第十三話 猫に追われた窮鼠
「何が赤嶺伽耶乃だ、この野郎。丁度いい、お前を倒して俺が世界最強を名乗ってやらぁ」
追い詰められた状況というのに、子供じみた事を言い出す相手に伽耶乃は優雅な仕草で額を押さえ困り顔をしてみせた。
「まったくもう、これだから……いいかしら、二つ言わせて貰うわ」
「なんだ?」
「一つ目、野郎というのは男性に対し使う言葉よ。ちゃんと、お勉強なさい。それから二つ目、世界最強なんて幼稚すぎるわ」
淡々と述べられる言葉は、相手を激高させる効果が充分にあった。
「やっちまえ」
男が神器刀を抜いた。同時に仲間の兵士二人が遮蔽物から身を乗り出し小銃を構える。だが、その時点で伽耶乃は跳んでいた。空中で身をひるがえし、銀光を煌めかせ着地。手には抜き放たれた太刀造りの神器刀があり、背後には肩を斬られ崩れ落ちる兵士の姿がある。向き直りざまの切り上げによって、もう一人の兵士の腕が半ばで断たれた。銃を持ったままの腕が、くるくると回転しながら宙を舞う。
瞬間、光刃が伽耶乃を狙った。
だがそれは、斬られた腕を押さえ叫ぶ兵士を両断しただけ。
伽耶乃自身は僅かな動きで光刃を避け、軽い動きで踏み込みながら鋭い突きを男の胴と腕の間に潜り込ませる。そして引き戻しながら腕の筋を斬った。
ほぼ一瞬で戦いが終わり、宙を舞っていた腕が鈍い音をさせ床に落下した。
「捕縛なさい。情報を聞き出す際には優しくしてあげなさい。優しーくね」
そこはかとなく、不機嫌さが伝わってくる声だ。
他の者たちが大慌てで行動する中で、伽耶乃に話しかける猛者がいた。それは執事の園上である。恭しく頷くように礼をしてみせるが、窘めるような顔だ。
「伽耶乃様」
「悪かったわね園上、次はもう少し慎重に動くわ」
「いいえ、最初に申しましたでしょう。部下の手柄を取らないようにと」
「確かにそうね、すっかり忘れていたわ――あら、どうしたの?」
伽耶乃は意外そうな顔で横を見た。
あの両手シールドの男が老人兵たちに搬送されていくのだ。
「いやはや戦闘中に気絶しちまったもんでね。まっ、いつもの事なんで気にせんといて下さいな」
「そ、そう。お大事にって伝えてあげて」
呆れ笑いを浮かべた老人兵の説明に、伽耶乃は戸惑った様子で搬送される男を見送った。一生懸命に後ろを付いて来たわりに、あっさり気絶している。何がしたかったのか、さっぱり分からない。
そして辺りは静かになった。
遺留品を調査する担当者が到着するまでは手が空き、伽耶乃は辺りを興味深げに眺めやった。円筒形をした大小様々な透明チューブの中には、ホムンクルスを始めとした様々な存在が浮かんでいた。巨大な腕は恐らくオーガであろうし、鱗の生えた身体はワイバーンか何かだろう。
「あらあら本当に幻想生物をドラッグの原料にしていたのね。趣味の悪いこと」
「さしずめ幻想生物の展示場ですな」
「本当にね。よくまあ、これだけ集めたものよね」
世間で流通している幻薬と呼ばれるものの大半はインチキだが、その中の何割かはここで製造あれた危険ドラッグが含まれているかもしれない。
ぶらぶら歩きながら確認すると、一カ所のみ空いた場所があった。手前には書き殴りの表示が残されている。伽耶乃はそれを目を細め読み上げた。
「……タイプD? 何の事かしら」
「さて規格名称という線もありますが、中身の略称かもしれませぬ」
「Dねデビル、ドラキュラ、ドラゴン、デュラハン?」
「なんにいたしましても、ろくでもない事は間違い御座いません」
「その通りね」
多数の足音が近づき、調査班が機材を手にやって来る。警護のため兵士も少し同行している。これからここで何が行われていたのか、徹底的に調査が始まるのだ。
邪魔をせぬよう外に出た伽耶乃は思いっきり伸びをした。
「ああっ、思ったより早く片付いたわ。本来の予定より三日も早いわ」
「情報班が頑張った事や、突入がスムーズに行ったお陰でございましょう。さて、いかが致しましょうか。残り三日分のスケジュールは全てキャンセルしてあるのですが」
それを聞いて伽耶乃は頬に指を当て考え込んだが、ニッコリと笑った。
「だったら休暇にしちゃいましょう」
◆◆◆
名児耶の街に張り巡らされた地下街。
そこは十数年前の幻想生物の大侵攻時に被害を受け、放棄された。そして、そこに行き場のない者や全てを失った者が入り込み居を構え、スラム街の者すら近寄らぬ極めて危険な箇所となっている。
内部の通路は場所により塞がれ、又は新たな坑道が掘られ入り組んだ構造と化していた。侵入者を狩る罠が随所に仕掛けられ、武装した住民が容赦なく襲っても来る。ある意味で現代のダンジョンとも言えよう。
その湿気を帯びた空気の中で、荒い息を吐く数人の男がいた。壁際の切れかけた照明がぽつんと灯り、辛うじて光を提供している。
「くそっ、やられた……」
「今月の売り上げがパァだ。風紀委員どもに金を掴ませたんじゃないのかよ!」
「知るかっ! それにあれは赤嶺の私兵だ」
「なんで赤嶺が動くんだ!?」
「知るか、人にばっかり聞くなよ!」
小声で罵り合うのは、危険ドラッグ製造所から逃げ出して来た者たちであった。使い潰しのセカンドを煽てあげ時間稼ぎに利用し、いち早く仲間を見捨てビル最下部から地下街へと脱出してきたのだ。
逃走用の通路は完全に塞ぎ、もう追跡はされる事はない。しかし、今度は危険な地下街で周囲に怯えねばならない状況だ。天井からの水滴一つや、仲間同士の物音にすら怯えている。
――せっかく軌道にのったところで!
男たちの中で、ムラナカは苛立った。
ムラナカは幻想生物に故郷を滅ぼされ、大陸の違法ブローカーに大金を払い日本に辿り着いた不法難民である。彫りの深い顔に黒縁眼鏡、ただし背は低い。金を稼ぐためマフィアの一員になり、様々な犯罪行為に手を染めてきた。殺人、誘拐、強盗、婦女暴行なんでのありで生きて来たのだ。
今は組織を抜け危険ドラッグの製造に手を染めている。
「……おい」
足音の接近に気づき、ムラナカを中心とした者たちは壁際に身を寄せ身構えた。
そっと刃物を抜くのは、銃器類を持ち出す暇がなかったためだ。もっとも、ここで銃声をあげれば地下街全体から住民が押し寄せるだろうが。
指向性のある眩い光が投げかけられ、地下街を往時のように照らしだした。
「武器は必要ありません、ムラナカ転生候補者よ」
中世ファンタジー風の神官服姿の男が優しげに笑った。
人を惹きつける端正な顔立ち、甘やかな声に穏やかな口調の男。それは、来世利益として別世界への生まれ変わりを唱える回帰教の教導者であった。詐欺師が詐欺師に見えぬように、終末思想で危機感を煽り人々を破滅に追いやる者とは思えない佇まいだ。
「佐藤教導者様! どうしてここに」
「もちろん教王様の導きにより、救いを求める者の元に使わされたのです」
佐藤は軽く頷くと、抜き身の刃物を気にする様子も無くムラナカに近づいた。
「さて、随分と危ういところでしたね」
「しかしせっかく教団から授かった施設が……」
「それは貴方のせいではありませんよ。失敗を憎んで人を憎まず。そして真に憎むべきは邪悪の権化たる赤嶺にあるのです。ところで、アレは持ち出せましたか?」
「勿論です。タイプD、間違いなくここに」
ムラナカは一抱えもある巨大なバッグを両手で持ち上げた。
一瞥した佐藤は満足げに頷いたが、両手を後ろに組み思わしげに辺りを歩く。
「よろしい。しかし……今回の件で貴方たちの転生ポイントが下がってしまったのは事実」
「そんなっ! 俺の夢が!」
「異世界ハーレムでしたか、残念ながら随分と遠のいてしまいましたね。困りましたね、気の毒な皆さんを救って差し上げたかったのですが、どうしますか……」
「何とかお救いを!」
冷静に考えれば馬鹿げた話にわざとらしい素振りだが、既に信じきったムラナカたち一行は何も気付かない。その場に膝を突き両手を合わせるほどだ。
現実世界は苦悩と苦労ばかり。常に不幸で飢えや危険と隣り合わせ。たとえ大金が入ろうと、どうにもならない現実から目を背け、一途に来世へと期待を賭けているのだ。
「よろしいでしょう」
佐藤は手を挙げた。ローブ姿の信徒が幾つかのアタッシュケースを運んでくる。中には各種銃器類が詰められている。
「まずは武器を供与いたしましょう。この地下街の大半も我らの同胞ですが、中には不信心者もおりますのでね」
「教導者様に感謝を。これからもドラッグ製造を通じ、世界に幸福をばらまいてみせます!」
「いいえ、それはもう必要ありません。それよりも――」
佐藤の説明にムラナカは顔を青ざめさせた。とても達成困難な内容にしか思えなかったのだ。しかし相手が相手なだけに反論すら出来ないでいる。
「詳細は別の場所で、まずは移動です。ここはどうも湿気が多くていけない」
歩きだす佐藤たちの背中を見やり、ムラナカたちは躊躇しつつ後に続く。
そして地下街の一角は暗闇に戻った。
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