第二十三話 老人を労ろう
客として訪れた小松井は豪華なソファーにゆったりと座った。
そこは、闘技場の一角にある総支配人室。棚には多数のトロフィーが飾られ、壁には試合広告のポスターが幾つも貼られている。飾られた絵画は、幻想生物に立ち向かう兵士を描く雄壮感に溢れたものである。
「おいこりゃ、つまみはまだか? 最上級のワインぐらい持ってこんかい」
「爺ぃ、ちっとは遠慮しとけや。ほらよ、十八年産の赤に天然チーズを付けてやる。俺様にありがとうと言って飲み食いしやがれ」
テーブルの上にグラスとボトル、アニメで有名な穴あきチーズが置かれた。
向かいに座る男は金色ラメの上着を脱ぎ黒の蝶ネクタイを外した。無造作に総支配人の席に放り投げると、ソファーにどっかり座る。
闘技場の超人気司会のヒギンズ正夫が闘技場の総支配人と知る者は少ない。
化粧ペイントを落とした顔は、意外に優しげな青年に見える。しかし、世の中を小馬鹿にする皮肉めいた表情を浮かべ、良く言えば要領の良さげな、悪く言えば小狡そうな印象があった。
面倒そうに髪をかき上げ、小松井にチーズの皿を押しやっている。
「おらおら食え」
「儂はチーズよりか、もっと高そうなもんが食いたいのう」
「このボケ爺ぃ文句言わずに食っときやがれ。いいか、チーズってのは身体に良いんだ。後で邪魔なチーズも押し付けてやっからな。それでも食って長生きしやがれ」
「へっ、お前に言われんでも長生きするつもりじゃわい」
言いながら小松井は全く遠慮もせず勝手にワインを注ぎ、チーズをガツガツ食べたす。対してヒギンズ正夫はワインを傾ける。
「そりゃそうと、爺さん感謝してやるぜ。あのフォックスって奴のお陰で、バリバリ大儲けだ。ありゃこれからも儲けを出してくれるぞ、やったぜ」
「ほうか? 最初ん時なんぞ、とんでもない万馬券で今回は無効試合じゃったろが。けっこう赤字を出しとらんか」
「あの程度どうって事ない。つーかね、最近はマンネリ気味でスター選手が出なくて困ってたわけよ。あいつの登場で話題性抜群。ひゃー、嬉しい悲鳴が出ちまう」
「話題性はあるわな。なんせ、猿真似どもが雨後の筍のように出とったからのう」
「ははぁん、あのオリジナリティのないパクリ連中。最高に笑えたぜ。ったく、ちょっとでも目立つ選手が出やがると、ほんっとに同じスタイルで便乗しやがる」
ヒギンズは正夫はチーズを口に放り込みワインで流し込む。
「仮面なんで真似しやすいっつう事で自称本物さんが出るわ、仮面でも虎に兎に犬が出るだろ。最近は着ぐるみまでいやがった。幻想生物の連中もな、さぞかし楽しめたでしょーよ」
「ほう、虎に兎に犬か。いっそ十二支で揃えたらどうじゃ」
「いいね、それ。パクリ連中を集めた特別試合でも組んじまうかね」
「全滅する時間を賭けるしかないじゃろがな」
どちらも微酔い加減で楽しく親しげだ。
スラム街の何でも屋と闘技場の総支配人の接点など普通はない。とはいえ、もし
「しっかしよ。あれからフォックスの野郎が来ないんで、どうすっか困ってた。何で来なかったか知ってる? 知ってるなら教えやがれ」
「それか、儂も最近聞いたがトラブルに遭っとったらしくてな。本人のやる気がのうなる前に気付いて良かったわい」
「何ぃ、詳しく話しやがれ」
「後援トラブルっちゅうやつじゃ。お前何とかせい。危うく儂の儲けが消えるとこじゃったぞ」
「それかよ、ちくしょう!」
ヒギンズは頭を抱え、忌々しそうに顔をしかめた。
「馬鹿な会社が馬鹿やるもんで馬鹿げた事になって、俺も困ったちゃんなんだよ。とっとと会社の名前を教えやがれ。協賛から弾いてやるぜ」
今を時めく闘技場から協賛を外され、挙げ句に事情が何故か広まれば会社は大打撃。小松井が名を告げた会社は、お先真っ暗になるはずだが自業自得に違いない。
「しっかし赤嶺がつくとは驚いた。しかも、実質あの赤嶺伽耶乃個人の援助だろ。まさかフォックスの奴は……赤嶺伽耶乃のコレとか? ひゃー、いやんばかんの大スクープか?」
ヒギンズは親指を立ててみせた。それは
つまり、両者の関係もそれかと勘ぐっているのだった。
「なんて羨まけしからん。なぁ爺さん、どうなんだ!?」
「さあ知らんのう」
「ちっ、この爺め。とぼけてやがるな。おらぁん、金か金が欲しいのか。幾らで
「馬鹿たれ。こりゃ儂の信頼に関わる事じゃ、金ではないわい」
「そっか……じゃあ、聞かないでやるよ」
偉そうに言いながらヒギンズは引き下がる。
二人の付き合いは長いため、踏み込むべきではない事は
そのまま雑談しながらワインを傾け、つまみを食らう。
「おい、お主の端末鳴っておるぞ」
ヒギンズの情報端末が細かく振動し、机上で存在を主張していた。
「ん? ったく誰だ、俺が酒飲んでる時に邪魔する馬鹿野郎様は」
「本当は、まだ仕事中なんじゃろが。出てやれい、金の話かもしれん」
「これだ、あいかわらず金ばっかだよ」
笑いながら、ヒギンズは端末を手に取った。耳に当てると表情は冷徹なものに変化した。
「なんだ……そうか、奴に通告が終わったか。予想通り荒れてやがるか……分かった、警備員を増やしておけ……ああ、念の為だ。どうせ何かしでかす勇気もないだろけどな」
ヒギンズは情報端末を傍らに投げ出し、ワインに口をつけた。下らない事で時間を潰したと言いたげな様子だ。
「なんじゃ、何かあったのか?」
「あれだよあれ、選手の一人を追い出すとこなの。聞かせてやっけど、また面倒な奴でさぁ」
「お前が言うくらいじゃ、よっぽどじゃな」
「そうそう、典型的な駄目なパターンの奴なんだって。実力もない癖にプライドだけ一人前。そんだけでもダメなのが、まーダメダメなわけよ」
ヒギンズのぼやきによれば、その選手は厄介な者らしかった。自身の実力のなさを認めようともせず、見当違いな努力ばかりして、しかもそれで成功すると思い込んでいる。異常に高い承認欲求が満たされないため、活躍した他の選手の努力を無視して非難するばかり。
「――ってわけで。さり気に引退を勧めてやっても辞めねぇから、強制排除でポイ。馬鹿だね、素直に引退すりゃ少しは退職金も出たってのに」
「引き際の分からんやつか。しっかしの、そん程度は他にもおるじゃろが」
「まーなー。でも、そいつ捨てアカ使って他の選手に嫌がらせしてんだよ。爺さんお気に入りのフォックスの紹介ページにも誹謗中傷のカキコしてたな」
「馬鹿じゃな。そんなもん、誰がやっとるかなんて運営にゃ筒抜けじゃろうが」
「そーそー。ちょっと考えればバレてるって分かるだろ。そんな事してっから後援企業も付かないってのに、本当馬鹿。そこまでなら、まだ警告程度なんだけどよ」
「何をやったんじゃい」
「試合中に
「そりゃアカンな」
さすがに死者は出ていなかったが、何人かが再起不能の怪我をするはめになっていた。これを放置すれば闘技場への衰退に繋がってしまう。ヒギンズが処分を決定するのも無理ない事だった。
そこで、また情報端末が振動した。
「またかよ、いちいち連絡してくるとか初めてお使いのガキかよ。今度は何だ――ああ、そう――じゃあ、それで。対策はきっちりやってくれ」
通話を終えたヒギンズは面倒そうに端末を放り投げた。
「なあ爺さん、良いニュースと悪いニュース。どっちが聞きたい?」
「知るかい。好きに言え」
「ノリが悪くてやだね。今の話に出た馬鹿がクスリきめたあげく、警備員をぶち殺して観客席で暴れてるらしいんだわ」
「クスリとかアホじゃろそいつ」
「ついに暴れて目立って欲求不満解消する気なんかね、やあ困ったもんだ」
「ほいで? ちなみに良いニュースは何じゃ?」
「おいおい、今のが良いニュースじゃないか。大ハプニングでワクワク戦闘体験。お客さんは嬉ションWピースで間違いなし! 話題性抜群ってもんだろ!」
ヒギンズはゲラゲラ笑うのだが、さすがにこれには小松井も眉をひそめる。
「こんなのが闘技場運営とか、本当に大丈夫なんか?」
「問題ナッシング。記者会見で頭下げて……えーあー、今回の件を重く受けとめまして、全選手に対し改めて綱紀粛正を徹底させるとともに、会場の安全確保に全力で取り組んでまいります……ってなもんで大丈夫ブイ。ほうれ、風紀委員長もお約束で毎回言ってるだろが」
途中から真面目な顔で言ってみせたヒギンズだが、最後に一転してふざけた顔で破顔した。風紀委員の不祥事が発生する度に風紀委員長が述べる言葉を皮肉ったものだ。もし聞かれでもしたら大事だろう。
「呆れたやつじゃな。ほんなら、悪い方のニュースはなんじゃい」
「ああ? その騒ぎで爺の土産のチーズが用意出来なくなったって事だ」
「なんじゃと。そりゃいかん、後できっちり送っとくれ。もちろん元払いでじゃぞ」
厚かましい小松井にヒギンズは肩を竦めた。
「マジで業突く爺だよな。こんなのに借りをつくった俺が馬鹿だったぜ」
「はっはぁ! やはり人には恩を売っておくもんじゃて。ほうれ、行き倒れて死にかけたお前さんを救ってやった恩をとっとと返すがええ」
「こんちくしょう、言われんでも熨斗付けて返してやらぁ。オラァ! 爺の墓は永代供養にしてやっからな、覚えとけ」
外の騒ぎとは別の意味で総支配人室は賑やかしかった。
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