タイムマシン誕生の秘密

第19話 天才中学生のタイムマシン理論

 その少女は俺の前に突然現れた。後に彼女と何十年もの時間を共にすることになるのだが、初めて彼女と会ったときの俺はそんなことはつゆほども思わなかった。



 日曜日のその日、俺は実家の近所にある塾で勉強をしていた。十数年後の俺は、ある科学者がいるチームでタイムマシンを完成させることになるのだが、その時勉強していたことはそれほど高度なものではなかった。俺が勉強していたのは、高校物理の基礎の基礎、タイムマシンなんて無関係といってもいい部分であった。

 わざわざ日曜日に塾に行って勉強していたなんて言うと、何て勉強熱心で優秀な高校生なんだろうと思うかもしれないが、それは誤解である。単に学校の物理の勉強がいつまでたっても理解できなかったため、定期試験前に塾の先生に泣き付いて、本来であれば塾が休みの日曜日に開けてもらっているだけなのだ。よって、塾には他の生徒は誰もおらず、先生から俺だけへのマンツーマンの授業が行われていた。分からないところがあれば質問し放題という理想的な勉強環境だった。


 そんな俺一人のために授業をしてくれている親切な塾の先生の名前は東郷 総一郎(とうごう そういちろう)という。見た目は五十代くらいのオッサンで、よれよれのワイシャツを着て無精ひげを生やしている。おまけに口が悪いため、会ったばかりの生徒にはあまり良い印象は持たれにくい。おそらく普通の会社勤めは無理なんだろうなと思う人物である。しかし、しばらく彼の行動を見ていると、実は良い人だということが分かってくる。出来の悪い生徒の俺のために休みの日に付き合ってくれているこの日の状況もそうだ。それに、東郷先生は生徒の一人一人がどれだけ理解できているかをしっかり把握して、それぞれ違う言い方で分かるように教えてくれていた。それに、見た目も割とダンディで渋みがあり、年上好きの女子生徒からは人気があるという話も聞いたことがある。元々有名な大学で教授をやっていたらしいという噂も耳にしたことがあるが、その真偽は定かではない。先生は自分のことを多く語らない上に、見た目からくるその渋みから、聞いちゃダメな気がしていたからだ。

 当時の俺は密かに、年を取ったら東郷先生みたいになってもいいなとも思っていた。


 そして先生の授業がひと段落ついて、俺がその部分についての練習問題を解き始めようとしたとき、先生が俺に声を掛けた。


「おい、高梨。月謝貰ってるから教えろと言われれば分かるまで教えるつもりだが、お前もっと効率よく勉強しようとは思わないのか?他の生徒は物理なんて公式の暗記で試験ぐらい合格できてるんだろ」


 先生が言ったように俺の名字は高梨(たかなし)、名前は誠(まこと)だ。高校二年生で、学校で習い始めたばかりの物理の授業に苦戦しており、夏休み前の期末テストに向けて勉強をしている。特に自己紹介で話せるような趣味もなければ、自慢できる特技もない。おまけに学校の成績も優秀だとはいえない。

 夢中になれるものが何も無かった俺は、その状況に何か物足りなさを感じながらも、なるべく平均的な高校生生活を送れるように努めていた。きっとこの先も波風のない生活を送っていくのだろうと思っており、この日曜日の勉強もそのためであったのだ。


 俺は先ほどの先生からの問いかけに答えた。


「公式の暗記をすればテスト問題が解けるってことは分かっちゃいるんだけど、でもちゃんと理解しないと自分の中で納得できなくて気持ち悪いんだよな」


 ちなみに俺が先生に対してタメ口なのは、決して俺が失礼な人間だからではない。先生が子供の敬語は苦手だからタメ口で構わないと、いつも皆に言っているからだ。先生はそんな俺との会話を続けた。


「勉強の意味を考えるとそっちの方が良いんだろうが、そんなやり方だとこれから苦労するぞ。先生やってる俺が言うのもなんだが、もっと要領よくこなすことも覚えたほうがいい」


「それももちろん分かってるよ。でも性格だから仕方ない」


「まぁ、そうだな。人間そんな簡単に変われるもんじゃない。邪魔して悪かったな、勉強続けてくれ」


 先生にそう言われ、俺は物理の教科書の問題を再開した。

 それからしばらくの間、俺は一人で問題を解いた。そして先生が次の単元の授業を始めようとすると、突然塾の入り口のドアが開く音が聞こえた。

 思わず振り返った俺の目には、中学生ぐらいの少女の姿が映っていた。黒い長髪で高級そうな白いワンピース、凛々しく整った顔の一人の少女が、そこに立っていたのだ。


「失礼します」


 少女ははっきりした声でそう言い、礼儀正しくお辞儀をして中に入って来た。

 そしてその少女に先生が声を掛けた。


「どうした、お嬢さん。迷子か?それとも入塾希望か?」


 先生の問いに対して、彼女はハキハキと答えて会話をし始めた。


「いえ私、四宮 香(しのみや かおり)と申します。東郷 総一郎先生にお話があって来たのですが、東郷先生はいらっしゃいますか」


「俺に用か。すぐ終わる用なら今聞くが、長くかかるんならその辺に座って待っててくれ。今こいつの授業中なんだ」


「そうなんですか?ごめんなさい、日曜日なのでお休みかと思って押しかけてしまいました」


「いや、いいんだ。いつもは確かに日曜日は休みなんだが、今日はこいつの理解が遅いから特別に教えてやってんだよ」


 先生が俺のことを言ったので、とりあえず俺はその少女に謝った。


「俺の要領が悪いせいで、すまんな」


 そう言った俺に対して彼女は爽やかな笑顔を見せて言った。


「いえいえ、いいですよ。分かりました。では待たせていただきます」


 そして四宮と名乗ったその少女は、俺と先生しかいなかったガラガラの部屋の空いた席に座った。


 俺は初め、その少女の顔を凛々しいと感じて、その声を力強いと感じた。しかしそんな強気な印象に反して、彼女の言葉づかいや立ち居振舞いの一つ一つは、俺が普段の生活で見慣れていないような、気品のあるようなものに感じていた。その振る舞いから、彼女はどこかのお金持ちのお嬢様かもしれない、そう思ったのだ。


 俺は突然現れて、先生に用があると言った中学生のことが少し気になったが、先生は特に気にする様子も見せずに授業を再開した。俺が先生の話を聞きながら時々彼女のことをちらっと見ると、彼女は中学生では習わないはずの物理の授業を熱心に聞いていた。


 東郷先生の授業が終わり、俺が荷物の片づけを始めると同時に、先生は四宮に話しかけた。


「四宮さんっていったか、お嬢さん。いったい俺に何の用があって来たんだ?」


「はい」


 声を掛けられた四宮は短く返事をした後、荷物を持って立ち上がり先生の元に近づいて話した。


「単刀直入に言います。東郷先生、私がタイムマシンを作るのをお手伝いしてもらえませんか」


 先生はその彼女の唐突な言葉を聞いて驚いていた。俺ももちろん驚いた。


「だめですか?」


 彼女の言葉に驚いたまま先生がしばらく何も言わないでいると、彼女は先生にそう聞いた。先生はすぐに、子供をなだめるような話し方で答えた。


「いやいや、いいとかだめとかの問題じゃないんだ。タイムマシンを作りたいっていう発想は、常識にとらわれない子供らしい発想でいいと思う。けど、何で俺のところに来たんだ?有名な大学の偉い先生なんていくらでもいるぞ。なんでこんな個人経営の小さい塾のオヤジに頼もうと思った?」


「私、これまでいろんな大学の先生方に会って、同じことを頼んで来たんです。ほとんどの人はまともに話を聞いてくれませんでしたけど、ある先生にのところに行った時、昔タイムマシンについて真剣に研究してた人がいるという東郷先生の話を聞いたんです。その話を信じてここに来ました」


 彼女の説明を聞いた先生は、納得したように頷きながら答えた。


「そうか。不思議な女の子がやって来てその扱いに困ったどこぞのお偉い先生が、引退した俺に厄介ごとを押し付けたって感じか。じゃあ、百歩譲って俺にタイムマシンを作る技術があったとする。だがお嬢さん、あんたはどうなんだ?お嬢さんにその知識が無ければ俺が協力する意味なんて無いだろ」


「そう言われると思って、持ってきたんです。私が考えたタイムマシン理論のノートです。どうぞご覧ください!」


 四宮は待ってましたと言わんばかりの笑顔でそう言い、肩にかけていたバッグから数冊のノートを取り出して、先生に渡した。


「これはこれは、用意がいいことで。ではありがたく拝見させていただきます」


 先生は軽く笑った後、彼女に合わせて珍しく敬語を使って返事をし、渡されたノートを一冊目からパラパラと読み始めた。すると、それまで微笑んでいた先生はすぐに真剣な顔になり、数分間彼女のノートを読み続けた。


 そして数分後、さっきまでの子供をあやすように話していた様子とは打って変わって、今度は真剣な様子で彼女に話しかけた。


「お嬢さん、これ本当に全部あんたが書いたのか?」


「ええ、全部私が書きました。自分で言うのもなんですけど、私自分のことを天才だと思っているので」


 誇らしげにそう言った彼女に対して、先生は本気でそれに答えた。


「これを本当にその歳で考えたとしたら確かに天才だ。確かめるためにいくつか質問をしていいか?」


「もちろん、何でもどうぞ」


 彼女が自信満々に先生の質問を受け入れた後、先生はノートの内容についての質問をいくつか彼女にしたようだった。その時の内容はまるで俺に理解できるようなものではなかったため、俺は少しも覚えていない。覚えているのは二人が難しい話をしていて、この二人は俺がいることを忘れてるんじゃないかと思っていたことだけだ。


 先生の質問のすべてに彼女が答えた後、先生は少し考えて話し始めた。


「お嬢さん、このノートを他の人に見せたことはあるか?」


「いえ、無いです。見せようとはしましたけれど、誰も相手にしてくれなかったので」


「だろうな。お偉い先生方じゃ、あんたが考えた理論なんて見てくれないだろう。よほどの暇人じゃない限り相手にしないし、たとえ見たとしても、過去にまともに勉強したことが無ければ理解できなかっただろうよ」


「そうなんです。まともに相手をしてくれた人自体、東郷先生が初めてです」


 彼女は嬉しそうにそう答えた。


「まぁ、俺で良かったな。俺だからこのノートに書いてあることも理解できたし、お嬢さんが本当に天才だってことも分かった。タイムマシンを一緒に作るって話も考えといてやるよ」


「ありがとうございます。ところで」


 彼女は先生にお礼を言った後、俺の方を見てさらに質問した。


「この方は、東郷先生の助手さんですか?」


 彼女の言葉を聞いて先生はハッとして俺に言った。


「すまん、高梨。お嬢さんの話があまりに急な展開だったんで、お前がいることを完全に忘れてた」


 やっぱり忘れてたのかこのオヤジという思いを胸に秘めて、俺は先生に言った。


「いや、構わないよ。どうせ俺には二人の話は理解できなかったし」


「なら良かった。じゃあ、お嬢さん」


 先生はそう言って、改めて四宮の方を向いて話し始めた。


「今日はお嬢さんの研究成果を見せてもらったから、今度は俺がこれまでやって来た研究結果を見せてやる。来週の日曜日また来てくれるか?」


 先生がそう言うと、四宮は嬉しそうな笑顔のまま答えた。


「もちろんです!それでご相談なのですが、私もこの塾の塾生にしたいただけませんか。塾生でもないのに頻繁にここに来ることになると、私の両親も心配すると思いますので」


「俺は構わないが、あんたが学べるような授業は多分やらないと思うぞ」


「いえ、そんなことは無いですよ。さっき先生が高梨さんにやっていた物理の授業も、大変わかりやすい教え方で、基本を見直すいい勉強になりました」


「あんたがいいなら、ぜひ来てくれ。あ!そうだ」


 先生は何かを思いついた様子を俺たちに見せた後、四宮に言った。


「お嬢さん、塾生になるなら授業を受けにくるついでに高梨に勉強を教えてやってくれないか。今日みたいに休みの日に特別授業をやってると、自分の研究が進まなくて仕方ないんだ」


 その先生の提案を聞いて、四宮は少し不安げな調子で返事をした。


「でも、私にできるでしょうか」


「天才のお嬢さんなら多分できるよ。高梨、お前もいいだろ?」


 先生は軽く笑って彼女にそう言った。そして俺は先生の言葉に合わせて答えた。


「あぁ、俺も天才に教えてもらえるんなら大歓迎だよ」


「じゃあ、私頑張ってみます。至らない点もあるかもしれませんが、よろしくお願いします」


「こちらこそ、あんたほどの理解力は無いと思うけど、よろしく頼むよ」



 そんな会話から、天才中学生に高校生の俺が勉強を教わるという少し変わった関係は始まった。

 早速、次の日から彼女は塾に来ていた。テスト前の俺は、高校の授業が終わってから特に寄り道もせずに塾に行ったが、俺が着いた時には彼女はすでに席に座っていた。


「よぉ、四宮さん。初日から熱心なんだな」


 俺が彼女に声を掛けると、彼女はこっちを向き笑顔で俺に挨拶をした。


「こんにちは。高梨さん。私のことは呼び捨てでいいですよ。二つも年上みたいですし」


「そうか、中三だったのか。じゃ改めてよろしくな。四宮」


 本人にそう言われたため、俺は遠慮することなく呼び捨てで彼女を呼ぶことにした。


「よろしくお願いします」


 彼女はそれまでと変わらず敬語で返事をした。その言葉から、俺は自分の言葉遣いとのアンバランスさなどを感じたため、俺はこちらからも一つ彼女に頼みごとをすることにしたのだ。


「それなら俺とはタメ口で話してくれないか。一応俺のほうが年上だけど、お前は今日から俺の先生でもあるんだから」


「そうです、かな?じゃあタメ口を使わせてもらう、よ?」


 彼女は途切れ途切れのたどたどしいタメ口を話し始めた。


「すみません、敬語を使わずに他人と話すのは慣れてなくて」


「はは、別に無理をしてタメ口で話すことは無い」


「そう。ありがとうござい、ありがとう」


 そんな感じで慣れないタメ口で話そうとする彼女を面白がりながら話していると、授業が始まる時間になって先生がやって来た。


「おーい、授業始めるぞ。今日はテスト前の生徒が何人かいるから、これまでの復習をやる。聞かなくてもいい奴は自習してろ」


 その声と共に先生の授業が始まった。俺は学校のテストに備えるため、気持ちを切り替えて先生の授業を真面目に聞いた。先生に天才と言われた四宮も真面目に聞いているようだった。


 だが、俺の頭が一度授業を聞いてすべて理解できるほど優秀なものなら、そもそもここまで苦労はしていない。授業が終わってもやはり理解できないことがあったので、俺は新しい先生の四宮に質問をした。彼女は快く答えてくれたが、授業が終わってから質問していたため、一通り俺の質問に答えてもらうと、いつの間にか他の生徒はみんな帰っていた。そして、いつのまにか塾の教室は昨日のタイムマシンの話をしていた時と同じ、先生と俺たちの三人だけの状態になっていた。


「帰るの遅くなってごめんな」


 年下の女の子を遅くまで残していることに申し訳なくなった俺は四宮に謝った。


「いいんですよ。家の人が迎えに来るまではいるつもりでしたし」


 彼女はそう答えた。家の人が迎えに来る時間も教えてくれたが、まだしばらく時間があるようだった。そこで、俺は周りに先生以外誰もいないことを確認して、もう一つ彼女に質問をしたのだ。


「なぁ、タイムマシンって本当にできるものなのか?」


 俺がそう聞くと、それまで笑顔で俺の質問に答えてくれていた彼女は、表情を曇らせて俺に質問した。


「逆に高梨さんは、できないと思うんですか?」


 真顔の彼女は俺にそう言い、俺は答えた。


「俺には分からないからできるともできないとも言えないけど、これまでの物理法則じゃタイムマシンはできないって話は聞いたことがある」


 俺がそう答えた後、彼女はすぐに少し怒った風にも聞こえる声で、俺に言い返した。


「そんなこと私は何回も聞きましたよ。ここに来るまでに何回も。でも、タイムマシンなんてとんでもないものについて考えるのに、これまで見つかった法則に反してるからっていう理由で簡単にできないっていう結論を出していいと思います?これまでの天才が思いつかなかった法則を見つければできるかもって、他の科学者は思わなかったのかな?私は自分ならきっとできる、いや作るとしたら私しかいないんじゃないかって思ったんです。今でもそう思ってます」


 ところどころ敬語が抜けていた彼女の言葉は、俺に言っているというよりも自分に言い聞かせているように聞こえた。独り言のような言葉を言い終わった後、彼女は落ち着きを取り戻して、俺に向かって言った。


「取り乱してしまって、ごめんなさい」


「こっちこそごめん。嫌なことを思い出させるようなことを聞いた。でもそんなに熱くなれるぐらい大事なものがあるっていいな。俺にはそんなものないから羨ましいよ。タイムマシン、作れるといいな」


「ありがとうございます。でも作れるといい、じゃなくて、私が作るんですよ」


「そっか。じゃ完成したら俺にその法則教えてくれよ」


「いいですけど、何年かかるんでしょうね」


 彼女は冗談を言うように、少し笑いながら俺にそう言った。


「何十年の間違いだろ」


 そう返して俺も笑った。俺と四宮がタイムマシンについて話している間、先生は少し離れた机で事務作業をしていた。俺たちは割と大きな声で話していたため話の内容は聞こえていただろうが、先生は何も言ってこなかった。ただ、途中の四宮がタイムマシンについて語っていた時、先生は少しにやりと笑った気がしたのだが、はっきりとは見えなかったので分からない。


 そうこうしている間に、四宮の迎えの車がやって来たようだった。彼女を迎えに塾の中に入って来た男を見て俺は、父親にしてはずいぶん若いなと思った。後に分かったことだが、その男は彼女の家に勤める運転手だったそうだ。


「ではまた明日会いましょう」


 そう言って彼女は運転手の男と一緒に帰っていった。先生と塾に残された俺だったが、四宮が帰ると先生はすぐに『用がないならお前も帰れ』と言ってきたので、その日はすぐに帰った。



 それから次の日も、また次の日も俺は塾に行き、先に来ていた四宮に勉強を教わった。その間俺はテスト中だったので、彼女とそれ以上タイムマシンについて話すことは無かった。

 彼女は自分で天才だと言うだけあって、物理だけではなくあらゆる教科について詳しかった。そして先生に負けず劣らずの分かりやすい教え方をしてくれたため、おかげで俺のテストも以前より手ごたえのある結果になった。



 そして俺の学校のテスト期間が終わり、先生が四宮に研究結果を見せると約束した日曜日がやって来た。


 夏休み直前の日曜日、俺は塾の前に来て二人を待っていた。しばらくすると先生がやって来て、不審なものを見るような顔で俺に話しかけた。


「おい高梨、なんでここにいるんだ。もうテストは終わったんだろ。俺は今日お前に授業するつもりはないぞ」


「俺だって先生の授業聞きに来たんじゃない」


「は?じゃなんで来てんだ」


 先生がそう聞いたので、俺はここに来ることになった理由を説明しようとしたが、いざ話そうとすると四宮の声がそれを遮った。


「ごめんなさい。私が一緒に来てほしいと言って呼んだんです」


 その通りである。俺は彼女に呼ばれて今日ここに来たのだ。先生は俺が行くことを知っていたのだと思っていたが、どうやら四宮は言ってなかったみたいだ。彼女は続けて言った。


「私一人で先生の家に行くのは、先生のご迷惑になるんじゃないかと思って、私が勉強している内容を知ってる高梨君に来てもらおうと思ったんです。だめだったでしょうか」


 彼女のその言葉は、先生を傷つけないために回りくどい言い方をしているのではないかと思った。そのため、先生との付き合いが長い俺から、彼女が考えていたであろうことをはっきり言ってやることにした。


「要するに、中学生の女の子は一人で独身の五十過ぎのオッサンの家には行きたくないんだってよ。ぶっちゃけ俺もその状況どうかと思ってたよ」


 俺が先生にそう言うと、彼女は焦ってすぐに否定した。


「いや、そこまで言ってません!ただ、私が先生の所に出入りしているのをご近所の方が見たら、先生の世間体も悪くなるのではと思ったんです。それにこれからのこともありますから」


「これからのこと?」


 俺は四宮に聞いて、彼女は話を続けた。


「はい。私が考えてるタイムマシンは、多分高梨君が思っているよりも規模が大きなものなんですよ。なので、それを作るためにはなるべく人手があったほうがいいんです」


 彼女がそう言ったのを聞いてから、先生が話し始めた。


「まぁ、四宮が来てほしいんなら高梨も来ればいい。俺は年頃の娘と親しく接する機会なんてないからな。気が回らなくて悪かったよ。何せ独身の五十過ぎのオッサンなもんでな」


 先生は彼女に謝った後、俺がさっき言ったような言葉を俺に嫌味ったらしく言ってきた。『器の大きさについてはまだ十代らしいな』とか言おうと思ったが、話がこじれると厄介なのでやめておいた。


「それじゃあ二人とも、俺の研究室に案内しよう。四宮は分かってるだろうからいいが、高梨、これからお前が見るもの聞くことは、他の誰にも言うんじゃないぞ」


 先生が俺にそう言い、俺は軽く分かったよと返事をした。それから三人で先生が言うところの『研究室』に向かった。俺は先生の車か何かで向かうのかと思っていたが、先生はそんなそぶりは一切見せず、俺たちはしばらく三人で歩き続けた。


「着いたぞ」


 先生がそう言って立ち止まった場所は、先生の塾や俺の家からそう遠くない、シャッターが閉まった小さな廃工場のような場所だった。というか今までも俺はその道を何度も通っていたのだが、それまでそこは見たままの廃工場だと思っていた。

 先生は閉まったシャッターの横にあるドアを開けて中に入り、俺たち二人もそれに続いた。


「これが今現在、俺が製作途中のタイムマシンだ」


 先生がそう言って指した方向を見た俺の目に入ったものは、それまでに想像していたタイムマシンとは似ても似つかないようなもので驚いた。コンサートホールに置いてあるパイプオルガンほどの大きさの、巨大な金属部品の集合体がそこにはあった。

 その一方で、一緒に入って来た四宮はどうしていたかというと、全体の大きさを見て驚いていた俺とはまるで違った反応を見せていた。彼女はそれを見せられてからすぐに、いろんな細かい部分を観察していたのだ。

 例によってこの巨大なタイムマシンについて理解できていないのは、ここにいる中では俺だけだなと感じ始めた。そこで、俺はそれについて気になったことを先生に質問した。


「こんなに大きいけど、人はどこから入るんだ?」


 目の前の機械を見て俺が最初に気になったのはそこだった。人間の何倍もの大きさがあるそのタイムマシンと呼ばれた物体だが、それには電子レンジのような小さな小窓っぽいものはあれど、とても人が入りそうな部分はざっと見る限り見えなかった。

 俺は東郷先生にその質問をしたのだが、タイムマシンに近づいて観察し始めていた四宮が横から割り込んで俺の質問に答えた。


「多分人間は入りませんよ、これ」


 それを聞いた俺は、ざっと見た感想から続けて四宮に質問をした。


「スペースがないからか?」


 彼女は観察を続けながら淡々と答えた。


「それもありますけど、この構造だと人を移動させられるほどの力は出ないと思います」


 そして、その言葉を聞いた先生が俺たちに話し始めた。


「そうなんだよ。俺の理論から作ったそれは人間には使えない。その小さい子窓に入るものしか使えない中途半端な代物だ。これから四宮が考えた理論から、これを改良できればいいと思ってる」


「多分できますよ。頑張りましょう」


 彼女は先生が言ったこれからの方針に同意していたが、俺にはそれ以前の先生の発言に気になるものがあった。


「じゃあ、ものに使うタイムマシンならいまここにあるってことなのか?すごいじゃないか」


 俺は先生にそう言ったが、先生は納得していない様子で答えた。


「そうだが、やっぱり人に使えないとタイムマシンとは言わないだろ。実際に俺は過去の自分に手紙を送ったが、現在は何も変わらなかった」


 タイムマシンを見ながら話を聞いていた四宮は、再び俺たちの会話に割って入った。


「やっぱりそうですか。先生の考えとは違うかもしれませんけど、私はたとえ過去に人間を送れたとしても、現在は変わらないと思っています」


 先生はそんな四宮の言葉に対して言った。


「それは意外だな。俺もその考えを持ったことはあるが、なるべく考えないようにしてきた。だが、俺も含めタイムマシンを本気で作ろうとするやつは、たいていがみんな変えたい過去があるやつだ。お前はそうでないなら、何のためにタイムマシンを作ろうと思ってる?」


 先生が言った真面目な質問に四宮も真剣な様子で答えた。


「私は未来の人々ために作ろうと思っています。前に言った通り、私は自分のことを天才だと思っていますが、さすがに今の地球で天才が私だけとは思っていません。これから私以外の天才もこれまでになかった技術を、これまで以上のスピードで発明していくと思います。高梨君、もしそうなった場合、何か足りなくなるものがあると私は思うんですけど、何かわかります?」


 四宮がまるで教師になったように突然聞いてきたので、俺はとりあえず思いついた答えを言ってみた。


「そうだな、材料とかお金とか?」


 彼女は俺の意見を一蹴して話し続けた。


「いいえ。私がこれからの時代に足りなくなると思うのは『法律』です。今までのやり方じゃ、絶対に新しい技術が生まれるスピードに、その技術に対する法律を作るスピードが間に合わない。そうしたら何が起きるか。高梨君、分かります?」


 返答に困った俺は『何で俺に聞くんだ。たまには先生に聞いたらどうだ』と思った。しかしタイムマシンについての話を熱く語り始めた彼女のテンションを下げても悪いので、俺は素直に答えた。


「そりゃまぁ、悪いことに利用されたりするのかな?」


「そう。法が定まってない新しい技術は悪いことに利用されて、人々に被害を与える。そして、法律で裁けない技術を使った悪事に対する人々の不満は、一体どこに向かうと思う?高梨君」


 彼女にまた聞かれて俺は答えようとしたのだが、俺が答える前に彼女は話し始めた。


「そう!それを作った人に向かうんですよ!」


「まだ何も言ってねぇよ」


 俺は勝手に話し続けた彼女につっこんだが、テンションが上がった彼女には無視された。


「悪いのは発明された技術でも発明した人でもない。それを悪いことに使う人なんです。だけど法律がなかなか定まらないことで、技術を発明した研究者が非難されることになってしまう。人々の生活が楽になるために技術を生み出した科学者は、それを守る法が無いことで全く報われない状況になりつつある。私はタイムマシンを作って、新技術が悪事に利用される前に法律を作ることで、その状況を変えられると思ってます。才能があって他人のために行動した人が、不当に評価される未来にはしたくない。そのために私はタイムマシンを作ろうと思っているんです」


 ひとしきり四宮が熱く語ったところで、先生が彼女に言った。


「未来の研究者を含めた人々のためか。そいつは立派な理想だな。凡人がタイムマシンを作る理由で考えるようなことじゃない。だが俺はそう思わない。過去を変えるためにここまでこいつを作って来たんだ。いまさらその考えを変えられるような歳でもない。俺とお前の理想は真逆なんだな」


 そんな先生の言葉を聞くと、四宮が不安そうに尋ねた。


「それなら、私のタイムマシン作りは手伝ってもらえないんですか?」


 すると先生はすぐにそれを否定した。


「いや、最終的な理想は違ってもタイムマシンを作るって目標は同じだろ、できれば協力したい。違うな、お前がいないと、このタイムマシンはきっと完成しないから協力を頼むのは俺の方だ。四宮、俺の人間用タイムマシン製作に協力してくれるか?」


「もちろんです。先生は過去を変えるため、私は未来のため、それぞれの理想のために頑張りましょう」


 彼女ら二人がこれからの決意を固めているところ、俺はその様子をただただ見ていた。そしてその後、四宮は俺の方を向いて言ったのだ。


「高梨君も手伝ってくれますよね?」


 彼女はまるで俺の考えていることを見透かしているかのように、悪戯をする時の子供みたいな笑顔でそう言った。俺はそんな彼女の言葉を聞いた時、『もはや他の選択肢が無いんじゃないか?』と思った。ここで見たことは誰にも言うなと先生に言われた状況で断ると、先生に何をされるか分かったもんじゃない。

 それに何より、自分の夢に向かって全力で突き進む彼女との時間は、今後楽しいものになる気がして仕方なかったのだ。大した目標もなく、漠然と周りに合わせて生きてきた俺とは全然違う彼女なら、俺の中の隙間を埋める何かに気づかせてくれるのではないか。

 彼女の思惑通りかもしれないのは少し癪だったが、俺は彼らを手伝うことを決めて言った。


「当然だ。俺にできることなら何でも言ってくれ」


「ありがとう」


 彼女は俺の言葉に微笑んで答えた。



 こうして夏休み直前の日曜日に、俺たち三人の人間用タイムマシン製作の日々が始まった。

 四宮は未来のため、東郷先生は過去のため、そして俺はその場のノリで、この夏をタイムマシンに費やすことになった。俺にとっても四宮にとっても、この数十日の夏休みに起こったいくつかの出来事は、その人生や考え方を大きく変えるものになるのだが、それはまた別の話だ。


つづく

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