第七話 女三人男一人ネコ一匹
体操着姿の九凛とユミナは立ち尽くしていた。
そこは埴泰の宿舎である。
玄関に入ってすぐが台所で、開け放たれ襖の向こうに畳部屋があるだけの狭い建物。壁は板張りで、窓の硝子や枠も含め安っぽい造り。歩くだけで揺れそうなほど、古くなって傷んでいる。
立ち尽くしている理由はボロさのあまりではない。もっと別の理由で――。
「ここ、本当に住んでるのかな?」
「見事に何もありませんよね……」
無人の家屋としか思えないほど、何もなかった。
据え付けの食器棚は空であるし、家電は炊飯器どころか冷蔵庫すらない。机や椅子といった家具は何もなく、奥に見える畳部屋も同様。窓にカーテンがなければ、完全に無人と判断しただろう。それ程までに殺風景な室内であり、生活臭の無い虚無感が漂っていた。
「不要品は置かない主義なのでしょうか」
「そーゆうレベルじゃないと思うけど」
「もしかして間違えましたか?」
「鍵が合ってたのに?」
講義による訓練で走り回った後、近くにあった埴泰の宿舎で休憩する事になったのだ。埴泰自身は軽い片付けを行うため、鍵を渡され先に来ていたのだった。
しかし、これでは休めと言われても、とてもそんな気分になれやしない。
後ろから凡鳥が顔を出した。
「ですがお二人とも、ここで間違いないようですわよ」
「なんで?」
「カノンさんを見て下さいまし」
「……本当だ」
足元をネコのカノンが尻尾を立てながら歩いていく。襖の手前で振り返れば、にゃあと鳴く。どうにも主の代わりに招いているような声色であった。
少女三人は躊躇いながら畳部屋に上がり込み腰を下ろした。
「仮住まいだからって問題でなさそうですよね」
「住んでる場所は、その人を表すそうですけど……これを見ると、何が楽しくて生きてるか不安になるほどですね」
「何だか落ち着かない気分ですわ」
片隅に寝袋とネコの食器関係が置かれていたが、やはり後は何もない。念のためにと九凛が押し入れを勝手に開けるが、戦闘用の服と古びた背広が吊されているだけであった。
九凛は押し入れの前で勢いよく腕を振り払い、ぐっと拳を握りしめた。
「こんなの駄目だよ! よっしあたし決めた。こうなったら師匠が楽しくなるようにする」
「出ましたよ九凛のお節介が……」
「お節介じゃないよ、お礼だよ。今まで助けて貰ったから」
決意表明をする九凛の立ち姿は凜々しく熱意に燃えているが、付き合いの長いユミナは知っている……どうせノープランだと。最後には自分が巻き込まれるのだろうと諦めているぐらいだ。
玄関で音がした。
「待たせたな」
「お帰りー」
さっそく九凛が素っ飛んで行った。立て付けの悪い宿舎のため、壁や床がが揺れ天井から埃が落ちてきたぐらいだ。床で寝そべっていたカノンが迷惑そうな顔をしている。
「荷物あれば持つよ」
「何もないが」
「じゃあ何か飲むなら用意するよ」
「水しかないな。ただしコップはないけどな」
埴泰は纏わり付くような九凛の様子に戸惑いつつ畳部屋に移動した。ネコのカノンがひと鳴きして身を起こし、伸びをしてから頭をすりつけに行く。おやつの催促だが、もちろんそんな甘い人間ではない。
「えっとね、それじゃあね……」
九凛は一生懸命に考え込んだ。そして後ろ手にもじもじしながら恥じらった。
「じゃあ、あたしが師匠にいい事してあげる。でも特別なんだからね」
「おいおい何だ?」
「いいから、奥の部屋に行こうよ。あたしに任せて」
九凛に腕を掴まれた埴泰は戸惑いながら畳部屋へ誘われていった。
そして――。
◆◆◆
薄く開いた窓から風が吹き込みカーテンを揺らす宿舎の部屋。
畳に膝立ちとなった埴泰の前出は九凛が仰向けに寝そべっていた。薄暗い室内に見える素足は妙にくっきりと白い。その健康的な太ももは蒸し暑さもあって、しっとり汗ばんでいた。
「まったく自分から言い出したくせに。情けない奴だ」
「だって……」
「まあいい、ここからは攻守交代させて貰おうか」
「うん……」
埴泰の問いに九凛は小さく頷く。ぎゅっと目を閉じてみせたが、実は薄目を開けた状態だ。自分の足がそっと持ち上げられる様子を恥ずかしげに見ている。
「ほれ、もっと力を抜け。身体が固いじゃないか」
「そんな事言っても。そんなに見ないでよ、恥ずかしいんだから……」
「綺麗だと思うが」
「師匠のばかっ」
九凛は頬を染めると両手で顔を押さえた。
「じゃあ、いくぞ」
言って埴泰は、ほっそりとした少女の足を持ち上げ抱く。そのまま膝立ちで固定するなり、ぐいっと押し込んだ。
「いっ……痛っ!」
「我慢しろ」
「無理無理無理! 痛いって、これ以上無理。やっぱり止めて、本当に痛いんだから!」
「今更だな。我慢しろ」
「でも、こんなの無理だよっ!」
九凛は悲痛な声をあげ逃れようとするが、がっしりと押さえ込まれ無理だ。頭を左右に振り悶えるしかない。その間にもぐいぐいとリズミカルに埴泰は動いていく。
「二人とも見てないで助けてよ」
横でユミナと凡鳥が固唾を呑んでいた。二人とも正座したまま、九凛が蹂躙されていく様を見守っていたのだ。
「ええっと、ご自分で言い出した事ですもの。最後までして貰った方がよろしくって」
「痛がってますけど、大丈夫なのでしょうか?」
「経験がありませんので痛さは……もっと気持ちいいものかと思ってましたわ」
「私も同じですから、どうしましょうかと」
半身とも言える相手を気遣いながら、しかしユミナは埴泰の力強い動きから目が離せない。次は自分の番なのだ。どきどきして期待するものの、目の前で痛がる様子に身構えてもしまう。
気付いた埴泰は笑った。額に軽く汗を浮かべ満足げな様子だ。
「安心しろ、こういうのは直ぐ慣れるもんだ。癖になるぐらいだな」
「癖になっちゃうぐらいですか?」
「そういうものさ。ほれどうだ、そろそろ良くなってきてないか?」
問われた九凛だが、堪えるように唇を噛み身悶えする。
「本当に痛いんだから……あっ、でもちょっと気持ちいいかも……」
「よし、慣れてきたなら激しくするぞ」
「いっ! だから優しくして!」
土踏まずを更に強く指圧され九凛は叫んだ。
なぜこうなったかと言えば――最初は九凛が埴泰の肩を揉んだりしたのだ。しかし張り切ったわりに、それはあまりにも下手すぎた。それを指摘され反論があって、紆余曲折があって埴泰が手本を見せる事になって足つぼマッサージに至る。
「全く堪え性のない奴だな。あんなに叫んで情けなくはないか」
「仕方ないじゃない。本当に痛かったんだもん」
涙目の九凛だが、今は仕上げでふくらはぎをマッサージされている。最初の頃のように素足を見られ恥ずかしがる様子はなかった。
「それにしても、師匠にこんな特技があったとは。どこで覚えたのですか」
「うん? 独学だな。ほら、昔は実験体として捕まってただろ。その時は治療なんてして貰えなかってもんでな、仲間内で擦ったりするしかなかったんだよ。所詮は気休めだったけどな」
「「「…………」」」
意外と重い理由に少女三人は黙り込んだ。
そんな雰囲気の中で埴泰はマッサージを続け、ふくらはぎから太股の内側までを解した。九凛は腰にタオルを巻いた状態だが、流石に恥ずかしがり手で押さえている。
「まあ、こんなものかな」
「終わってみるとさ、確かにちょっと気持ちいいかも。またやっても……いいかな」
「肩凝りでも腰痛でも出来るが、もちろん痛くはないぞ」
「肩凝りとか、あたしお年寄りじゃないもん。必要ないよ」
九凛は笑った。ただし、その笑顔が続くのはユミナと凡鳥の言葉を聞くまでだ。
「そうですか? けっこう肩が凝っちゃいますけど」
「私もですわ。肩凝りのストレッチとか欠かせませんもの」
「ですよね、お風呂上がりにストレッチしますよね」
「どんな感じのストレッチです?」
「こうやって腕を後ろに――」
ユミナと凡鳥はお互いに情報交換をしだす。その横で九凛は下唇を噛み不満を表明し、二人の立派な胸を見やった。それはもう敵意と殺意に満ちた眼差しである。
埴泰はそんな九凛の肩を叩いてやった。そっと慰めるように。
だが、優しさは時として人を傷つけるらしい。
「うるさいばかぁ!」
渾身の頭突きは埴泰の腹に炸裂した。
そんな賑やかさの中で、ネコのカノンは尻尾に顎を預け寝入っていた。
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