺はこのでかい金属の集合体がタイムマシンだということをいまいちわかっていなかった。最初にこれを見た時のインパクトから先生の言うことを信じてしまっていたが、もしかしたら俺はあのオッサンと中学生に全然関係ないものを作らされているんじゃないのか。

 そんな疑問を感じめ始めたたため、俺は作業をいったん止めて先生に話しかけた。


「なぁ、先生。これが本当にタイムマシンって言うなら、動くところ見せてくれよ。今更だけど、俺はこれがタイムマシンなのか疑問に思ってきた」


 俺がそう言うと先生は笑って答えた。


「本当に今更だな、初日に言う事だろ。でも確かに、お前らには今の現状を見せておいた方がいいかもしれないな。よし、じゃあたまには先生らしく実験してやろう」


 そう言ってから、先生はタイムマシンの一部の電子レンジのような窓の近くにある操作部分に近寄った。


「おい高梨、リンゴ持ってないか?」


 先生はタイムマシンのレバーを操作しながら、梯子を使って降りていた俺に向かって言った。


「リンゴ?持ってるわけないだろ。お腹すいたのか?」


 急に変なことを言ってきた先生に俺は聞き、先生はその理由を話した。


「腹が減ったんじゃねえよ。物理実験と言えばリンゴだろ」


 そんな常識は聞いたこと無かったが、先生が当たり前のように言ったので俺は先生に尋ねた。


「俺はそんなこと聞いたことないけど、有名なのか?」


 そう聞くと先生は冗談を言うように笑顔で言った。


「お前、そんなことも知らんのか。これだから最近の若いのは、物事を知らなすぎる」


 何だか過剰に馬鹿にされた気がしたので、俺はその情報の信憑性を確かめるために、今度は物知りな四宮に尋ねた。


「四宮は聞いたことあるか?」


「いや、私も聞いたことないですね」


「ほら、浸透してないじゃないか。これだから最近の年寄りは、自分の勝手な考えを周りの常識だと思い込んでる」


 俺は彼女が聞いたことないと言ったことを聞いて、鬼の首を取ったかのようにさっきの仕返しを先生に言った。だが先生には全然響かず、彼は実験の準備を始めた。


「そうか。今の奴はそう言わないんだな。まあいい。お前と口げんかなんてしてる場合じゃない。リンゴが無ければ別のものでいいんだ。四宮のノート貸してもらえるか?」


「えぇ、いいですよ。どうぞ」


 四宮はそう答え、タイムマシンの近くの机にあった自分のノートを先生に手渡した。


「まず、このノートを未来に送ろうと思う。未来に送る方が変化がよく見えて面白いからな。高梨、今何時だ?」


「十時半」


 俺が先生に時間を聞かれて答えると、先生は四宮のノートの空いたページに大きく何かを書き始めて言った。


「じゃあ、ここに今の時間『十時三十分』と、一時間後の『十一時三十分』の文字を書く」


 書き終わったら先生は俺と四宮にそのノートを見せた。開かれたノートのページには大きな文字で『10:30→11:30』と書いてあった。そしてノートを見せ終わると先生はそれをタイムマシンの窓の中に入れ始めた。


「これを入れて一時間後に設定した後このレバーを引くと、このノートは現在から姿を消して一時間後に出てくる」


「へー」


 そんな手品師みたいなことを言われても、あまり実感が湧かなかった俺は先生に生返事で相槌を打った。


「始めるぞ」


 そして先生がレバーを引くと、俺がさっきまで足場にしていた金属の部品やら何やらがガタガタと音を立てて動き出し、タイムマシンの窓の中が少しまぶしく光った。俺がすぐにそこに近寄ってその中を見てみると、そこに入れたはずのノートはきれいさっぱり無くなっていた。


「本当に無くなってるぞ、すごいな!」


 素直に驚いた俺は先生にそう言うと、先生は自慢げに答えた。


「だろ。後は一時間待って、出てくるのを待つだけだ」


「どこに出てくるんだ?」


 そう聞いた俺に先生は意外な答えを言った。


「そのへんに出てくる」


 先生は、近くの机のあたりを指差した。


「曖昧すぎてなんか怖いな」


「でも、その時その場所にいる人や、物に上書きされて出てくるってことはまずないから、大丈夫ですよ。もし高梨君がこの部屋で全力疾走とかしてたら、出てきたものにぶつかる可能性はありますけどね」


 曖昧な情報を出されて少し不安に思っていた俺に、四宮はそう言った。彼女は俺が本気でそんなことをする人間だと思っているのか。


「ありがとう。そんなことはしないと思うが、その時間は全力疾走しないように気を付けるよ」


 そしてその会話を聞いていた先生が俺たちに言った。


「その辺もこれから人間用に調整するときにしっかりしていかないと、とは思ってるんだが、今の段階では問題ない。だが念のため作業は中止。俺は午後からの授業の準備をするから、お前らは夏休みの宿題するなり、遊ぶなり好きにしてろ」


 特にすることもなくなった俺と四宮は、一時間後までタイムマシンがある実験室の隣の部屋で、大人しく宿題をしながら過ごすことにした。



「一時間って長いな。先生も十分とかにすればよかったのに」


 宿題をするのも面倒に思った俺は、四宮に話しかけた。


「そうだね、確かに長いかも。でも何で実験といえばりんごなの?って思わなかった?何か意味があるんじゃないかな?」


 四宮は俺がこぼした愚痴に同意して、そう聞いた。俺が彼女にタメ口でいいと言ってから数週間がたち、彼女は俺に話すときには大分自然なタメ口で話せるようになってきていた。


「そうか?俺は先生のただの勘違いだと思うぞ。あの人も結構な歳だからな、間違えても仕方ない。多分間違えて、『物理実験といえば』から連想しようとして『カレーの隠し味といえば』で連想して『リンゴ』って言ったんだよ。そのうちきっと『化学実験といえばハチミツ』って言い出すぞ」


 俺がそんな冗談を彼女に言うと、彼女は微笑んで答えた。


「そんな勘違いするかな?私だったら実験といえばキャベツとかジャガイモを思い浮かべるけど、でもリンゴもやっぱり特別な感じはするよ。やっぱり、ニュートンが重力に気付いたのはリンゴが落ちるのを見たからって言う俗説があまりに有名だからかな」


「それは俺でも知ってる。本当かどうかは知らないけど」


「本当かどうかは、それこそタイムマシンで過去に行って、ニュートンに聞いてみないと分からない。でもロマンがある話だとは思うな。何気ない日常の中で世紀の大発見をしたってところは、私は割と好きだよ。あと、小学校のころの家庭教師の先生に聞いて調べたんだけど、リンゴって世界中どこでも食べられてたから、いろんな宗教の話とか外国のことわざとかにも出てくるんだよ」


 彼女はリンゴについての自分の知識を語り始めた。いつも通り自分の知識や考えを語る時の彼女は、とてもいきいきして楽しそうだった。そんな彼女の姿を見て、俺はその知識に感心しながら言った。


「へー。やっぱりお前は物知りだな」


「でしょ、私天才だから。でも他にもあって、リンゴって意外とかなり前から食べられてるから」


 俺が彼女の知識を褒めると彼女のテンションはもっと上がっていき、リンゴについてはもちろん、最終的に化石やら他の科学者の逸話やらについての彼女のうんちくまで聞くことになった。その結果、タイムマシンでノートを送ってからほぼ一時間が経過する時間になるまで、その彼女の話は休むことなく続いたのだった。

 俺がその時に知ったリンゴについてのうんちくが、その日から今までの間に役に立つ機会があったかと聞かれると、未だに無い。きっとこれからも無いだろう。



 四宮と一時間弱話した後、俺たちはノートが現れるのを見るために巨大なタイムマシンがある実験室に戻ってきた。

 先生はまだ自分の部屋にいて来ておらず、タイムマシンで送ったノートも見つからなかった。いったいどんな風に送られてくるんだろうかと俺が楽しみにして、四宮と共にあたりを見回していると、視界の端のあたりでパサッという音と共に何かが落ちたような気がした。まさかと思って見てみると、そこにあったのは一時間前にタイムマシンの中から消えたノートだった。


「中身も見てみろよ」


 いつの間にやら来ていた東郷先生に声をかけられて、俺は言われた通りに中を見てみた。すると、一時間前に先生が書いた『10:30→11:30』の文字が書かれていたのだ。その文字を先生と四宮にも見せると、先生は俺に言った。


「これで分かったろ。お前が手伝ってるのは、確かにタイムマシン作りだ」


「手品じゃないだろうな?」


「お前が疑ったから始めた実験なのに、準備できるはずないだろ」


「それもそうだな」


 先生が現れたタイミングや実験の手際がやけによかったので俺は怪しんだが、確かに自分で言い出したことなので、納得するほかなかった。


「次は過去に送るのか?」


 未来に送る実験は俺が思っていたよりもすごい実験だった。俺が更なる実験に期待して聞くと、先生はすぐに答えた。


「そうしたいところだが、出来ないんだ。このタイムマシンを一回使った後は、しばらく休ませておかないと機械の部分がぶっ壊れて使い物にならなくなる。だいたい五時間ぐらい置くと大丈夫だから、やるとしたら塾の授業が終わった夕方以降だな。その代わり、帰りにリンゴを買ってきてやるよ」


「ふーん、リンゴはどうでもいいけど、使えないなら仕方ないな。ハチミツって言いださなかっただけ良かったとしよう」


「何だ?ハチミツって」


 身に覚えがないであろう単語を聞いて、先生は不思議そうな顔で俺に質問した。


「気にするな、こっちの話だ」


 説明するのも面倒なので、俺は適当にごまかした。

 過去に送る実験を楽しみにしつつ先生とそんな会話をしていると、研究所のドアがノックされる音がした。四宮はそれを聞くとすぐに、外からタイムマシンが見えないようにホワイトボードを出入り口付近に置き、その人物の対応をしに向かった。


「はい、どなたですか?」


 四宮の声と同時にドアの開く音が聞こえた後、彼女は驚いたような感じでドアの前にいる人物と話し始めた。


「あ!この間はありがとうございました。おかげさまで東郷先生に会うことができました」


 彼女に話しかけられた人物はその言葉を聞いて答えた。男の声だった。


「あぁ、この間の子か。無事に会えたみたいで良かった。それでその東郷先生はいるかな?」


「誰だ?」


 先生は自分を訪ねてきたその男に聞こえるように、研究所の中から声をかけた。


「昔研究室で一緒だった白石 学だ。覚えてないか?」


 白石と名乗ったその男も中にいる先生に聞こえるように、建物の外から声を張って答えた。


「白石?なんであいつが?」


 先生は独り言のようにそうつぶやいた後、その男に『入っていいぞ』と答えた。

 入ってきたその男は先生の知り合いのようだったが、その風貌は先生とは全然違っていた。歳は同じ五十半ばくらいに見えたが、高級そうなスーツを着ておりいかにも偉そうな感じの人だった。白石は実験室に入ると、自然と目に入る巨大なタイムマシンに驚いていた。


「凄いじゃないか、東郷。いったい何なんだこれは?」


 白石は先生にそう聞いたが、先生は答えずに彼に言った。


「白石、その話はちょっと待て。こいつらに席を外させる。おい高梨、四宮。お前ら、俺とこいつの話が終わるまで、部屋で待ってろ。いいって言うまで出てくるなよ」


 先生が俺たちにそう言うと、白石は先生に言った。


「別に子供に聞かれたくない話をしに来たつもりはないんだがな」


「俺はお前との話をこいつらに聞かれたくないんだ。ほら、さっさと行け」


 先生に早く行くよう促された俺たちは、彼らが何を話すのかが気になりはしたものの、先生の言う事に従って実験室隣の部屋に行った。



「四宮、お前あの白石って人と知り合いなのか?」


 俺は部屋に入ってドアを閉めるなり、四宮に聞いた。


「知り合いってほどじゃないよ。ここに来る前にいろんな大学の先生に、私のタイムマシンづくりの協力を頼んでたって話は前にしたでしょ?その時に協力はしてくれなかったけど、東郷先生のことを教えてくれた人ってだけ」


「へぇー。それならけっこう偉い人なのか」


 俺は実験室へのドアにもたれながら四宮の説明を聞いて納得した。すると、この場所ならドアの向こうの音が聞こえることに気付いたのだ。


「白石、最近はどうなんだ?名門大学の教授なら、今でもかなり規模がでかい研究できてるんじゃないか?」


 先生が白石に話しかける声が聞こえた。


「いいや、最近は全然だ。いろいろやっちゃいるが、成果はほとんど出ない」


「お互い大変だな」


 俺は耳をドアに当てて、彼らの会話を本格的に聞き始めた。


「おい四宮、ここなら向こうの声が聞こえるぞ」


 俺は四宮に小声でそう伝えたが、彼女はテーブルから動く素振りを見せなかった。


「やめようよ、盗み聞きは良くない」


「でも、気にならないか?先生が俺たちに聞かれたくない話が何なのか」


「それは気になるけど。」


 四宮は反対していたが、どうしても先生たちの会話が気になったため、俺は盗み聞きを続けた。


「ところでさっきの子供たちはどういう関係なんだ?女の子の方は俺がお前のことを紹介したからここにいるんだろうが、男の子の方は何だ?お前の塾の生徒か?」


 白石が先生にそう聞いていた。先生は答えた。


「あぁ。今は二人とも塾生だが、男の方は前からそうだ。今じゃ両方俺のタイムマシン製作を手伝ってもらってる」


 白石はその先生の言葉を聞いて驚いたような声を上げて言った。


「へぇ、お前も変わったな。昔は俺たちや先生の忠告を無視してタイムマシン研究を始めるような頑固者で、俺たちの力なんて借りようともしなかったのに。今じゃ生徒と仲良く研究を進める良い先生か」


 先生と白石が俺たちのことについて話し始めたのを聞いて、俺は四宮にそのことを報告した。


「四宮、先生俺たちのことについて話してるぞ。」


「え?どれどれ」


 すると、彼女もすぐに俺の隣に来て、ドアに自分の耳を当てて向こうの会話を聞き始めた。どうやら、彼女も聞きたかったらしい。俺たちに聞かれているとも知らず、先生たちは会話を続ける。さっきの白石の言葉に答える先生の声が聞こえた。


「確かに俺も歳とって丸くなったのかもな。人手が欲しかったと言う理由もあるが、あの二人はなかなか見どころがあるやつらなんだ。一人は最近の若い奴にしては勉強への向き合い方が真摯で立派なものだし、もう一人は文句なしの天才だ。俺が同じくらいの時よりはるかに頭がいい。それにな、女の子の方は昔の俺に考え方が良く似てるんだ」


「昔の東郷お前に?」


「昔俺がタイムマシンの研究を始めた時、教授やお前も含めた同僚たちに大反対されたろ。『タイムマシンなんてこれまでに発見された理論から考えたら絶対にできないからやめとけ』って」


「お前はまるで聞かなかったけどな。」


「そうだった。あの子もそうなんだ。『昔の人が見つけてない新たな法則を見つければできる』って、その時の俺と同じことを言ってたんだ」


「へー。自分に似た前途ある若者を教育してるのか」


「そんな立派なもんじゃない。俺が今あいつらと一緒にいる一番の理由は、単純に一緒にいると楽しいからだ。一人でやってた時よりもこの数週間はすごく楽しい。生意気な口を利かれることはしょっちゅうだが、それも悪くないって思う。もし俺に息子がいて、娘があの歳まで育ってくれていたら、こんな感じだったのかなって思う」


 静かにそう話す先生の声を聞いて、俺は嬉しいような恥ずかしいような寂しいような、複雑な感情を抱いていた。その間も白石は先生との会話を続けていた。


「そうか。お前の娘はそうだったな。悪かった」


「お前が謝ることは無い。俺が勝手に話し始めたことだ。それで、今日は俺のこんな話を聞きに来たわけじゃないんだろ。本題は何だ?」


「うん。そんな話をした直後に悪いが、俺がここに来たのはお前に今の研究を手伝ってほしいからなんだ。さっきも言ったが、最近俺の研究はうまくいってない。今は原子エネルギーについての研究をやってるんだが、お前が昔やっていた分野に近いだろ?お前の助けがあれば少しは成果を出せるかなと思ってるんだ」


 それを聞いた先生は特に悩むような間を開けることもなく、すぐに返事をした。


「断る。今の状況が楽しいんだって言ったろ。今はお前に協力してる暇はない、タイムマシン作りがうまくいき始めてる最中なんだ」


「そう言うと思ったよ。取引をしないか?お前が俺の研究を手伝う代わりに、お前のタイムマシンの研究は俺が関わっていることにしてもいい。今のお前の立場じゃ、万が一完全なタイムマシンを作れたとしても、いろんな人に揉み消されてまともに成果を発表できないぞ。実はさっき声を掛ける前に、建物の前でお前と子供たちの会話を聞いてたんだ。大分できているそうだな。その成果を世間に発表する時にはきっと、俺の名前が役に立つと思う」


 盗み聞きをするなんて人として最低な奴だなと思いながら、俺は先生がどう答えるのか気になりながら待った。すると先生はさっきと同じように、すぐに答えたのだ。


「どう言われようと、今お前に協力するつもりはない。今更研究者としての名誉なんかにこだわるつもりもない。俺はこれを世間に発表するつもりはないんだ。あいつらは発表したいかもしれないが、そうしたいならいずれ自分たちの力で何とかするだろう」


「そうか。残念だ」


「用がそれだけなら、もう帰ってくれないか?午後から塾の授業があるんだ。それから念のために言っとくが」


 先生は白石に帰るよう促した後、何か大事なことを言おうとしたようだった。しかしそれを言いきる前に白石が言った。


「今日ここで聞いたこと、見たことは誰にも言わない、だろ。最低限のルールぐらい分かってるよ」


「そうか、ありがとう。この辺の道は複雑だから、広い道に出るまで案内してやるよ」



 先生はそう言い終えると、すぐに俺たちの耳に彼らの声が聞こえなくなった。二人とも外に出て行ったようだ。彼らがどこかへ行ってしまったので、俺と四宮はドアから離れ、部屋にあるテーブルの席に座って話し始めた。


「それにしても、大学の教授から協力を頼まれるなんて、先生ってけっこう偉い人なのかもな。」


 俺が四宮にそう言うと。四宮は呆れたように答えた。


「気付くの遅い。高梨君はずっとただのオジサンみたいに扱ってるけど、昔は結構すごい人だったみたいだよ」


「へー。先生もすごいし、そんな先生に天才と言われるお前もすごいな。何だか俺だけ取り残されてる気分だ」


 俺がそう言うと、彼女はすぐに否定した。


「そんなことないよ。先生も言ってたけど、私は高梨君もすごい人になると思う」


「自分のことを天才だと信じてるお前に言われても、嫌味にしか聞こえんな」


 俺は冗談のつもりでそう言ったが、彼女はいたって真面目に話し始めた。


「ちょっと待ってよ。多分高梨君は私のことを誤解してる。私が何で自分のことをこんな自信満々に天才って言ってるか分かる?」


「そりゃ、生まれつき天才だったからじゃないのか」


「違う。実際は天才だったのかもしれないけど、自信を持ってそう言う理由は、私が他の人よりもたくさん勉強してきたからだよ。初めから自分が天才だなんて思ってなかった」


 俺は驚いた。四宮はてっきり物心ついた時から、自分のことを天才だと思っていたのかと思っていたからだ。詳細が気になった俺は彼女に聞いた。


「それじゃあ、お前はいつから天才って思ったんだ?」


 それを聞くと彼女は少し考えた後、答えた。


「うーん、小学校の五年か六年生のころかな。私の家って実は結構お金持ちなんだけど、小学校の一年生の時から家庭教師に勉強を教えてもらってたんだよね。それもお父さんのコネで、有名な大学の先生とか、予備校の講師とかも来たりしてた」


「へー。金持ちなのはうすうす気づいてたけど、そこまでだったのか」


 俺はそんな家庭環境が実在していたのかと、またしても驚いた。そして彼女は少しも謙遜することなくその話を続けた。


「うん。それで、勉強を頑張ればお母さんやお父さんや周りの人は褒めてくれたから、私はその時いっぱい頑張って勉強した。教えてくれる家庭教師の先生はみんな優秀で、聞けば大体何でも教えてくれたから、どんどん私は知識をつけていって、あっという間に小学生の勉強が終わったんだよ。当時は周りから褒められるためだったけど今思うと、その時から私は少しは周りより頭が良かったんだろうね」


「それで自分が天才だって気付いたわけか」


 俺は彼女の話を聞いて勝手に納得していたが、彼女の話はまだ終わっていなかった。


「いや、焦らないで。まだ続きがあるんだよ。そんな感じですごい勢いで勉強していた小学生の私だったけど、ある時からそんな私を応援してくれる人が前よりも少なくなっていったんだよね。周りの同世代の子達が服とかゲームとかに興味を持ってる中、ものすごい勢いで勉強してる私のことが理解できなかったのかもしれない。お母さんは変わらずに応援してくれてたけど、お父さんはもっと他の習い事に力を入れなさいって言って家庭教師の先生は来なくなっちゃった。それに、学校の友達にも全然相手にしてもらえなくなったんだ。高梨君、そうなった小学生の私はどうしたと思う?」


 そう聞かれた俺は、彼女の強気な性格から推測して答えた。


「まぁ、お前なら諦めるってことはしなかったんだろうな」


「そう。私は将来周りの人たちを見返すために、もっとすごい何かをしてやろうって思った。それでタイムマシン理論の基礎や、この間言ったタイムマシンと法律に関する私の理想を思いついたんだ。こんなことを考える小学生はきっと私しかいないだろうと思って、私は自分のことを天才だと思い始め、タイムマシン理論の研究を始めたわけ」


「うん。お前が天才なのは改めて分かったよ」


 俺は彼女のこれまでの話を聞いて素直な感想を言った。だが彼女が言いたかったことは自分が天才だと思った経緯についてでは無かったらしく、俺の感想を強めに否定した。


「違う!私が言いたかったのはそうじゃない!先生から天才って言われてる私でさえ、小さいころは自分が天才なんて思ってなかった。たくさん勉強して初めて頭がいいと自覚して自信を持てるようになったんだよ。だから高梨君も、今自分では才能がないと思っていても、これから自分の才能に気付くかもしれないよってこと。それが言いたかったんだ。実際先生も見どころがあるって思ってるんだし、私もそう思ってるよ」


「本当か?」


 彼女の言葉が未だに信じられなかった俺が疑うようにそう言うと、彼女はまっすぐに俺の目を見て答えた。


「本当だよ。私が何で高梨君をタイムマシン作りに誘ったか分かる?あなたが努力してたからだよ。高梨君が他の人には理解されない方法で勉強を頑張ってるって知ったから、だからタイムマシン作りに誘ったんだよ。この人なら私の考えも理解してくれるかもって思ってね」


「へへ、ありがとう。今までお前は頭がいいけど、すごい自意識過剰で自分勝手な奴なんだと思い込んでた。でも結構いいヤツかもな」


 俺は彼女の言葉を聞いて、少し照れて笑った後答えた。そして彼女は自慢げに言った。


「でしょ。何しろ天才だからね」



 彼女との会話が一息ついたころ、隣の実験室のあたりから物音がした。どうやら先生が帰って来たらしかった。俺と四宮はそれを聞いて実験室へ戻った。その先生は何か手紙のようなものを真剣に読んでいたが、俺たちが入ってきたことに気付くとすぐにそれを隠して言った。


「二人とも。俺は昼飯を食ったら塾に授業をしに行くが、今日はここに残っていてくれないか」


 夏休み期間中の俺と四宮は、朝から研究所に来てタイムマシンを作ることが日課になっていた。昼からは塾の夏期講習で先生がいなくなるため、先生と共に塾に行き、宿題をするなり夏期講習を聞くなり、それぞれの時間を過ごしていたのだ。塾の授業が終わってからは、四宮の迎えが来るまで研究室で過ごすというのが、夏休みの基本的な流れだった。

 だが今日の先生は、急にいつもとは違うように過ごすことを頼んできたのだ。

 その言葉に四宮は普通に答えた。


「構いませんよ。高梨君は私が見てますから」


 相変わらず生意気なことを言う彼女に、俺も言い返すように言った。


「俺も構わない。四宮は俺が見てるから」


 そんな俺たちの返事を聞いて、先生は答えた。


「そうか、良かった。腹が減ったらここにあるものは何でも食っていい。それから、タイムマシンには危ないから触るな。あとは」


 先生は高校生の俺と中学生の四宮に、留守番させる小学生に言うような注意をいくつか続けた後、昼ご飯を食べてから塾に行った。



 俺と四宮も実験室の隣の部屋で家から持ってきた弁当を食べた後、先生がいない午後の時間を、本を読んだり宿題をしたりして、それぞれ自由に過ごしていた。

 大体三時ごろに、実験室でタイムマシンの改造について考えていたらしい四宮が、一つのリンゴを持って部屋に戻ってきた。不審に思った俺は彼女に聞いた。


「どっからそんなもの持ってきた?」


「実験室の机に置いてあって、食べたくなったから持ってきた。先生もここにあるもの食べてもいいって言ってたし。そこに包丁あったよね」


 彼女はそう言った後、部屋にある小さな台所でリンゴを切り、皿に乗せて俺が座っていたテーブルに置いた。

 それを二人で食べている途中に、彼女は俺に言った。


「でも、先生ってリンゴ好きなのかな。このリンゴ朝は実験室に無かったから、多分白石さんが持ってきたんだと思うけど」


「そんなの知らないけど、実験に使うものでこだわるぐらいだから好きなんだろう」


 俺は適当に答えた。彼女から実験室のことを聞いて、少し気になっていたことを思い出していたのだ。俺はついさっきまでそこにいた四宮に聞いた。


「そんなことより、さっき先生が塾に行く前に先生何か読んでただろ。俺たちが行ったら隠してたけど、むこうにあったか?」


「ううん、私もちょっと探したけど無かった。きっと大事なものだから持ってったんでしょう」


「ふーん。そうか」


 リンゴを食べ終わった俺たちは、夕方まで好きなように過ごした。



 夕方の五時半ごろ、先生は授業を終えて塾から帰ってきた。


「おい、高梨、四宮。実験再開するぞ」


 そう言った先生の手にはリンゴが入っているビニール袋があった。


「またリンゴか」


 俺はそうつぶやきながら、実験室のタイムマシン前に向かった。


「またって何だ?買ってくるって言ったろ」


「そうなんだけど、俺今日だけで何回リンゴの話をしたんだろって思って」


 俺が先生に愚痴っていると、そのビニール袋を目にした四宮が先生に話しかけた。


「先生、リンゴ買ってきたんですか?ここに一個あって私と高梨君で食べちゃいましたけど、あれ白石さんが持ってきたものの一つじゃなかったんですか?」


 先生は怪訝な顔をして答えた。


「いや、あいつはリンゴなんて持ってきてなかったろ。ましてや一個だけなんて」


 何か言いかけた先生は、それを途中でやめていきなり話を切り替えた。


「いや、その話はあとでいい。今はとりあえずこのリンゴを過去に送る実験をするぞ。適当に三時間前に送ろう」


 そう言って先生はビニール袋からリンゴを一つだけ取り出し、タイムマシンの中に入れた。


「未来に送る場合とやることはほとんど変わらん。操作するレバーが違うだけだ。それじゃ、始めるぞ」


 先生は俺たちに説明しながら操作部分のレバーを動かし、タイムマシンを起動させた。午前中と同じように金属の部品が音を立てて動き出し、窓の中が少しまぶしく光った。その後でそこを見ると、その場所に入れたはずのリンゴは無くなっていた。そしてそれを確認した俺を見て、先生は言った。


「これでそのリンゴは、三時間前のこの部屋に移動したというわけだ」


 俺は簡単すぎるその説明に納得いかなかったので、先生に意見した。


「三時間前に移動したと言われても、三時間前なんて見れないから証明できないだろ。今この部屋にもそれらしきものは無いし」


 だがその俺の言葉を聞いて、先生はにやりと笑った。そして四宮は、何かに気付いたような、真剣な声色で俺に話しかけた。


「高梨君、多分この部屋にありますよ。さっきのリンゴ」


 その言葉の後、今度は先生が俺に言った。


「そう。さっきのリンゴは、多分お前らの胃袋の中にある」


 先生のその説明では俺には足りないと思ったのか、四宮は補足の説明を始めた。


「さっき三時間前に送ったリンゴは、だいたい三時前のこの部屋に現れたんですよ。そして、そのリンゴを私が見つけて、先生が白石さんからもらったものだと思い込んだ。そして高梨君と二人でおやつとして食べてしまったという事です」


 二人の説明を聞いて、俺はようやく、今目の前で起きたことを何となく理解できた。


「なるほど。今過去に送ったリンゴを、俺たちは三時間前に食べてたってことでいいのか?」


 俺が理解したことが合っているかどうか口に出して確認すると、四宮は答えた。


「そういうこと。だから、この実験で言えるのは、過去に物を送っても、起こったことは何も変わらないってことですよね?先生」


 四宮に聞かれた先生は答えた。


「そうだな。物に意思は無いから、過去に送っても何もできない。変わると良いとは思ってるんだが、何度やっても変わったためしがない。だから今度は人を送れば変えられるんじゃないかと思って、これを人間用に改造してるってわけだ。今やってることが分かったか?高梨」


 先生は俺にそう言った。先生は俺のためにほとんど今日一日を使って説明してくれたのだ。それに感謝しつつ俺は答えた。


「うん、分かった。ありがとう。でも、今やってるその改造は難しいものなのか?どれぐらいかかるものなんだ?」


「いや、四宮の理論がある今だったら、人間を飛ばせるようにするだけならそれほど難しくない。もうすぐできる。だが、安全を考えるならまだかかるな。リンゴ一つ飛ばすだけでもガタガタ揺れてただろ?今のままじゃ、人を飛ばすエネルギーにマシン全体が持たないだろうし、飛ばす人の安全も保障できない」


「じゃあ、俺の時間旅行も当分先か。ここまで来たら待ち遠しい」


 俺がそう言っていると、過去に送ったリンゴの説明をした後、沈黙していた四宮が突然先生に話しかけた。


「そうか!だから物理実験といえばリンゴだったんですか?タイムマシンで送る物体は、移動先ではほとんど音も立てずに現れるから、目立つように赤いリンゴを。そして、もし勘違いされたとしても、捨てられずに食べられて記憶に残る可能性の高いものだからってことですか?」


 先生は目を丸くして答えた。


「あぁ、まぁ、そうだよ」


「絶対嘘だぞ。四宮は頭が良すぎるから、都合よく解釈しすぎなんだ。今多分、先生は四宮の言葉を聞いて初めて気づいたと思う」


 そう言って俺は、先生の適当な言葉を驚異のポジティブシンキングで受け取った四宮の解釈を正そうと努力した。

 しかしすぐに彼女の迎えの車が来る時間になり、正しい解釈にすることはできなかった。その後、俺は四宮を塾の前まで送って車に乗るのを見届けた後、家路についた。



 そうして、朝から夕方までリンゴに支配された俺の一日は終わった。

 その後、タイムマシンの改造についての四宮と先生の意見が軽く衝突することになるのだが、その話は次の機会で語ることにする。


つづく

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