第六話 特訓スキルアップ

 晴れ渡る空、照りつける日射し。穏やかに吹く風が校庭の木々を僅かに揺らす。近くには校舎の喧噪、遠くには車両の走行音。白線の引かれたグラウンドは広々としている。

 体操着姿に着替えた九凛くりんとユミナが埴泰の前で、かかとを揃え並ぶ。

「番号」

「え? あっはい、一です」

「二……って、こんなの言って意味あるの?」

「これがお約束だって聞いたが違うのか? 姿勢は……もう少し爪先を開いて胸を……まあいいか」

 白い半袖シャツに紺のハーフパンツといった体操着姿の少女たち。普段よりも体つきなどが良く分かってしまう。

 埴泰はにやすはユミナを正視できず、安心できる方を見つめた。なお、その意図も気付かず九凛は照れた笑顔をみせている。

「姿勢はせいぜい、卒業してから軍で厳しく指導されるといい」

 セカンドの生徒は特権的に扱われているものの、卒業と同時に幻想生物との戦いへと強制的に投入される。大半は軍に入り、そして多くが死んでいく。

「後で苦労するのでしたら、先に教えて欲しいのですが」

「むっ、それもそうだな」

 埴泰は横に回り込み二人の姿勢を確認する。

「もう少し胸をはって、腰を伸ばして。腕は指先まで真っ直ぐにして、腿の外側につける」

「こんな感じでしょうか?」

「……少し胸を張りすぎのような。ええっと、後は良いと思う」

「あたしは?」

「んっ? いいんじゃないのか」

「……なんか、あたしに対する態度が雑な気がする」

「気にするな」

 しかし九凛は頬を膨らませ下から睨んできた。それは恐いと思うよりは微笑ましいと思う方が多い顔だ。実際に埴泰は微苦笑すると、横からポニーテールを指で弾いてやって前に立つ。

「それではランニングを――」

「お待ち下さいまし!」

 校舎の方から大きな声を筆頭に大勢の少女たちが走って来る。密かに身構えた埴泰であるが、とりあえず敵意はないと肩の力を抜いた。

凡鳥ぼんちょうナツメと申します。是非に講義を受けさせて下さいませ」

「中ノ瀬でーす。よろしくお願いしまーす」

 次々と名前を延べだすと、辺りは騒々しい。

 静かになったところで埴泰は重々しく口を開く。騒々しいのは嫌いなのだ。

「……講義の移動申請は貰ってないが?」

 講師は複数存在し、どこを受講するかは生徒の自主性に任されている。とはいえ、気まぐれで受講先を変えぬようにと、書類を提出し移動申請を行う手続きが必要であった。

「申し訳ありません。できれば少し体験させて頂ければと思いまして」

「そういうのは困るんだが」

 講師たちは自分の生徒を手放したがらない。なにせ受講生徒数が講師の実績そのものであり、給与や継続契約と直結するのだから。つまり、余計な確執を生んで煩わしい事になるわけだ。

「もー、乃南講師ってば厳しいんだから。いいじゃん、ちょっとお試しで参加させてよ」

 軽い口調で言うのは中ノ瀬という少女だ。

 授業などで何度か見かけた時の通り、随分と調子が良い。それに続き他の少女たちも声をあげ、なぜか埴泰の狭量さを責めてまでいる。なんと勝手な事だろうか。

「……まあいいだろう。少し準備をするから待ってくれ」

 埴泰は許可した。

 同時に訓練の方針が変更された瞬間でもあったが、気付いたのは勘の良い九凛と、その様子を見たユミナぐらいのものだろう。

 埴泰は全員にストレッチを命じると、その間に校舎から大量の木刀を持って来た。

「では、これからランニングをして貰う。ただし、ここから一人一本ずつ持っていくように。ゆっくり一定のペースで走ってくれ。後ろから追うからな」

 そして走らせる。

 なお、後ろから追い立てる埴泰であったが、直ぐに追い越し前を走る事にした。走るペースを調整したい事もあるが、目の前を走る少女たちの健康的な姿に気が逸らされてしまうためだ。そこは健康的な成人男性なので仕方がない。

 誤魔化すように話を始める。

「走りながら聞くように。まずホムンクルスには幾つか種類がある。中にはめっさ強いのもいるわけで、この前の戦闘ではビームを撃ってくるタイプが出た。当たると死ぬので注意するように」

 恐らく話が聞けるのは先頭の数人だろう。

 けれど、そこには聞かせたい相手の九凛とユミナがいるので問題はない。

「注意の仕方は簡単だ、ビームと言っても光の速度ではないので落ち着いて回避をすればいい。セカンドなら銃弾を見てから避ける事も出来るからな」

 返事はない。少し寂しかった。

「次に注意すべきは槍を持った個体だな。これは遠距離から槍を投げて攻撃してくる。その他のホムンクルスは囲まれさえしなければ問題ない。しかし一番注意すべきは空だな空。空の敵で厄介なのはワイバーンだ。高速で飛びながら尻尾で攻撃してくるが――」

 リズムは崩さず一定の速度で走り続ける。

 既にグラウンドを五周ほどしているが、振り返るまでもなく後ろのペースが乱れている事は分かっていた。一人また一人と引き離されているようだ。その程度は知覚能力を使うまでもない。

 疲れが早いのは、木刀があるためだ。

 このトレーニングは体力だけでなく、長物を持った時の動き方を学んで貰う意図もあった。セカンドは神器刀をメインの武器とするため、それを持って動く事に慣れておかねばならない。

「――仮にワイバーンを撃墜したとして落下地点には注意だな。また、空の敵として一般的なのはハーピーだ。鉤爪で掴まれると上空から投げ落とされるか、不意を突かれて押し倒されると喰われるからな――」

 つらつらと語りながら走り続け、さらに十周ほどしてから終了。

 真面目に走ったのは九凛とユミナと凡鳥の三人だけで、中ノ瀬を始めとした少女たちは途中から泣き言を言い出し座り込んでしまった。

 グラウンドの上に座り込んだ少女たちは項垂れ、汗の滲んだうなじを晒し荒い息を繰り返す。体操着はべったりと張り付き、背中には下着の線などが浮き出ている。

 埴泰は用意しておいたクーラーボックスから飲み物を取り出した。紙コップに注ぐが、冷たすぎない程度に冷やしてある。なぜか、大量に用意している。まるで最初から大勢来ると分かっていたかのようだ。

「これを飲んでおくようにな。熱中症対策だ」

「…………」

 疲れきった少女たちは言葉さえ発せず、一気に飲み干してしまった。

 その喉の白さと汗ばんだ肌に眩しさを感じ、見つめるのも悪いと思い空を眺めた。校舎側から向けられる視線には気付いているが、そこに敵意や殺意などは感じられない。どうやら訓練の様子を眺めているだけなのだろう。

「今は訓練中だが、実際の戦場となると飲んでる暇もないけどな」

「先程の話で質問ですけど」

 ユミナが飲み口から唇を離すと言った。

 視線を向ければシャツが汗で張り付き胸の形や下着が透けて見えてしまうぐらいだ。校舎からの視線の意図に遅まきながら気付き、埴泰は数歩動いてそれを遮った。たちまち視線に敵意が含まれた気がする。

「空の敵はやはり脅威ですか?」

「まあな。動きが速いんで戦いづらいな。もし遭遇したら、出来るだけ建物の壁に寄るか仲間同士で声をかけ合って、死角を減らすよう心がけるべきだな」

「なるほど、そうしてから光刃で打ち落とすわけね」

 九凛は紙コップを両手で抱え、ちびちと飲んでいる。日射しの下で汗を滴らせ笑う姿は、まるでお日様の子だ。明るく元気で屈託がない。

「いや、可能なら対空兵器か銃の方がいい。光刃で墜とすのはベテランでも難しいからな」

「そうなんだ」

「やるなら出来るだけ引き付けた方が当たりやすい。さっきも言ったが、空の敵は倒したら落ちてくる。他人が潰されても構わんが、自分は巻き込まれないようにな」

「それ逆なんじゃないの?」

「かもしれんが、戦闘中に他人の事まで気を遣ってられないだろ。それより、休憩終わりだ。次の訓練に移るが今みたいに楽だと思わんでくれよ」

 そう告げると少女たちの間から批難の声が上がった。代表して中ノ瀬が騒ぐ。

「えーっ! なにそれ走ったばっかじゃん。まだ訓練する気ぃ!?」

「まだも何も、今回の訓練は体力の限界に挑むつもりだが」

「ちょっ無理無理。そんなの聞いてないって。凡鳥さん止めようよ、帰ろ」

「私は続けますわよ」

「うわ、何それ信じらんない。駄目だから帰ろうよぉ」

 中ノ瀬は騒いでいる。他の少女たちも同調するが、凡鳥は繰り返し拒否している。

 どうしても凡鳥と一緒に行動したいらしい。しつこく尋ね続け、それでも凡鳥が首を縦に振らないと勝手に怒りだした。

「もういいよ、勝手にすればいいじゃん。私たち戻っちゃうよ、一緒に来るなら今だからね」

「ごめんなさいませ、私はこのまま続けてみたいので」

「あっそ、あー疲れた。もう最悪、何でこんな時間に疲れるまで走んなきゃなんないのよ、マジ最悪。来るんじゃなかった、馬鹿みたい」

 紙コップを足下に投げ捨て、少女の一群は砂を蹴るようにして去って行く。

 一部始終を見ていた埴泰は目を瞬かせた。

「なんなんだ、あれは」

「申し訳ありませんわ。でもこれで助かりましたわ」

「想定通りとは言えど何とも腹立たしいな……さて、三人ともよく頑張ったな」

「まーねー」

 九凛は疲れた声で言った。

「師匠の秘密とか知ってるのって、あたしたちだけだから」

「ですね、中ノ瀬さんたちには悪いですけれど。もうこれで、講義には来ないでしょうね」

 九凛とユミナが言うと、凡鳥は疲れた様子ながら優雅な仕草で会釈をする。

「改めまして、指導の程よろしくお願いいたします。これでようやく講義の移動申請が出せますわ」

 途中で思いついて木刀を追加した以外は打合せの通りであった。

 何故そんな事をしたかと言えば、もちろん余計な生徒を振り落とすためだ。ここに残った九凛とユミナ、そして凡鳥は埴泰の秘密――プロトセカンドと呼ばれる実験体であり、恐るべき戦闘力を持っているという事――を知っている。

 その強さと能力を見込み、以前から凡鳥は埴泰の講義を受講したがっていたのだが、取り巻きが付属して来るため困っていたのだ。

 故に思いっきり走らせて疲労させ、二度と受けたくないと思わせたのであった。この訓練内容を中ノ瀬などが吹聴して回れば、誰も講義を受けようと思う事もないだろう。

「よしよし、それでは訓練の続きをするか」

 その言葉に三人は揃って項垂れた。

「えーと、今ので終わりとかは?」

「なんだ嫌なら止めるが、どうする?」

 埴泰は訓練を施すが、嫌がる相手に積極的な指導をする気はない。必要なければ即座に中止するつもりでいる。

 しかし一度とは言え実戦を経験し、その厳しさを知っている少女たちが否と言うはずもない。ハーフパンツに付いた砂を払い立ち上がった。

 そして訓練が行われる。

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