第三十七話 悩んでしまう救援者

「急いでっ!」

 九凛くりんの声が、廃墟となったショッピングモールの中に響く。

 その揺れるポニーテールを目印としてユミナと凡鳥ぼんちょうも必死に走っていた。

 このショッピングモールから幻想生物たちが出現した事は分かっている。だがしかし、走りながら冷静に周囲を観察し逃げ場を探すなんて、物語の主人公でもあるまいに不可能だ。

 浴びせられる赤熱弾を避け、猛突進する巨体から逃げるには、ここに飛び込むしかなかった。

 九凛は息も切れ切れに言う。

「あたしが、思うに。映画とかだと、こういう場所って、絶対に危ない、よね!」

「縁起でもないこと、おっしゃらないで、下さいませ!」

 やはり呼吸も荒く凡鳥が声を張り上げる。

 一方で走る事が苦手なユミナはそれどころではなかった。装甲服のおかげで抑えられているが、やはり胸のせいで重心がぶれてしまう。あと、擦れて痛かった。

 三人とも手には抜き身の神器刀がある。

 これによりセカンドの能力をフルに使用出来るため、なんとかサラマンドラの追撃をかわす事が出来ていた。ただ、長物を持って走るのはそれはそれで辛いのだが。

「足下、気を付けて!」

 廃墟の中は危険が多い。

 放置された物が散乱し、足元には崩れた瓦礫も存在する。床が抜けた箇所は雨水が溜まった地下室。天井には落ちかけた巨大シャンデリアもある。

 少し進み、九凛は足を緩めた。

「後ろ来ないよ。上手く逃げられたみたい」

 瞬間――ズドンと前方の壁が弾けた。

 粉塵を押しやり現れるのは、巨大なオオサンショウウオのような姿だ。その火竜サラマンドラは身をくねらせながら入り込むと、メイン通路内で方向を転換。四肢に力を込め突進する。

 途中の壁で化粧用内壁を削り、床材を引き剥がし迫る姿に三人は悲鳴をあげた。

「そこ横っ!」

 咄嗟に脇通路に飛び込めば、直後にメイン通路をサラマンドラが駆け抜けていった。風圧が押し寄せる程の勢いだ。振り向けば、接触した床や壁は高温によって赤熱した線が残されていた。

 不燃性能が高いためか燃え広がってはいないが、押し寄せた熱気は三人を恐怖に陥れる。

「完全にこっちを狙ってますね」

「幻想生物ですから当然だよ。焼かれるなんて嫌だよ、早く逃げないと」

 飛び込んだ勢いで倒れ込み、そこから床に手を突き体勢を立て直しながら足は止めない。姿勢を立て直しながら逃走を再開しようとする。

「待って下さいませ。闇雲に逃げてもだめですわ、ここは私にお任せ下さい」

「もしかして、凡鳥さんここを知ってるの!?」

「知りませんわ。でも、こういう場所はどこだって構造は似たようものですわよ」

 凡鳥の先導でエスカレータを駆け上がり、生活雑貨店、輸入雑貨店、ブランドバック店、鞄店などの店舗跡を横目に、吹き抜け横の通路を疾走していく。

 下を見ればサラマンドラが同じ方向へと、憩いの広場風にアレンジされたオブジェを破壊し爆走する様子が見えた。前方にエスカレーターがあるため、きっとそこを駆け上がってくるに違いない。

「このままじゃ追いつかれちゃうよ」

「我に策ありですわよ。さあ、急ぎますわよ!」

 広いそこは家電エリアだったらしい。その名残の看板が天井からぶらさがっている。空となった陳列台の間を走っていると、後方で激しい衝突音や破壊音が響いた。

 どうやら、もうサラマンドラが追いついて来たらしい。

「あった! あそこですわ!」

 凡鳥は奥まった位置の非常階段へと飛び込む。そこは狭く細くサラマンドラでは入り込めない幅だ。

「いいですこと、靴を脱いで声を抑えてくださいませ」

「そっか、サラマンドラは音に反応してるかも……凡鳥さん、冴えてるね」

「褒めたって何も出ませんわよ」

 素っ気なく言った凡鳥であったが、少し得意そうではある。

 しかしながら非常階段の下方向は不要品が積まれ塞がれていた。やむなく上がっていくと、少しして激しく体当たりする音が何度も響きだす。それが聞こえる間は、まだ移動した先には気付かれてないだろう。

「あっ……」

「大丈夫ですか」

 足をもつれされた九凛をユミナが支えた。

「これ以上は限界みたいですね。どこかで隠れて休んだ方がいいかもしれません」

「あたしは大丈夫だよ。足手まといにはならないもん」

「無理して動けなくなる方が足手まといかと。ほら、ちょうど音の漏れない隠れる場所があるじゃないですか。少し休みましょう」

 ユミナがそっと示した先には、シネマとの文字が残されていた。


◆◆◆


 埴泰はにやすはテントを出ると、つとめて冷静にキビキビと動いた。学園の備品から呼びの神器刀を何本か腕に抱え校舎裏へと移動。訝しげな生徒たちの視線から逃れたところで、セカンドの能力を駆使し走りだした。

 そして自問自答する。

――何故自分は走っているのだろうか。

 幻想生物の大群が出現した地を移動するなど馬鹿げている。冷静に考えるなら、応援要請を受けた軍が出動し危険が排除された後で護衛対象を探すべきだ。

 さらに言うなれば、これは依頼された範疇を超えている。いくら護衛だと言っても、身を危険に晒してまで助ける必要はないはず。

 必要ないはずだが……あの二人が危険と思った途端に身体が動いていた。

 よく分からない。

 ただ、我ながら自分で自分が間抜けだとは思う。

 上手く隠れてさえいれば安全なはず。助けなんて必要とされてないかもしれない。逆に状況を悪化させるかもしれない。無駄足かもしれない。

 それでもどうして走っているのか……。

「なるほど、自分のためか」

 埴泰は歪んだ笑みを浮かべた。

 あの二人に感謝されたい、頼られたい、凄いと思われたい、好かれたい。心の中にはそんな思いでいっぱいだ。

 人間の行動原理は結局、自分の為になるかならないかだ。自分の欲望が満たされ幸福感が得られるかどうか、それだけの事だ。誰かを救おうとする英雄的行為とて、突き詰めてしまえば自己満足だろう。

「では助けて、たっぷりと恩をうってやるか」

 笑いながら疾走する埴泰だが、その知覚が何かを捉えた。

 それは一台の車両で、ずっと前方を走り去ってく様子が見える。気にはなるが……こうした放棄区画には、犯罪者が潜り込み治安悪化の温床となっている事がよくあるのだ。きっと、そうした連中が首尾良く逃げだしたに違いない。

「命冥加な連中だ」

 呟いたところで、遠方に接近する幻想生物の群れを確認した。

 家屋の屋根で瓦を踏みしめ目を凝らせば、追われる少年たちの姿が確認できる。それは間違いなく九凛とユミナと一緒の班だった連中だ。けれど、肝心の二人の姿がない。

「またまた、そんな馬鹿な。あの二人はどうした。はぐれたのか? それとも……いや、きっと最初の場所で隠れているはず。あいつらは利口だからな。そうに違いない」

 そう口にするが、どうしようもない焦燥が身を焦がす。焦り、不安。あの二人を見つけ安全を確認したくて堪らない。

 屋根瓦を蹴って突進するように移動する。飛ぶような勢いだ。

 しばらく進めば、ホムンクルスとオーガの一群に遭遇してしまう。先程とはまた別の群れであるが、埴泰の存在に気付くなり、わらわらと向かって来る。

「――邪魔するな」

 神器刀の束を空に向かって放り投げる。それらは瞬時に抜き放たれ、近衛の掲げる剣の如く凜々しく勇ましく周囲に展開した。

「退けぇええええ!」

 そして埴泰は数千を超える幻想生物の群れへと突っ込んだ。


◆◆◆


 映画館の中に上映場所は何カ所かあったが、どこも真っ暗。

 さすがにそこは不安で、三人は壁が崩れ光の差す場所を選ぶと忍び込んだ。

 座席はざっと二百席以上はある。その中で腰を下ろす場所は、出入り口と非常口の中間あたり。どちらにでも逃げられるようにと考えての事であった。

 座り込んだ九凛は口元を覆い咳き込み、ポニーテールを大きく揺らす。それは、かなり疲労した様子で凡鳥は背中を擦ろうとした。だが、装甲服の上からでは意味がないと気付き手を引っ込めた。

 装甲服は動きを妨げぬ事に重点が置かれており、可動域は広く殆どの仕草に追随してくれる。スカート状に広がった腰部も座って何の支障がないぐらいだ。

「ごめんね。あたし、足手まといになっちゃった」

 九凛は席に座ると軽く両足を投げ出した。ぐったりした様子だ。

 普通であれば体力がある程度まで落ちた段階で疲れを感じ、省エネモードに移行するか休憩を取るだろう。しかし九凛は違う。常にフル稼働で限界まで消耗し、唐突に倒れる。それは完全に子供の動き方であった。

「大丈夫ですわ。実を言いますと、私も限界なんですもの。走りっぱなしですから、そろそろ休まないとやってられませんわよ」

 慰めるように言った凡鳥も隣の席に座り、実際にぐったりとしてしまう。

 薄暗い中に金色の髪が動き、非常口を確認したユミナが戻って来た。

「とりあえず大丈夫そうですね。少し様子を見てきましたが、サラマンドラはもっと下のフロアに居るようです。こちらに気付いた様子はなかったので、少し休めるかと」

「ユミナさんは随分と、体力がおありなのね」

「いえいえい、そろそろ限界ですよ」

 床に座ったユミナは、学園支給の神器刀を脇に置くと、腕を首の後ろにやって肩を解す。

 映画館という場所のため静かだ。壁の崩れた場所から微かな爆発音が聞こえて来るが、むしろ三人の乱れた呼吸の方が大きい。

「戦闘、始まってるみたいだよね。学園のみんな、大丈夫かな」

 九凛は椅子から滑り落ちそうなぐらいの姿勢で呟いた。

「軍事会社の方が居ますので大丈夫かと……思いたいですね」

「ですが乃南講師の紹介で来た、下位ランクの会社ですのよね。失礼ですけど、本当に大丈夫なのかしら」

「師匠の話ですと――あ、師匠と言うのは乃南講師の事ですが」

 怪訝そうな凡鳥の様子に気付き、ユミナは説明を付け加えておいた。

「下位ランクなのは、下請けが多いからだそうです。それで、下請けが多い事は、本当は凄い事だと教えて貰いました」

「まあ、そうなんですの。でも、どうして下請けが多いと凄いのかしら」

「そこまでは……九凛は分かる?」

 しかし問われた方は頭を振り、ポニーテールを左右に揺らした。

「さあ、分かんない。無事戻れたら聞いてみようよ」

「そうですね。無事に戻りましょう」

「全くそうですわね、よろしくお願いしますわ。お二人とも」

 廃墟の中で幻想生物から身を隠した状況だが、まるで学園生活での一コマのように和やかなやり取りであった。三人揃って明るさを含んで笑う。

 気付けば、息の調子は通常に戻り汗も引いている。

 九凛は座り続けたい気分を振り払い、立ち上がるとお尻を装甲の上から元気よく叩いた。

「それなら、そろそろ移動しようよ。ここに居ても解決はしないよ」

「確かにそうですね。では、まずは私が様子を見てきましょうか」

 体力も気力も回復し、信頼出来る仲間がいる。

 この難しい状況も三人でなら、何とかなるに違いない。そんな思いで笑い合ったところで――突如、映画館の中が陰った。

 空が曇ったかと、全員で崩れた壁を振り向く。

 だが、逆行の中に見えるのは平べったい頭だ。それがねじ込まれ、大きく開けられた口内に赤い光がちらついている。

 次の瞬間、映画館の中に赤熱した塊が吐き出された。

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