第三十六話 隠れんぼの隠れんぼ

 時は少し遡る。

「うそ……」

 九凛くりんは立ち尽くしたまま呟いた。

 廃墟となったショッピングモールからホムンクルスが出現しているのだ。それも大量に。先程の戦闘で倒した数など比較にもならず、これに襲われては、為す術もなく群れにのみ込まれるだけだろう。

 だが、まだ幸いな事に距離があるため気付かれていなかった。

 どう逃げるべきか考える最中、情報端末が着信を知らせた。小さな音量の短い電子音だが、今は大音量で鳴り響く時つげの鐘のように聞こえただろう。

「くそっ、何だよ。どこの馬鹿だよ、こんな時に連絡してくんのは!」

「えっと……幻想生物大量発生を確認につき、試験中の生徒は物陰等に身を潜め動かないように。定期考査本部からだ」

 読み上げた内容に男子生徒の一人は顔を真っ赤にさせ怒りだす。

「無理だって、あんな沢山いるんだぜ! 隠れたって見つかったら死んじまうだろ!」

「お、俺に怒られても」

「なんで誰も助けに来ねえんだよ!」

 騒ぐ少年は辺りに当たり散らし狼狽しきっている。それが伝播したのか残り二人の男子生徒も不安げな様子だ。しかし、女子生徒は比較的冷静だ。それは単に目の前でパニクられたお陰でもあるのだが。

 冷静に植え込みの陰に隠れるが、もっと安全な場所を探さねばならない。

「下手に動いた方が見つかるかもだけど、他に良い場所はないかな」

「マンホールはどうでしょうか。上手く蓋が開けば中に隠れられるはずです」

 言ったユミナは自分の髪色が目立つと分かっているため、少しでも隠そうとしゃがんで手で覆っている。

「ちょっとマンホールの中ですって? 中に入るなんて汚くありませんこと?」

「でも、あの数に襲われるよりはマシだよ。あたしはユミナに賛成」

「それはおっしゃる通りでしょうけど、マンホール……」

「文句を言えるのは生きてる間だけだよ。あの集団に捕まったら、生きたままバラバラにされちゃうかもでしょ」

 九凛の何気ない言葉こそが、男子生徒を動かした。

「ひっ! こんなとこ居られっかよ!」

「待てよトキヤ置いてくなよ!」

「俺も行くぜ、こんな場所で死んでいい人間じゃないんだ!」

 まず一人が悲鳴をあげ走りだせば、これに残り二人も続く。それは止める間もなく猛烈な勢いであり、途中で神器刀を抜き放った事で動きは素早さを増している。

「ちょっと男子ども、戻りなさいよ!」

 驚いた凡鳥が声をかけるが、それが追いつかないほど男子生徒たちは必死に走っている。駐車場の角を曲がり道路に向かおうとするが、強化された身体能力をコントロールしきれない。

 そのまま看板へと突っ込んでしまう。

 錆びて老朽化していた看板は――ギシギシと音をさせながら傾いていき、ついには轟くような音と共に倒壊した。その音に驚いた男子は、いっそう泡を食って走りだす。

「二人ともこっちです!」

 驚いているのはユミナも同じだが、とっさに九凛と凡鳥の手を引いた。そのまま転がるようにして放置トラックの下へ潜り込み、少しでも奥へと這っていく。可動域の広い装甲服のおかげで、這う事はさして辛くない。

 身を潜め――地鳴りのような音の接近に気付かされる。

 狭い視界が瞬時に銀一色へと変わり、数えるのも馬鹿馬鹿しいぐらいの銀色の足、足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足足。大量のホムンクルスたちが目の前を通過していく。

 見つかれば万事休す。

 三人はトラックの下で身を縮こまらせながら恐怖を堪えていた。

 そこに重い足音が混じる。

「っ!」

 接している地面から強い衝撃が伝わり九凛は目を見開いた。

 これまでと比較にならない巨大な足が見える。ホムンクルスを蹴散らし進むのはオーガだ。隠れているトラックなど、簡単に動かしてしまうに違いない。

「!」

 震える九凛にそっと手が重ねられた。

 横を向けば、ユミナの碧眼と目が合う。多少引きつってはいるが、励ますように笑いかけてくるではないか。なんとか笑い返す九凛だが、きっと自分の顔も同じに違いないと思った。

 オーガの大きな足が目の前のアスファルトを踏み割った。

 そのまま過ぎ去ってしまえと思ったところで、大きな足が止まる。目の前から動こうとしない。何か鼻を鳴らすような音が聞こえ、九凛の心臓は跳ね上がった。重ねられたユミナ手にも力が込められている。

 巨大な足先が隠れているトラックに向けられ、膝が屈められ――だがそこで、遠くから砲撃の音が響いた。

 オーガの動きが止まり、どこかへと地響きを響かせ走り去っていく。残りのホムンクルスも次々と通過していき、そして静けさが戻った。

「…………」

 九凛はアスファルトに突っ伏した。顔に小石が当たるが気にもしない。これまでの人生で最も緊張した数秒。自分の無力さと脆弱さを思い知らされた時間であった。緊張を堪えていただけなのに、驚くほど気力と体力を消耗している。

 だが、いつまでもこうしてはいられない。

「二人とも出よう」

 慎重な動きでトラックの下から匍匐前進で這い出していき、まずは膝立ちとなって周囲を見やる。敵の姿がない事を確認し大きく安堵をした。そして自分の腰を装甲の上からだがトントンと叩く。

「ううっ、苦しくって痛くなっちゃったよ」

「そうですよね。うつぶせになると辛いですから」

「まったく同感ですわ」

「…………」

 ユミナと凡鳥が装甲の中に手をやり胸をさする横で、九凛は無言のままペタペタ自分の胸元を触る。二人と見比べ世の不条理を思い、無言のまま近寄ってはユミナの胸にパンチを入れた。それは八つ当たりだ。

「いきなり何?」

「ふんっ、だ。それより、あたしが思うに神器刀が意外に邪魔だったよ」

「確かにそうですね。潜るときに少し引っかかって焦りました」

 横で凡鳥も頷く。

「そうですわね、次はもう少し短い脇差を買って貰おうかしら。実を言いますと、これ重くて大変なんですのよね」

「ヤマシロ社製のが細身で良いって聞いたよ」

「あらそうなんですの。では、お父様に聞いてみますわ」

 安堵からくる気分で軽く雑談しつつ、念のためにもう一度周囲を見回した。幻想生物たちの姿はない。とりあえず当面の危機は去ったと判断して良いだろう。

「でさ、あたしたちどうしよう」

「どうしましょう?」

 つい先程、端末に送られた指示は危険が去るまで隠れるようにだった。それで咄嗟にトラックの下に這い込んだのだが、今はどうすべきか――。

「男子の人たち大丈夫でしょうか」

 ユミナが呟くと凡鳥が怒りだした。

「あんな方たち、心配する必要なんてありませんわよ! 自分たちだけで逃げ出して、しかも端末まで持っていったのですよ! これでは助けも呼べませんわ!」

「そう怒らなくたってさ」

堅香子かたかごさんまで! これが怒らずにいられますか。ユミナさんがトラックの下に隠れようと言ってくださらなかったら、私たち死んでましたわよ」

「でもさ、考えてみるとあれだよ。あたしたちって男子のお陰で助かったような部分もあるよね。だって敵は全部男子を追いかけてっちゃったから」

 九凛は頬を掻き言いにくそうに呟いた。

 置き去りにされた事は確かだが、はからずも幻想生物たち全て引きつけてくれた事も事実だ。もし、そうでなければ発見されていた可能性もあった。

「そうですけど、それとこれは別ですわ。端末がなければ指示も得られませんし、救助も呼ぶ事ができませんもの」

「あの、それなんですけど」

 ユミナが唐突に呟いた。

「男子たちは、どこに逃げたのでしょうか?」

「そうですわね。自分だけでも助かりたいと思う人ですから、安全な場所ですわね。でも、ここらで安全な場所なんてありませんわよね……まさか!」

「やっぱり、そう思いますよね。方角も合ってますし」

「あれだけの数を引き連れて? 考査本部に!?」

 凡鳥は口を開けたまま固まってしまった。誰だって帰れる場所がなくなりそうだと分かれば、きっとそうなるに違いない。

「でも、あの勢いなら途中で追いつかれてしまいませんこと。いえ、男子の方の危険を願うわけではありませんけれど」

「そうですよね」

 男子たちと幻想生物の群れが去った方向をみやり、ユミナと凡鳥はしみじみと考え込んでいた。それは大勢を助ける為に三人の男子生徒は見殺しになってもよいか、と思考実験に似たような事をだ。

「あのさ、二人とも……」

 そこに九凛の緊迫した声が響いた。見ればじりじりと後退っている。

「どうしました?」

「逃げないと、今すぐに」

「え?」

 友人の碧眼が捉える先を見やり、瞬時にその通りだとユミナは理解した。

 それはトラックと同じサイズの赤いオオサンショウウオだ。ヒレ状の尾をくねらせ、身体に比して小さな四肢で這いながら進む。背面は冷えた溶岩のように暗褐色となり、ひび割れたような隙間の中に赤熱した光。大きな口の中に燃えさかる炎がちらつき、時折溢れるように噴き出ている。

「うそだよね、火竜サラマンドラなんて……」

 ここにいてはマズい。そう思うが、迫力のある幻想生物を前に身体は硬直している。きっとユミナも同じだろう。隠れておくべきだったと思うが、あとの祭りだ。

 赤熱した巨体が速度をあげ動きだす。もちろん獲物の人間をめがけて。

「二人とも、ボサッとしてるんじゃありませんわ!」

 凡鳥の一喝で我に返ると揃って逃げだした。

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