第三十五話 少年はレベルアップする

 ドラゴンと赤嶺あかみね伽耶乃かやのが繰り広げる轟音、どこからか響く砲声や銃声、炎がごうごうとうなる音、何かが破裂し建物が崩壊する音。雑多で激しい音が辺りに鳴り響いている。

 少年は瓦礫の隙間にいた。

 少年はそこで震えていた。

 少年はセカンドであった。

 少年は若き少佐であった。

 率いた部隊はワイバーンに襲われ大打撃を受けてしまった。誰かがロケット弾でワイバーンを撃墜せねば全滅していたに違いない。しかし、その後も幻想生物に押され続け、更にドラゴンが出現するに至っては破壊された瓦礫の間に潜み絶望する以外にどうする事もできずにいた。

 指揮した少年が無能だったわけではない。

 幾ばくかの責任はあるだろうが、最大の原因は緊急出動によって軍単独で出撃せざるを得なかった事だ。外部委託に頼り切りで弱体化していた事が露呈したのだった。

 少年は思う、自分は悪くないと。

 まともな数の人員を配置しなかった上層部が、ひいてはそうせざるを得なくした人々が悪い。自分を今の部署に配属した人事部が悪いとすら思っていた。

 そう思い死の恐怖に怯えていた少年であったが――見てしまったのだ。

 なんでもない普通の人間がたった一人でドラゴンへと挑み、その熱線を躱す。さらには飛びついて襲い掛かる様を。一緒に見ていた兵たちは感嘆するばかりであったが、少年はセカンドであるという自負を完全に打ち砕かれていた。

「なんなの? あいつドラゴンに飛びかかってた、ただの人間のくせに」

 少年は震えた。

 それは恐怖によるものではない。心の中から込み上げる感情は――羞恥だ。

 悔しかった。

 セカンドの力を与えられ、特権を得てきた自分は何もなしえず震えていたのみ。本当にしたかった事は、そうではなかった。思い起こすのは、初めて軍服に袖を通した時の事だ。あの時は――誰かを救いたいと、それだけを考えていた。

「少佐殿」

 声をかけてきたのは補助で付けられた瀬戸加少尉であった。生真面目な顔つきをした背の高い男で三十代半ばと部隊の中では若い部類になる。

「本部から撤退命令です。ポイントを放棄、市内から脱出せよとの事です」

 セカンドのお目付役として貧乏くじを引いたと思っている事は知っている。最初の挨拶で部下たちの眼に、子供の相手が面倒といった無言の言があった。

 思えばそれが最初のズレだったに違いない。。

 拒否されたように感じてしまい、つい頑なの態度をとってしまう。そのズレは少しずつ大きくなっていき、今では部下の誰も相手にしてくれないぐらいだ。

 命令は聞いてくれる。だが、それだけだ。

 返事が遅れると瀬戸加少尉は再度言う。

「本部から撤退命令です。ポイントを放棄、市内から脱出せよとの事です」

「でも、まだ……」

「我々442中隊には残存兵力をまとめ、西の25区へ撤退するよう命令が出ております」

 瀬戸加少尉は辛抱強く諭すように言った。

「命令に従い早く移動しましょう」

「ダメだよ、さっきのあいつはドラゴンとだって戦ったのに! 赤嶺伽耶乃だってドラゴンと戦っている。逃げる必要なんてないんだ!」

「我々もドラゴンと戦うとでも――」

「違う! ドラゴンと戦おうってんじゃない! 幻想生物と戦って、少しでも誰かを助けたい! まだ市街には大勢の人がいるんだ、逃げ遅れた人を助けたい! 僕は誰かを……助けたい……」

 返事はなく静寂が訪れた。

 もちろん辺りには戦場の激しい音が響いているのだが、それでも静寂に思えた。ややあって、補佐役の少尉が口を開いた。 

「青島少佐殿」

 呼びかけられた少年は、目の前の男から初めて名前付きで呼ばれた事に気付いた。さらに瀬戸加少尉のみならず、その後方に従う兵も自分を見ている。

「あなたに何が出来ると思いますか」

「何も出来ない。でも、でもやらなきゃ何も出来ない!」

「これ以上の戦闘は全滅の可能性が極めて高い。あなたも命を落としますよ」

「分かってる! 分かってるけど、このまま誰も助けず撤退するなんて嫌だ!」

 駄々っ子のように喚く青島に、瀬戸加少尉はこれまでと同じく困った様子で息を吐いた。ただ違うのは、口元に微かな笑みが浮いている事だ。

 まるで自分の子供か弟――それも手のかかる――を見るような目になっている。

「撤退にどのようなルートを通るかは現場の采配になります」

「……えっと?」

「たとえばですが、ここから西に抜けるのではなく東に進み、市街を突きりながら撤退するという方法も、ありと言えばありです」

「それって……でも、僕が言うのもなんだけど。皆はそれでいいわけ?」

「さて、どうですかね。聞いてみましょう」

 言って瀬戸加少尉は背筋を伸ばし、瓦礫だらけの周囲に向け力強い声を放った。

「ここから東に進み、青島少佐殿と共に市街に突入する者はいるか! なお声が聞こえなかった者は構わん、無理せず西に逃げろ」

 全くもって意味の通じない言葉だ。

 そして馬鹿馬鹿しい内容だ。

 しかし、それでもそれに応え一人二人と兵士たちが姿を現しだす。瓦礫の間から這い出すと、傷ついた身体に活を入れ立ち上がり、足を引きずりながらでも集まってくる。仲間が遺した銃を手に取った者もいれば、地面に転がった棒や石塊を握りしめただけの者もいた。

 そして傷だらけではあるが、戦意を秘めた兵たちが少年の前に揃う。

 数を確認した少尉はあっけらかんと言った。

「やあ、これは生き残りが揃ったようですね。案外と馬鹿が多かったようで」

「みんな……ありがとう」

 青島は小さな声で呟いた。それは礼であると同時に、ズレてしまった関係を修復する為の言葉でもあった。そんな少年を大人たちは静かに見守っている。


 周囲に残った武器弾薬を掻き集め、動きそうな車両を揃え移動の準備を開始。これから死中に突っ込もうとしているのだが、誰もが全力で行動をしていた。

 その時、通信機が居丈高な声を垂れ流しだす。

『こちら作戦本部、442中隊応答せよ。撤退に支援が必要なのか』

 通信機を手に取った瀬戸加が目線を向けると、青島はしっかりと頷いた。もちろん好きに答えて欲しいとの意味でだ。

「こちら442中隊。支援は不要、当部隊は命令に従い22区に向け撤退する」

『待て、その地点から22区は遠すぎる。逆方向の25区へと撤退せよ』

「本部応答せよ、通信が安定せず聞き取れない」

『そこから22区は遠すぎる。逆方向の25区の方が近い、そちらに撤退せよ』

「本部応答せよ、通信が安定しない。我々は22区に向け撤退する」

『ふざけるな! さっさと25区に向けて撤退しろ! 22区方面は敵だらけだ死ぬぞ!』

「あーあー通信不調。442中隊は、これより22区に向け移動する」

『おい、待て。待つんだ、その方面は敵だらけだ。分かってるのか、お前ら確実に全滅するぞ。戻って来い、戻って来るんだ――』

 振り向いた瀬戸加少尉は通信を切ると、何事もなかったかのように報告する。

「青島少佐殿、本部との通信が不能となりました」

「あはっ、ははははっ! そうみたいだね。では……これより25区に向け撤退する」

「退却退却、これは攻勢にあらず!」

 拳を振り上げた瀬戸加少尉の冗談めかした言葉に周りの兵たちが笑い声をあげ、抑えた声が静かに崩れた街へと広がった。


◆◆◆


――地獄絵図。

 市街地の有り様は、そんな陳腐な表現しかできぬ状況であった。

 コンクリートは砕かれ金属支柱はねじ曲がり、車両は潰されている。破壊された日常の破片が辺りに散乱し、全く見た事もない非日常の光景を形成する様は衝撃的。そこかしこに物言わぬ人が存在する事が衝撃の度合いを強めていた。

 青島たちは炎の熱気や金属や生き物の焼ける臭いに怯みもせず、煙る視界に目を凝らし生存者を探している。誰か一人でも少しでも救えないかと、全員が必死であった。

「あっ、あそこだ……おい、大丈夫か!?」

 瀬戸加が声をあげると車両の下に潜り込み、そこから子供二人を引っ張り出してきた。殆ど無傷であるが……しかし既に息をしていない。

 幻想生物から必死に隠れ、そこで煙にまかれ命を落としたに違いなかった。まだ十にすら達してすらいない子供二人は互いを抱き締めあい、眠るように事切れていた。

「花があったらなぁ……」

 瀬戸加がぽつりと呟いた。もちろん周囲には供えてやれそうな花など一つとして存在せず、全てが焼け落ち荒れている。

 沈鬱な雰囲気の中、先行していた兵から連絡が入った。

「生存者発見!」

 その一報に全員が湧き、報告のあった場所へと集まった。

 先頭を走る青島は顔を輝かせ……しかし、直ぐにそれも消える。なぜならば、その生存者である女性はボロボロに傷ついていたのだ。

 生きているのが不思議なぐらいの状態。見ている前で命の炎が消えていく様子が分かる。既に目は見えず辛うじて励ましの声に、僅かに反応するだけであった。

「これでは治療を受けるまで間に合わない……いや、受けたとしても……」

「もう少し早く到着してれば助けられたんだ。くそっ、なんで僕は早く動かなかったんだ」

「自分を責めないで下さい。しっ! 彼女が何か――」

 瀕死の細腕が最期の力を振り絞るように持ち上げられ、傍らの瓦礫を指した。

「子供……」

「探せぇっ!」

 消え入りそうな声に兵たちが素っ飛ぶような勢いで瓦礫に向かい、傷つくことも気にせず辺りを探る。

「あっ――」

 兵士の一人が硬直したように動きを止めた。ゆっくり振り向くと、哀しげに頭を横に振ってみせる。どうなっているかは聞くまでもない事だろう。

 誰もが言葉を失った中で、青島だけが明るい声を張りあげた。一世一代の演技で震える声を抑え、明るく元気よい声を放っている。

「無事に保護したよ。僕たちが保護したから、もう大丈夫だよ! 安心して!」

「……あり、がとう」

 女性は力尽きた。

 部隊の中に何とも言えない沈黙が漂い、その中を小さな亡骸が運ばれ母親の腕へと届けられる。誰もが自然と頭を垂れ手を合わせていた。

 沈鬱な空気の中で特に青島はボロボロと涙を零し嗚咽する。

「青島少佐、お気を落とさずに。あなたのお陰で、この女性は安心して逝かれましたよ」

 そんな言葉に青島は少しも顔をあげず、絞り出すような声で呟く。

「ねえ、なんでこの人は『ありがとう』って言ったんだろね」

「それは……」

「子供が無事だと分かったんでしょ、だったら次は『お願い』じゃないの? 安全な場所まで連れてって欲しいって頼むもんじゃないの?」

「…………」

「この人は全部分かってたんだよ。分かってた上で、嘘吐いた僕にお礼を言ったんだよ。僕は嘘を吐いたのに、この人はお礼を言ってくれたんだよ。僕は、僕は……」

 瀬戸加も兵たちも何も言えない中で、青島だけが少年らしい純粋な涙を流していた。全員が感情を押し殺し堪える中心で少年だけが涙を流し悔しがっている。

 しかし青島は歯を噛みしめ顔をあげた。

「泣いてる場合じゃない。まだ誰か生きてるかも知れない、幻想生物を一体でも倒さないと! 少しでも誰かを救えるのなら立ち止まってなんていられないんだ! 行こう、どこかの誰かの為に!」

 決意に満ちた声で宣言する青島。その顔つきは、少年と呼ぶには相応しくない力強さがあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る