第二十四話 格好いいとこ見てみたい
「返ったらレポートを書くんだぞ」
「えー! そんなの面倒、なしなし。なしにしようよ」
「駄目だ。社会見学という事で来たんだ。だからちゃんとレポートを書いて貰わないと、こっちが怒られてしまう」
「レポートって……感想文?」
「むっ、それはだな」
問われて
そんなもの書いた事がないからだ。知っていそうな相手に目を向けると、軽く息を吐いて説明してくれるので助かった。
「感想文は個人的な主張で、レポートは課題に対する答えね。なので、今回の戦闘で自分の気付いた点を書いて、それに対しどうしてそう感じたかを付けて結びとすればいいわ。簡単でしょ」
「では頑張って書いてくれ」
「あら、こういう時は教える側もお手本として書くべきよね」
「書けるわけないだろ。知ってて言うな」
雑談しながら長いこと歩いてるのは、埴泰の正体がバレぬようにと選手通用口から一般通用口まで、あちこち回りながら移動をしているためだ。おかげで歩き疲れた
「あのさ、ここまでする必要がある?」
「正体がバレたら面倒だろ。念には念を入れておくべきなのさ」
一定以上の注目を集めてしまったがため、当然ながら正体を探ろうとする詮索が既に始まっている。小松井の爺さんが残ったのも、その辺りを運営側と調整するためだろう。流石に情報を売りつけに行ったという事はない……筈だ。少し断言は出来ない。
「埴泰は昔から用心深いものね」
伽耶乃が笑いながら言った。
「なかなか他人を信用しなくって、用意した食事も警戒してなかなか食べなかったものね。近づけば逃げようとして、それが駄目なら襲って来るわで、まるで野良猫でも相手にしてる気分だったわ」
懐かしがるような口調を耳にすると、九凛とユミナの顔がムッツリとなった。まるで面白くない事を聞いたような顔だ。
「でも、あたしたちの時は直ぐ仲良くなったよね」
「ですよね。最初は誤解に基づいて少し揉めましたけど。食事も一緒にするの早かったですよね」
まるで対抗するような口ぶりである。
なんぞこれと埴泰は戸惑った。こんな時に何を言うべきか分からず、途方に暮れてしまう。
「あらそうなの、仕事で護衛してたせいかしら」
「仕事じゃないもん。焼き肉とか食べさせてくれたり、いろいろ教えてくれたから」
「ですよね、仕事って感じないですよね」
「埴泰は優しいから」
横を歩いていた埴泰は、とても嫌な予感がした。自然と歩みを落とし後ろに下がるのだが、自然とユミナが横に並んでしまう。戦闘中でも大した事のなかった緊張感が漂うのは気のせいだろうか。
そのため、通路に怒号と悲鳴が響いた瞬間は救われた思いがしたぐらいだ。
激しい足音。数は無数。
前方から大量の人が押し寄せ、埴泰はそこに濁流を見いだした。先頭に落ち着かせようと声を張り上げる係員の姿があったが、それは押し流されているだけであり、やがて巻き込まれ人波の中に姿を消した。しかし恐慌状態らしい人々の動きは止まらない。
埴泰はとっさにユミナの手を掴むと、手近なトイレへと飛び込んだ。中から通路を見れば、恐ろしい勢いで人が通り過ぎていき、それはまるで濁流のよう見えた。
ユミナが何かを言ったようだが、足音や悲鳴の喧噪にかき消されてしまう。
やがて通り過ぎる人の密度が減って、埴泰はようやく自分がユミナを固く抱きしめていた事に気付く。慌てて離れ視線を逸らす。だが、トイレはドアばかりが並び見慣れた情景と違う場所であった。ますますバツの悪い気分だ。
しかしユミナの意識は別に向いていた。
「あのっ、九凛と伽耶さんはどうなりました?」
「二人が一緒に動くのは見えた。伽耶が一緒なら大丈夫だろ」
なにせセカンド最強と呼ばれる赤嶺伽耶乃なのだ。しかも九凛の母である。娘を守るためであれば、躊躇なく群衆を蹴散らすはず。つまり群衆が無事であったという事は、二人が無事であったという事を示す。
当然だが、ユミナは事情を知らないため安心する事が出来ない。
「でも……」
本当は詳しく理由を説明し安心させてやりたいが、それをするわけにもいかない。困った埴泰は女子トイレを出た。
通路には落とし物やゴミが散乱し、そしてうつ伏せに倒れる人の姿があった。誘導を行っていた係員を始めとして何人かの姿があったが、いずれも背中は靴跡だらけで手足は途中で変な方向にねじ曲がっている。
驚いたユミナが駆け寄り確認しだした間に、埴泰は周囲を見回した。わざわ見なくとも倒れている連中に息がないことは分かっていた。冷たい態度かもしれないが、こんな時に他人の心配などしてられない。
それよりも情報が欲しかった。突然のパニックで群衆が押し寄せた原因が何かを埴泰は知らない。
遅れて逃げてくる何人かを捕まえ事情を聞く。多少の情報が得られたところで振り向けば、悲しそうな顔をするユミナが立っていた。
「師匠、この人たち……」
やはり全員死んでいたらしい。
「安心しろ周りに九凛の姿はない。とりあえず大丈夫そうで良かった」
「そうじゃなってですね」
「ああ、すまん。それより何が起きたか情報が得られたぞ。どうやら出場者の一人が観客席で暴れて、多数の死傷者が出ているらしい」
「じゃあ犯人は選手なんですか?」
「誰かまでは分からないがな。さて、早いとこ九凛たちと合流して食事に行くか」
埴泰の言葉にユミナが声を上げた。
「えっ?」
きょとんとした顔で、さも不思議そうに目を瞬かせている。
「止めには行かないのですか?」
「何がだ?」
「暴れている人の事です」
「ふむ?」
今度は埴泰が不思議そうな顔をした。
「なぜ止めねばならない。警備に任せておくべき事で、しゃしゃり出る必要なんてないだろ。余計なお世話をして人助けをする気はない」
「でもっ。師匠は私たちを助けてくれました。それから学園の皆も助けてくれたじゃないですか」
幻想生物に襲われた九凛とユミナを助け、さらに二人に頼まれ学園の生徒たちを救った事を言っているのだ。
「それはそれをする意義があったからだ。だが、今はない」
埴泰は冷たく言い放った。
闘技場に出場しておいてなんだが、本来は目立ってはいけない立場の人間なのだ。なにせプロトセカンドとして追われる立場なのだから。それがなかったとしても、頼まれてもないのに押しかけて暴漢を止めるような事はしないだろうが。
「どうしてもですか?」
「どうしてもだな」
「分かりました。それでは私が行きます」
ユミナは言った。どうあっても人を助けに行きたいらしい。
もちろん埴泰とて、目の前で死にそうな者がいれば理由や損得なしに助けるだろう。しかし、わざわざ押しかけてまで助けたいとはどうしても思えない。
このユミナという少女は、どうやらお人好しらしい。思い出してみれば、自分を殺そうとした者を助けたぐらいだ。助けられた側が言ってはなんだが、実に馬鹿げている。
埴泰は小さく鼻で笑った。
「行かせないぞ」
途端にユミナの足が止まった。それは埴泰の持つ能力によるものだ。
セカンドには手を触れないまま物を動かす力があるが、大半の者はペン程度を少し動かせる程度でしかない。大半は能力を鍛えようとは思わず、たとえそうとしても継続しない。敢えてそれをやって鍛えた埴泰は、よほどの物好きか相当な暇人に違いない。
「お前が行って何になる」
「何もなりませんが、一人か二人ぐらいは助けられるかもしれません」
不自然な姿勢で振り向いたユミナは込み上げる悔しさを堪えるように唇の端を噛み、その澄んだ碧色をした瞳の目が潤んでいる。そして同時に縋るようでもある。
――ずるいな。
そんな目をされると抗いがたいではないか。
この娘の頼みを聞いて感謝されたい。この娘に自分の力を見せつけ凄いと思われたい。格好の良いところを見て貰いたい。尊敬されたい、頼られたい。
埴泰は自分の心が動かされている事を自覚した。
「……いいだろう。助けに行こう」
「本当ですか!?」
「高くつくぞ……まあ、貸しは覚えておくようにな」
「分かりました。それでしたら師匠の食生活改善のため、ご飯を用意してあげます。だから早く行きましょう」
ユミナは両手を胸の前で握りながら勢い込んで見せた。その姿は可愛らしいもので、なかなか魅力的な報酬だと埴泰は思った。
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