第十四話 来ちゃったHeart

「むっ……」

 講義室で寛ぐ埴泰はにやすは反応した。

 机上に放り出してあった情報端末が振動と共に曲を奏でだしている。しかもそれは、特定人物に設定してある重々しい響きの曲だ。待たせると面倒な相手のため、素早くワンコールで出る。

『もしもし埴泰? ちょっと時間あるかしら』

 聞き慣れた女性の声は少し弾むようなものだ。どうやら機嫌が良いらしい。

「あると言えばあるが」

『もしかして忙しいのかしら』

「そうでもない。講義が一段落して休憩しているところで……っと、すまない。このまま待ってくれないか」

 電話中に講義室のドアがノックされている。それを無視しても良かったが、下手に学園関係者であれば面倒なのだ。

 情報端末を後ろ手にドアを開ける。

「すみませんが、今は立て込んで――」

 埴泰は絶句した。

 目の前に女性がいる。身体にぴったりした白シャツに黒のパンツとシンプルな出で立ち。学園の少女たちとは全く違う、大人っぽい魅力のある女性だ。

「来ちゃった」

 今まで電話していた相手はサングラスを軽くずらすと、悪戯っぽい仕草で舌をみせた。もちろんそれは赤嶺あかみね伽耶乃かやのであった。

 埴泰は努めて冷静を装った。端末の通話を終了させ殊更素っ気なく言う。

「何が来ちゃっただ。可愛らしく言うなよ」

「あら照れてるのかしら?」

「そういうのが似合う年齢じゃなかろう――ぐぶおっ!」

 腹に強烈な一撃を貰った埴泰は身体をくの字に折って吹っ飛んだ。苦悶の声はエコーがかかりそうなもので、口は災いの元という好事例であった。板張りの床にドサリと倒れ込んでしまう。

 とはいえ、伽耶乃も怒っているわけではない。

 程度はともかくとして軽いじゃれ合いの感覚なのだ。普段の生活では、そんな事の出来る相手も存在しないため嬉しくて仕方がないのであった。少々手荒になるのも、それが原因に違いない。

「ふーん、思ったより狭い部屋なのね。ここで講義をしているの」

 悶え苦しむ埴泰をそのままに、伽耶乃は興味深そうに周囲を見回した。

 荷物を置く小棚、全身が確認できる鏡。あとは説明用のホワイトボード――九凛くりんの落書き付き――がある。開いた窓からは風と共に生徒たちの声が入り込む。

「うんうん、なんだか青春って雰囲気よね」

 すたすたと歩き姿見の鏡を覗き込んでみたり、壁に貼られた注意事項を背伸びして読んでみたり。手を後ろで組みながら小棚に置かれた小物を眺めてみたり。

 床の上に座り込む埴泰は、少女のような雰囲気の伽耶乃を見つめた。

 口では皮肉った埴泰ではあるが、実際は照れていただけである。目線の高さで揺れる大人っぽい腰つきを観察していたりする。文句なしの美しいお尻なのだから仕方がない事だろう。

 そして伽耶乃は、練習用の神器刀を手に取った。

「あら、ミーノ社製を使ってるのね」

「そう悪くないメーカーだろ」

「ここって個別注文は凄く真面目なのに、大量注文すると手を抜いて儲けに走るのよね」

 言って伽耶乃は刀身を指で弾いてみせた。

「ほら、ワコニウムの純度が落とされてるわ。こんなので練習させたら駄目よ」

「そうなのか?」

「神器刀って性能が良いほど能力使用が楽でしょ。だから性能を落としたもので最初に学んでは、自分の実力の上限値を見誤ってしまうわ。教育現場なんだから、そうした事も配慮して欲しいものよね」

「なるほど。だが、現実には予算という壁がある。どこかで妥協するしかない」

 埴泰の言葉に伽耶乃は肩をすくめた。

「そこを何とかするのは、私の仕事ね。文科省と財務省のお偉いさんに言っておくわ。でも伏魔殿だから、直ぐには是正できるとは思えないけどね」

 さらっと官庁の名前が出るが、それは妄言でも大言でもない。

 世界のトップクラスの財閥である赤嶺の役員ともなれば、大臣や事務次官に会う事も簡単だろう。飲み屋で嘯く酔っ払いとは立場も身分も違うのだ。

「あら、ネコ? 珍しいわね」

 窓辺に銀地に黒の渦模様があるネコがひょいっと現れた。ここ二階まで跳び上がってきたらしいが、埴泰も伽耶乃も少しも気にはしてない。誰しも自分を基準に物事を考え、二人とも二階ぐらいは軽く跳び上がれる身体能力があるのだから。

「可愛いわね、おいでおいで。まあ可愛い。この子、あなたのネコ?」

「別に所有物ではないが、名前はカノンで同居人……もとい同居ネコだ」

「同居ネコね。埴泰らしい表現よね」

 ネコのカノンは伽耶乃の足元に行き頭を擦り付けた。世渡り上手なやつだ。

「ここかしら。ここが良いのかしら? ほらほら、無様にお腹をみせておねだりなさい。もっと撫でてあげるわよ」

「…………」

 カノンを撫でる伽耶乃は相好を崩しているものの、なにやら言葉は不穏だ。

 埴泰は近寄って、伽耶乃から神器刀を取り上げると台に戻す。そして、猫を構う相手に犬でも追うように手を払った。

「貴重な情報をどうもありがとう。話が終わったなら、早く戻ったらどうだ」

 そんな態度に伽耶乃は上目遣いで睨んでみせる。

「冷たいわね、ちょっと失礼すぎじゃないかしら。もしかして、私が迷惑だって言いたいの?」

「おいおい。もしかしても何も、それ以外に何だと言うんだ。こんなところに来て良い身分じゃないだろ。さあ帰れ、すぐ帰れ、いま帰れ」

「酷いわね」

「い、い、か、ら、早く帰れ」

 埴泰は力強く言うと、立ち上がった伽耶乃と正面きって相対する。

 そのまま両手首を掴むと抵抗を封じ、部屋の外へと押しやろうとした。その状態で拮抗するものの、やはり体格と体勢の差というものがある。小柄な伽耶乃は少しずつ押され、ついには壁際まで追い込まれてしまった。

 カノンはあくびをしている。

「くっ」

「残念だったな、もう観念するんだな」

 悔しそうな顔をする伽耶乃と勝利を確信する埴泰……なのだが。第三者が見れば、埴泰が無理矢理迫っているようにしか見えないだろう。

 事実そう見えたらしい。

 カランッと何かが転がる音に視線を向ければ、口元に手を当て立ち尽くした九凛がいた。

「師匠……何してるの?」

「えっ?」

 驚いた埴泰が離れようとするのだが、それはそれでマズい場面を見られてしまい狼狽えた様子にしか見えない。おかげで九凛の目が据わる。

「ちょっと師匠ってば、またそんな事をして。その女の人を襲ってるの!?」

「おい、またってのは何だ。変な言いがかりをつけるな!」

 とんでもない風評被害に埴泰は憤った。

「だって前に私とユミナを襲ったじゃないの」

「なんですって」

 底冷えのする声に埴泰は背筋を凍らせた。

 どうやら、おふざけは終了らしい。伽耶乃は一瞬で拘束から逃れ出ると、そのまま滑るような速さで埴泰の背後へ回り込む。そして力強く腕を捻り上げた。

「あだっ、いだだだっ。止めろ、誤解なんだ」

「誤解って何かしら。私の断りも無く、この子を襲ったですって? どういう事かキリキリ話して貰いましょうか」

「別に何もしてない。本当に誤解なんだ!」

 埴泰は否定する。

 しかし、打ち消された。

「何もしてないって酷いよ。前にあたしとユミナのお尻と、ええっとお腹と言うか……つまりお臍の下とか触ってセクハラとかしたよね。今だから言うけど、ちょっと恥ずかしかったんだから」

「……ギルティ」

 冷ややかな声と共に伽耶乃は埴泰の腕を思いきり捻りあげた。講義室に痛そうな悲鳴が響き渡る。カノンは我関せずと日向で丸くなっている。


 優しい九凛は悲鳴をあげる埴泰が解放されるまで、何もせず大人しく待っていてくれた。痛そうに苦しむ顔を後でユミナに見せるのだと、情報端末で記録までしている。いつか本当に、泣かせてやろうと誓った。

「つまり。この人は師匠の仕事上の知り合いで、プロトセカンドの事も知ってるわけね」

 何とか解放された埴泰は痛そうに肘をさする。どうやら穏便に終わりそうだと安堵した。

「その通りだ」

「もしかしてだけど、あたしの護衛を依頼した人?」

 背筋がぞっとした。

 忘れていたが、九凛という少女は妙に勘の鋭いところがあるのだ。一番言われたくない言葉を口走られてしまい埴泰は大いに慌てた。

 横目で見れば、案の定と言うべきか伽耶乃の目は冷ややかなものに変じている。九凛には護衛の件は本人に内緒にするよう言われていたのだ。

「その通りよ、私が九凛ちゃんの護衛を依頼したのよ。あと、埴泰は後でオハナシね」

「すいませんけど。あたし、子供じゃないです」

「ごめんなさい、九凛さん」

「構わないですけど。それよりどうして、あたしの護衛を?」

 埴泰は失点を挽回すべくフォローに回ろうとする。

「それはだな――」

「「黙って」」

 だが、声を揃えた伽耶乃と九凛に一蹴された。

 そして二人は見つめ合っている。先に口を開いたのは九凛の方だ。

「やっぱり理由は聞いても答えてくれないですか?」

「そうね」

「いつか教えてくれるますか?」

「……そうね」

「じゃあ待ちます」

 何となく話がまとまった雰囲気に埴泰は胸をなで下ろした。もちろん少しも問題は解決してないが、今はそう思いたい気分なのだ。

 安堵したところで、いつもセットで動く片割れの存在がない事に遅まきながら気付く。九凛が一人で動いているところを見るなど、初めてに近いぐらいだ。

「ところでユミナはどうした?」

「シャワー浴びたから、髪の毛を乾かすのに時間がかかってるよ」

「なるほど」

 そのやり取りに伽耶乃は疑問を感じたらしい。再び目つきが怪しくなっていく。

「埴泰はどんな講義は何をしているのかしら。真面目にやってるわよね」

「もちろん師匠からしっかり教わってます」

 どこか得意そうな顔をする九凛が手を腰に当て言い放つ。

「内緒の特訓だから教えらんないけど、結構汗かいちゃうの。最初はきつくて苦しかったけど、もう慣れてきちゃったかな。でもね、ちゃんと後で気持ちいい事もしてくれるの」

「気持ちいい事?」

「師匠ってば凄い上手なんです。でも、最初は酷かったですけど。部屋の中で無理矢理抑えつけて、あたしが痛いって言っても止めてくれないんだもん」

「…………」

 九凛の髪は僅かに湿り、肌も上気しシャワーを浴びたばかりと分かる。

「ちょっと教えてくれるかしら、ここで何を教わってるのかしら」

「おいおい、いきなり何だ――」

「埴泰は黙ってなさい」

 戸惑いの声は一蹴された。

 しかも伽耶乃ときたら、剣呑さを帯びた視線で埴泰を睨んだ後に、一転して九凛には優しそうに微笑んでみせた。それは慈母の笑みであり、まるで傷ついた者を慰め癒やすようなものであった。

「さあ、遠慮しなくていいから。大丈夫、私はいつだってあなたの味方よ」

「えっと? うーん……学園では教えてくれないような事?」

 九凛が堂々と答えれば、伽耶乃は頭を抱え唸ってしまった。そして、鋭い目で埴泰を睨むのだが、まるでそれは信頼していた相手に裏切られたような感じだ。

「……埴泰、正座」

「なんだよ恐い顔して。何だってんだ」

「いいから正座」

 冷ややかな声には逆らう事を許さない圧力がある。なぜか惨劇の幕開けを予感する埴泰であった。

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