第五話 お帰りなさいが嬉しくて

 清駿学園。

 そこは軍施設の一つであり、幻想生物と戦う者を育成する教育施設であった。教育課程としては後期中等教育段階、つまりは高等学校。一般人生徒の『普通科』とセカンド生徒の『特殊科』の二科が設置されている。

 古城軍事会社から派遣された埴泰はにやすが特別非常勤講師として務める場所でもあった。そして戦闘部門を教えているのだが、複数存在する講師の中で誰を選ぶかは生徒の自主性に任されていた。

 そして――埴泰の講義は断トツ不人気。

 現在の受講生徒は僅か二名と、受け持ちの少なさに学園長からは嫌みを言われる日々であった。もっとも、埴泰にとっては三年間だけ在籍出来れば良いので少ない事自体は構わないのだが。

 なぜ三年間かと言えば――。

「よかった師匠居た」

 小柄な女子生徒が講義室へと駆け込んできた。

 白を基調とした制服から伸びる手脚はほっそりとしており、体つきも華奢な少女だ。しかし表情は生き生きとして、何より力強く輝く目もあって天真爛漫といった言葉の良く似合う。ポニーテールを揺らしながら動くだけで、周囲の雰囲気が活気だつような気がする。

「なんだ九凛くりんか」

 埴泰はちらりと視線を向け、学園の特殊科の一年生の堅香子かたかご九凛に言った。

 この娘の護衛。それこそが、埴泰が学園にいる本当の理由である。それ故に九凛が卒業するまでの三年間さえ学園に居られれば良いのであった。

「なんだとは失礼しちゃうわ。お仕事で講義がないかもって言ってたでしょ。だから心配してたのに。あっ、でもね。別に講義を楽しみにしてるとか、そんなんじゃないからね」

「さよか」

「ちょっとだけ、ほんのちょっとぐらいは、楽しみにしてるかもだけど」

「はいはい、そりゃどうも。急いで戻った甲斐があって嬉しいな」

「そうなの? もしかして、あたしたちに会うのが楽しみだったとか?」

 満面の笑みで矢継ぎ早に話しかける様子を見れば、誰が楽しみにしていたかなんて朴念仁でもない限り直ぐに分かるだろう。しかし埴泰は朴念仁だった。

「違う。ネコのカノンに、ご飯をやる必要があったからな」

「ふんっだ何さ。師匠の馬鹿ぁ」

「おいこら叩くな蹴るな。何で噛む!」

「むきーっ!」

 頬を膨らませた九凛を引きはがしていると、講義室のドアが開く。

「噛み癖がありまして、すいません。ほら、師匠を困らせたらだめですよ」

 背の高い少女が講義室に入って来る。腰まである金髪が揺れ、手脚がすらっと長い。メリハリのあるしなやかな体つきは、まるでモデルのようだ。優しげな顔つきにある目は吸い込まれそうに神秘的な碧眼であった。

 このユミナ・シューベルという少女は随分と大人びている。横でワキャワキャ騒ぐ九凛とは大違いだ。

「お帰りなさい」

「ああ、少し前に戻ったばかりだ。頼まれ仕事が思ったより早く片付いたもんでな。講義に間に合って良かったよ」

「お疲れ様です。あまり無理をなさらず」

「なに、そう大した事でもなかったからな。むしろバスに乗ってからが疲れた」

「もしかして師匠は意外に車酔いするタイプですか?」

「そうじゃなくって、まあいろいろとあってだな……」

 この辺りは口を濁すしかない。

 真実は桃沢の暴走運転というスーパー下らない事なのだが、その態度は意味深に捉えられたらしい。ユミナは何か機密に関わるような事を尋ねてしまったのかと口を押さえるぐらいだ。

「何はともかく、師匠が無事に帰ってくれて良かったです。心配してましたから」

「そうか、心配かけたな」

 素直な言葉が嬉しく埴泰は微笑した。ゆっくりとした動きで頭をかいていると、九凛が鼻の頭に皺を寄せ目を細めた不機嫌顔をしている。

「なんだか、あたしに対する態度と違う気がするんですけど」

「うん? そりゃな……」

 埴泰は答える代わりに九凛を上から下へ眺め、そのまま視線を動かしユミナを下から上へと眺めた。同じ歳とは思えぬのは、何も身長だけのせいではない。

「まあ、なんだ。そろそろ講義でもしようか」

「何か言いかけた、今何か言いかけたよね。最後まで言ってよね!」

 ムキになった九凛が騒ぎ出す。その肩をユミナが押さえ宥めにかかった。

「ほらほら九凛も座りましょうよ。講義、楽しみにしてたじゃないですか」

「べ、別に。あたし楽しみになんてしてなかったから」

「そうですよね。何かある度に、師匠がいつ帰るか気にしてただけですよね」

「違うもん」

 ふて腐れたような九凛はそっぽを向きつつ、ぺたんと床に座り込んだ。それにユミナは微苦笑しながら隣に並ぶ。そして会釈するように頭を下げている。

 埴泰は床にどっかと座り胡座をかいた。

「でもまあ、二人に会いたいために急いだのは事実だ」

「ほんと!?」

「そりゃ講義をしないといけないからな」

「あっそう……」

 つまらなそうに言った九凛だが、それでもすっかり機嫌を直している。怒ったり笑ったりと、何かと忙しい少女である。

 すっと立ち上がったユミナは棚に行き常備してあったコップを取り出し、ペットボトル飲料を注いで人数分の用意をしだした。何かと気の利く少女である。

 講義室の静かな部屋で特別警戒する事もなく、こうしてのんびりと過ごす時間。それは悪くないもので、これがくつろぐという感覚なのかと埴泰は思った。

「講義と言ってもな、今からだと時間が無い。どうするかな」

「それじゃあ、お話しして」

「お話し? 何をだ」

「なんでもいいけど。師匠が話せる事で」

「……そうなると戦闘ぐらいかな」

 暫く思案して埴泰は呟くのだが、それを聞いた二人はがっくりした。もっと楽しい話題を期待していたのだろう。

 しかしながら、無いものをねだられても困る。埴泰の人生は戦って寝て起きての繰り返しで生きて来ただけなのだから。まともに話せるような話題はなにもない。

「それでは、戦闘の話でお願いします。今後の参考になるかもしれませんし」

「しょーがない。戦闘でもいいよ」

 ちょっと九凛が偉そうに言う。既に脚を崩し胡座までかいている。指導者たる立場でそれを指導すべきか埴泰は悩んだが、結局は黙った。下着が見えているなんて口にすれば、またきっと大騒ぎなのだから。

「ホムンクルスと戦闘する際には、素早い状況判断が必要だ。集団戦法を使う連中を近づける前に銃撃なりで片付けるのが一般的だが、ある程度の人数であれば、むしろ接近した方が戦いやすい」

「ある程度って?」

「場合によりけりだな。並び方が重なっていれば五体ぐらいでも充分だが、横に広がって包むように展開している時は逃げるべきだな」

「よく分かんないけど」

「相手がどう動くのか。ホムンクルス同士が互いの動きを阻害するかどうか――」

 埴泰が熱心に自分の経験を話しだせば、九凛とユミナも真剣に聞いている。それは講義だからというよりは、経験豊かな先達を尊敬し頼るような様子であった。

 これがこたえられないぐらいに気分が良い。

 誰かに何かを教えるという事が、これほど心地よいとは思いもしなかった。それがこの二人相手だからなのかは分からないが、今の埴泰は最高に気分が良い。

「何にせよセカンドは死にやすいから気を付けろよ」

「そうなのですか?」

「直ぐに突っ込んでくからな」

 とにかくセカンドという存在は英雄思考が強い。そして全能感や超越感、さらには無敵感を持っている。子供の頃から特権的に扱われ、さらには書物を通じ英雄譚や成功譚に触れ育っている。そのためか、忠告を聞かず勝手に突撃して窮地に陥りあっけなく死ぬ。

 この説明に二人は真面目な顔で頷き感心した。

「命が大事という事もあるが、戦果としての意味で言うなら一回の戦闘で九十九の敵と差し違え死ぬよりは、十回の戦闘で毎回十の敵を倒し続けた者の方が立派だ。死ねば、それまでだからな」

「なるほど」

「言われる通りですよね、死んでしまえばそれまでですから」

 とりあえず二人は納得し感心しきっている。

「その為には体力を付けないとだめだ。講義は、それを中心に行うつもりだ」

 地味そうな内容に九凛が下唇を突き出し不満の意を表明した。

「体力訓練って、何かやだ。そんなのするの?」

「戦場ってのは過酷な場所になるだろ。その中で戦い行動するわけだが、体力が尽きれば動けなくなる。そうなれば死ぬしかない」

「うーん、まあそれ分かるかも。あたしも前に敵から逃げる途中で動けなくなったもん。何とかね、途中で休めたから良かったけど。確かにあれが戦場だったら死んでたかもだね。でも体力訓練か……」

「という事で、しばらく二人にはひたすら体力をつけて貰う。だいたい三日もやれば慣れてくるな。セカンドの身体は、状況に適応するように出来ているから」

 話ながら思いついた講義方針だが、我ながら素晴らしいと埴泰は満足した。案外と行き当たりばったりなのである。

「えーっと、何だか地味?」

「そうですよ。それより神器の使い方とか光刃の練習とか模擬戦とかの方が……」

 なんだか不満そうだ。

 決めたばかりの講義方針に水を差され、埴泰の方も不満顔だ。

「言っただろう、必要なのは体力だ。とにかく騙されたと思って、三日ぐらいは限界まで身体を酷使してくれ」

「ええっ! そんなぁ……」

「限界ですか」

 二人はますます不満を呈している。

 しかし埴泰は、こんな時にどうすれば良いか手綱の取り方を知っていた。

「週末には何か奢ってやるよ」

「「やります!」」

 勢い込む九凛とユミナの姿に財布の危機を予感してしまう。

「あまり高いものは駄目だからな。それじゃあ、汚れても良い服に着替えグラウンドに移動だ」

 だから慌てて釘を刺した。

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